75 / 87
7章
73【並行する不幸】
しおりを挟むひとしきり皆を仰天させた暴露会議の後は、溜まった書類仕事に追われる通常業務に戻った。直近の任務依頼は無かったため、単調な事務作業を定時まで行い、伸びをして帰り支度をしていると、オフィスのドアがノックされた。
「お疲れ様、璃津。もう帰れる?」
「うん。長門も上がり?」
「そうだよ。一緒に帰ろうと思って、お迎えに上がりました」
丹生は軽く笑ってジャケットとクラッチバッグを取り上げる。
「晩メシどうする?」
「食べて帰ろう。何が良い?」
「秋刀魚の塩焼き、今が旬だし」
「了解。じゃ、行こうか」
出勤時と同様に、揃ってエレベーターへ乗り、共に朝夷の車で退勤する。東銀座の本格和食店で、炭火焼きの秋刀魚を堪能し、丹生の仕事着を数着と、日用品を買ってから帰宅した。
コーヒーを入れながら、カウンターの向こうに座る朝夷へ、揶揄うような声をかける。
「やっぱりお前って舌が肥えてるよな。どこも雰囲気良くて、美味い店ばっかりだわ。あの秋刀魚の味覚えたら、もう他じゃ食べられなくなるかも」
「秋は秋刀魚だよね。食べたくなったら、いつでも連れて行ってあげる」
丹生はカウンターにもたれて頬杖をつき、首をかしげて笑った。
「それにしても、まさか会議中に交際宣言とは、さすがに驚いた。結婚前提ってなんだよ。できもしないことを言うヤツじゃないと思ってたんだけどな?」
「それくらい真剣って事実には違いないよ。結婚なんて、書類上の約定に過ぎないけど、俺たちには誓約があるでしょ。形式なんて問題じゃないさ」
朝夷はいずれ、自分の子を産んだ女性の誰かを、正式な妻とせねばならない。それは、次期当主として重要な役割のひとつだ。当然、丹生も承知のうえである。
「ところで、阿久里との話はどうだった? 俺じゃなくお前を呼びつけるあたり、アイツらしい女々しさだったけど」
「どうってことなかったよ。璃津と付き合ってるのかって聞かれたから、そうだって答えただけ。ついでに、お前は璃津の眼中に無いって言っておいた」
「それで納得した?」
「少なくとも、反論はしてこなかったよ。妄想野郎って罵られたけどね」
朝夷が愉快そうに答えると、丹生は鼻で笑って電子タバコを咥えた。
「妄想野郎はてめぇだって、言ってやれば良かったのに。たかが1回舐めさせたくらいで、のぼせやがって」
「しばらく注意したほうがいい。ああいうのがキレると、何しでかすか分からないから」
「分かってる。精々、刺激しないようにするさ」
朝夷はコーヒーをひと口飲み、煙草に火をつけながら呟いた。
「……少しだけ、憐れだと思ったよ。状況が違えば、俺も阿久里みたいになってたかもしれない……」
この男が同情するなんて、初めてじゃないのか、と驚きつつカウンターを回り込み、朝夷の前に立つ。見上げてくる綺麗な瞳は、不安とも恐怖とも違う複雑な色に揺れていて、ずいぶん人間らしい表情をするようになったなと思った。そっと頬を撫で、髪に指を差し込みながら、丹生は優しく囁いた。
「長門は優しいな。そして誰よりも強い。だから俺はお前が良いのさ」
朝夷は、どこか痛むような表情で笑うと、丹生の体に腕を回して抱きしめた。
「……俺は、ただの馬鹿かもしれないよ。お前の傍に居るために、自分から地雷源に飛び込んでいるみたいだ。どんなリスクを犯しても、お前に近づきたくて、傍に居たくてたまらない。でも、地雷を踏むのも恐れてる……」
「良いんじゃないか、それで。俺たちは元々、壊れ者同士だ。うっかり吹っ飛んだとしても、何度だって直してやる。歪んでいようが、欠けていようが気にしない。逆の立場でも同じだろ? お前の周りだって、地雷だらけなんだから」
世界中を探しても、これ以上の理解者は居ないだろう、と朝夷は思った。何年経っても、何度繰り返しても、必ず安堵をもたらしてくれる。この幸福感を伝える術が、もっと多ければ良いのに、と残念に思いながら、朝夷は心を込めて囁く。
「……大好きだよ、璃津」
「うん、知ってる」
恋人や夫婦の絆というのは、川の小石のように長い時間をかけて擦れ合い、角が取れて丸くなっていくと言う。
しかし、この2人は違う。お互いを引き裂き、砕き、叩き割ってバラバラにし、欠片をモザイクのように繋ぎ合わせる。繰り返すうちに、どちらの欠片か分からなくなり、いつしか混ざり合ってひとつになっていく。歪で異質な愛の形は、世に二つとないモザイク画を創り上げているようだった。
◇
時は少し遡り、丹生たちが退勤したのと同じ頃。椎奈は阿久里のオフィスを訪ねていた。沈んだ表情でデスクワークに没頭する阿久里に、椎奈は重たい声をかける。
