妹と歩く、異世界探訪記

東郷 珠

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変わりゆく日常

296 ロイスマリア武闘会 ~覚醒と再会~

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 幼い頃から続いていた冬也との稽古で、遼太郎は手加減を一切した事が無い。小さな子供に向かって振るう拳ではない、しかし冬也は、毎日ボロボロになりながら、遼太郎に立ち向かった。
 また、遼太郎は冬也とペスカにサバイバルナイフを一本渡して、ジャングルの奥深くに放置した事が有る。冬也はペスカと力を合わせて、ジャングルから脱出した。脱出する事が出来たのはペスカの知恵も有ったろう。だが冬也は、ジャングルに潜むあらゆる危険から、体を張ってペスカを守り続けた。

 もし、冬也にペスカという存在が無ければ、これ程真っ直ぐな青年に育っただろうか。もしペスカに、冬也という存在が無ければ、何も知らない異界の地で、心が折られていたかもしれない。互いに依存し合ったからこそ、今の二人が有る。それ自体は別に悪い事ではない。寧ろ誰もが肩を寄せ合って生きているのだから。それはレイピアとソニアも同様だろう。一つ違う事を挙げるとすれば、彼女らが互いの存在意外を完全に否定している所だろう。

 ☆ ☆ ☆

 試合会場の中心でレイピアと遼太郎は、向かい合っていた。観客席にレイピアを応援する者は皆無であり、遼太郎の応援する声がちらほらと聞こえる。前の試合と打って変わって、観客席は異様な静けさを湛えていた。
 冬也が砕いたにも関わらず、レイピアは剣を帯刀している。恐らくソニアから仮受けたのだろう。レイピアは無表情のまま剣を抜く。相変わらず、剣の手入れはされていない。

「刀は研ぐもんだぜ、愛着があるなら尚更だ。そんな事も知らねぇで育っちまったのか」

 意思が疎通出来るとは到底思えないが、思わず遼太郎の口から零れ出た。遼太郎の言葉を無視するように、レイピアは遼太郎に襲いかかる。試合開始の合図が告げられる前にも関わらず。
 遼太郎は攻撃を軽々と避けながら、レイピアの瞳を見る。その目は何も映していない様に、只々虚ろであった。

 二度三度と続けて、レイピアの剣が遼太郎を襲う。その度に遼太郎は避けた。
 確かに太刀筋は悪くない。だが、あの化け物じみた猛者達には、遠く及ばない。レイピアの攻撃はただ鋭いだけであり、知っていれば避けるのは造作ない定型化された行動の様だった。こんな太刀筋なら、一回戦の巨人は何故負けたのだろう。
 
 まるで機械。ただロボットなら、プログラムを入力すれば良い。だがレイピアは生きている。デバッグしても直りはしない。

 遼太郎は、彼女らの事情を知らない。しかし、彼女らに辛い過去があっただろう事は、容易に想像が出来る。ただそれを、現在の彼女らを肯定する理由にしてはならない。彼女らにとっての不幸は、その在り方が間違いだと、指摘出来る者が居なかった事だろう。

 心が病んでいたとしても、他者を害する権利は得ない。躊躇いもなく他者を害する事が出来るのは、善悪の判断が無く戯れに子虫を潰す幼児と同じだろう。だが、レイピアからはそんな無邪気さを感じない。
 何がレイピアを突き動かしているのだろう。遼太郎は心理学や精神医学に関しては素人であるが、レイピアには何か矛盾を感じていた。

 何度も続く単調な攻撃に、流石の遼太郎も鬱陶しさを感じた。レイピアは家畜やペットと違い、躾ければ大人しくなる訳ではない。しかし、遼太郎が闘気を放った時、状況は一変した。
 一瞬の間、レイピアは硬直すると、次の瞬間に殺気を放った。殺気を受けて、観客席は異様な緊張感に包まれる。
  
「殺せ!」

 そう呟くとレイピアは剣を振るう。鞭のようにしなり、四方から見えない斬撃が遼太郎を襲った。遼太郎は後方に下がり辛うじて避けるも、レイピアの攻撃は止まらない。

「殺せ!」

 虚ろであったレイピアの瞳は、狂気に染まる。目の前の遼太郎を殺そうと、ひたすらに剣を振り続ける。エルフに伝わる狂気の伝承が始まったと、観客席はざわめき立つ。しかし、対峙している遼太郎には、別のものが見えていた。

