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4章
39【誘惑する者】
しおりを挟む丹生達の一件で延期されていた研修講義が、本日に決まった。言うまでもなく、アグリ班は一致団結で猛反対したが、更科が許可したため、講師は丹生たちが続投することになった。
「お疲れ、りっちゃん」
「おう。今回の実習内容、ユーバは乗り気じゃない相手の懐柔、クロスはしつこく迫って来る対象からの脱出、か。俺らにうってつけだな」
オフィスのドアにもたれ、朝夷は妖しく嗤った。
「楽しみだなぁ、実習。はたして、この俺から逃げられるかな?」
「フン。あんまり舐めてくれるなよ、朝夷調査官」
そんな挑発をし合いながら、2人は実習が行われる会議室へと向かった。
「今回も代理は俺たちだ。よろしくー」
「よろしくお願いします!」
またしても、代理講師に熱視線を送る研修官達。数名、前回より更にテンションが高い者が居るのは、致しかたない。
丹生が人差し指を1本立て、少し固い声音で言った。
「さっそく始めるが、注意点がひとつ。強引に押さえつけたり、脅迫するのはなしだ。ユーバは絶対、相手に触れずに懐柔しろ」
「丹生さん、質問良いですか?」
御舟が挙手し、丹生が「なんだ」と首をかたむける。
「脱出と言うのは、具体的にどうなれば合格なんでしょうか?」
「迫って来る対象を言いくるめて、俺の所まで来られたら合格。走って逃げるのは駄目」
「分かりました」
次に、土岐がおずおずと手を挙げた。
「あの、実習とは関係ないんですけど、良いですか?」
「どうぞ」
「先日、お2人が訓練中に怪我をされたというのは本当ですか?」
「ああ、本当だ」
あっさり肯定する丹生に、室内が騒めく。
「差し支えなければ、なぜそんなことになったか、教えて頂けますか? 俺たちまで詳細が来てなくて……」
「そうなの? 言っていい? 長門」
「もちろん。やましいことなんて、欠片もないからね」
とぼけた朝夷の声音に吹き出しかけるのをなんとか堪え、丹生は説明を始めた。
「前提として言っとくが、俺たちの訓練はお前らの考えてる物とは違う。危険な状況を想定して行う場合が多い。前回は暴漢からの脱出訓練。後ろ手に抑え込まれた状態からの脱出を試みた際、俺が体を捻る方向を間違えて脱臼した」
「俺のは訓練とは関係ないぞ。ちょっと転んでぶつけただけだから、気にしないで」
丹生が説明し、間延びした声で朝夷が付け足した。
「な、なるほど……。そういう訓練は、確かに身になりますね」
「でも、怪我はちょっと……」
「朝夷さんが転ぶとか、想像できないんだけど……」
口々に囁き合う研修官を片手で制し、丹生は続けた。
「もちろん、訓練とはいえ、怪我は絶対NGだ。俺らも大騒ぎになったからな。というワケで、今日は抑え込まれる前に脱出する練習だ。特にクロス、現場ではどんな相手に、どう向かって来られるか分からない。大事な訓練だから、心して臨んでくれ」
「はい!」
訓練開始と同時に、ユーバ陣はバディへと迫り始めた。初々しい新人たちは、ぎくしゃくとやり合っている。
丹生は前方に置かれたデスクへ足を乗せて座り、その光景を見守っていた。隣へ座る朝夷が、自然と体を寄せてくる。
「我が子の成長を見守るママって感じだね」
「あんなでかい子たち、産んだ覚えはありません」
「産めるもんなら産んで欲しいな、俺の子」
「そうだな。産めるもんなら、考えてやったかもな」
「それ、本気?」
「ばーか、真に受けるな。てか近ぇよ。1メートルだろ」
「講義中はそういうわけにいかないから、解除に決まってるでしょ」
「誰判断?」
「俺」
「まったく、後で怒られても知らないからな」
などと雑談していると、設楽から困った声が上がった。
「丹生さーん……ゴールが見えません……。懐柔ってこれ、出来てるんですかねー?」
「はー?」
丹生がそちらを見ると、設楽と壁の間で、有栖が顔を真っ赤にしていている。丹生は、研修の詰めが甘かったことを自覚し、小さく自責の舌打ちをした。
「ごめん。順番決めたほうが良かったな。ユーバが迫って落とす番と、クロスが拒否って逃げる番に分けるわ。ユーバは相手からイエスが貰えれば合格ね。じゃ、ユーバが落とすほうから開始。制限時間は10分」
