戦国澄心伝

RyuChoukan

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第一百一十三話 焚宮封街・旧臣暗訪

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大火から数日、京の町は、ちょうど解剖を終えたばかりの躯のようだった。
 
二条周辺は乱暴に縫い合わされ、外側から見れば何事もなかったかのように整えられているが、その内側には、まだ固まりきらない血が溜まっている。
 
朝、寺町の鐘はいつもより頻繁に鳴った。
 
弥助が買い物に出ると、途中で一本の縄に行く手を遮られた。
 
縄には木札がぶら下がっている。
 
「封」と大きく書かれ、その下に三好家の印が押してあった。
 
縄の向こうはひと気のない通りだ。
 
割れた瓦片と焼け焦げた木屑だけが転がっている。
 
「ここまで封じるのか……」
 
弥助は唾を飲み込み、そっと東山へ引き返した。
 
昼を少し回ったころ、里村紹巴がやって来た。
 
いつもより質素な衣をまとい、腰に提げた扇子も古いものに替えている。
 
門をくぐるなり、深く頭を下げた。
 
「今日の礼は、いつもより重くさせていただきます」
 
「今日は頼み事も、それだけ重いと見た」
 
柳澄原が苦笑まじりに言う。
 
「ここ数日、三好殿が二条周辺を封鎖しておられるのはご存じでしょう」
 
「目にした」
 
「名目は『瘟疫防止』。実際は口封じです」
 
里村は声を落として続ける。
 
「封じられた通りの中には、かつて私と同じ席で連歌を巻いた旧臣や筆吏が幾人もおりますが、誰ひとり姿を見せません」
 
彼は柳澄原を見上げた。
 
「私ひとりが街で二手三手の噂を拾ったところで、たかが知れております。もし先生が封鎖された通りの焼け屋を覗いてくだされば、中にまだ息のある者がいるかどうかだけでも確かめていただきたい。紙の上で人の愁いを書いてきた者たちのために、せめて一つくらい――」
 
