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第十三話 燃える高炉と「継承」
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午後一時。
毒島平八は、最後の悪あがきを始めた。
彼は私設ガードマンに命じて工場のメインブレーカーを落とさせ、完成したばかりのバルブを工場外に出させまいと、シャッターを封鎖しようとしたのだ。
「出荷はさせんぞ!」
毒島はヒステリックな声を上げる。
「私は工場長だ! このロットには手続きの不備がある! 出荷は禁止だ!」
「手続き、ですか」
龍立は、電源の落ちた暗い工場の入口に立った。背後から射し込む陽光が、彼の影を長く引き伸ばす。
「毒島。私が何を待っていたと思います?」
「“正義”の手続きが、整うのをですよ」
その瞬間、数台の黒いセダンが工場敷地内に滑り込んできた。
今度やってきたのは特捜部ではない。澄原グループ「事業再編委員会」の車だった。
車から降りてきたのは──首席コンプライアンス責任者、葛城宗一郎。
葛城の手には、一枚の正式な人事発令書が握られている。
「毒島平八」
葛城の声は、冷たい刃のようだった。
「特命準備室から提出された証拠一式──在庫改ざん、関連会社との不透明取引、生産妨害行為──をもとに、取締役会は緊急決議を行った」
「この瞬間をもって、あなたを第三工場長職から解任する。同時に、案件を司法当局へ送致する」
葛城は手を振る。
屈強な監査員が二人、毒島の両腕を取った。抵抗する暇もなく、金属の扉の方へと引きずられていく。
「は、離せ! 俺は会社のためにやったんだ! グループの利益のために──!」
毒島は扉の枠にしがみつき、金属を爪で引っかく。神経を逆なでする音が響く。首筋の血管を浮かせ、龍立をにらみつけ、最後の悪足掻きを叫んだ。
「澄原龍立! 勘違いするなよ!」
「お前は勝ったつもりかもしれないがな──」
「この土地がいくらの価値を持っているか、わかっているのか!? ここを更地にして、あの再開発地域と一体にすれば、グループ史上最大級の利益が出るんだ!」
「お前はな、そのチャンスを全部台無しにして、この老いぼれどもとガラクタみたいな部品のために、何千億って話を潰したんだ!」
「経営を分かってないのはお前だ! 真の罪人は、澄原龍立、お前だ!!」
龍立は、少しも表情を変えなかった。監査員に顎で合図をし、拘束を一瞬緩めさせる。
ゆっくりと歩み寄り、見下ろす形で毒島を見つめる。
「何千億、ですか」
龍立は、冷笑を浮かべる。
そして、工場フロアの方──老職人と若手工員が、データ画面を囲んで議論している光景を指さした。
「毒島。あなたの視界は、足元の土しか映していない」
「この土地を売れば、大きなお金になるでしょう。だが、その金は使えば消える」
「一方、この工場で育ってきた技術を、デジタルで残し、継承していけばどうなるか」
龍立の声は、いつになく強かった。
「それは、航空宇宙にも、精密医療にも、基幹インフラにもつながる」
「国家の産業を支える“心臓部”になる」
「将来、ここから生まれる価値は、あなたの言う“何千億”どころではない。“何兆”でも足りないかもしれない」
龍立は、さらに一歩近づき、毒島を見下ろした。その目には、怒りではなく、侮蔑だけが宿っている。
「金の卵を産むガチョウをさばいて、その場で焼いて食う」
「ダイヤモンドを、ただのガラス片だと思ってゴミ箱に捨てる」
「それでいて、自分を“やり手の経営者”だと思いこんでいる」
「毒島。あなたは“罪人”ではない」
「ただの、救いようのない愚か者だ」
毒島は、一瞬言葉を失った。長年大事にしてきた「ビジネスの理屈」が、その一言で粉々に砕け散ったのだ。
「連れて行け」
龍立が姿勢を正し、冷たく命じる。
毒島は、糸の切れた操り人形のように脱力し、そのまま黒い車に押し込まれていった。二度と、叫び声を上げることはなかった。
危機は去った。
工場の電源が復旧し、機械が再び動き出す。けれどその音色は、以前とはまるで違って聞こえた。
源田鉄男が、龍立の元へ歩み寄り、油まみれの帽子を取り、深く頭を下げようとしたその時──
