九段の郭公【完結】

四葩

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5章

45【揺らぐトーチリリー】

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 公安国際特別対策調査局は、総務部、事務部、調査部の3部署に分かれて業務に当たっている。
 総務部は人事、予算、特定機密の保護など、局全体の管理を担う。
 事務部は任務の受注、依頼書や報告書の作成、集約情報の総合分析などの事務作業全般をおこなう。
 調査部は所属調査官を統括し、国内外のテロ組織やカルト団体、武装集団への諜報、防諜活動を主としている。そんな調査部から切っても切り離せないのが違法薬物だ。組織の資金源や洗脳などに用いられる場合があり、任務中に薬物の所持や使用、取引現場を目撃することも多々ある。薬物販売ルートの特定に至るケースも少なくない。
 違法薬物の情報はすべて厚生労働省、麻薬取締部へ報告し、捜査に協力している。逆に情報をもらうこともあるため、両機関は良好な関係を保っている。
 特に郡司ぐんじの担当する六本木と、丹生たんしょうの担当する新宿は日本帝国を代表する歓楽街であり、国内外の薬物取締官との繋がりが深いのである。
 因みに、特別調査官に確たる指定地域はない。外注依頼に指名がない限り、調査官の技量や性格、風貌から総合的に判断し、調査部長が任務先を割り当てる。基本的にどこへでも赴くが、個人によってかたよる場合もあるわけだ。



 ある日の深夜1時過ぎ。新宿の潜入から戻った丹生は、ほとんどの局員が帰宅して薄暗い廊下を抜けてオフィスへたどり着いた。丹生は不定期で新宿のサパー・クラブにバイトとして潜入し、情報収集をおこなっている。
 金曜日ということで平日より混雑していた歓楽街に気疲れして、ジャケットを脱ぎ捨てるとソファへ倒れこむ。

「疲れた……眠い……もうここで寝たい……。でも帰らないと怒られる……。連絡すれば大丈夫かな……」

 独り言を呟くが、携帯を取り出すのも億劫になり、迫り来る眠気に瞼を閉じた。

 丸くなって眠っていた丹生は、ふと人の気配に目を覚ました。誰かが自分の寝ているソファの端に腰かけたらしい。
 そっと髪を梳かれ、頬を撫でられる。寝ぼけた頭で、こんな時間に誰だろう……朝夷あさひなか、更科さらしなか……阿久里あぐりは無いな……なつめかな、と思考するが、重い瞼を開くことは諦めた。
 心地よい手の感触に思わず頭をすり寄せると、大きな手のひらが優しく頬を包んでくれる。丹生はその手に違和感を感じて、にわかにギクリとした。それは朝夷でも阿久里でも棗でもなく、もちろん更科ともまったく違ったのだ。他に思い当たる人物は居ないが、敵意があるわけではないようだ。
 温かく、どことなく慈しみを感じる手のひらの安心感と襲いくる眠気に、再び意識を手放しかけたとき、丹生の耳が甘く柔らかい声を拾った。

「よっぽど疲れてるんだね。遅くまでご苦労様」

 丹生の思考は完全に覚醒した。声の主が分かったからだ。

(はっ!? うそだろ、なんで……!?)

 優しく頭を撫でているのは郡司だったのだ。あまりに予想外の人物で、丹生は起きるに起きられず、目を閉じたまま硬直してしまった。
 普段から優しく接してくれる郡司だが、こんなふうに触れられたことはなかった。そしてこの男は、丹生が誰にも明かしていない想いを抱いている相手なのだ。
 きっかけは軽い興味だった。12年前、初めて郡司を見たとき、完璧に好みの顔だと思ったのだ。共に働き、冷静で温厚な人となりが分かるにつれ、興味は好意へ変わり、やがて恋となった。更科への好意とはまったく違う、正真正銘、純粋な恋心だ。
 しかし、郡司には神前かんざきが居た。2人が距離を置いてからも郡司の気持ちは変わらず、今や神前も郡司に惹かれているだろうことは、近くで見ている丹生が1番よく分かっていた。
 数ヶ月前まで、よく仕事あがりに食事していた神前が、ここのところ任務先からの直帰や定時帰宅が続いている。休日に誘われる回数も、目に見えて減っていた。理由など考えずとも明白だ。
 誰にも気付かれてはいけない。伝えてもいけない。想うことすら許されない。そうして殺し続けた好意は、見事に誰にも気づかれなかった。チームメンバーはもちろん、朝夷や更科でさえ、丹生の想いを見抜いていない。
 だが、一度芽生えた気持ちは簡単に消えることはなく、心の奥底でずっとくすぶっていた。絶対に叶わないと分かっているくせに、忘れることのできない苦しさを、丹生は12年かかえ続けている。
 だからこそ、郡司と神前には恋人になって欲しいのだ。そうすればいい加減、この気持ちに決着がつけられるはずだから。更科と暮らす現状に、甘んじることができるかもしれないから。
 だが、もしも郡司が自分を好きになってくれたなら、あっさり恋人同士になるかもしれない。更科との関係は心地良いが、やはりどこか危うく、付き合おうと言われても即答できるか分からない。
 しかし、郡司と恋人になれる可能性があったとしても、神前の気持ちを無視することはできないのだ。何がどうなろうと、明るい未来は無いのである。
 理屈や倫理抜きで言うなら、間違いなく丹生は郡司のことが好きだ。そんな相手に2人きりで頭を撫でられている現状は、丹生を酷く動揺させた。同時に涙が出そうなほど切なく、苦しかった。
 きっと郡司に他意はない。友愛による優しさ以外の、なんでもない。それでも嬉しいと感じる自分に、激しい嫌悪が湧く。

