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1章
11【恋は短し】
しおりを挟む「……」
「……」
神前のオフィスには、何とも言いがたい沈黙が流れていた。対面のソファに、無言で座る神前と丹生。なぜこんなことになっているかと言うと、理由は1時間前に遡る。
◇
「……部長……も、駄目だってば……」
「もうちょっと」
「さっきも同じこと……んっ! んん……」
「璃津、くち開けろ」
すっかり出来あがった、丹生と更科だ。毎晩、共に過ごしていると言うのに、更科は職場であろうとお構いなしで、隙あらばちょっかいをかけている。よほど、12年の我慢が恨めしいらしい。今も、丹生のオフィスでスキンシップをはかっていた。
「これ以上は、ほんとに駄目……。引っ込みつかなくなるから……」
「なら、いつもみたいに最後までヤるか?」
「真顔で言うの辞めて。冗談か本気か分かんなくて怖い」
「冗談だ。これで終わりにする」
濃厚なキスを交わしていた、その時。オフィスの入り口から、バサバサと書類の散らばる派手な音が響いた。そこには、いつもの冷静さをなくした神前が、切れ長の目をまん丸に見開いて立ちつくしていた。
「ナナちゃん!?」
「ハハッ、面白い顔になってるな」
「笑いごとじゃないだろ! もう、はやく出てってよ!」
「わかったよ。またな、神前」
更科が片手を振りながら出て行くと、オフィスには非常に気まずい沈黙が訪れた。
「……えっと……ここじゃアレだから……場所、変えて話したいんだけど……」
「あ、ああ……。じゃあ、俺のオフィスで……」
◇
そして今に至る。丹生は何から話せば良いか分からず、見られた動揺もあいまって、口火を切れずにいた。神前も眉をひそめ、黙りこくっている。
いつまでもそうしているわけにもいかず、丹生は両手を合わせて頭を下げた。
「ごめん! 早く言おうと思ってたんだけど、なかなかタイミング掴めなくて……」
「……いや、良いんだ。謝ることはない。少し驚いただけで、怒ってるんじゃないから」
「はぁ……良かったぁ……」
どっと肩の荷がおりた丹生は、体を深くソファへ沈めた。神前が窺うように尋ねる。
「いつからだ?」
「2週間くらい前かな」
「そうだったのか……まったく気付かなかった。だから最近、やたら疲れてたんだな」
「まぁね」
そこからまたしばらく沈黙が流れたが、ふと神前が思い出したように言った。
「そう言えばこの前、部長が城戸さんと話してたって聞いたが、もしかすると、お前のことだったのかもな」
「城戸さん……?」
今度は丹生が顔色を変える番だった。
「知らなかったのか? お前に隠すなんて、部長らしくないな」
怪訝そうな神前に、丹生は手足の先から、すっと体温が引いていくのを自覚した。
神前との事件を抜きにしても、丹生は城戸を良く思っていなかった。明確な理由はない。ただ合わない、生理的に受け付けないと感じた。左遷された時、化けの皮が剥がれていい気味だ、と思ったほどだ。
例の事件後、更科の落ち込みようは尋常ではなかった。城戸と一切の連絡や接触を絶ち、忘れ去ろうとしていた。
それなのに、なぜ話してくれなかったのか、いつのまに許していたのか、と喉元に苦いものがせり上がってくる。
「おい、大丈夫か?」
返事はできなかった。声を出したら、胃の中の物まで出てしまいそうだった。腹立たしさと嫌悪が込み上げ、必死で吐き気をこらえる。
「落ち着いて息をしろ」
異常を察した神前が、背をさすってくれた。立ち上がれるようになると、医務室へうながす神前を制し、ふらふらと自分のオフィスへ向かう。
更科について、いかに無知か思い知った。彼はなぜ、自分をスカウトしたのか。なぜ、あんな告白をしたのか。なにを考えて、自分と抱き合っていたのか。そして今更、城戸となんの話をしていたのか。
確実に判るものが、ひとつも無い。そのくせ、上手くことを進めていたつもりになっていた、己の浅はかさに苛まれる。
昔馴染みの絆が、どれほど深いかくらい、想像せずとも分かる。弄ばれていたのは、自分のほうかと思うと、また嘔吐感に襲われ、丹生は廊下の端にうずくまった。
