カナダに追放された財閥の三男が帰国しました:父が「搾取は伝統だ」と言うので、「あらゆる手段」を使ってこの1兆円規模のブラック巨艦を完全ホワイ

RyuChoukan

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第十四話 泣けない人形

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    時間:九十日間の賭けの十八日目(工場事件から三日後)。

    場所:澄原百貨店・銀座本店。

    澄原精工がオイルの匂いと鉄の轟音に満ちた空間だとしたら、ここはその真逆だった。

空気には高級な香水の香りが薄く漂い、大理石の床は鏡のように磨き上げられている。BGMとして流れているのは、品よく抑えられたクラシック。ここは澄原グループの「顔」であり、日本のサービス業の頂点と言ってよい場所だ。

だが、特命準備室の面々を連れてエントランスを跨いだ澄原龍立が覚えたのは、心地よさではなかった。

息が詰まるような違和感だった。

完璧すぎる。

カウンターのビューティアドバイザー(BA)も、エレベーターガールも、警備員ですらも、全員がまったく同じ笑顔を貼りつけている。口角の角度は、まるで定規で測ったかのように統一されていて、正確で、眩しいほどに明るい。だがそこには、体温と呼べるものが一切なかった。

「すっげぇ……」

工藤孝太が思わず感嘆の声を漏らす。

「さすが銀座の総本店。サービスレベルが軍隊みたいっすね。」

「これはサービスじゃない。」

龍立は足を止め、少し離れた位置で一礼している店員を眺めた。

「ただの“恐怖”だ。」

視線の先には、店員の頭上に取り付けられた黒い半球型のカメラがあった。

そのとき、コツ、コツ、と高いヒールが床を叩く音が近づいてくる。

きちんと仕立てられた制服を着た管理職らしき一団が歩み寄ってきた。その先頭に立つのは、四十代ほどの女性。メイクは完璧で、冷ややかな眼差しは氷のようだ。

氷川麗子。

澄原百貨店の総支配人。二兄・龍雅派に属する幹部であり、業界では知る人ぞ知る完璧主義者だ。彼女の統治下にあるこの店は、華々しい業績の一方で、離職率が四割という異常な数字を叩き出している。

「ご来店ありがとうございます、特命準備室長。」

氷川麗子は、教本から抜け出したような完璧な角度で会釈した。身のこなしに瑕疵は一つもない。だが、声には隠そうともしない傲慢さが滲んでいる。

「先週は工場のほうで派手にやってくださったとか。でも、ここは銀座、サービス業の聖域です。ここで求められるのは、油と汗の職人魂ではなく、“絶対的な完璧さ”ですわ。」

龍立は、ふいと天井のカメラを指さした。

「その“完璧”ってやつを、あれで作っているのか。」

氷川は満足げに微笑む。

「お気づきになりましたか。あれこそ、当店が誇る《AIスマイル・モニタリングシステム》です。」

「店内五百名の従業員の表情をリアルタイムで解析し、常に“八十五度以上のスマイル”を維持するよう管理します。三秒以上規定値を下回った場合は、即座に記録され、その月のインセンティブから自動的に減点される仕組みです。」

佐久間拓也は、その説明だけで背筋が冷たくなるのを感じた。

「表情まで監視されるんですか……これ、本当に人間ですか?」

「ここで、従業員は“人間”である必要はありません。」

氷川の声音は、凍てつくように冷たかった。

「彼らは商品を引き立てるための“ツール”であり、感情価値を提供する“マシン”です。お客様がお金を払っているのは、“神様のように扱われている”という幻想そのものなのですよ。」

そのとき、広いホールの中央で小さな騒ぎが起きた。

若い女性スタッフが、客を案内している最中にふらりとよろめき、倒れかけたのだ。

百貨店きってのチーフ・コンシェルジュ――水原香織。

ポスターには「銀座の天使」と称えられた完璧な微笑みの写真が掲げられている。

だが今、龍立の目が捉えたのは、まったく別の表情だった。

水原香織はどうにか体勢を立て直したものの、無意識に胸元を押さえ、浅く早い呼吸を繰り返している。にもかかわらず、口元は機械仕掛けのように笑顔を維持したままだ。瞳には、明らかな苦痛と恐怖が浮かんでいるのに、その笑みは顔面に溶接されてしまったかのように、微動だにしない。

「スマイル・デプレッションだな。」

龍立が低く呟く。

「え?」と、里中静香が聞き返した。

「心の防衛機制は既に崩壊しているのに、筋肉の記憶だけが彼女に笑顔を強制している。あれは“助けてくれ”ってサインだ。」

龍立は、迷いなく歩き出した。

氷川麗子が眉根を寄せる。

「何をなさるおつもりです? 営業の妨げはやめていただけますか。」

龍立は一切耳を貸さず、水原香織の正面に立った。

突然、役員クラスが現れたことで、本能的に礼を尽くそうとしたのか、水原はぎこちなく一礼しようとする。

「い、いらっしゃいませ……」

その瞬間だった。

龍立が一歩、ぐいと前に出る。

長身の影が、彼女の頭上のカメラと彼女自身との間にすっぽりと割り込んだ。

巨大な影が落ちる。

たった数秒の、小さな“監視の死角”が生まれる。

龍立は、そっと彼女の手首を取った。

肌色の包帯が幾重にも巻かれている。その下に隠されているのが、無数の自傷痕であることは想像に難くない。

「もう、笑わなくていい。」

龍立は、水原の瞳を正面から見据え、静かに告げた。

「今、カメラは全部、俺の影に隠れてる。この陰の中では、君は機械である必要はない。」

水原はぽかんと彼を見上げた。

その一言は、彼女の顔に貼りついた仮面を打ち砕く槌だった。

口元がびくりと震え、ひくつく。

次の瞬間、堰を切ったように涙が頬を伝う。

それでも、口角は反射的に上がり続ける。泣き顔のまま笑おうとするその表情は、見る者の胸を締め付けるほど痛々しかった。

「やっと、この店の“本当の表情”が見えた。」

龍立は彼女の手を放し、ゆっくりと振り向いた。視線の先には氷川麗子がいる。

「氷川総支配人。人間を機械扱いするのは、マネジメントとは呼ばない。“飼育”だ。」

「これから特命準備室がやることは、そこら中に並べられた“人形”を、“人間”に戻すことだ。」
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