戦国澄心伝

RyuChoukan

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第一百四十五話 熱田道・婚の名は盾

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             尾張に入ると、道は広くなった。広い道は歩きやすいが、そのぶん眼も歩きやすい。

  熱田のあたりは神社仏閣が多く、遠くで鳴る鈴と太鼓が、人の心まで少し真っ直ぐに叩き直すような響きを持っていた。

  道端の茶店で一息ついていると、武士風の二人組が「道を尋ねる」と言って近づいてきた。口は丁寧だが、その視線は骨の太さを測るように人を見ている。

  先に立つ男が手を合わせた。

「失礼ですが、どちらからお越しで、どちらへ向かわれるところか。最近は盗賊も多くてな。我々はただ、お武家様やご商人を間違って巻き込まぬよう、道を改めているだけで。」

  言い草は役目に徹したものだ。だが、その役目の中に、底を探る棘が混じっている。

  弥助が口を開きかけるより早く、八重美が袖をそっと上げた。

「どこから来たかは、もう終わった話。」彼女は笑う。「どこへ行くかは、これからの“婚”の話よ。」

  「婚」という言葉を、とても穏やかに、だが揺るぎなく言う。まるで婚姻届に書かれた文字のように。

「私は夫君の故郷へ行って、正式に祝言をあげるところ。道中であまり詮索されるのは、どうかお控えいただきたいわ。」

  武士の目がかすかに動いた。

「ご主人殿は……?」

  視線が柳澈涵に移る。

  柳澈涵はその視線を受け、自然な所作で一礼した。

「拙者、澄原龍立と申す。家の者から急き立てられておりましてな。ゆっくりしておられません。もしお手前が改めたいと仰るなら、婚礼を済ませたのち、こちらからご挨拶に伺いましょう。」

  “後日、こちらから伺う”という一言で、「今ここで問い詰める」行為は礼に反することになる。これ以上食い下がれば、無作法なのは相手の方だ。

  武士はやはり、笑って退いた。

「それはそれは。道中お気をつけて。末永くお幸せに。」

  二人の背が遠ざかるのを見届けて、ようやく弥助が大きく息を吐いた。

「奥方様……今の一言、門をぱたんと閉めるみたいでした。」

  八重美は眉をひょいと上げる。

「門は本来、閉めるためにあるのよ。開けっぱなしにしておいて、人に鍋の中身まで覗かせておいて、それで落ち着いて食べられると思う?」

  そう言うと、わざとらしく弥助の方へ笑いかけた。

「あなたもいつか嫁をもらうときは、ちゃんと“門を閉められる女”を選びなさい。」

  弥助は耳まで真っ赤になり、言葉にならない声をもごもごさせるだけだ。

  柳澈涵は淡々と口を挟んだ。

「からかうな。まだ骨が伸びている最中だ。」

  八重美は一瞬、きょとんとした。

  柳澈涵が弥助の言葉を遮ることはあっても、その身を庇うような調子で口を挟むことは少ない。そのひとことに、彼女の中の本当の好意が、指先で軽く触れられたように静かに明るんだ。

  その夜は熱田近くに泊まった。外には神社の灯りが遠く瞬き、闇の中で誰かが見守っているようでもあった。

  弥助は庭でひとり木刀を振る。

  ぎこちないが、真剣だ。一太刀ごとに、昼間飲み込んだ息を叩き出そうとしている。

  柳澈涵は縁側からしばらくその様子を眺めていたが、やがて段を下りた。

  長々とした口出しはしない。ただ、弥助の手首をそっと内側へと押した。

「握りが強すぎる。」

  次に弥助のつま先を半歩だけ外へ向ける。

「足がまっすぐすぎる。」

  最後に肩に指先で軽く触れた。

「肩を上げるな。上げた瞬間、お前の負けだ。」

  三言は三本の釘のようだった。それだけで弥助の構えが、わずかだが確かに変わる。

  八重美はそれを見ながら、ふと呟いた。

「夫君の教え方、針打ちみたいね。針の数は多くないのに、どれも急所。」

  柳澈涵は淡々と返した。

「針が多ければ、かえって気を乱す。」

  八重美は口元を少し意地悪そうにゆがめる。

「じゃあ、私には?夫君はどこに三本、刺してくれる?」

  柳澈涵は彼女を一瞥した。その視線は短いが、頭のてっぺんから足の先まで一度で測るような眼だった。

「お前に針は要らない。」

「要るのは、他人の尻拭いを急ぎすぎないことだけだ。」

  八重美は一瞬、言葉を失い、すぐに笑みを引っ込めた。

  それは甘い言葉ではない。だが、自分がいつもやってしまうこと、そしてなかなかやめられないことを、まっすぐ見透かしている言葉だった。

  彼女は急に、真顔で言った。

「私があなたについて行こうと思ったのはね、あなたが勝てるからじゃない。」

  そこで言葉を切り、夜風に紛れるほどの声で続ける。

「“残せる”からよ。命を残す。道を残す。人の顔を潰さずに済む形を残す。京みたいなところで、自分の体面まで守り切れる人なんて、ほとんどいないんだから。」

  柳澈涵は、彼女の言葉に情を返すことはしなかった。

  ただ、遠くの灯りへと目をやる。灯りは清州へ続く見えない道のように、夜の中で静かに揺れている。
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