平気で人を弄ぶ丹生だが、己が陥れられることには免疫がない。持ち前の美貌と人心掌握術で、騙される側になることが、ほとんど無かったからだ。
自重を支えることができなくなり、床に手をついた時、丹生の両肩を大きな手が支えた。
「どうしたの、璃津。顔が真っ青だよ」
「……なが、と……」
朝夷の顔を見た途端、丹生の中で何かが弾けた。反射的にすがり付き、胸に顔をうずめる。嗅ぎ慣れたシトラスムスクの香水に、吐き気がすっと引いていく。
「大丈夫? 気分が悪いの?」
「……長門……助けて……」
「分かった。仮眠室まで運ぶよ」
朝夷は、すべて悟ったような落ち着いた声で答えると、丹生を横抱きにかかえた。
仮眠室へ着き、ベッドへ降ろされても、丹生は朝夷の首から離れない。かすかに笑うと朝夷もベッドに乗り上げ、震える細い体を大事そうに抱きしめた。
「もう疲れた……。無理だ……限界だ……。こんなこと、もう辞めたい……」
「心配無いよ、璃津。俺がついてる」
「ごめん、長門……。ごめん……」
丹生の頭をそっと自分の胸に抱き寄せ、言葉を紡ぐのを制する。
「謝らないで、なにも考えなくていい。お前が何をしようと構わない。俺の気持ちは少しも変わらない。ずっと傍にいるよ」
もう抑えられなかった。丹生は朝夷の腕の中で、嗚咽を漏らして泣いた。
しゃくり上げる丹生を抱きしめたまま横になってから、随分、経った気がする。泣き疲れたのか、丹生は涙の跡をつけたまま眠っていた。頬に張り付いた髪をはらってやる。
「可哀想な璃津。歪んでいるのは、お前だけじゃないのにね」
小さくうめいて頭を擦り寄せてくる丹生を抱きしめ直し、朝夷は久々に満たされた気分で目を閉じた。
◇
「ちょっとなに、この人だかり。うっざ、くそ邪魔。なぁ米呂、なんの騒ぎ?」
「お疲れ、羽咲。いやさぁ、まさかの2人が、仮眠室でイチャイチャしてるって聞いたんでな。野次馬しにきた」
「はー? 誰と誰?」
「朝夷パイセンと璃津」
「嘘だろマジか!」
「な? びっくりだろ」
仮眠室前にできた黒山の人だかりに足を止めた羽咲は、辻の言葉に耳を疑った。
「え、マジにあの2人!? 見間違いじゃなくて!?」
「マジ。だからみんな驚いてんのよ。朝夷さんが璃津をお姫様抱っこして、璃津もしがみついてたんだってさ。何があったのかね」
辻の隣で、椎奈が顔をしかめながら嘆息する。
「どうせ、また朝夷さんが無茶したんだろう。まったく、あの人はいつまで経っても学習しない」
「でもさー、それならわざわざイントレルームから出ないんじゃね? もし治療が必要なら、仮眠室じゃなくて医務室行くだろ」
「確かに……。何にせよ迷惑だ。こんな騒ぎを起こされては、業務に支障をきたしてしまう」
「とか言って、ちゃっかり見に来てるってことは、椎奈も気になってんじゃん」
羽咲の言葉に、椎奈はバツが悪そうに咳払いした。
「べ、別に……私は通りがかっただけだ。お前たちと違って、好奇心で居るんじゃない」
「はいはい。しっかし、まさかの展開だわー。あとでりっちゃんに根掘り葉掘り聞かなくちゃなー」
「デリケートな問題かもしれないし、そっとしておいたほうが良いんじゃない?」
「相変わらずいい子ちゃんだなー、小鳥遊は。こんな面白そうなこと、ほっとくなんて無理だっつーの」
小鳥遊の心配そうな顔とは正反対に、羽咲は好奇心に目を輝かせている。
「こーら、お前ら! こんな所で溜まってないで、仕事しろ! ほら、散った散った」
やおら現れた阿久里に急き立てられ、大半の野次馬は、蜘蛛の子を散らすようにその場を後にした。阿久里は、やれやれと頭をかかえる。
「まったく……。たかが寝てるくらいで、そんなに大騒ぎするほどのことかね」
「ま、あの2人だからなぁ。しゃーないだろ」
「璃津はもともと心身虚弱なんだから、下手にいじくるんじゃないよ。仕事に影響したら、洒落にならん。羽咲、分かってるな?」
「分かった、分かった。うっさいなぁ、もー。事情聴取は朝夷サンからするってば」
こんな具合で年中、話題作りに事欠かない2人である。
結局その日、局内は丹生と朝夷の、ある事ない事の噂話で、持ちきりになった。特に、丹生狙いだった連中は、鳶に油揚げをさらわれた格好で、戦々恐々である。
