九段の郭公

四葩

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7章

71【アモル・レジューム】

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 翌日。職場復帰した丹生たんしょうと休暇明けの朝夷あさひなが揃って出勤すると、特別局はにわかにざわついた。

「……今、丹生さんたち、一緒に出勤してきたか……?」
「た、たまたまエレベーター乗り合わせただけかもしれないぞ……」
「えー? 絶対、家から来たって! あんなことがあった直後だよ? そりゃくっついたって不思議じゃないでしょ!」
「同じタイミングで連休申請してたしね。数々の障害を乗り越え、12年かけて築いた愛……なんてドラマティックでロマンティック! さすが、トップバディは生き様まで劇的で憧れるなぁ」

 華々しい噂話に他部署の職員たちは盛り上がっている。予想通りの反応に苦笑しつつ、丹生はオフィスへジャケットとクラッチバッグを置きに行く。
 事件解決後、詳細は公開されていないものの、丹生がワンルイに拉致されていたという話は官界に知れ渡っていた。本来なら敵に捕まるエージェントなど、ただ組織の評価を下げるだけなのだが、今回は短期間のうちに無傷で奪還したため、丹生と特別局の株を更に押し上げる結果となった。
 正確には奪還したのは防衛省だが、朝夷 茴香ういきょうが動いたことで、完全に特別局、ひいては公安調査庁の裏に朝夷家が付いている事実を知らしめたのだ。
 局へ着いてようやくバッテリーを入れた社用携帯には、阿久里あぐりから5件の着信と数通のメッセージ、更科さらしなから1件の着信、椎奈しいな風真かざま巴山はやまから1通ずつメッセージが来ていた。
 椎奈らのメッセージは、要約すると『無事で良かった。心配した。おかえり』というような内容だった。風真と巴山の文には、落ち着いたら会いたいと添えられている。

(あの2人にも心配かけただろうし、そのうち顔くらい見せておかないとな。とりあえず返信は同じ内容でいっか)

 感謝の言葉と近いうちに顔を見せる旨の返信を送り、丹生は溜め息をつきながら阿久里のメッセージを開く。1通目はワンスクロールで終わらないほどの長文で、見るのも嫌になってすぐ閉じた。2通目以降には『心配だ、連絡をくれ』というようなことが書いてあった。

(うざ……。予想はしてたけど、アイツってかなりメンヘラだよな……。めんどくさいから今は無視だ、無視)

 深く嘆息しながらデスクに携帯を置くと、見計らったようにオフィスのドアがノックされた。顔を上げると開け放していたドアに郡司ぐんじがもたれかかり、いつもの人好きのする笑みを浮かべていた。ぱっと表情を明るくした丹生は、駆け寄って郡司の首に飛びついた。

「郡司ぃー!」
「おかえり、璃津りつ

 腰を屈めてたくましい腕が受け止め、しっかり抱き返してくれる。甘く柔らかい声が耳元で囁き、むず痒い喜びが湧き上がった。しばし抱擁した後、体を離して笑い合う。

「死ぬほど心配したよー、もー。俺のキスは幸運どころか悪運だったなって、罪悪感で吐きそうだった」
「あはは! そういえばあったねぇ、そんなこと。でもほら、この通り無傷で戻ったワケだし、幸運には違いなかったよ」
「相変わらず慰めるのが上手いんだから、この子は。本当に良かったよ、帰って来てくれて。生きててくれて有難う」
「うん、心配かけてごめんね。郡司も一生懸命、捜索してくれてたんでしょ? ありがとね」
「いや、俺はほとんど役に立てなかったよ」