「今日も帰らないつもりか?」
「……ああ。ここの所、色々あったから、立て込んでるんだ。葵は早く帰って休みな」
顔も上げずに答える阿久里に、椎奈は深く嘆息した。丹生が拉致された日から今日に至るまで、阿久里は局泊まりを続けている。家には着替えを取りに戻るくらいで、職場以外ではほとんど会っていない。
いよいよか、と椎奈は思った。阿久里の気持ちが自分から離れていることには、もう何年も前から気付いていた。人間関係に行き詰まるのは初めてではなく、むしろよく持ったほうだった。
椎奈は、軽度の自閉症スペクトラム障害を抱えている。相手の気持ちを察することができず、傷つけたり追い詰めるような言動を、悪気なく取ってしまう。雑談が苦手で、何を話せばいいか分からない。自分のこだわりや考えを変えられず、周囲のアドバイスを受け入れないため、頑固者と敬遠される。
主にこのような症状で、昔から友人を作ることや、集団で遊ぶことが極端に苦手だった。成長して恋人ができるようになっても、やはり長続きしなかった。
幸い、個人主義の特別局において支障は無く、エージェント同士で腹を割って話す必要も無いため、業務連絡さえこなせば事足りた。
唯一の問題は、バディとの関係だった。阿久里の整った造作も、物腰柔らかで穏やかな性格も好みで、付き合おうと言われた時はすぐに承諾した。
しかし、無自覚に出ていた椎奈の嫉妬と束縛により、阿久里は徐々に疲弊していった。それに気づいた時には既に遅く、また失敗したなと思った。いつ別れを切り出されるかと怯えていたが、結局、今に至るまで何も言われず、阿久里は疲れたように笑うだけだった。
ただ、丹生が奪還されてから判ったことがある。付き合い始めた頃、自分へ向けられていた熱のこもった視線が、丹生へ向けているのに、気付いてしまったのだ。
不思議と怒りは湧かなかった。とっくに心が離れていると分かっていたからか、相手が丹生だからか、その両方か。
惜しむらくは、丹生との恋路を応援するのは、無理だということだ。これまで有耶無耶だった丹生と朝夷の関係が明白になり、誰にも付け入る隙など無いのだと、今朝はっきり見せつけられた。
こんな自分に12年も耐えてくれた阿久里と、友人として気さくに接してくれた丹生、どちらも好きだ。2人が幸せになってくれれば最も良かったが、それはもう叶わぬ話となってしまった。せめて彼を解放してやらねばと、覚悟を決めてここへ来たのである。
「阿久里、話がある」
「……後にしてくれないか。手が離せないんだ」
「では、そのままで良いから聞いてくれ。別れよう」
ぴた、と阿久里の手が止まる。ゆっくりと視線を上げて椎奈を見た顔は、何を言われたか理解できていないようだった。
「これまで、ずっとお前を縛り付けてしまって、本当にすまなかった。お前の気持ちが、もう私に無いことは分かっていたが、今まで気付かないふりをしていた。卑怯な真似をしてしまった」
「……いつ、からだ……?」
絞り出すように問われ、椎奈は眉根を寄せて薄く笑った。
「数年前だ。お前から切り出されるまで、触れないでおこうと思った。しかし、お前はいつまでも自分を殺し、耐えていた。もう見ていられない」
「……そんなに前から……」
阿久里は指からボールペンを取り落とし、全身を脱力させてオフィスチェアに沈む。
頭の中を様々な思いが駆け巡った。なぜ今更そんなことを。どうしてこのタイミングで。よりにもよって、この最低で最悪な日に切り出したのか。
もうこれ以上、最悪な気分になることは無いと思っていたのに、まだ下があったのか、と阿久里は自嘲の笑みを漏らした。卑怯なのは自分だと思っていたが、とんだ勘違いだったと、日に二度も思い知らされるとは、予想していなかった。
疑う余地も無く愛されていると思っていた者の片方は、ただの気まぐれのお遊びで、もう片方は見て見ぬふりをしていたのだ。
まるで道化だな、と阿久里は思った。無知な己は酷く滑稽で、愚かで惨めだ。
交際宣言をした丹生と朝夷は、誰より幸せそうで、別れ話を切り出した椎奈は、潔く毅然としている。最後の最後まで幻想にしがみついていた自分だけが醜く、吐き気がするほど矮小だった。
やがて思い悩むのにも疲れ果て、何もかもどうでも良い、と阿久里は思考を放棄した。
「私は、今夜のうちに荷物をまとめて出ていく。だからお前もいい加減、家に帰って体を休めてくれ。バディの解消は任せる。私はどちらでも構わない。では、今まで有難う。これからはチームメイトとして、よろしく頼む」
