雌(おんな)

Tosagin-Ueco

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「雌(おんな)」No.20

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                20、
 並木の話は道理だった、藤子にしてもそんな理屈が判らない訳ではない、近い内にここを出なければとも思っていた、しかし、並木の話を聞けば、大阪にはとても戻れそうにない、
 藤子は想像する、
 船が着き、タラップを降りたその瞬間に恐ろし気な男達に忽ちに羽交い絞めにされ、そのまま谷川の目の前に引きずられて行き、その場で激しく暴行を受け、血反吐を吐いて息絶え、ずたずたになった遺体は道頓堀にでも安治川にでも投げ廃てられる、
 金を隠す場所はある、あそこなら絶対に見つからない、現に今もそこに隠してある、だが身を隠す所が無い、初めて大阪へ逃げた時に隠した金と、今手持ちの金の額は比べ物にならない、その金の隠し場所から離れて暮らすのはやはり躊躇らわれる、だが、ここに閉じ籠れば身の破滅、確実に殺され、金は草葉に埋もれて腐ってしまう、
 藤子は考えた、そして答えを見つけた、
 (谷川が欲しいのは竜次の遺した手帳、だけの筈、その手帳がひとの手に触れ、ひとの目に触れることを谷川が怖れたが為に、交換条件として500万払うと谷川は応じた、谷川にとって500万位の金はどうでも良い、手帳さえ渡せば、谷川と藤子が最初に約束した通りの結果になるだけのこと、その手帳を渡せば、金を還せと云う筈は無いし、藤子の命を奪うこともない…)
 藤子は自分の命の保証、そして身代わりに、もう今やその存在自体が鬱陶しくなって来た並木を生贄に差し出せばよい、と考えた、
 この前、並木は、藤子にこう云った、そしてその言葉を思い出す度、藤子は並木に殺意をさえ抱くようになっていた、
「分け前の250万も、手帳も未だに渡さない、自分はあんたに騙された、と近頃思うようになった、そうとしか思えない、あんたがその気なら、自分にも覚悟がある、自分はもう死んだも同然だ、なら自分は、今度のこと全てあんたが仕組んだことだと訴えて、あんたの居場所を谷川に知らせてやる、そうされたくないなら、今、目の前に、金と手帳を出せ、さ、さっさと出せ」
 凄い剣幕で云われて身の危険を感じた藤子は、屋根裏に、風呂敷に包んで隠してあった手帳の束を渡した、
「お金はここに置いてない、次、あんた、いつ来る?判った、その時に耳揃えてあんたに渡してあげる、心配しいな、250万はあんたの取り分や、うちはあんたの取り分に手付けたりせん、うちは250万もあれば十分や」
 手帳の束を確めた並木の顔から僅かに怒気が緩んだ、藤子は並木の顔を見てほっとした、渡した手帳はこれが全部ではない、残りは念のために、分けて500万の金と一緒に隠してある、藤子は並木の肩にもたれて云った、
「ごめんね、あんたのこと、うち、ちっとも判ってやれへんかった、ごめんやで、あんたなんか、何でも、うちと違うて何でも一人で出来ると思い過ぎていたんや、今度来たら、お金持って帰ったらええよ、せやけど、それでうちら終わりやて云わんといてな、うち、あんたに半年待ってて云ったのは、ほとぼり冷めて、谷川も諦めて、そうなったら、あんたとずっと一緒に暮らせる、と思うてたんや」
 ここまで話がややこしくなったのは、全て並木の悪巧みの所為、藤子を誑かし、また手帳を渡さず金を強奪した並木、谷川はその名前も正体も、得体も知らない並木に対して、谷川は激しく憎悪を、敵意を募らせている筈、なら谷川の目の前に、手帳をその背中に括りつけて並木を突き出せば、全て片が付く、


