戦国澄心伝

RyuChoukan

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第一百四十三話 鈴鹿峠・風硬く鉄鳴る

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             鈴鹿の風は硬い。山口から冷えた鉄をそのまま胸に押し込まれるようで、一息吸うだけで肋の内側が痛んだ。

  山道は狭く、霧は厚い。その霧は柔らかな白ではなく、冷たい灰色を帯び、松の葉にも、岩肌にも、人の裾にも張りつき、すべてを無言の影にすり潰そうとしている。

  霧の中で、一行は荷を担いだ一隊に出会った。

  先頭の男の背には、汗が塩になって白く浮いている。だが担いでいる荷はやけに雑多だ。塩の包み、反物、巻物、油の桶、薬草、銅線、鉄片……どれも一つひとつは見慣れたものだが、箱の蓋はどれもきっちり閉じられ、中身を覗かれまいとしていた。

  八重美は目ざとく、そのうちのひとつの木箱の角から、黒く深い色の縄の端が少しのぞいているのを見つけた。

  その縄は油でしっとりとしており、麻縄とは違う。火縄に使われる類のものだ。

  先頭の男が彼らに気づくと、まず手を合わせた。

「お二人とも、この霧の中を行かれるとは。お嫌でなければ、しばらくご一緒にどうですか。人が多ければ、山狼も近寄りませぬ。」

  「山狼」と言ったとき、男の目は一度、霧の奥を盗み見た。本当に狼がいるかのように。

  柳澈涵は男の手の甲に目をやる。

  豆は厚くないが、筋が一本、くっきりと走っている。細い縄を握り慣れた手。鍬の柄ではない。

  彼は軽くうなずいた。

「少し、ご一緒しよう。」

  霧の濃い方へ、短く硬い笛の音が響いた。鳥の鳴き声にも似ているが、鳥よりも鋭い。

  次の瞬間、前方の岩陰から二つの影が飛び出す。刀光がひらりと閃き、すぐに霧に呑まれた。霧の中から牙が生えたような一瞬だった。

  荷担ぎの一団は、たちまち混乱しかける。その一瞬の乱れが、そのまま死にもつながる。

  柳澈涵は叫ばない。

  ただ弥助の袖を内側へ引き寄せ、片方の手を八重美の肩に置いて、岩壁に身体を沿わせるよう促した。

「動くな。」

  その声はごく静かだったが、釘のように地面へ打ち込まれる。

  一太刀目は霧の中から斜めに振り下ろされ、先頭の男の肩を狙った。男は担ぎ棒を持ち上げて受ける。棒には深い裂け目が走り、飛び散った木屑が霧の中で粉雪のように舞った。

  柳澈涵が刀を抜く。

  抜き際の音は、紙を一枚折るときのかすかな音ほどにしか聞こえない。

  彼は飛び出さない。大きく振り回しもしない。鈴鹿のように狭い道では、大振りの剣など自分を岩に叩きつけるだけだ。

  眼を外に向ける代わりに、耳を外へ開く。

  霧は光を食いつぶすが、音までは食えない。足音の重さと軽さ、鞘と岩が擦れる響き、呼吸の速さ、衣が松葉を撫でるざわめき……それらが彼の頭の中で位置へと変わっていく。

  二人目の襲撃者は背後を取ろうとして、つま先に力を込めた。だが、その踏み込みにはわずかな空虚さがあった。

  柳澈涵は、その足が地を蹴った刹那に、膝裏の筋を横から掠め取るように刀を滑らせた。深く斬り込んではいない。ただ、力の通り道を断ち切る。

  浪人は片膝から崩れ落ちた。梁を一本抜かれた家のように。声を上げる暇もない。

  霧の奥から怒号とともに重い一撃が飛んでくる。命を賭けた、捨て身の一太刀だ。

  柳澈涵は真っ向からは受けない。

  刀勢が最も重く、しかしまだ振り切りきってはいない、その一点で、刃先をひと撫でするように触れさせる。

  暴れ流れる水を、ほんの少し脇へ反らすように。

  重さはそのまま持ち主へと返る。握り手の手首がぎしりと軋み、刀の軌道はずれて、自分の肩に浅くではない傷を刻んだ。流れ落ちる血は、炭火から弾けたばかりの火のように熱かった。