「……ああ。こちらこそよろしく、椎奈」
阿久里の口から聞く、数年ぶりの苗字に胸が痛んだが、椎奈は笑ってオフィスを後にした。
静まり返った廊下を歩くうち、椎奈の目から大粒の涙がこぼれ落ちる。口を手でおおい、嗚咽を堪えながらよろよろと歩いていると、向かいの角から現れた羽咲が駆け寄ってきた。
「どうした、椎奈! 大丈夫か!?」
「……な、何でもない……。大丈夫だ……」
羽咲はすぐ後ろの阿久里のオフィスを見て、即座に何があったか察した。そっと椎奈の肩に手を置き、労るように囁く。
「よく頑張ったな」
そのひと言で、張り詰めていた神経が弛み、椎奈は羽咲に縋り付き、声を殺して泣いた。
(どこもかしこもボロボロかよ。まるでドミノ倒しだな。まぁ、嘘にまみれて窒息するより、よっぽどマシだけど。くっついただけでこんなに被害者が出るとは、つくづく厄介なバディだな、アイツら)
羽咲は皮肉っぽく口角を上げながら、そんなことを思うのだった。
52
あなたにおすすめの小説
相性最高な最悪の男 ~ラブホで会った大嫌いな同僚に執着されて逃げられない~
柊 千鶴
BL
【執着攻め×強気受け】
人付き合いを好まず、常に周囲と一定の距離を置いてきた篠崎には、唯一激しく口論を交わす男がいた。
その仲の悪さから「天敵」と称される同期の男だ。
完璧人間と名高い男とは性格も意見も合わず、顔を合わせればいがみ合う日々を送っていた。
ところがある日。
篠崎が人肌恋しさを慰めるため、出会い系サイトで男を見繕いホテルに向かうと、部屋の中では件の「天敵」月島亮介が待っていた。
「ど、どうしてお前がここにいる⁉」「それはこちらの台詞だ…!」
一夜の過ちとして終わるかと思われた関係は、徐々にふたりの間に変化をもたらし、月島の秘められた執着心が明らかになっていく。
いつも嫌味を言い合っているライバルとマッチングしてしまい、一晩だけの関係で終わるには惜しいほど身体の相性は良く、抜け出せないまま囲われ執着され溺愛されていく話。小説家になろうに投稿した小説の改訂版です。
合わせて漫画もよろしくお願いします。(https://www.alphapolis.co.jp/manga/763604729/304424900)
エリート上司に完全に落とされるまで
琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。
彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。
そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。
社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。
【R18+BL】空に月が輝く時
hosimure
BL
仕事が終わり、アパートへ戻ると、部屋の扉の前に誰かがいた。
そこにいたのは8年前、俺を最悪な形でフッた兄貴の親友だった。
告白した俺に、「大キライだ」と言っておいて、今更何の用なんだか…。
★BL小説&R18です。
従僕に溺愛されて逃げられない
大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL!
俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。
その傍らには、当然のようにリンがいる。
荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。
高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。
けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。
当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。
居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。
さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。
主従なのか、恋人なのか。
境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。
従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