 恐怖と絶望に苛まれ、泣いている少女。

 遼太郎は、レイピアの剣を躱すと腹部に掌底を食らわせる。レイピアは口から吐瀉物をまき散らし、膝を突いた。

「殺さねぇよ! 誰もお前を殺さねぇ!」
「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 遼太郎の言葉を受けて、レイピアは初めて感情を露わにした。そして、遼太郎は激しい怒声を上げる。

「何でこんなになるまで放置しやがった! 何で誰も助けてやらなかった! ふざけんじゃねぇぞ!」
 
 遼太郎には見えていた。死にたいと泣いている少女が。誰も殺してくれない、助けてと泣いている少女が。
 そんなに悲しい事はあるまい。心を壊して彷徨い、それでも妹を生かす為だけに生きた。そして自分を殺せる者を探して、他者を壊して来たのだ。もしかしたら、救わんとした者も居たかもしれない。その手さえも、跳ね除け壊したのだったら、殊更に悲しい。
 
 怒りに震え、周囲を見回す遼太郎。だが、悲しい事に遼太郎の思いは届かない。レイピアは剣を振るう。心を壊した少女は、自分の境遇に怒った者さえも手にかけようとした。そして、遼太郎の首にレイピアの剣が迫る。

 命の危機に瀕した瞬間に、遼太郎の体は眩い光を放った。遼太郎から放たれたのは、地上の生物とは隔絶した神が有する神気。そして遼太郎の中には、封じられた記憶が永劫の時を経て蘇る。かつてロイスマリアで格闘の神と呼ばれたミスラの記憶が。
 そして神気を受け、レイピアは吹き飛ばされ気を失った。

「そうか、そういう事か。やっと全部繋がったぜ」

 ☆ ☆ ☆

 遥か昔、槍の神メルロイという親友を、アルキエルは己の中に取り込んだ。ただ、親友の願いを叶える為に、アルキエルが出来たのは戦う事だけであった。そして、アルキエルはその先にこそ、道が有るのだと信じて疑わなかった。

 悲しい事に戦いを続ける程、アルキエルの心は歪んでいった。次第に暴走し、他の戦いの神から神格を奪った。最後に残された戦いの神は、アルキエルとミスラだけであった。
 多くの神格を取り込んだアルキエルの力は、既にミスラでは止められない。傷つき倒れ、アルキエルに取り込まれ様とした瞬間、ミスラは神格を二つに分けた。
 分かれた神格の一つはアルキエルに取り込まれた。もう一つは女神セリュシオネの助力を受け、異世界へと逃れた。
 そして異世界に余計な影響を及ぼさぬ様、神格に記憶を封じた上で人の魂魄と融合した。

 ミスラと融合した魂魄は、何度も繰り返される輪廻の中で、力を蓄えていった。そして待った。いつかきっとアルキエルを倒す力を持った者が生まれる事を。
 遼太郎が女神フィアーナと出会い冬也が生まれたのは、運命なのだろう。

 ☆ ☆ ☆

 遼太郎は、レイピアが気を失っている事を確認すると、一先ずアルキエルの方へ体を向ける。そしてゆっくりと遼太郎は、アルキエルに近づいていった。

 その時、アルキエルは静かに目を瞑り覚悟を決めた。断罪の時が来たのだと。

 遼太郎を待つアルキエルの脳裏には、冬也とペスカの姿が過る。二人との時間は、何よりも楽しかった。ずっと続けば良いと思っていた。何よりも償えと言われた事は、忘れていない。だけど、それも終わりだ。

 すまない。

 続いて弟子達の姿が鮮明に蘇る。生涯を見届けるつもりだった、一人前にしてやるつもりだった。もう、お前達の面倒を見てやる事は出来ない。

 すまない。

 無防備な態勢のまま、アルキエルは遼太郎を待つ。どれだけ憎まれてもおかしくない、仲間の神を滅し、多くの者を殺してきた。消える事の無い罪が有る。アルキエルは消滅を悟り、その時を待った。

