12 / 161
第十二話 〇・〇〇一ミリの「協奏曲」
しおりを挟む
翌日午前十時。
第三工場・機械加工フロア。
空気は、張り詰めていながらも熱を帯びていた。毒島平八が相変わらず「リストラだ」とわめいていても、昨夜の「倉庫の決闘」を目の当たりにした工員たちからの信頼は、完全に彼から離れていた。
今、工員たちが見つめているのは──特命準備室だった。
下請け会社のクレーム塗れだった第三工場に、新しい仕事が舞い込んでいた。
JAXA──宇宙航空研究開発機構からの特急試作オーダーだ。
新型ロケット燃料ポンプの中核をなすバルブ。
要求される精度は──誤差〇・〇〇一ミリ。
「無理だろ、こんなの」
若いNC旋盤オペレーターが図面を見て頭を抱え込んだ。
「最新の五軸マシニングセンタでも、こんな変則的な曲面の加工で誤差〇・〇〇五ミリが限界だぞ。物理的に無理なんだよ」
毒島は、すかさず鼻で笑う。
「ほら見ろ。機械でさえ届かない領域だ。あの老眼どもの手動旋盤なんかで辿り着けるわけがない」
「機械だけに任せても駄目だし、人間だけに頼っても駄目だ」
龍立が、加工ラインの中央に立った。
「じゃあ、組み合わせたらどうなる?」
彼は、源田鉄男と吉岡俊介を順番に見た。
「源田さん。あなたの手の感覚は、金で買えない。しかし、人間の感覚は体調にも感情にも左右される」
「吉岡。君のデータは正確無比だが、機械には“魂”がない」
「今日は、新しい仕事の形を試してみよう」
龍立の声は、工場中に響いた。
「名付けて──“師弟制2.0”だ」
「師弟……2.0?」
源田が目を丸くする。
吉岡は、満足そうにうなずいた。
彼は、源田が普段使っている年季物の手動旋盤に、レーザー変位センサーや熱画像カメラを次々と取り付けていく。
「源田さん」
吉岡は深く頭を下げた。
「いつも通りのやり方で構いません。僕が、リアルタイムで工具の温度と金属の微小変形をモニターします。いつ切り込むべきか、いつ引くべきか──そのタイミングを、数字でお伝えします」
「そして、隣で見ている若い連中」
龍立は、緊張気味に様子をうかがっている若手工員たちを振り返る。
「見ているだけじゃなく、学びなさい。吉岡が、源田さんの一つ一つの操作の力の入れ具合や角度を、データとして記録していく。これは、世界一贅沢な教材だ」
「始めよう」
機械が唸りを上げる。
今までに見たことのない「協奏曲」が始まった。
源田鉄男は、全身を集中の一点に絞るようにしてハンドルを握る。その額には、すぐに汗が浮かんだ。
「源田さん。工具先端の温度が三度上昇。金属の膨張予測は〇・〇〇〇二ミリ。切り込みを、ほんのわずかに弱めてください」
吉岡は画面を見つめながら、次々と指示を飛ばす。
源田は迷わない。手首を微かに振るわせ、その指示に完璧に追従する。
「すげえ……」
若手工員の佐藤は、思わず息を漏らした。
「師匠の手元って、一見適当に動いてるように見えるのに……波形を見ると、力の入り方が機械より滑らかだ」
「それが『匠』ってやつよ」
鈴木彩音が小声で答える。
「機械は、プログラムされた命令どおりにしか動けない。でも職人は、金属の『機嫌』を読むことができる。吉岡くんのセンサーは、その感覚を可視化してるの」
時計の針が進み、時間が溶けていく。
残業も、徹夜もいらない。
正午のチャイムが鳴る寸前、源田はハンドルから手を放した。
チャックの中央には、鏡のような光沢を湛えたバルブが、一つ。
吉岡はすぐにレーザー干渉計で測定を始める。
息を呑む音が、工場中から聞こえた。
「誤差……」
吉岡は、震える声で読み上げる。
「〇・〇〇〇五ミリ。JAXAが要求した精度を、上回りました」
「やったぁぁぁぁ!!」
歓声が爆発した。
若手工員の佐藤は、思わず源田の手をつかんでいた。
「師匠! 俺にも教えてください! あの波形を, 師匠みたいに滑らかにできるようになりたい!」
源田は、かつて「老害」と罵ってきた若者たちの瞳の中に、初めて憧れの光を見た。隣で汗だくになっている吉岡をちらりと見やり、照れ臭そうに笑う。
「お、おう……。こっちだって教えたいさ。教える相手がいりゃ、いくらでも教えてやる」
毒島は、上の見学台からその光景を見下ろしていた。
