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第一章
第七夜 【浮世風呂】
しおりを挟む11時半。珈琲片手に一服し、存分に黒蔓との逢瀬を楽しんだ朱理は、朝風呂を浴びるために専用浴場へ足を運んでいた。
「うおぉ……こりゃすごいな」
一階の大浴場とはまったく違う豪奢な造りに、思わず感嘆する。脱衣所は下より狭いが洒落た棚が整然と並び、材質も遥かに高級な物が使用されている。浴室の床や広い浴槽まで大理石造りで、さながら中世の欧風貴族並みである。加えて備え付けの入浴道具は、すべて名のある高級品ばかりだ。ここは楼主、遣手、太夫しか使用を許されていないため、特別仕様となっている。
一階はよくある銭湯そのもので、格子太夫以下、妓楼関係者全員が使用する共同風呂だ。大浴場の一角には、客が寝屋へ入る前に使用するシャワールームも設置されている。
三階にこんな豪華な洋風呂があるなど、誰も想像していないだろう。細部まで凝った造りにいちいち感心していると、浴室の扉ががらりと開いた。
「うおっ! びっくりした……。そんな所にしゃがみ込んで、何してるんだ?」
「おはよー、鶴城。いや凄いね、ここ。感動して見学してた」
「ああ、朱理は使うの初めてか。俺も最初はほとんど同じリアクションしたわ」
「まさか上の風呂がこんなことになってるなんてなぁ。流石は専用だね。太夫になって良かったって初めて思った」
「風呂で? 相変わらず単純だな、お前は」
苦笑する鶴城と共にようやく入浴を始める。種類豊富な洗髪剤を選ぶにも迷い、時間が掛かっている朱理を眺めていた鶴城は、はたと気付いた。
「ナチュラルに挨拶されてすっかり忘れてたけど、一緒に入って大丈夫なのか?」
「なんで?」
「いや、なんでって……俺は上手で、お前は下手だろ?」
「言われてみればそうだな」
一階の大浴場では、関係者によって同時に入浴してはならない規則があった。娼妓と従業員は勿論のこと、上手と下手も男湯と女湯のように分けられている。
「やっぱ上下一緒は駄目なの? そのへん詳しく聞いてないし、入口ひとつしか無かったから何も考えてなかったわ」
「いや、ここはそもそも利用者が限られてるから、特に規則は無いよ。ただ、今までの下手は一緒だと厭だったみたいでな。お互いに時間ずらしてたから」
「ああ……なるほど」
朱理は東雲と和泉のしかめっ面を思い浮かべて納得した。
「俺はまったく気にしないよ。ま、陸奥だと鬱陶しいうえに五月蝿そうで厭だけど」
「ふうん……。それって、俺には危機感持ってないってこと?」
「あるわけないじゃん、そんなの」
問い掛けを一蹴した朱理に、鶴城は目を細めた。
「なんで言い切れるわけ? 俺も男なんだぜ」
「それを言うなら俺だって男だよ。でもお前は天下の万華郷、上手ナンバーツーだろ? それが今更、俺に変な気起こすとか有り得ないでしょ」
「よくそんなに呑気でいられるな。ナンバーワンにあれだけ執着されてるくせに」
「あの人はまじで謎だよなぁ。御職を張るだけあって、なに考えてんのかさっぱり分からんわ。おおかた、手頃な玩具とでも思ってんじゃねーの」
「玩具ねぇ……。なんか、俺は対象外って言われてるみたいで傷つくぜ」
「またまたぁ。なに言ってんのかね、この色男は」
ようやく選び取った洗髪剤を無造作に泡立て、目を閉じて鼻歌混じりに髪を洗う姿は酷く無防備である。白く細い腕を伝い、なめらかな太腿から足首へ泡が流れる様を、鶴城はじっと見つめていた。ただ髪を洗っているだけなのに、妙に色っぽく見えるのは何故なのか、と鶴城は騒つく胸中に戸惑った。
やがて泡を流し終えた朱理が、濡れた髪の隙間から鶴城を見遣る。
「なんだよ、そんなにじっと見て」
「いや……お前は自分の魅力って物を、もう少し自覚したほうが良いと思うんだわ」
「なに、突然。こんな綺麗な風呂で小言なんて無粋してないで、はやく浸かりに行こうぜ」
「ちょ、待て待て! 引っ張るなよ、危ねぇ! 俺まだ洗い終わってないから、先に行ってろ」
「はー? 遅ぇなぁ。まだ寝惚けてんのか?」