 ゆっくりと、ゆっくりと遼太郎は、アルキエルの目の前まで歩み寄る。そして静かに右の拳を突き出し、アルキエルの胸にそっと触れた。

「なんて顔してやがる親友。目を開けろ!」
 
 柔らかく響く声に、アルキエルは動転していた。消滅する事を覚悟していたのに、何故ミスラは何もしない。目を開けたアルキエルの前に居たのは、優しく微笑む遼太郎であった。

「なぁアルキエル。俺の息子は強かったろ? やっと正気に戻ったんだな」

 遼太郎の言葉を聞いた時、アルキエルの頬に熱いものが流れた。親友メルロイを失っても、流したことが無かった涙。あの時知らなかった感情は、今のアルキエルに有る。

「ミスラ・・・。お前・・・」
「もう、ミスラじゃねぇ。東郷遼太郎だ。それに俺の力は全て、冬也に受け継がせた」
「俺を恨んで無いのか?」

 その問いに、遼太郎は右の手でアルキエルの胸を指さしながらいい放つ。

「俺達は、お前を恨んじゃいねぇ。仮にお前を恨んでいたら、力の一部になりはしねぇよ。俺達は、曲がりなりにも戦いの神だ、他の神々と違うんだぜ! 例え取り込まれたって、全力で抗うぜ! 槍も弓も戦略も、お前は取り込んだ力を使えるだろ? それが答えだ」

 涙を流すアルキエルは、言葉に詰まる。遼太郎はふっと真剣な眼差しを浮かべて、言葉を続けた。

「悔やんでいる事が有るなら、俺達全員でかかっても、お前を正気に戻せなかった事だ。悪かったなアルキエル。長いこと待たせて悪かったな。俺達の力じゃ、お前を何とかしてやる事は出来なかった。だから、託すしかなかった。でもよ、冬也の拳は響いたろ!」
「あぁ」
「悪いな。昔話に花を咲かせたいとこだが、ちっとばかり用があってな」
「わかってる。相変わらずだな、ミスラ」

 遼太郎はアルキエルに背を向ける。その時、冬也が近づいて来るのが見えた。レイピアに向かい歩みを進める遼太郎、そして親子はすれ違う。

「後は頼んだぜ、親父」
「任せとけ、冬也」

 すれ違い様に交わされた短い言葉、それでも思いは伝わる。レイピアの件を父に託し、冬也はアルキエルの下に向かう。冬也は神気のパスを通じて、アルキエルの懺悔にも近い思いを感じ取った。そして、全てを悟った。
 死者の世界で、この世の全てを見たはずだった。しかし、肝心な事を見落としていた。ペスカはちゃんと知っていたのだ、兄のルーツを。

 アルキエルに別れの決断をさせてしまった事が、冬也には悲しかった。遼太郎がアルキエルに対して断罪するなど、冬也は一切考えていなかった。だから、最後まで静観していた。
 アルキエルが自分に対して情を抱いているなら、信じて欲しかった。自分と自分を取り巻く全てを。
 同時に冬也は情けなかった。これまで、アルキエルの傍に居ながら、何も気付いてやれなかった自分が、何よりも情けなく感じていた。

 目の前にまで近づくと、冬也はアルキエルの頬を殴った。

「勝手に別れを告げてんじゃねぇぞ、馬鹿野郎! 俺は言ったろ! 俺の下で償えってよ!」

 アルキエルを殴った冬也の拳は震えていた。そして冬也は、深々と頭を下げた。

「ごめん。お前の苦悩に気付いてやれなくて。守った気になって、肝心な所を守ってやれなかった。ごめん」
「馬鹿言うじゃねぇよ、冬也。これは俺の問題だ」
「違うぜアルキエル。お前の問題は、俺の問題だ。俺達は家族だ、悩みは俺にも背負わせろ。苦しみは、俺にも背負わせろ。間違えんな、お前は一人じゃねぇ!」
「本当に、お前ら親子はそっくりだ。馬鹿みてえにお節介な所がよぉ」

 そう言いつつも、アルキエルは笑っていた。涙の跡が残る顔は、晴れやかな笑顔が溢れていた。
 冬也は頭を上げると、振り返る。視線の先には父がいる。そして、遼太郎は気を失うレイピアの下まで辿り着くと、徐に呟いた。

「さて、救いの時間だ!」
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