           
 その夜は、深夜になって雨風、激しくなり、海から吹きつける風がものの怪の遠吠えのように吠え、その風に煽られ、荒れ小屋の屋根上に覆い被さる松の木の枝が唸りを上げてしなる、    
 屋根に葺いたトタン板が、今にも引きちぎられそうにばきばきと音を立てるのが家の中に居ても聞こえてくる、
 藤子は並木の体に敷かれて、剥き出しの屋根裏を見上げていた、一本の蝋燭、風に煽られて炎が揺れる、その蝋燭灯りに照らされて、天井に張り付いた蜘蛛の巣を藤子は見上げながら、溢れる欲情丸出しに熟れた藤子の乳房に赤子のようにしがみつく並木の髪の毛を揉みほぐしてやっていた、やがて並木の体が痙攣し始め、藤子は並木の頭を両の乳房で包み、痙攣が治まるのを待った、
 (並木さん、何度でも行ったらいいよ、うち、何回でも付き合うたげる、今夜が最期、なんよ、あんたとこうして過ごす夜は…)

 藤子は谷川に手紙を出した、宛先住所は藤子が働いた小料理屋「竜次」、谷川社長さまへと書き、差出人名は「ふじこより」とした、封筒の中には便箋が一枚、そしてたった一行、
「大阪府警、~町~駐在所勤務 並木巡査」
             
 藤子はこの結果を想像しながら、この一行を書いた、 
 (突然、駐在所に押し入ってきた男達に両足太腿を撃ち抜かれた並木は、藤子が自分の居場所を谷川に知らせたと疑い、その仕返しに、そして命乞いに、金も手帳も藤子が持っている、今度のこと、全部藤子が仕組んだ、自分はただ云われるままにやった、そして並木は藤子の居場所を男達に教え、這って逃げる並木は背中に留めの弾を撃ち込まれ、口から血を吐きながらも、いもりのように赤い腹を跳ねて息絶える、
 男達は、家探ししたが何もなかったと、谷川に報告する、並木が云い遺した藤子の住所を書き留めた紙片を谷川に渡す、谷川はその紙片を憎々し気に睨み、そして男達に、たった一言、こう云う、
「殺せ、八つ裂きにして殺せ」)

 谷川組の男達がこの荒れ小屋の裏の板戸を蹴破って押し込んでくる前に、ここを逃げ出さなければならない、行く宛は無いが先ずは行方を眩ますことが先だと藤子は決意した、
 夜中、藤子は懐中電灯と炭火用の十能を持って、隣接する墓地へ入った、風は強いが、幸いに月は明るかった、藤子は懐中電灯を照らして、ひとつの墓柱を目指した、
 雑草が生え放題、伸び放題の墓地の中、藤子の留守中、毎夏に必ず二度や三度は襲来したはずの台風の被害を案じたが、目指す墓柱は元在った場所に無事な姿で見つかった、
 藤子は、その墓柱の真後ろの、小さな岩を真ん中に載せた石台を退けた、十能で、石台の下に在った土と雑草を一緒に掘り始め、十分程深く掘って柔らかくなった土中に手を突っ込み、まさぐった、
 指先に、埋めた柔いナイロン袋が触れる、筈だった、何度も、またもう少し深く掘って手でまさぐり、土を掻き出し、掻き雑ぜたが、それらしきものが出て来ない、
 藤子の頭の中は真っ白になり何も考えられなくなった、落ち着くんや、と自ら気を静めてみるが、頭の中の記憶が消えて、思い出そうとするが、何も浮かんでこない、
 深呼吸を繰り返し、何んとか思い出した記憶を一つ一つ辿る、藤子の記憶は、大阪から帰った夜に遡る、大阪から帰ったその夜、藤子は並木の背負い袋から札束を取り出した、竜次の書き遺した手帳の束も取り出し、先に、屋根裏の梁の上に、二つに分けて風呂敷に包んで隠した、
 藤子は札束を途中で買って来たナイロン袋に入れ直し、墓地に運び、前に、行商屋の徳田から掠め取った金を隠したと同じ、小さな岩を墓石代わりにした石台の下に、正に、今、藤子が掘っているこの場所に埋めた、その記憶がありありと蘇った、そして、小さな岩を石台から動かした時、その岩が、藤子が置いた時と微妙に位置がずれていた、ような気がした、
 誰かが…?
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