脇で聞いていた弥助の胸がきゅっと縮む。
 
「封じられた通りに? 三好の連中が先生を通してくれますかね」
 
「医者は通れる」
 
柳澄原は短く答える。
 
「死人が放置されれば、本当に瘟が出る。瘟が出れば、三好殿こそ真っ先に逃げ場を失おう」
 
古びた小袖に着替え、薬箱を背負い、里村と共に封鎖区域へ向かう。
 
二条周辺の通りは、雑な刃物で切り裂かれて、ぞんざいに縫い合わせた傷口のようだった。
 
縄が渡され、木札が下がり、三好家の兵がいくつかの辻を押さえている。
 
「死体の片づけか」
 
門を守る小頭が、じろりと柳澄原を眺めた。
 
「死骸を放置なされば、たしかに瘟が出ましょう」
 
柳澄原はあくまで冷静に言う。
 
「城中で瘟が立てば、三好様こそ難儀なさる」
 
小頭は眉をひそめたが、やがて手を振って許可した。
 
「大通りだけだ。脇道に入るな」
 
大通りは異様なほど静まりかえっていた。
 
かつて賑わった町家の軒は煤で黒く、障子は灰となって風に舞っている。
 
空気には、焼け焦げた甘い匂いがまだ残っていた。
 
柳澄原は、やがて一か所で足を止めた。
 
「ここでいい」
 
里村に向き直る。「これより先は、死骸以上のものを見ることになる」
 
そう言うと、廃材の山に塞がれかけた細い路地へ身を滑り込ませた。
 
弥助は歯を食いしばって後に続く。
 
路地の奥には、半分崩れ落ちた町家が一軒、じっと膝を抱えて座り込んでいるように見えた。
 
梁は黒く焦げているが、いくつかは刃物で断たれた痕を残している。
 
「ここは、かなり激しい抵抗があったな」
 
柳澄原が言う。
 
「最初は屋内で逃げる者を押し留め、あとから火が追いついて、外に逃げざるを得なくなった」
 
乾ききった血痕の間を歩きながら、彼の視線は、ひっくり返った茶碗、ちぎれた数珠、折れた筆先を順に追っていく。
 
それらを合わせると、ひとりの人間が浮かび上がる――筆に慣れ、たまに経も写し、寺にも近いが武士ではない男の姿が。
 
「下だな」
 
柳澄原はぽつりと言った。
 
黒く焦げた床板の一枚だけが、不自然に沈んでいた。その隙間から、かすかな風が漏れている。
 
柳澄原は刀を抜き、焦げ目ごとその板をこじ上げた。
 
湿った空気が地窖から吹き上がる。
 
「誰かいるかい!」
 
弥助が身を乗り出して呼ばわる。
 
しばらくして、しゃがれた咳の音が暗闇の奥から返ってきた。
 
地窖へ降りていくと、三人の男が隅で身を縮めていた。
 
ひとりは肩からの出血が止まらず、ひとりは顔面蒼白で手足が冷え切っている。もうひとりは華奢な体つきで、布包みをしがみつくように抱いていた。
 
「先生……」
 
里村の声が震える。「あなた方は……」
 
「……一色家の筆吏だ」
 
華奢な男はかすれ声で答えた。「それと……殿のお傍にいた近侍が一人」
 
彼は肩を負傷した男を指さす。
 
「その夜、殿が『何人でもよい、生き延びた者がいたなら』とおっしゃって、側門から出るよう命じられた」
 
近侍は血に塗れながらも、はっきりと目を開けていた。
 
柳澄原の顔を見て、わずかに表情を動かす。
 
「東山の医師殿か……」
 
「無駄口は慎まれよ」
 
柳澄原は腰をおろし、まず傷口を押さえた。「今は、お前の命が『何人』の中に入るかどうかを確かめるのが先だ」
 
ひとりの傷はあまりにも深く、腹に走った刀は要害を破っていた。
 
柳澄原は痛み止めを飲ませ、そっと手を握る。
 
「今暴れれば、刀の道がさらに広がるだけだ」
 
男は歯を食いしばって頷き、汗がぽたぽたと地に落ちる。
 
残るふたりには「挫筋」の手を使った。
 
いまにも切れそうな筋肉を、あえて徹底的に緩めてしまう。
 
外から見れば立つことも出来ぬ廃人だが、骨だけはどうにか守られる。
 
「先生、これは……」
 
弥助は目をそむけたくなりながら問う。
 
「しばらくの間、誰が見ても『役立たず』に見える」
 
柳澄原は静かに答える。「役立たずなら、わざわざ二度も殺しには来まい」
 
近侍に顔を向けた。
 
「お前は、これから遠くへ行くつもりか。それとも、もう一度刀を取るつもりか」
 
「……殿がご存命なら、刀を取る」
 
近侍は掠れた声で言う。「殿は……」
 
言葉の途中で喉が詰まった。
 
柳澄原は黙したままでいる。
 
「殿は、もはや二条にはおらぬ」
 
