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第八話 越えさせない「その壁」
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午後一時。社員食堂。
澄原グループの社員食堂は、広さこそあるが、その中央を、冷たい鉄柵と太い黒い警戒ラインが真っ二つに分断していた。
左側は広々として明るく、和牛食べ放題と寿司カウンターまで備えた「正社員エリア」。
右側は狭く詰め込まれ、冷えたパンと安い定食しかない「派遣社員エリア」。
グレーの制服を着た派遣社員たちは、囚人のように列を作らされ、正社員エリアの設備に触れることすら禁じられていた。
この「壁」は、総務部長・権田毅の「作品」である。
典型的な「番犬」である彼は、上には卑屈で、下――特に派遣労働者には容赦がない。
人前でよくこう言っていた。
「これが身分の違いってやつだ! あいつらみたいな臨時工にはっきり見せてやるんだよ。死ぬ気で這い上がらない限り、温かい飯は食えないってな!」
その日の昼も、鈴木彩音は辱めを受けていた。
総務部の何でも屋として働く派遣社員の彼女は、たまたま「正社員専用」の給水器コーナーに足を踏み入れてしまった。
それだけの理由で、権田に十分間も公開説教を食らい、その日の賃金を丸ごと差し引くと言い渡されたのである。
「お前みたいな下等な身分のやつは、飲み水まで二級品なんだよ。」
権田は、あからさまな嘲りを混ぜて言った。
鈴木は、「灰色ゾーン」の片隅にしゃがみ込み、冷たいパンを黙々とかじっていた。
誰よりも働き、誰よりも器用に現場を回しているのに、灰色の制服は、消せない烙印のように、彼女をいつまでも「下」に押しとどめる。
そのときだった。
灰色の制服を着た一団が、鉄柵に向かって歩いてきた。
先頭に立っているのは、澄原龍立。
彼だけではない。佐久間、吉岡、工藤、里中――特命準備室のメンバー全員が、わざわざ総務部から借りてきた、サイズも合わない灰色の派遣制服を身にまとっている。
食堂中が凍り付いた。
正社員たちは箸を置き、派遣社員たちは咀嚼を止める。
「権田部長の理屈だと、この制服を着ている者は、冷たいパンしか口にできないらしい。」
龍立は鉄柵の前で立ち止まり、よく通る声で、それでいて淡々と告げる。
「だが、俺はあえて、あっちの和牛を食べたい。」
総務部長・権田毅が、部下を引き連れて血相を変えて飛んでくる。
脂ぎった顔が、怒りと恐怖で揺れていた。
「止まりなさい! 三少爷! 何をしているんですか! これは社内規定です! あちらは正社員専用エリア、灰色の制服を着た下級の者が入ってはならん! 士気維持のためだ!」
「下級?」
龍立は、震えながらも声を上げられない派遣社員たちを見渡し、それから冷たい鉄柵を見た。
「いちばんきつい仕事をこなし、いちばん低い賃金で働き、それでも温かい飯を食べさせてもらえない人間を、『士気』の名で踏みつける。」
「立派な理念だな。」
龍立は、鍵のかかった鉄の扉の前まで歩く。
「開けろ。」
短い命令。
「開けません!」
権田は、規則という鎧をまとったことで、妙な勇気を得ていた。
「これは階層を守るためです! みんなに向上心を持たせる仕組みなんです!」
「なるほど。素晴らしい“向上心”だ。」
龍立は、軽くうなずく。
そして振り返り、近くの防火設備のボックスから、真っ赤な消防斧を取り出した。
食堂全体から、どよめきと悲鳴が上がる。
権田は数歩後ろに跳ね退き、斧を構えた龍立を指差して叫ぶ。
「何をする気だ! 暴力だぞ! 犯罪だ!」
「違う。」
龍立は、斧を持ち替えながら、冷ややかに告げる。
「消防法第三十一条――多数の人間が集まる場所の避難路に、固定された障害物を設置することは厳禁だ。」
「権田部長。避難経路上に壁を作っているのは、社員全員を焼き殺すつもりか?」
言い終わるや否や。
ガンッ。
真っ赤な斧が、鉄柵の錠前に叩きつけられた。
火花が飛び散る。
ガン、ガン。
三度目の衝撃で、「階級」を象徴していた鉄の扉は、見事に歪み、崩れ落ちる。床に叩きつけられた衝撃で、砂埃が舞い上がった。
「壁が、なくなった。」
龍立は斧を放り投げ、倒れた鉄柵を踏み越えて、鈴木の前に手を差し出す。
「行こう、鈴木。」
「和牛を食べに」
鈴木の手が、震えながらその手を握る。
彼女は、これまで心の中で山のようにそびえていた境界線を、初めて一歩で越えた。
その瞬間。
あの倒れた鉄の壁と同じものが、無数の派遣社員の胸の中でも轟音とともに崩れ落ちた。
涙をにじませながら、灰色の制服を着た人々が次々と、倒壊した柵を踏み越え、「正社員エリア」へと雪崩れ込む。
その日の食堂には、嵐のような拍手が鳴り響いた。
権田は、その場に崩れ落ちる。
自分が築き上げてきた「王国」が、今まさに終わったことを悟って。