 そう言って郡司は困ったように笑った。まだ罪悪感が残っているのだろう。そんな心根の優しさが彼らしくて、丹生はむにっと郡司の頬を軽く引っ張って笑う。

「おい、気持ちが顔に出てるぞ。エージェントだろ、しっかりしろって。大丈夫、結果オーライだ、な?」
「うん」

 まだ眉根を寄せて今にも泣きそうだが、郡司は優しく微笑んだ。
 そこへのこっと現れた朝夷が、良い雰囲気をぶち壊すように非難がましい声を響かせた。

「あーっ! 復帰して早々に浮気ぃ? 酷いんだー!」
「もー、お前ってヤツはホント……まじで最悪だな。せっかく感動の再会してたのに、台無しじゃねぇか」
「えっ……う、浮気!? それって、まさか……」

 郡司は慌てて丹生から距離を取り、2人を交互に見やって目を見開いた。朝夷は丹生を引き寄せ、しっかり肩を抱いて満面の笑みで答える。

「俺たち、晴れて恋人同士になりましたー!」
「え、まじ?」
「え、違うの?」
「いや、分かんない」
「いや、分かるでしょ」
「あのぉ……なんか噛み合ってませんけど、どういうことですか? いつものじゃれ合い?」

 丹生はきょとんとする朝夷と困惑する郡司を見比べ、口角を引きつらせて首をかしげた。

「……まぁ、とにかく、また顔が見れて嬉しかったよ、郡司」
「あ、ああ……うん、俺もだよ。じゃ、また後で」

 敏感に空気を読んだ郡司は、苦笑しつつも片手をあげて出て行った。はあ、と息を吐き、丹生はまだ肩を抱いている朝夷を見上げる。

「お前、大丈夫なの? ここでそんなこと言ったら、引っ込みつかなくなるの分かってる?」
「なんで引っ込まなきゃいけないの? 俺はずっと好きって言ってきたでしょ」
「そうだけど……それはお前、アレじゃん、応えないって分かってたからじゃん。俺がノーって言い続けることが、お前の安心だったんじゃねぇの? そのために俺は12年もお前の拷問に耐えてきたんだぞ」
「拷問って酷いな……。確かにそうだったし、今もまだ怖い。だから完全に克服できた訳じゃないけど……昨夜ゆうべのアレが言えたんだから、俺も少しは進歩してるってことだよ」

 丹生は優しく微笑んで言う朝夷の晴れやかな顔に、心の底から良かったと思った。長い孤独と苦しみで凍りついていた朝夷の心は、本当に少しずつ溶けかけているのだと、不安の薄れた瞳が何より雄弁に語っていた。丹生は朝夷の頬へ手を添え、その瞳を見つめながら真剣に問う。

「本当に良いんだな?」
「もちろん。璃津こそ良いの? まだ不安定な、こんな俺でも」
「俺はあの夜、お前を選んだ時点で決まってたよ。不安定なんて今更、お互い様だ」
「ああ、もう……幸せすぎて死にそう……」
「死なせないって言ってるだろ。俺がお前の命なんだから」
「そうだね……。俺はお前のためだけに存在してる。お前の存在だけで、もう充分すぎるほど幸せだったんだ」
「俺たちは始まった時から終わってた。最初から不幸で幸福な、壊れた唯一無二だもんな」
「その通りだよ、璃津。明けない夜でも、覚めない悪夢でも良い。お前さえ居てくれるなら、ここが地獄だって構わないんだ」

 改めて想いを確かめ合った2人は、満ち溢れる福禄と少しのおそれを抱えながら、そっと唇を重ねた。



 その後、オフィスラウンジに顔を出した丹生は、居合わせたアグリ班に2度目の歓待を受けた。

「りっちゃーん、おかえりぃ!」
慧斗けいともおかえりー。任務ほっぽり出して帰って来てくれたんだってね。ありがと」
「あったりまえじゃん! あのいち大事に駆け付けなくて、何がチームメイトだって話しでしょ。つっても、明日からまた戻んなきゃなんだけどさー。ま、りっちゃんが無事ならそれで良いわ。あれ、髪型変えた? パーマも超似合うー」

