カナダに追放された財閥の三男が帰国しました:父が「搾取は伝統だ」と言うので、「あらゆる手段」を使ってこの1兆円規模のブラック巨艦を完全ホワイ

RyuChoukan

文字の大きさ
9 / 161

第九話 「断頭台」と呼ばれる男

しおりを挟む
 「壁ぶち抜き事件」から二時間後。

 場所は三十二階・特命準備室。

 本来なら「食堂革命」の勝利を祝っているはずのこの部屋は、今や息が詰まるような冷気に支配されていた。

 警察も、検察もいない。

 澄原龍立の前に立っているのは、塵一つ付いていない黒いスーツに身を包み、胸に「内部監査」のバッジを付けた男たちだった。

 その先頭に立つ男は、五十前後。髪は一本たりとも乱れを許さぬほどきっちり撫で付けられ、銀縁の眼鏡の奥の視線は、まるでメスのように冷たい。

 葛城宗一郎。

 澄原グループ首席コンプライアンス責任者(CCO)。社内では、全ての役員を震え上がらせるあだ名を持っている──「断頭台」。

彼には血縁も情も通用しない。信じるのはルールだけだ。長兄・龍仁でさえ、経費精算書の小数点を一つ打ち間違えただけで、容赦なく差し戻されたという噂がある。

「澄原龍立室長」

葛城の声には、抑揚というものが一切ない。まるで判決文を朗読しているかのようだった。

「内部告発に基づき、特命準備室が巨額の資金(一人当たり五十万円)を用いて社内の人心を買収し、『グループ従業員倫理規定』第十八条──社内における利益供与および派閥結成の禁止──に重大に違反した疑いがある」