近侍は目を閉じた。涙が一筋、頬を伝って、濡れた地面に落ちたそばから見えなくなった。
 
「ならば、まず生きよ」
 
柳澄原は言った。「お前が死ねば、『どこで死んだか』と聞かれたとき、答えに窮する」
 
ちょうどそのとき、地上から荒々しい足音が聞こえてきた。
 
それに続いて、がなり声。
 
「その家はまだ捜してないぞ!」
 
「足跡がこの路地に続いてる!」
 
三好の封鎖隊が屋の前まで迫っていた。
 
「裏の路地だ」
 
柳澄原は短く告げた。
 
町家の背中には、人ひとりがやっと通れるほどの細い隙間がある。
 
弥助は華奢な筆吏を背負い、さらに近侍の肩を取って導く。
 
ようやく隙間を抜け出たときには、三好の小隊がちょうど正面から屋内へ雪崩れ込んだところだった。
 
隊長格の男は、こじ開けられた床板をひと目見るなり顔色を変えた。
 
「誰かが連れ出したな! 追え!」
 
狭い路地に、二、三人が一度に飛び込んでくる。
 
狭さゆえ互いに足を取られ、かえって身動きが取れない。
 
角の手前に立った柳澄原は、足先で地面を軽く叩いた。
 
そこは、先ほど通りがかりにつぶさに見ておいた一角だった。周囲より半寸ほど高く、その隣には張り出した壁の角がある。
 
追っ手がそこへ差し掛かった瞬間、自然と足がもつれた。
 
その拍子を逃さず、柳澄原の刀が光る。
 
先頭の男の膝裏を一刀で断ち切り、前のめりに倒れ込ませ、後ろのふたりごと地面へなぎ倒した。
 
二人目の手首には刃の背が打ち込まれ、「かちり」と嫌な音を立てて刀が飛んでいく。
 
彼の足取りは決して急がず遅れず、まるで地面に輪を描くようだった。
 
一歩踏み出すごとに、誰かが地に膝をつき、足が折れ、手が震え、叫び声だけが残る。
 
「索界」
 
三好の小隊は一瞬で混乱に陥った。
 
隊長は怒りと恐怖に駆られて長槍を引き抜き、上から下へ思い切り突き下ろす。
 
その一突きが通れば、柳澄原どころか、背後の弥助や傷ついた者たちまで串刺しだ。
 
柳澄原は退かない。
 
逆に踏み込み、長槍の胴に身を寄せ、刀身を斜めに滑らせるように振る。
 
七寸ほどのところで、槍の木身に刃を食い込ませた。
 
「ばきり」と骨の折れるような音がし、槍は真ん中からへし折れる。槍先は逸れて壁に突き刺さった。
 
破片が飛び散り、隊長の手は痺れて槍を手放す。
 
怒鳴る間もなく、遠くからもうひとつ、低い叱責の声が響いた。
 
「やめよ」
 
石段の上から、一人の上役が馬にまたがって様子を見下ろしていた。
 
その顔には、怒りと躊躇が入り混じっている。
 
部下が慌てて駆け寄り、早口に報告する。
 
「あの者は東山の医者にございます。火事の折、偏院で人を救ったとかで……三好様のお耳にも……」
 
武将は鼻を鳴らした。
 
「医者にしては手が立つな」
 
それでも、今ここでことを荒立てるのは得策でないと判断したのだろう。
 
しばし逡巡したのち、手を振る。
 
「その者たちは放っておけ」
 
柳澄原は近侍の肩を支え、弥助と共に、さらに深い路地の影へと姿を消した。
 
東山へ戻るころには、空はすでに暮色に染まりかけていた。
 
近侍は偏室に寝かされ、全身を薬布で巻かれている。
 
夜更け、部屋にはふたりだけとなった。
 
「殿は……」
 
近侍が口を開く。喉は火に焼かれたように乾ききっていて、言葉にならない。
 
「殿のお話はよい」
 
柳澄原は遮った。「これからお前がどこへ行くつもりか、そちらを話せ」
 
長い沈黙ののち、近侍はようやく絞り出した。
 
「奈良……そこに、まだひとり……覚慶様が」
 
小さな声だったが、その名は耳に重く落ちた。
 
柳澄原の瞳が細くなる。
 
「お前は知りすぎている」
 
「殿は、それを私に託されたのです」
 
近侍はかすかに笑う。「誰かひとりは、生きて、これを然るべきところへ運ばねばならぬと」
 
「生き残れば、それで十分だ」
 
柳澄原は言った。「二つ目の仕事は、急がずともよい」
 
部屋を出ると、風図の前に座る。
 
塗りつぶされた「二条御所」の赤い円から、一本のごく細い線を引き出した。
 
線の末にはまだ終点を描かず、その横に四文字だけ記す。
 
――「旧臣の余火」。
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