龍立の方が、先に手を差し出した。
「源田さん。礼は要りません」
龍立は、そのごつごつとした手をしっかりと握る。
「証明したのは、あなた方自身です」
龍立は、振り返って工場全体を見渡す。
若手工員たちは、吉岡と老職人を囲んで、測定データを覗き込みながら質問を浴びせている。
「これが改革だ」
龍立の声は、工場中に届いた。
「改革とは、老人を追い出して、無機質な機械に置き換えることじゃない」
「新しい技術に合わせて、若者が最大限の力を発揮できる場を作ることだ」
「」
「そして、デジタルの力で、職人の技を次の世代につなげていくことだ」
「新しい技術を、古い技の翼にする」
「若者のアルゴリズムに、ベテランの“魂”を読ませる」
「それが──本当の『改革』だ」
「今日この瞬間から──第三工場の名前を変える」
龍立は、はっきりと言い切る。
「【澄原精工】」
「ここを、“デジタル師弟制度”の実験場にする」
「源田さん。あなたが、その初代“総教頭”だ」
源田は、思わず背筋を伸ばした。二十歳は若返ったような顔で、胸を張る。
「わ、分かった! 任せてくれ、室長……いや……」
「いつか“社長”って呼べる日が来るのを、楽しみにしてるぜ」
一週間後。
グループ子会社四半期決算会議。
龍立は、新しい決算書をテーブルの上に滑らせた。
葛城宗一郎は、そこに記された数字を凝視する。
【澄原精工:JAXA試作オーダーの納品完了。生産効率二倍。新旧従業員の定着率一〇〇%】
葛城は、眼鏡の奥の視線を上げる。
「評価基準を満たした」
「三十二階特命準備室──存続を認める」
葛城はそう宣言した後、珍しく言葉を付け足した。
「それと──」
わずかな間を置き、続ける。
「その“デジタル師弟制度”、取締役会の関心は高い。グループ全体への展開も視野に入れて検討する価値がある」
龍立は椅子にもたれ、窓の外に見える東京タワーを眺めた。
勝ったのは、単なる利益だけではない。
人心と、未来も勝ち取った。
だが、これはまだ序章に過ぎない。
会議が終わった直後、龍立のスマホに、一通のショートメッセージが届いた。
送信者は──長兄、龍仁。
メッセージは、たった一行だった。
『工場は準備運動だ。これから君が相手にするのは──“人心の迷宮”だ』
毒島平八は、最後の悪あがきを始めた。
彼は私設ガードマンに命じて工場のメインブレーカーを落とさせ、完成したばかりのバルブを工場外に出させまいと、シャッターを封鎖しようとしたのだ。
「出荷はさせんぞ!」
毒島はヒステリックな声を上げる。
「私は工場長だ! このロットには手続きの不備がある! 出荷は禁止だ!」
「手続き、ですか」
龍立は、電源の落ちた暗い工場の入口に立った。背後から射し込む陽光が、彼の影を長く引き伸ばす。
「毒島。私が何を待っていたと思います?」
「“正義”の手続きが、整うのをですよ」
その瞬間、数台の黒いセダンが工場敷地内に滑り込んできた。
今度やってきたのは特捜部ではない。澄原グループ「事業再編委員会」の車だった。
車から降りてきたのは──首席コンプライアンス責任者、葛城宗一郎。
葛城の手には、一枚の正式な人事発令書が握られている。
「毒島平八」
葛城の声は、冷たい刃のようだった。
「特命準備室から提出された証拠一式──在庫改ざん、関連会社との不透明取引、生産妨害行為──をもとに、取締役会は緊急決議を行った」
「この瞬間をもって、あなたを第三工場長職から解任する。同時に、案件を司法当局へ送致する」
葛城は手を振る。
屈強な監査員が二人、毒島の両腕を取った。抵抗する暇もなく、金属の扉の方へと引きずられていく。
「は、離せ! 俺は会社のためにやったんだ! グループの利益のために──!」
毒島は扉の枠にしがみつき、金属を爪で引っかく。神経を逆なでする音が響く。首筋の血管を浮かせ、龍立をにらみつけ、最後の悪足掻きを叫んだ。
「澄原龍立! 勘違いするなよ!」
「お前は勝ったつもりかもしれないがな──」
「この土地がいくらの価値を持っているか、わかっているのか!? ここを更地にして、あの再開発地域と一体にすれば、グループ史上最大級の利益が出るんだ!」