  三人目の男はようやく悟る。

  目の前にいるのは「道端の医者」ではない。霧の中で骨をばらすことができる男なのだと。

  その瞬間、男の心が揺らいだ。気も、足も乱れる。

  柳澈涵は一歩前に出る。

  山道でいちばん狭い場所を、ちょうど塞ぐように。

  その一歩で道は塞がれた。

  退くにしても、進むにしても、この刀の前を通らなければならない。

  男は強がって踏み込もうとする。

  柳澈涵は刀身を少し持ち上げる。刃の光は霧の中で明滅し、冷たい雷の筋のようだ。男の手が、ほんのわずかに震えた。それはごく小さな震えだが、そのせいで刀が半拍ぶん遅れる。

  半拍。その差が命取りになる。

  ようやく、柳澈涵は二太刀目を放つ。

  派手さはない。ただ、正確さだけがある。

  刀の峰が相手の横隔膜の辺りを叩いた。

  男の呼吸は一瞬で乱れ、胸の中がせき止められる。瞳に灯っていた凶意が、一気に砕け散った。

  襲撃者たちはついに退き始める。霧の中へ引いていく背中は、一つの碑の影のようにも見えた。

  荷担ぎの者の中には追おうとする者もいたが、弥助が先に飛び出していた。

  弥助の木刀が横一文字に構えられ、右側から斬り込んできた刀を受け止める。木が鉄と打ち合い、痺れるような衝撃が腕を駆け上がり、虎口が裂けて血が滲む。

  それでも弥助は退かない。退けば、そのまま八重美が斬り込まれる。

  八重美は悲鳴を上げない。

  ただ、京風の女しか使わないような、軽やかで痛烈な罵りを一言、吐き捨てる。そして地面の松葉混じりの砂をひと掴みし、相手の眼の前へと散らした。

  相手は反射的に目を細める。

  弥助はその半拍を逃さず、木刀をぐっと押し込んで、男の胸を突いた。致命傷ではない。だが、一歩ぶん退がらせるには十分だ。

  柳澈涵が振り返り、刃を一閃させる。

  相手の手首の筋を正確に切り払った。男の刀が地面に落ち、鈍い音を立てた。鉄塊が水に沈むような音だった。

  霧はやがて薄れたが、血の匂いだけは残る。火縄油の臭いが絡みつき、見えない一本の線となって、もっと遠いところへと伸びていく。

  先頭の男が膝をついて礼をしようとする。

  柳澈涵は手で制した。

「跪くな。山道で膝をつけば、そのまま誰かに頭を踏まれる。」

  男は歯を食いしばり、頭を無理やり上げる。

「先生が荷を守ってくださった。薬でも金でも、差し出せと言われれば、何だって。」

  柳澈涵は、火縄の端が覗いた木箱へと視線を投げる。

「お前たちの荷は要らない。一つだけ聞く。その箱の中身はどこから来て、どこへ行く。」

  男は一瞬ためらった。その一瞬が、その品の値打ちと危うさを物語る。

  八重美が浅く笑った。夫の言葉を、少し柔らかい形に言い換える。

「言いたくなければ、それはそれ。商人には商人の筋があるし、医者には医者の筋がある。ただ一つ分かったのは、その“硬い品物”のために刀を振るう手は、ずいぶん遠くまで伸びているってこと。」

  男はついに小さく答えた。

「海の向こうから来て、尾張へ向かう途中。……その途中で、横から手を出したがる連中がいる。」

  柳澈涵はうなずき、それ以上は追及しなかった。

  彼が欲しいのは箱ではない。その箱に手を伸ばした“誰か”の輪郭だけだ。

  下り道で、八重美は弥助の裂けた虎口を見て、ハンカチを差し出した。

「巻いておきなさい。今のあなたの一手、多くの大人よりよほど様になってたわよ。」

  弥助の顔は真っ赤だ。

「ぼくなんて、まだまだです。」

  八重美は声を立てずに笑った。

「“まだまだ”だからいいのよ。“まだまだ”の分だけ、伸びる余地がある。」

  それから柳澈涵の方へ向き直る。

「夫君、この弟子、私は気に入ったわ。」

  柳澈涵は淡々と言った。

「俺が連れ出した。もっと早く育てる。」
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