万華の咲く郷【完結】

四葩

文字の大きさ
10 / 105
第一章

第六夜 【夢のあわい】

しおりを挟む

 夜が明け、いよいよ朱理しゅりの太夫生活が始まった。最初に待ち受けているのは大一番、花魁道中である。
 東雲しののめが言っていた通り、今日は初回客で埋まっているため、昼見世と夜見世の最初の呼び出しのみ、道中を行なって揚屋あげやへ向かう。呼び出しのたびに道中していては、とてもさばき切れないのだ。
‪ 午前10時半。‬従業員達は普段の業務に加え、道中の支度で右へ左への大わらわだ。あと四半時もすれば娼妓しょうぎらが起き出し、朝食や入浴が始まる。
 網代あじろえんじゅ妓夫ぎゆうらに指示を飛ばす中、東雲は朱理の部屋へと急いでいた。何故なら朱理の寝汚さは筋金入りで、寝具から引っぱり出して風呂へ入れるのに、30分前から起こしにかからねば間に合わないからだ。朱理の起床係になった新造や妓夫が手こずる姿を散々見てきた東雲は、先手を打とうと考えたのである。
 部屋の前に着き、息を整えて声を掛けた。

「朱理太夫、少し早いですが、起床して下さい。お返事が無ければ、入室させて頂きます」

 どうせ返事は無いだろうとふすまに手を掛けた瞬間、中からくぐもった声が返ってきた。

「東雲か。朱理なら俺が起こしてるから問題ない。邪魔が入ると面倒くせぇから、絶対に誰も入れるんじゃないぞ」
「えっ……あ、はい! 承知致しました!」

 予想していなかった黒蔓くろづるの声に、びっくりしすぎて数秒固まった東雲だったが、流石に遣手は仕事が早い、と見当違いな感心に目を輝かせるのであった。
 そこへ寝癖頭をがしがしやりながら、大欠伸おおあくび陸奥むつが通りかかる。

「ふあーあ……。おはよ、番新さん」
「陸奥太夫、お早うございます」
「そんな所で何してんの? ああ、朱理起こしに来たのか。なら俺も……」

 やおら襖を開けようとした陸奥の前に飛び出し、侵入をふせぐ。今しがた誰も入れるなと言われたばかりで、更に相手が陸奥ときては意地でも阻止せねばならない。

「い、いえ、結構です! 私の仕事ですので!」
「あの子起こすの大変だろ? 手伝うって」
「大丈夫です! 太夫はゆっくりなさっていて下さい。すぐに朝食の支度が整いますから」
「え、なに? なんでそんな必死なの?」

 訝しがる陸奥に、東雲は視線を逸らせながら囁くように答えた。

「その……本日は朱理太夫の初道中がございますから、ご機嫌を損ねられては困るのです。ただでさえ朝は難しいお方ですし、ここはどうか私にお任せ下さいませんか?」
「ふむぅ……そこまで言われちゃ仕方ない。先に風呂でも行ってくるかな」
「え、ええ! そうなさるのが宜しいかと。今なら一番風呂ですし」
「おー。んじゃ、頑張れよ」

 伸びをしつつ歩き去って行った陸奥の背を見送り、東雲はほっと胸を撫で下ろすのだった。
 一方その頃、部屋の中では黒蔓が笑いを噛み殺していた。

「くっくっくっ……東雲の奴、流石にうまくやったじゃねぇか」
「もー……笑いごとじゃないって。押し切って入って来てたらどうするつもりだったのさ」
「そんときゃ、そんときだ」
「適当だなぁ……」

 布団に頭まで潜り込んでいる二人は産まれたままの姿で、言い訳の余地もない状況だ。
 黒蔓との密会は幾度もあったが、いつも事が終わってしばらくすれば各々の部屋へ戻っていた。昨夜はすっかり高揚感に酔い、黒蔓が出て行かないことにまったく疑問を抱かなかったのだ。まさか朝までとこを共にする日が来ようとは、夢にも思っていなかった。
 喜びは勿論あったが、露見すればただでは済まない。東雲の声に流石の朱理も飛び起き、どうつくろおうかと焦ったのも無理はないのだ。

「まぁ良いじゃねぇか、嘘は言ってないし、ちゃんと起こしただろ」
「何が良いもんか。厭な汗かいたわ」
「色気のない奴だな。初めて一緒に朝日を拝んだってのに、眉間に皺寄せてんじゃねぇよ」
「そりゃ……めちゃくちゃ嬉しいけどさ……。なんで戻らなかったの? 部屋、すぐ隣なのに」
「んー、なんとなく」
「嘘つき」
「嘘じゃねぇよ。ただ、巧く言葉にできないだけだ」
「……ま、良いけど。お詫びに珈琲いれて」
「詫びってなんの?」
「ひやっとさせて寿命を縮ませた」
「ははっ。そんなもん無くたって、珈琲くらい幾らでもいれてやるわ」

 黒蔓は黒紫こくしの襦袢を引っ掛けながら笑う。初めて日の下で見る薄衣姿が、とても綺麗だということを知った。白い肌に映える黒紫は朝陽に照らされ、僅かな所作で濃淡が変わる。なめらかで繊細な色の移り変わりは、まるで黒蔓そのものだ。
 見惚れている間に珈琲の良い香りが部屋を満たしていく。やがて湯気の立つマグが差し出された。何とも言えない心持ちになり、朱理は両手でマグを包んだまま、しばし水面を見つめていた。