「加えて、あなたの暴力的破壊行為(社員食堂の柵の破壊)および、最近相次いで露呈した役員不祥事の一連の引き金となった行動は、『ハイリスク経営行為』と認定された」

葛城は手にしていたファイルをぱたんと閉じる。その音が、やけに澄んで響いた。

「取締役会の権限に基づき、直ちに特命準備室の全ての権限を凍結する。全員停職。コンプライアンス審査を受けてもらう」

龍立の背後に立つ佐久間拓也の顔から血の気が引いた。吉岡俊介の指先は、かすかに震えている。ついさっき仲間入りしたばかりの鈴木彩音などは、怯えきって言葉も出ない。

彼らは、次兄のような「悪い大人」は怖くない。だが、葛城のように「絶対正義」と「ルール」を体現する怪物の前では、どうしようもない無力感に襲われるのだ。

二十八階の専務室では、その様子がモニター越しに映し出されていた。

龍雅は、口元に残酷な笑みを浮かべる。

「ふん……葛城の刃を借りて人を斬る。龍立、お前はもう終わりだ。あの融通の利かない石頭は、親父の顔でさえ立てたりはしねえ」

だが、嵐の真ん中に立つ龍立の表情は、異様なほど静かだった。

彼は優雅にコーヒーカップを取り上げ、一口含む。

「人心を買収、ですか」

カップを置くと、ソーサーに小さな音が鳴る。

「葛城部長。そのお金の性質について、根本的な誤解をされているようですね」

「誤解だと?」

葛城は冷ややかに眼鏡を押し上げる。

「帳簿によれば、あなたは空港での一件の後、三十名の従業員に対して一人五十万円を支給している。どの監査人の目から見ても、これは紛れもない賄賂だ」

「いいえ」

龍立は、机の引き出しから一枚の書類を取り出し、葛城の前に滑らせた。

全員がスマホアプリ上でタップしていた「入金確認」の電子レシートだ。

「ここに記載されている、入金用途の説明をご覧ください」

葛城は視線を落とし、細かな文字を追った。

入金用途:コンプライアンス協力金

説明:業務時間外に強制された接待業務に対する補償、および上位者による「強制労働」違反命令の証拠(録音・メール・シフト表)提供に対する証拠収集費。

葛城の眉が、ほんのわずかにぴくりと動いた。

「葛城部長。あなたはコンプライアンスの神様だ。私よりもはるかによくご存知のはずです」

龍立は立ち上がり、燃えるような視線で葛城を見据えた。

「あの夜、専務室からの違法な指示で、三十人の社員が業務時間外に空港へ駆り出され、肉体労働を強いられた。しかも残業代はゼロ。これは『労働基準法』違反です」

「私が支払った五十万円は、人を買ったのではない。彼らの手元にある『違法な強制労働』の証拠──録音やメールやシフト表──を買ったのです」

「私はグループ内部の腐敗の証拠を集め、風紀を立て直すために動いたに過ぎません」

龍立は、無防備なほど隙のない笑みを浮かべした。

「お伺いします、葛城部長。特命準備室長として、コンプライアンス情報の取得に資金を投じ、会社の法的リスクを守る──これは、私の職務そのものではありませんか?」

静寂。

葛城の背後に並ぶ監査員たちは、互いに顔を見合わせた。

ロジックの輪は、あまりに完璧だった。龍立は「人」を買ったのではなく、「証拠」を買った。金を受け取った者は「同じ穴のムジナ」ではなく、「内部協力者」「証人」という立場に変わる。

法理上、これは完全に成立してしまう。

葛城は十秒近く沈黙した。

やがて顔を上げ、その目に、ごく微かな賞賛の光を宿した。しかし、その光は一瞬にして氷のような無機質な冷たさに戻る。

「資金の使途がコンプライアンス上許容されるとしても──」

葛城は二枚目のファイルを取り出した。

「では、最近あなたが引き起こした一連の混乱はどう説明する?」

「システム部、営業部、宣伝部、総務部……この一週間で、あなたは四人の部長クラスを相次いで失脚させた。彼らに非があったのは事実だとしても、そのような『自爆型の暴露』は、グループの株価の安定を著しく脅かす行為だ」

「株価が下落すれば、あなたは社長との賭けに敗れることになる」

株価という言葉に、佐久間の心臓がぎゅっと縮む。そこだけは、確かに彼らの弱点だった。

「株価、ですか」

龍立は笑った。指を鳴らす。

「吉岡。今日の株価チャート、出してくれ」

モニターが点灯する。

そこには、わずかに右肩上がりの赤いラインが映し出されていた。

澄原グループ:+0.32%

「あり得ない……」

一人の監査員が思わず声を上げる。

「これだけ不祥事が連発しているのに、株価が下がるどころか、むしろ上がっているだと?」

「不祥事が表面化するたびに、私は必ず『相殺するための好材料』を同時に出しています」

龍立は画面に近づき、ニュースのピンをなぞる。

「鬼瓦の接待費横領を暴いたときには、『新しい透明性の高い購買システム導入』を同時に発表しました。市場は『悪材料出尽くし、マネジメント刷新』と受け取る」

「西園寺の盗作騒動の際には、『グローバルブランド再構築プロジェクト』と、里中静香による新デザインを公開した。市場の目に映るのは『新たな天才デザイナーの登場』です」