鶴城を置いてさっさと浴槽へ行った朱理は、歓声を上げながら湯遊びを始める。あまりに子どもじみた様子に、毒気を抜かれて溜め息が出た。
身体を洗い終えた鶴城が浴槽へ辿り着くと、すうっと泳いで朱理が隣へ寄ってきた。縁に凭れて見つめられると、気恥ずかしいようなむず痒いような気になり、酷く居心地が悪い。
「……なんでそんなに見るんだよ」
「さっき見られてた仕返し。やっぱ良い身体してるよな。鍛えてんの?」
「まあ、ジムには週2くらいで行ってるけど……。そういう朱理こそ、細身だけど締まってるじゃないか」
「そりゃ毎日ヤってりゃな。お前、腹筋バキバキだし腕も凄いじゃん。適度に太くて、硬くて、すごく立派……」
妙に艶っぽい声音で囁きながら二の腕に指を這わされ、鶴城はびくりと身体を震わせた。
「ちょ、おまっ……な、なにやってんだよッ! 辞めろ!」
「あはは! 耳まで真っ赤! 鶴城って意外と初心なんだな、ウケたわ」
「……お前なぁ……俺の話、ちゃんと聞いてた?」
「怒るなよ、冗談じゃん。対象外がどうとか言ってへこんでたから、フォローしてやろうと思っただけだよ。お前も充分、魅力的だってな」
そう言って縁に頭を預けて目を閉じた朱理の耳に、ばしゃりと水の跳ねる音が聞こえた。てっきり怒った鶴城が出て行ったのかと思ったが、そんな気配でもない。
妙に思って目を開けると、至近距離に鶴城の真剣な顔があった。さっきの水音は朱理を両腕の間に閉じ込めた物だったのだ。突然のことに驚いて身動きでにずにいると、低い声で囁かれる。
「陸奥さんだけじゃない、冠次がどんな目でお前を見てるかも知ってる。本当は気付いてるんだろ? 自分がどれだけ人誑しか」
鼻が付きそうな距離で凄まれるが、朱理はその目を見返すだけで何も答えない。内心、うんざりしていた。
だから何だと言うのだ、そんな面倒なことを、誰が真面に考えてなどやるものか。自分へ向けられる視線も感情も、こんな世界にいれば感覚も無くなるほど受ける。それが好意か敵意かなど、いちいち気にしていてはキリが無い。
腹立ちまぎれに朱理はぐっと身体を起こし、おもむろに鶴城へ口付けた。押し付けただけのそれは鶴城の度肝を抜くに充分だったらしく、見開かれた目が白黒する様は愉快だった。
派手な水音を立てて背から湯に沈んだ鶴城を尻目に、さっさと浴槽から上がる。激しく咳き込む姿を見下ろしながら、朱理は口角を歪めて嗤った。
「俺は面倒な話が大嫌いなんだよ。次、同じことしたら、そんなもんじゃ済まさないからな。覚えとけ」
「ゲホッゲホッ……朱理! お前……ッ」
「お先にー」
涙目で睨んでくる鶴城にひらひらと手を振って浴室から立ち去る。追っかけ何やら喚いていたが、朱理の知るところでは無いのだった。
12時。朝風呂を終えて軽く朝食を摂り、自室へ戻ったところで東雲がやって来た。
「朱理太夫、おはようございます」
「おはよう、煜さん」
「本日、昼の道中は13時より開始、遣手と上手新造二名が同行します。座敷に同席する新造は途中交代しますが、何かご要望はございますか?」
「いや、特に無いよ。道中の付き添いは誰?」
「吉良と玖珂です」
「なるほど。二人の身長差が気になるけど、下駄でどうにかなるかな? 玖珂って特に背が高いからさ。折角、顔を売る良い機会なんだし、なるべく平等にしてやりたいんだよね」
「……そうですね。では、吉良には少し高めの物を履かせて、着物も明るい色にさせましょう」
「うん、有難う」
吉良は冠次、玖珂は棕櫚付きの上手新造だ。上手の娼妓は皆、かなりの高身長揃いである。最も低い者でも180㎝以上はあるのだ。中でも玖珂は棕櫚付きなだけあり、上手新造の中でも抜きん出ている。身長が高いとそれだけで目を引くものだ。
「初の道中ということで、かなりの混雑が予想されます。警護は万全の状態にしてありますが、不測の事態にはくれぐれも留意して下さい」
「了解」
「では、支度に取り掛かりましょう」
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