「どうした? お前の好みは牛乳と蜂蜜たっぷりのカフェオレだと思ってたんだが、変わったか?」
「ううん、そうじゃないよ。すごく嬉しくて……今更だけど、なんか泣きそうでさ……」

 おもてを上げずに言う朱理の頭を、黒蔓がくしゃりと撫ぜた。

「欲のない奴。お前はもっと我儘になって良いんだぞ」
「駄目だよ。これ以上なんて望んだら、バチが当たりそうだ」

 泣き笑いの顔でそう言う朱理は、朝陽のせいかいつもより眩しく、美しかった。自分とて同じだ、と黒蔓は思う。そっと朱理の頬に手を当て、唇を重ねた。

「愛してる」
「俺も愛してるよ、黒蔓さん」

 互いに出逢うまで、「愛している」など無力で虚しい戯言だと思っていた。しかしいつからか、どちらからともなく自然と口にしていた。計算も抵抗もない、心から出た言葉だった。それから二人は惜しまず愛を囁くようになった。まるで、今まで溜め込んでいたものを互いに注ぎ込むかのように。
 窓から差し込む初春の陽光が、その愛を祝福するように重なる影を落としている。これから始まる怒涛の現場を前に、甘い夢のあわいは仄かな余韻を残すのだった。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

Take On Me

マン太
BL
 親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。  初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。  岳とも次第に打ち解ける様になり…。    軽いノリのお話しを目指しています。  ※BLに分類していますが軽めです。  ※他サイトへも掲載しています。

【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。【番外編あります】

紫紺
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。 相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。 超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。 失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。 彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。 ※番外編を公開しました(2024.10.21) 生活に追われて恋とは無縁の極貧イケメンの涼と、何もかもに恵まれた晄矢のラブコメBL。二人の気持ちはどっちに向いていくのか。 ※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。

おっさんにミューズはないだろ!~中年塗師は英国青年に純恋を捧ぐ~

天岸 あおい
BL
英国の若き青年×職人気質のおっさん塗師。 「カツミさん、アナタはワタシのミューズです!」 「おっさんにミューズはないだろ……っ!」 愛などいらぬ!が信条の中年塗師が英国青年と出会って仲を深めていくコメディBL。男前おっさん×伝統工芸×田舎ライフ物語。 第10回BL小説大賞エントリー作品。よろしくお願い致します!

旦那様と僕

三冬月マヨ
BL
旦那様と奉公人(の、つもり)の、のんびりとした話。 縁側で日向ぼっこしながらお茶を飲む感じで、のほほんとして頂けたら幸いです。 本編完結済。 『向日葵の庭で』は、残酷と云うか、覚悟が必要かな? と思いまして注意喚起の為『※』を付けています。

イケメンモデルと新人マネージャーが結ばれるまでの話

タタミ
BL
新坂真澄…27歳。トップモデル。端正な顔立ちと抜群のスタイルでブレイク中。瀬戸のことが好きだが、隠している。 瀬戸幸人…24歳。マネージャー。最近新坂の担当になった社会人2年目。新坂に仲良くしてもらって懐いているが、好意には気付いていない。 笹川尚也…27歳。チーフマネージャー。新坂とは学生時代からの友人関係。新坂のことは大抵なんでも分かる。

【完結】君を上手に振る方法

社菘
BL
「んー、じゃあ俺と付き合う?」 「………はいっ?」 ひょんなことから、入学して早々距離感バグな見知らぬ先輩にそう言われた。 スクールカーストの上位というより、もはや王座にいるような学園のアイドルは『告白を断る理由が面倒だから、付き合っている人がほしい』のだそう。 お互いに利害が一致していたので、付き合ってみたのだが―― 「……だめだ。僕、先輩のことを本気で……」 偽物の恋人から始まった不思議な関係。 デートはしたことないのに、キスだけが上手くなる。 この関係って、一体なに? 「……宇佐美くん。俺のこと、上手に振ってね」 年下うさぎ顔純粋男子(高1)×精神的優位美人男子(高3)の甘酸っぱくじれったい、少しだけ切ない恋の話。 ✧毎日2回更新中!ボーナスタイムに更新予定✧ ✧お気に入り登録・各話♡・エール📣作者大歓喜します✧

【完結】少年王が望むは…

綾雅(りょうが)今年は7冊!
BL
 シュミレ国―――北の山脈に背を守られ、南の海が恵みを運ぶ国。  15歳の少年王エリヤは即位したばかりだった。両親を暗殺された彼を支えるは、執政ウィリアム一人。他の誰も信頼しない少年王は、彼に心を寄せていく。  恋ほど薄情ではなく、愛と呼ぶには尊敬や崇拝の感情が強すぎる―――小さな我侭すら戸惑うエリヤを、ウィリアムは幸せに出来るのか? 【注意事項】BL、R15、キスシーンあり、性的描写なし 【重複投稿】エブリスタ、アルファポリス、小説家になろう、カクヨム

僕の恋人は、超イケメン!!

BL
僕は、普通の高校2年生。そんな僕にある日恋人ができた!それは超イケメンのモテモテ男子、あまりにもモテるため女の子に嫌気をさして、偽者の恋人同士になってほしいとお願いされる。最初は、嘘から始まった恋人ごっこがだんだん本気になっていく。お互いに本気になっていくが・・・二人とも、どうすれば良いのかわからない。この後、僕たちはどうなって行くのかな?

処理中です...