「そして今日の食堂の件……」

龍立は、葛城に視線を戻す。

「今、SNSのトレンドはこうです。『#澄原グループ、階級の壁をぶち壊す』『#派遣社員にも目を向ける良心企業』」

「葛城部長。資本市場が恐れるものは、不祥事そのものではない。彼らが本当に恐れるのは、『隠蔽』と『無能』です」

「私は今、投資家にこう示している。澄原グループには、自らを浄化する強力なシステムがある、と」

ぱたん。

葛城はファイルを全て閉じた。

背後の監査員たちは、もはや言葉を失っていた。この男は、法的リスクと市場の反応を、一手先どころか十手先まで読み切っている。

「見事だ」

ようやく葛城が口を開く。

「やり方は乱暴だが、法理とビジネスロジックの上では、あなたに『有罪』を貼ることはできない」

彼は軽く手を振った。

「封鎖を解け。警戒レベルを解除する」

監査員たちは素早く機材を片付け、部屋を後にした。

佐久間や工藤たちは、へなへなとその場にへたり込み、心底ほっとした表情で互いに顔を見合わせる。

それでも、葛城はその場を去らなかった。

彼は出口まで歩きかけ、ふと足を止めると、ゆっくりと振り返る。その目は、龍立を深く射抜いていた。

「三男坊」

葛城は珍しく、血の通った呼び方をする。

「今回は、確かに君の勝ちだ。だが、忠告しておかなければならない」

「君が『遊休資産活用条例』を利用して、このフロアを占拠したこと──あれは合法だ。だが、あまりにも“見苦しい”」

「私はルールの番人だ。抜け穴が見つかれば、塞がねばならない」

葛城はポケットから、真っ赤な表紙の新しい通達文を取り出し、机の上に置く。

「明日付で、取締役会は『遊休資産の臨時占用権』を廃止する。特命準備室は三ヶ月以内に三十二階から退去しなければならない。ただし──」

「ただし?」

「ただし、君がこのフロアの賃料に見合うだけの『プラスの利益』を生み出せると証明できれば話は別だ」

葛城の視線が鋭くなる。

「来月、グループ子会社の四半期決算会議がある」

「取締役会からの伝言だ。──『ネズミを捕まえるだけなら誰にでもできる。本当に評価に値するのは、利益を生むネズミ取りだ』」

「長年赤字を垂れ流している子会社を、一つでいい。黒字転換してみせろ。このフロアは正式に君のものになる」

「できなければ、『経営不振』を理由に特命準備室は解体だ」

そう言い残し、葛城はきっちりと一礼し、背を向けた。

「断頭台」と呼ばれる男は、龍立の首を落とすことはしなかった。

だが代わりに、もっと重い枷──「収益」という名の鎖を、その首にかけていった。

特命準備室は、一斉に悲鳴に包まれる。

「り、利益ぃ……?」

工藤孝太は頭を抱え込んだ。

「俺たちって改革担当部署でしょ? そもそも火消しと仕組み作りが仕事で、基本“コストセンター”なんですけど!? どうやって稼げっていうんだよ!」

「よりによって、赤字子会社の再建か……」

吉岡俊介は眼鏡を押し上げる。

「ああいう所って、大抵どうしようもない不良資産の巣窟ですよ。神様だって嫌がりますよ、あれは」

龍立は、葛城が残していったファイルを手に取った。

そこには、今回の「公開処刑」の対象が記されている。

【澄原重工・第三精密加工工場】

状態:五年連続赤字。

備考:強大な「旧来型労組」と、頑固な「職人集団」が存在。

「澄原重工……」

佐久間は息を呑む。

「あそこはグループの原点であり、最大の“鬼門”ですよ。あそこの年配の職人たちは、社長の顔だって平気で潰します。歴代工場長の何人も、奴らに追い出されてきたんです」

「『昭和の遺物』って呼ばれてて、あらゆる改革者の墓場ですよ」

全員が龍立を見つめる。その表情を待っている。

龍立は、真っ赤な赤字の列が並ぶ損益計算書を眺め……その目に、かつてない光を宿した。

「墓場?」

龍立は、ふっと笑う。

「いや──」

「宝の山だ」

「荷物をまとめろ、諸君。次の目的地は──」

龍立は、錆びついた鉄と油の匂いのする未来を見据えながら、宣言した。

「ハンマーを握るオジサンたちと、『これからの時代』について、じっくり語り合いに行く」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

静かに過ごしたい冬馬君が学園のマドンナに好かれてしまった件について

おとら@ 書籍発売中
青春
この物語は、とある理由から目立ちたくないぼっちの少年の成長物語である そんなある日、少年は不良に絡まれている女子を助けてしまったが……。 なんと、彼女は学園のマドンナだった……! こうして平穏に過ごしたい少年の生活は一変することになる。 彼女を避けていたが、度々遭遇してしまう。 そんな中、少年は次第に彼女に惹かれていく……。 そして助けられた少女もまた……。 二人の青春、そして成長物語をご覧ください。 ※中盤から甘々にご注意を。 ※性描写ありは保険です。 他サイトにも掲載しております。

【完結】元ゼネコンなおっさん大賢者の、スローなもふもふ秘密基地ライフ(神獣付き)~異世界の大賢者になったのになぜか土方ばかりしてるんだがぁ?