(その優しさがつらい……なんて乙女かよ。くそ、やっぱりさっさと帰るべきだったな。でも……今だけ、もう少しだけ、このままでいたい……)

 いっそ、なにもかも言ってしまえば楽になるのかもしれない、と何度も思った。はっきりきっぱり振られてしまえば良いのだと。
 けれど、やはり怖いのだ。面と向かって拒絶されることも、今の関係が壊れることも。
 丹生は胸を締め付ける想いに耐えきれず、頬に添えられていた手をぎゅっと抱きしめた。

「うお、びっくりしたぁ……。寝ぼけてる? 可愛いなぁ、このやろー」

 静かに落ちてくる声は穏やかで優しく、まるで子どもをあやすようだ。

(ああ……ナナちゃんが羨ましいなぁ……。こんなにいい男が一途に想ってくれてて……。さっさと付き合って、目の前でイチャイチャしてくれれば諦めつくのにな……)

 どんどん深みにはまっていく。郡司相手には演技も誘惑も、取りつくろうこともできない。
 数々の男女を手玉にとってきた丹生だが、本気で好きになった相手にだけは計算などできなかった。それは人として当然なのだが、相手を見る目が無さすぎることと、のめり込みすぎるところが難点だった。
 丹生は元来、盲目的に人を愛する性分だ。相手がどんな下衆でも、醜くとも、頭が悪くとも、好きになってしまえば関係ない。周囲にどれほど忠告されても、まったく耳目じもくに入らなくなる。そのせいで何度も痛い目に合ってきた。
 郡司に触れられ、急激に込み上げる恋慕と、どうにでもなれとやけくそじみた感情が丹生を突き動かす。
 丹生は抱きしめた手の甲に唇を付け、押し殺すように呟いた。

「……好きだ……」

 郡司が息を飲む気配が、口付けた手から伝わってくる。ややあって、溜め息のような笑みが落ちてきた。

「寝言か……。お前にそんなことを言ってもらえる相手は幸せだね」

 お前だよ、なんて言えればどれだけ楽か、と丹生は思った。寝言に任せて呟くのが精々だ。これで良い、これで良いんだ、と自分に言い聞かせる。
 と、郡司のやや硬いワイルドウェーブの髪が頬に触れた。それは郡司が顔を寄せてきたからにほかならず、丹生の心臓は気づかれるのではないかと思うほど高鳴った。耳元に温かな吐息と、甘い囁きが落ちる。

「ねぇ……それ、誰に言ってるの?」

 やめてくれ、答えられるわけがない、と心の中で叫ぶ。郡司は好奇心から寝言の誘導尋問をしているだけなのだ。朝夷のような駆け引きめいたやり取りではない。
 郡司の唇が微かに耳に触れ、ぞわりと反応しそうになるのを必死で堪えた。

「もしかして俺? なんてね……」

 いたずらっぽく囁く甘い声、熱い吐息、ほのかな香水と煙草の匂い、すべてに丹生の理性はかき消され、あと先など考える余裕は無くなった。

「ぅ、ん……すき……」
「えっ……」
「……大好き……」

 丹生は郡司の首に腕を回し、抱きしめながら答えた。驚きのあまりしばらく竦んでいた郡司の体は、やがてゆっくり力が抜け、たくましい腕が背に回されて抱き返される。くぐもった笑いが耳たぶをくすぐった。

「はは、お前は本当に可愛いね。人違いされて喜ぶなんて、俺も相当、限界だなぁ……」

 郡司がどんな心境なのか、丹生には分からなかった。ただ、その声音は切なげで寂しそうで、もしかしたら、自分に神前を重ねているのかもしれないと思った。
 それでも抱きしめた体の熱さと郡司の匂いに、震えるほどの喜びを感じる。背に回された大きな手は優しく、力強く、布越しでも分かるほど熱い。
 うっかりその首筋に口付けかけた丹生は、これ以上は駄目だと思い、ふっと体の力を抜いて寝たふりを続けた。郡司の首から重力に任せて離れた腕は、ぱたりと虚しくソファへ落ちる。
 しかし、抱きしめ返している郡司は腕をとかない。時折、何かを堪えるように腕の力が強くなり、吐息が震えているのが分かった。
 しばらくされるがままになっていたが、やがてそっと元通りソファへ横たえられ、体が離れた。一気に熱が失せ、言葉にならない寂しさが押し寄せてくる。待ってと言えたら、行かないでと追いすがれたら、どんなに幸せだろうと思った。

「……ありがとね、璃津りつ

 ぽつりと呟き、最後に優しく頭を撫でてから郡司は出て行った。ようやく目を開いた丹生は、横になったままドアを見つめる。

「どういう意味だよ、それ……」

 礼の訳はいくら考えても分からず、再び1人になった部屋は、一層、うら寒さを増した気がする。丹生はぎゅっと自分の体を抱きしめ、胎児のように丸くなることしかできなかった。
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