「了解です!」
ユーバ達から返事が返ってきたことを確認し、仕切り直したわずか1分後。
「イエスもらいました!」
「はやっ! さすが、相模は優秀だなぁ」
「はい! 最後までしないって言ったらOK出ました!」
「お前それ、そんないい笑顔で言うことじゃないぞ。デリカシーも覚えような」
「俺もイエス出ましたぁ」
「こっちもクリアでーす!」
「おお、設楽も土岐も早いなー。立派、立派」
そうして、続々とユーバ達が課題をクリアしていく中、手こずっているのは御舟と酒梨である。神前が上司なだけあって、御舟はノーの一点張り。酒梨があの手この手で迫っても、暖簾に腕押しである。結局タイムオーバーとなり、酒梨は任務失敗に終わった。
「まぁ、ナナちゃん仕込みの御舟が相手だからな。ドンマイ酒梨」
「うぅ……有難うございます……」
「さ、気を取り直して、次はクロス。焦らなくて良いから、上手く切り抜けてくれ」
ユーバたちは自信をつけたらしく、積極的に迫っている。いち早く脱するかに思われた御舟は、汚名返上に必死な酒梨に阻まれ、上手く運べていない。
「意外と時間かかってるな」
「まぁ、さっきOKした相手だしね。気長に待とうよ」
丹生が電子タバコをふかしている間にも、クロス達は手こずり、喧嘩になりかけている所まで出始めた。
仕切り直すか悩んでいると、生駒から悲鳴が上がった。丹生は素早く立ち上がり、鋭い声で相模を叱責する。
「おい相模、なにしてる。乱暴するなって言ったろうが」
「いや……ち、違うんです! これは……っ!」
ふと、相模のスラックスの前方を見ると、凶器がその形を布越しに主張している。丹生は顔を手でおおって天を仰いだ。
「まじかよー……。なんでそうなるかなー……」
「だって! 生駒が可愛すぎてしんどいんです!」
「俺はお前のアホさがしんどいわ。さっさとソレ、どうにかしろ」
やれやれ、と頭をかかえる丹生に、クロスたちから泣きが入る。
「教官、これきついです……! 圧がすごくて……抜け出せる気がしません……!」
雪村が悲鳴を上げる横では、御舟が半ギレで酒梨を押し退けようともがいていた。
「だから退けって!」
「退けと言われて退いていたら、訓練にならないだろ」
「体格差を利用するなんて卑怯だ!」
「しつこい輩は、もっと卑怯なことをしてくると思うぞ」
「うるさい! 妙な意地で俺の顔を潰すな!」
「俺にだってメンツがある」
「御舟たちー、喧嘩やめてー。はいはい、分かった、ちょっと休憩!」
優位に立ったユーバ陣は自慢げに談笑しているが、クロス勢はぐったりと疲れきっている。
「まぁ、確かにユーバは皆デカイからなぁ。追い込まれると、逃げるのはひと苦労だね」
「体格なんて問題じゃねぇよ。舌先三寸で切り抜けるのが、クロスの基本だ。そんなことで押し切られてちゃ、体がいくつあっても足りないぞ」
クロス研修官をフォローする朝夷に、丹生は呆れ返っている。
「だって丹生さん、グイグイ来られちゃ、話しなんてできなくないですか?」
「話術エースのお手本、見たいでーす」
「確かに。映像では見ましたけど、実際どういう雰囲気なのか知りたいです」
雪村、有栖、御舟にせがまれ、丹生はたじたじとなる。反対に、朝夷は俄然、やる気を滾らせて、目を輝かせている。
「うん、確かにその通りだよね。じゃあ見本みせちゃう? 俺は全然いいよ」
「朝夷さんもやってくれると、ユーバの手本にもなりますしね」
「見たい、見たーい!」
満面の笑みで言う朝夷に、酒梨や設楽まで同調し、丹生はやれやれと首を振って答えた。
「分かった、分かった。やるよ」
「やったぁ!」
「じゃあ各自、見やすい位置に移動しろー」
「はーい」と新人達から嬉々とした返事が返ってくる。
「それじゃ、早速」
朝夷は言うが早いか、すっと丹生の正面にまわり込み、丹生の右側に手をついて机と自分の間へ囲いこんだ。いよいよ始まったエースバディのお手本を、皆が固唾を飲んで見つめる。
「久し振りだなぁ、この距離まで来られるの」
「精々、楽しめ。講義が終わったらまた1メートルだぞ」
余裕満面で言う朝夷に、丹生も負けじと口角を上げる。