特命準備室 メンバー:六名。
新たな仲間――
【チーフ・オペレーション・オフィサー(COO)】鈴木彩音。
澄原グループの社員食堂は、広さこそあるが、その中央を、冷たい鉄柵と太い黒い警戒ラインが真っ二つに分断していた。
左側は広々として明るく、和牛食べ放題と寿司カウンターまで備えた「正社員エリア」。
右側は狭く詰め込まれ、冷えたパンと安い定食しかない「派遣社員エリア」。
グレーの制服を着た派遣社員たちは、囚人のように列を作らされ、正社員エリアの設備に触れることすら禁じられていた。
この「壁」は、総務部長・権田毅の「作品」である。
典型的な「番犬」である彼は、上には卑屈で、下――特に派遣労働者には容赦がない。
人前でよくこう言っていた。
「これが身分の違いってやつだ! あいつらみたいな臨時工にはっきり見せてやるんだよ。死ぬ気で這い上がらない限り、温かい飯は食えないってな!」
その日の昼も、鈴木彩音は辱めを受けていた。
総務部の何でも屋として働く派遣社員の彼女は、たまたま「正社員専用」の給水器コーナーに足を踏み入れてしまった。
それだけの理由で、権田に十分間も公開説教を食らい、その日の賃金を丸ごと差し引くと言い渡されたのである。
「お前みたいな下等な身分のやつは、飲み水まで二級品なんだよ。」
権田は、あからさまな嘲りを混ぜて言った。
鈴木は、「灰色ゾーン」の片隅にしゃがみ込み、冷たいパンを黙々とかじっていた。
誰よりも働き、誰よりも器用に現場を回しているのに、灰色の制服は、消せない烙印のように、彼女をいつまでも「下」に押しとどめる。
そのときだった。
灰色の制服を着た一団が、鉄柵に向かって歩いてきた。
先頭に立っているのは、澄原龍立。
彼だけではない。佐久間、吉岡、工藤、里中――特命準備室のメンバー全員が、わざわざ総務部から借りてきた、サイズも合わない灰色の派遣制服を身にまとっている。
食堂中が凍り付いた。
正社員たちは箸を置き、派遣社員たちは咀嚼を止める。
「権田部長の理屈だと、この制服を着ている者は、冷たいパンしか口にできないらしい。」
龍立は鉄柵の前で立ち止まり、よく通る声で、それでいて淡々と告げる。
「だが、俺はあえて、あっちの和牛を食べたい。」
総務部長・権田毅が、部下を引き連れて血相を変えて飛んでくる。
脂ぎった顔が、怒りと恐怖で揺れていた。
「止まりなさい! 三少爷! 何をしているんですか! これは社内規定です! あちらは正社員専用エリア、灰色の制服を着た下級の者が入ってはならん! 士気維持のためだ!」
「下級?」
龍立は、震えながらも声を上げられない派遣社員たちを見渡し、それから冷たい鉄柵を見た。
「いちばんきつい仕事をこなし、いちばん低い賃金で働き、それでも温かい飯を食べさせてもらえない人間を、『士気』の名で踏みつける。」
「立派な理念だな。」
龍立は、鍵のかかった鉄の扉の前まで歩く。
「開けろ。」
短い命令。
「開けません!」
権田は、規則という鎧をまとったことで、妙な勇気を得ていた。
「これは階層を守るためです! みんなに向上心を持たせる仕組みなんです!」
「なるほど。素晴らしい“向上心”だ。」
龍立は、軽くうなずく。
そして振り返り、近くの防火設備のボックスから、真っ赤な消防斧を取り出した。
食堂全体から、どよめきと悲鳴が上がる。
権田は数歩後ろに跳ね退き、斧を構えた龍立を指差して叫ぶ。
「何をする気だ! 暴力だぞ! 犯罪だ!」
「違う。」
龍立は、斧を持ち替えながら、冷ややかに告げる。
「消防法第三十一条――多数の人間が集まる場所の避難路に、固定された障害物を設置することは厳禁だ。」
「権田部長。避難経路上に壁を作っているのは、社員全員を焼き殺すつもりか?」
言い終わるや否や。
ガンッ。
真っ赤な斧が、鉄柵の錠前に叩きつけられた。
火花が飛び散る。
ガン、ガン。
三度目の衝撃で、「階級」を象徴していた鉄の扉は、見事に歪み、崩れ落ちる。床に叩きつけられた衝撃で、砂埃が舞い上がった。
「壁が、なくなった。」
龍立は斧を放り投げ、倒れた鉄柵を踏み越えて、鈴木の前に手を差し出す。
「行こう、鈴木。」
「和牛を食べに」
鈴木の手が、震えながらその手を握る。
彼女は、これまで心の中で山のようにそびえていた境界線を、初めて一歩で越えた。
その瞬間。
あの倒れた鉄の壁と同じものが、無数の派遣社員の胸の中でも轟音とともに崩れ落ちた。
涙をにじませながら、灰色の制服を着た人々が次々と、倒壊した柵を踏み越え、「正社員エリア」へと雪崩れ込む。
その日の食堂には、嵐のような拍手が鳴り響いた。
権田は、その場に崩れ落ちる。
自分が築き上げてきた「王国」が、今まさに終わったことを悟って。
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