嘉神かろ
ファンタジー
【Hotランキング3位】  ゼネコンで働くアラフォーのおっさん、多田野雄三は、ある日気がつくと、異世界にいた。  見覚えのあるその世界は、雄三が大学時代にやり込んだVR型MMOアクションRPGの世界で、当時のキャラの能力をそのまま使えるらしい。  大賢者という最高位職にある彼のやりたいことは、ただ一つ。スローライフ!  神獣たちや気がついたらできていた弟子たちと共に、おっさんは異世界で好き勝手に暮らす。 「なんだか妙に忙しい気もするねぇ。まあ、楽しいからいいんだけど」

追放されたS級清掃員、配信切り忘れで伝説になる「ただのゴミ掃除」と言って神話級ドラゴンを消し飛ばしていたら世界中がパニックになってますが?

あとりえむ
ファンタジー
【5話ごとのサクッと読める構成です!】全60話 完結しました。読者の皆様ありがとうございます! 世界を救ったのは、聖剣ではなく「洗剤」でした。 「君のやり方は古いんだよ」 不当な理由でS級クランを追放された、ベテラン清掃員・灰坂ソウジ(38歳)。 職を失った彼だったが、実は彼にはとんでもない秘密があった。 呪いのゴーグルのせいで、あらゆる怪物が「汚れ」にしか見えないのだ。 ・神話級ドラゴン  ⇒ 換気扇の頑固な油汚れ(洗剤で瞬殺) ・深淵の邪神  ⇒ トイレの配管詰まり(スッポンで解決) ・次元の裂け目  ⇒ 天井の雨漏りシミ(洗濯機で丸洗い) 「あー、ここ汚れてるな。チャチャッと落としておくか」 本人はただ業務として掃除をしているだけなのに、その姿は世界中で配信され、人類最強の英雄として崇められていく! 可愛い元ダンジョン・コアや、潔癖症の聖女も入社し、会社は今日も大忙し。 一方、彼を追放した元クランは、汚れ(モンスター)に埋もれて破滅寸前で……? 「地球が汚れてる? じゃあ、一回丸洗いしますか」 最強の清掃員が、モップ片手に世界をピカピカにする、痛快・勘違い無双ファンタジー! 【免責事項】 この物語はフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

酔っぱらったせいで、勇者パーティーを洗脳してしまった

透けてるブランディシュカ
ファンタジー
悪友のせいで酔ったら。(※重複投稿しています)仲仁へび

戦場の英雄、上官の陰謀により死亡扱いにされ、故郷に帰ると許嫁は結婚していた。絶望の中、偶然助けた許嫁の娘に何故か求婚されることに

千石
ファンタジー
「絶対生きて帰ってくる。その時は結婚しよう」 「はい。あなたの帰りをいつまでも待ってます」 許嫁と涙ながらに約束をした20年後、英雄と呼ばれるまでになったルークだったが生還してみると死亡扱いにされていた。 許嫁は既に結婚しており、ルークは絶望の只中に。 上官の陰謀だと知ったルークは激怒し、殴ってしまう。 言い訳をする気もなかったため、全ての功績を抹消され、貰えるはずだった年金もパー。 絶望の中、偶然助けた子が許嫁の娘で、 「ルーク、あなたに惚れたわ。今すぐあたしと結婚しなさい!」 何故か求婚されることに。 困りながらも巻き込まれる騒動を通じて ルークは失っていた日常を段々と取り戻していく。 こちらは他のウェブ小説にも投稿しております。

処理中です...