 羽咲と入れ替わるように、椎奈が目に涙を溜めて歩み寄ってきた。丹生の目の前で立ち止まると、深々と頭を下げる。

「すまなかった! 私の配慮が足らず、君を窮地に追い込んでしまった! 謝って許されることではないが、本当に申し訳ない!」
「ちょちょちょ、椎奈さん! やめて! 全然、まったく、これっぽっちも椎奈さんの責任じゃないんだから!」

 ギョッとして椎奈の肩に両手を置き、顔を上げさせる。

「捕まったのはひとえに俺の能力不足、助かったのは椎奈さんたち皆が頑張ってくれたおかげだよ。有難う」
「君が無事で、本当に良かった……」

 椎奈の隣に並び、神前かんざきが薄く笑って言った。

「復帰おめでとう、璃津」
「有難う、ナナちゃん。これからもよろしくな、親友」
「こちらこそだ」

 と、神前は小脇に抱えていた書類の束を丹生へ押し付けた。

「早速、溜まった仕事だ。今日中に提出の物も多いからしっかりな、班長補佐殿」
「ゔあ……忘れてた……」
「あと朝夷さん、阿久里が呼んでましたよ。オフィスで待ってるそうです」
「ああ、分かった」

 神前がソファでコーヒーを飲んでいた朝夷へ言うのを聞いて、丹生は首をかしげた。

(なんでアイツを呼ぶんだ? あー、もしかして俺と顔合わせんのが気まずいとか、聞きづらいことあるとか? 女々しいねぇ。ま、面倒なやり取りせずに済むなら、逆に良いけど)

 丹生の視線に気付いた朝夷がウインクするのを見て、丹生も軽く顎を上げて応える。後は任せておけば良いな、と丹生は自分もコーヒーを入れに行くのだった。



 阿久里のオフィスにやって来た朝夷は、丹生が拉致されていた時より酷い阿久里のやつれように、思わず苦笑が漏れた。この数日で余程、精神的に追い詰められたのだろう。
 阿久里は覇気のない声で朝夷にソファを勧め、向かい合わせに座ると少しの沈黙の後、恐る恐る問う。

「……この3日、璃津と居たんですか?」
「ああ」

 一切の躊躇もなく即答すると、阿久里はうなだれて組んだ両手に額を置き、深く溜め息をついた。

「……それは、つまり……恋人になったということですか?」
「ああ、そうだよ」
「……なんで今更……」
「今更? まぁ、確かに今更だな。俺たちは出逢った時から通じてたし。改めて恋人なんて言うのも、おかしな話かもね」

 笑みを含む朝夷の声音に、阿久里はギリと奥歯を噛み締めた。

「……そうじゃないでしょう……。そんなのは、あんたの勝手な妄執だ……ッ。璃津は俺に……俺に応えてくれたんだ……!」

 朝夷は眼前で壊れゆく男を見ながら、僅かばかりの憐れみを感じていた。少しでも状況が違えば、自分も阿久里のようになっていたかもしれない。つくづく酷い男だな、と丹生を思いながら、朝夷はきっぱり言った。

「妄執してるのはお前だよ、阿久里。璃津は最初から、お前なんて眼中になかった。ただの気まぐれだったのさ。お前も知ってるだろ、あの子の優しさと残酷さを」

 阿久里はますます歯を食いしばったが、反論はしてこなかった。慰めになるかは知らないが、朝夷は声音を和らげて付け加える。

「その苦しみは分かる。12年間さんざん見てきたし、味わったからね。でも、俺はあの子をゆるすよ。そもそも怒ってすらいない。願わくば、お前にもそうあって欲しいね。あの子は常識じゃ推し量れない。だからこそ魅力的なんだから」

 朝夷はソファから腰をあげると、うつむいたまま返事をしない阿久里の肩を優しく叩き、オフィスを後にした。
 丹生と始めた残酷遊戯の被害者たちが、この後どう動くのかはまだ分からない。始末はきっちり付けなければな、と朝夷は気を引き締めた。
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