「熟練工は効率が悪い」という論理は、あっけなく崩壊した。
人と機械が手を取り合い、ベテランの勘と若者のデータが互いを補い合う。その姿は──彼が軽蔑してきた「古い工場」とは、まるで別物になっていた。
第三工場・機械加工フロア。
空気は、張り詰めていながらも熱を帯びていた。毒島平八が相変わらず「リストラだ」とわめいていても、昨夜の「倉庫の決闘」を目の当たりにした工員たちからの信頼は、完全に彼から離れていた。
今、工員たちが見つめているのは──特命準備室だった。
下請け会社のクレーム塗れだった第三工場に、新しい仕事が舞い込んでいた。
JAXA──宇宙航空研究開発機構からの特急試作オーダーだ。
新型ロケット燃料ポンプの中核をなすバルブ。
要求される精度は──誤差〇・〇〇一ミリ。
「無理だろ、こんなの」
若いNC旋盤オペレーターが図面を見て頭を抱え込んだ。
「最新の五軸マシニングセンタでも、こんな変則的な曲面の加工で誤差〇・〇〇五ミリが限界だぞ。物理的に無理なんだよ」
毒島は、すかさず鼻で笑う。
「ほら見ろ。機械でさえ届かない領域だ。あの老眼どもの手動旋盤なんかで辿り着けるわけがない」
「機械だけに任せても駄目だし、人間だけに頼っても駄目だ」
龍立が、加工ラインの中央に立った。
「じゃあ、組み合わせたらどうなる?」
彼は、源田鉄男と吉岡俊介を順番に見た。
「源田さん。あなたの手の感覚は、金で買えない。しかし、人間の感覚は体調にも感情にも左右される」
「吉岡。君のデータは正確無比だが、機械には“魂”がない」
「今日は、新しい仕事の形を試してみよう」
龍立の声は、工場中に響いた。
「名付けて──“師弟制2.0”だ」
「師弟……2.0?」
源田が目を丸くする。
吉岡は、満足そうにうなずいた。
彼は、源田が普段使っている年季物の手動旋盤に、レーザー変位センサーや熱画像カメラを次々と取り付けていく。
「源田さん」
吉岡は深く頭を下げた。
「いつも通りのやり方で構いません。僕が、リアルタイムで工具の温度と金属の微小変形をモニターします。いつ切り込むべきか、いつ引くべきか──そのタイミングを、数字でお伝えします」
「そして、隣で見ている若い連中」
龍立は、緊張気味に様子をうかがっている若手工員たちを振り返る。
「見ているだけじゃなく、学びなさい。吉岡が、源田さんの一つ一つの操作の力の入れ具合や角度を、データとして記録していく。これは、世界一贅沢な教材だ」
「始めよう」
機械が唸りを上げる。
今までに見たことのない「協奏曲」が始まった。
源田鉄男は、全身を集中の一点に絞るようにしてハンドルを握る。その額には、すぐに汗が浮かんだ。
「源田さん。工具先端の温度が三度上昇。金属の膨張予測は〇・〇〇〇二ミリ。切り込みを、ほんのわずかに弱めてください」
吉岡は画面を見つめながら、次々と指示を飛ばす。
源田は迷わない。手首を微かに振るわせ、その指示に完璧に追従する。
「すげえ……」
若手工員の佐藤は、思わず息を漏らした。
「師匠の手元って、一見適当に動いてるように見えるのに……波形を見ると、力の入り方が機械より滑らかだ」
「それが『匠』ってやつよ」
鈴木彩音が小声で答える。
「機械は、プログラムされた命令どおりにしか動けない。でも職人は、金属の『機嫌』を読むことができる。吉岡くんのセンサーは、その感覚を可視化してるの」
時計の針が進み、時間が溶けていく。
残業も、徹夜もいらない。
正午のチャイムが鳴る寸前、源田はハンドルから手を放した。
チャックの中央には、鏡のような光沢を湛えたバルブが、一つ。
吉岡はすぐにレーザー干渉計で測定を始める。
息を呑む音が、工場中から聞こえた。
「誤差……」
吉岡は、震える声で読み上げる。
「〇・〇〇〇五ミリ。JAXAが要求した精度を、上回りました」
「やったぁぁぁぁ!!」
歓声が爆発した。
若手工員の佐藤は、思わず源田の手をつかんでいた。
「師匠! 俺にも教えてください! あの波形を, 師匠みたいに滑らかにできるようになりたい!」
源田は、かつて「老害」と罵ってきた若者たちの瞳の中に、初めて憧れの光を見た。隣で汗だくになっている吉岡をちらりと見やり、照れ臭そうに笑う。