「お前はな、そのチャンスを全部台無しにして、この老いぼれどもとガラクタみたいな部品のために、何千億って話を潰したんだ!」
「経営を分かってないのはお前だ! 真の罪人は、澄原龍立、お前だ!!」
龍立は、少しも表情を変えなかった。監査員に顎で合図をし、拘束を一瞬緩めさせる。
ゆっくりと歩み寄り、見下ろす形で毒島を見つめる。
「何千億、ですか」
龍立は、冷笑を浮かべる。
そして、工場フロアの方──老職人と若手工員が、データ画面を囲んで議論している光景を指さした。
「毒島。あなたの視界は、足元の土しか映していない」
「この土地を売れば、大きなお金になるでしょう。だが、その金は使えば消える」
「一方、この工場で育ってきた技術を、デジタルで残し、継承していけばどうなるか」
龍立の声は、いつになく強かった。
「それは、航空宇宙にも、精密医療にも、基幹インフラにもつながる」
「国家の産業を支える“心臓部”になる」
「将来、ここから生まれる価値は、あなたの言う“何千億”どころではない。“何兆”でも足りないかもしれない」
龍立は、さらに一歩近づき、毒島を見下ろした。その目には、怒りではなく、侮蔑だけが宿っている。
「金の卵を産むガチョウをさばいて、その場で焼いて食う」
「ダイヤモンドを、ただのガラス片だと思ってゴミ箱に捨てる」
「それでいて、自分を“やり手の経営者”だと思いこんでいる」
「毒島。あなたは“罪人”ではない」
「ただの、救いようのない愚か者だ」
毒島は、一瞬言葉を失った。長年大事にしてきた「ビジネスの理屈」が、その一言で粉々に砕け散ったのだ。
「連れて行け」
龍立が姿勢を正し、冷たく命じる。
毒島は、糸の切れた操り人形のように脱力し、そのまま黒い車に押し込まれていった。二度と、叫び声を上げることはなかった。
危機は去った。
工場の電源が復旧し、機械が再び動き出す。けれどその音色は、以前とはまるで違って聞こえた。
源田鉄男が、龍立の元へ歩み寄り、油まみれの帽子を取り、深く頭を下げようとしたその時──
龍立の方が、先に手を差し出した。
「源田さん。礼は要りません」
龍立は、そのごつごつとした手をしっかりと握る。
「証明したのは、あなた方自身です」
龍立は、振り返って工場全体を見渡す。
若手工員たちは、吉岡と老職人を囲んで、測定データを覗き込みながら質問を浴びせている。
「これが改革だ」
龍立の声は、工場中に届いた。
「改革とは、老人を追い出して、無機質な機械に置き換えることじゃない」
「新しい技術に合わせて、若者が最大限の力を発揮できる場を作ることだ」
「」
「そして、デジタルの力で、職人の技を次の世代につなげていくことだ」
「新しい技術を、古い技の翼にする」
「若者のアルゴリズムに、ベテランの“魂”を読ませる」
「それが──本当の『改革』だ」
「今日この瞬間から──第三工場の名前を変える」
龍立は、はっきりと言い切る。
「【澄原精工】」
「ここを、“デジタル師弟制度”の実験場にする」
「源田さん。あなたが、その初代“総教頭”だ」
源田は、思わず背筋を伸ばした。二十歳は若返ったような顔で、胸を張る。
「わ、分かった! 任せてくれ、室長……いや……」
「いつか“社長”って呼べる日が来るのを、楽しみにしてるぜ」
一週間後。
グループ子会社四半期決算会議。
龍立は、新しい決算書をテーブルの上に滑らせた。
葛城宗一郎は、そこに記された数字を凝視する。
【澄原精工:JAXA試作オーダーの納品完了。生産効率二倍。新旧従業員の定着率一〇〇%】
葛城は、眼鏡の奥の視線を上げる。
「評価基準を満たした」
「三十二階特命準備室──存続を認める」
葛城はそう宣言した後、珍しく言葉を付け足した。
「それと──」
わずかな間を置き、続ける。
「その“デジタル師弟制度”、取締役会の関心は高い。グループ全体への展開も視野に入れて検討する価値がある」
龍立は椅子にもたれ、窓の外に見える東京タワーを眺めた。
勝ったのは、単なる利益だけではない。
人心と、未来も勝ち取った。
だが、これはまだ序章に過ぎない。
会議が終わった直後、龍立のスマホに、一通のショートメッセージが届いた。
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