「ああ、たまらないよ。その目つき、首筋、匂いも最高だ。むしゃぶりつきたくなるね」
「お褒めにあずかり光栄だよ。どうせなら全身を見て……」
「おっと、行かせないよ?」
丹生が左から抜け出そうとした所へ、すかさず朝夷の腕が回され、完全に退路を絶たれる。丹生は苦笑しながら嘆息した。
「やっぱり駄目か。お前に右を取られた時点で、やられたと思ったよ」
「そこに気付くのは流石だね。ま、取られちゃったら駄目だけど」
朝夷は両腕と机の間に丹生を閉じ込めたまま、研修官へ顔を向けて解説を入れた。
「俺が丹生調査官の右側に腕をついたのは、追い込むテクニックのひとつだ。相手の利き腕側に障壁を置くと、対象の動きが若干、鈍くなる。左利きなら左側。人間、利き腕じゃないほうには咄嗟の動きが取りづらい。抜け出そうとする一瞬の動きに注意して、退路を塞げ」
「さすが朝夷さん……。流れるように動くから、まったく気付かなかった」
「すごい自然な行動だったのに、そんな理由があったんだな」
ユーバ研修官が感嘆する反面、クロス研修官は冷や汗を浮かべる。
「アレ、丹生さんヤバくない?」
「無茶しようとしたら、俺たちで朝夷さんを止めろと言われてるからな。みんな、気を抜くなよ」
研修官がヒソヒソと感嘆したり心配の声を上げる中、丹生は脱出法をシュミレートしていた。数秒後、ふっと肩の力を抜いて笑みを浮かべ、朝夷を見つめる。
「手本見せながら解説までするなんて、器用なんだな。知らなかった」
「惚れ直した?」
「感心ならした。ホント、お前ってすごいよ……」
言いながら丹生は妖艶に口角を上げ、つっと朝夷の胸板を指でなぞった。
「誘惑作戦かな?」
「さぁ、なんだと思う……?」
小首をかしげて自分から距離を詰め、胸が付くか付かないかの所まで体を寄せると、恍惚とした表情で朝夷を見上げた。
「長門はエースユーバだから、俺なんかの色仕掛けには乗ってこないよな?」
「まさか。世界中のどこを探したって、お前以上の誘惑者は居ないよ」
「じゃあ、最近はどうしてるの? 他で発散? それとも、この綺麗な指でしてるの? 誰かを思い浮かべながら……」
きわどい質問をしながら軽く手に触れると、朝夷はぴくりと反応して眉根を寄せる。
「……ッ、してないって、分かってるくせに……」
「ふうん……」
妖しく微笑みながら、丹生はゆっくり手を伸ばした。すり、と指の腹で朝夷の頬を撫でると、デスクについていた腕がわずかに緩む。その瞬間、丹生は朝夷の胸を軽く手のひらで押した。体のバランスが崩れ、朝夷の右足が半歩下がって隙間ができる。丹生はそこからするりと抜け出し、距離を取ってにんまり笑った。
「はい、脱出完了」
「ああッ、くそ! やられたぁ!」
わっと研修官から歓声が上がる。
「え、なんで出られたの!?」
「さすが、エロのレベルが違う……。俺、ほとんど丹生さんしか見てなかったわ」
「俺も、手に変な汗かいた……」
拍手が起こる中、丹生は照れ笑いしながらデスクへ腰掛けた。
「ま、こんな感じかな。誘いに乗ったふりしたり、逆に誘ったりするのも手だ。落とせたと思ってる相手には、油断や隙が生まれやすい。但し、リスク高めだからオススメはしないぞ」
「万が一、それでも油断されなかった場合はどうするんですか?」
「そうだなぁ、そういう時は……」
御舟の質問に、丹生は手招きで朝夷を呼ぶと、鳩尾へキレのあるボディーブローを叩き込み、にっこり笑った。
「こうする」
短い呻きと共に床に崩折れる朝夷と、呆気に取られる研修官。
「……ひ、久し振りに、モロに入った……。相変わらず重い拳だぜ、りっちゃん……」
「人体の真ん中は急所だ。正中線への攻撃はガードしにくい。最終手段は目潰しだな。こうやって親指を押し込めば、まぶたの上から簡単に潰せる」
「い、痛い痛い痛いッ! りっちゃん、やめて! 潰れる! まじで潰れるッ!」
朝夷の頭を掴み、にこやかに目潰しをする丹生に、その場の全員が、心底、ぞっとした。丹生の猟奇的一面を垣間見ることとなった講義は、研修官にとって、色んな意味で忘れられない物となったのだった。
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