そして数時間後。ようやく仮眠室から出てきた丹生には、囲み対策として神前が付き添い、後から出てきた朝夷が、好奇心旺盛な調査官達の餌食となった。
特に食いついてきたのは、羽咲、棗、辻だ。
「朝夷サン、何やらかしたの? なんでりっちゃん、あんな窶れてんの?」
「1週間監禁しても折れなかったのにな。ヤバい弱みでも握ったのか?」
「ついに12年越しの想いが実ったってことっすか?」
羽咲、棗、辻に畳み掛けられ、朝夷は両手のひらを見せて苦笑を浮かべた。
「まぁまぁ。みんなちょっと落ち着けって。そういうんじゃないから」
「ええー」と全員からブーイングが起きる。
「この状況ではぐらかすとか、有り得ないわ、まじで」
「本当に違うんだって。俺もよく知らないんだよ。偶然、璃津が真っ青な顔でうずくまってたとこを見つけて、ここまで運んだの」
「ってことは、ただの体調不良?」
「さぁね、ストレス溜まってたんじゃないかな。俺は心配だったから付き添ってただけで、何があったかは聞いてない」
「つまんね。どんなやべぇ手使ったのか、尋問の参考にしようと思ったのに」
「ちょっと棗、やめなって」
興味を無くした者、安堵した者、まだ裏を疑う者。様々な騒めきが広まる中、パンパンと手を打つ乾いた音が響いた。
「おーまーえーらー、いい加減にしろよ。事情も分かったんだから、もう良いだろ。さっさと仕事に戻れ」
「出た、阿久里のママ節。でもなー、ただの体調不良なんて、なーんか釈然としないんだよなー」
「ま、璃津なら無くも無いだろうけど。朝夷さんが絡むと怪しいぜ」
「羽咲も辻も考えすぎだよ。阿久里を困らせちゃうから、もう行こう」
「はいはい」
羽咲と辻は納得できていないようだったが、阿久里と小鳥遊の取りなしによって、ようやく立ち去った。
人けが無くなったところで、阿久里は朝夷に真剣な眼差しを向ける。
「朝夷さん、あの子は大丈夫なんですよね?」
「ま、取り敢えずな」
「本当に事情は分からないんですか?」
「ああ、何も聞いてない」
「そうですか……。何かあったら、必ず報告して下さい。あの子のことは、貴方が1番よく知っているでしょうから」
「了解。じゃ、俺も仕事戻るわ」
去っていく朝夷の背を見つめながら、阿久里は深く嘆息した。
◇
丹生をオフィスへ送った後、神前はその足で部長室へ向かっていた。すれ違う職員らは、鬼気迫る雰囲気に声もかけられない。
部屋へ入るなり、開口一番、厳しい声を上げた。
「どういうおつもりですか」
「なんだ、珍しい。お前がそんなに怒るとこ、久し振りに見たわ」
「ふざけないで下さい」
「ふざけてねぇよ。どうせ璃津のことだろ」
鷹揚に構えて煙草を吹かす姿に、己が引き起こした事態のくせに、一体どういう了見だと怒りが込み上げる。
「……ご自身の仕出かしたことは、お分かりでしょう」
「仕出かしただぁ? 随分な言い草だな、おい。誰かさんの時と違って、しっかり合意の上だぞ」
「そういう話ではありません。なぜ、彼に城戸さんのことを話さなかったんですか」
「なにを言えって? アイツと出くわしたのはただの偶然だ。璃津とは関係無い」
「そんな無責任な──」
「神前」
低く唸るように名を呼ばれ、神前は口を噤んだ。更科の威圧感に、背筋を冷たい物が駆け抜ける。
「仕出かしたのは俺じゃなく、てめぇだ。余計なことを話して不安にさせて、あいつを追い詰めたのは、てめぇだろうが」
その言葉に、神前はようやく気づいた。自分より、更に言うと、他の誰よりも怒っているのは、更科だったのだ。
「……俺は、そんなつもりじゃ……」
「黙れ、聞きたくない。今、てめぇの言葉は、俺になんの効力も無い。解ったらさっさと出て行け」
「……はい」
意気消沈した神前が退室すると、更科は煙草で黄ばんだ天井へ向かって紫煙を吐き出した。
「……大事なものってのは、どうしてこう、いつも突然、離れていくんだろうな」
その呟きに答える者はなく、紫煙と共に霧散した。
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