「お、おう……。こっちだって教えたいさ。教える相手がいりゃ、いくらでも教えてやる」
毒島は、上の見学台からその光景を見下ろしていた。
「熟練工は効率が悪い」という論理は、あっけなく崩壊した。
人と機械が手を取り合い、ベテランの勘と若者のデータが互いを補い合う。その姿は──彼が軽蔑してきた「古い工場」とは、まるで別物になっていた。
1
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
静かに過ごしたい冬馬君が学園のマドンナに好かれてしまった件について
おとら@ 書籍発売中
青春
この物語は、とある理由から目立ちたくないぼっちの少年の成長物語である
そんなある日、少年は不良に絡まれている女子を助けてしまったが……。
なんと、彼女は学園のマドンナだった……!
こうして平穏に過ごしたい少年の生活は一変することになる。
彼女を避けていたが、度々遭遇してしまう。
そんな中、少年は次第に彼女に惹かれていく……。
そして助けられた少女もまた……。
二人の青春、そして成長物語をご覧ください。
※中盤から甘々にご注意を。
※性描写ありは保険です。
他サイトにも掲載しております。
【完結】元ゼネコンなおっさん大賢者の、スローなもふもふ秘密基地ライフ(神獣付き)~異世界の大賢者になったのになぜか土方ばかりしてるんだがぁ?
嘉神かろ
ファンタジー
【Hotランキング3位】
ゼネコンで働くアラフォーのおっさん、多田野雄三は、ある日気がつくと、異世界にいた。
見覚えのあるその世界は、雄三が大学時代にやり込んだVR型MMOアクションRPGの世界で、当時のキャラの能力をそのまま使えるらしい。
大賢者という最高位職にある彼のやりたいことは、ただ一つ。スローライフ!
神獣たちや気がついたらできていた弟子たちと共に、おっさんは異世界で好き勝手に暮らす。
「なんだか妙に忙しい気もするねぇ。まあ、楽しいからいいんだけど」
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
戦場の英雄、上官の陰謀により死亡扱いにされ、故郷に帰ると許嫁は結婚していた。絶望の中、偶然助けた許嫁の娘に何故か求婚されることに
千石
ファンタジー
「絶対生きて帰ってくる。その時は結婚しよう」
「はい。あなたの帰りをいつまでも待ってます」
許嫁と涙ながらに約束をした20年後、英雄と呼ばれるまでになったルークだったが生還してみると死亡扱いにされていた。
許嫁は既に結婚しており、ルークは絶望の只中に。
上官の陰謀だと知ったルークは激怒し、殴ってしまう。
言い訳をする気もなかったため、全ての功績を抹消され、貰えるはずだった年金もパー。
絶望の中、偶然助けた子が許嫁の娘で、
「ルーク、あなたに惚れたわ。今すぐあたしと結婚しなさい!」
何故か求婚されることに。
困りながらも巻き込まれる騒動を通じて
ルークは失っていた日常を段々と取り戻していく。
こちらは他のウェブ小説にも投稿しております。
俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。
true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。
それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。
これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。
日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。
彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。
※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。
※内部進行完結済みです。毎日連載です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる