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第五十六話 土の中の名前
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時:秋 収穫祭
所:澄心スーパー 青果売場
“農業戦争”は、澄心の完勝で終わった。
権田は警察の捜査対象となり、全農連は世論に押され、“規格強制”を廃止した。
だが田中にとって、本当の勝利はここからだった。
田中は龍立に招かれ、東京の澄心スーパーに立っていた。
明るい売場、押し寄せる人波。
土に生きてきた老人は手足の置き場を失い、きれいな床を踏むことすら躊躇した。
「おじさん、緊張するな。」
「ここは——あなたのホームだ。」
佐久間が微笑み、田中を青果売場の中心へ案内する。
そこに並ぶのは、田中のトマト。
袋の一つ一つに大きなQRコード。
そして小さく刻まれた一行。
【生産者:群馬県嬬恋村 田中健次】
吉岡が開発した“全工程トレーサビリティ”だ。
「読んでみてください。」
佐久間はタブレットを渡す。
田中が震える手で読み取ると、画面に美しいページが開いた。
畑で働く田中の写真(佐久間が一流カメラマンを手配した)。
自然農法へのこだわり、トマトに音楽を聴かせる理由——彼の“初心”が丁寧に記されている。
そして下には、消費者の生の声が、リアルタイムで流れていた。
・「田中おじいちゃんのトマト、亡くなった祖母の味を思い出しました。ありがとう。」
・「うちの子、野菜嫌いだったのに田中さんのトマトだけは毎日食べます!」
・「どうか続けてください。これが“本当の食べ物”です。」
・「丸くなくても最高においしい。応援してます!」
それを見た瞬間——
炎天下で焼かれ続け、権力に踏まれても頭を下げなかった老農は、棚の前にしゃがみ込み、子どもみたいに泣いた。
一生、機械扱いだった。
「規格外だ」「下等労働だ」「迷惑な老害だ」そう言われ続けてきた。
初めて、誰かが言ってくれた。
——ありがとう。あなたの作物は、おいしい。
客の中に田中を見つけた人が拍手し、誰かがティッシュを差し出した。
龍立は少し離れた場所で、静かにそれを見ていた。
「尊厳だ。」
龍立は佐久間に言う。
「これが——この土地に与える、いちばんの肥料だ。」
……
澄心ホールディングス CEOオフィス
龍立はガラス窓の前に立ち、東京の繁華を見下ろす。
農業、医療、教育、メディア、物流、金融。
版図は一本の線となり、繋がった。
澄心はもう会社じゃない。巨大な生態帝国だ。
そこへ吉岡と佐久間が、複雑な顔で入ってくる。
分厚い報告書を抱えて。
「社長。」
吉岡が言い淀み、内部アンケートを差し出した。
「従業員の生活幸福度調査です。」
佐久間がため息をつく。
「天野愛さんのような中核は家を買えました。でも、若い配送ドライバー、新卒アニメーター、品出しスタッフ……彼らの幸福感は低いままです。」
「理由は?」
吉岡がデータを映す。
「家賃です。東京の家賃は直近で15%上昇。」
「賃上げの半分以上が、家主に吸われています。」
「狭くてカビたシェアハウス、二時間の通勤。彼らは言います——この街では“根”がなく、漂流しているみたいだ、と。」
龍立は窓外の摩天楼を見つめた。
コンクリートの森。
食を救っても、巣がなければ人は浮草のままだ。
「……なるほど。」
龍立の目が深くなる。
「『食』を解いた。次は——『住』か。」
「社長、まさか……」
龍立は振り返り、指で机を軽く叩く。
「俺たちには物流がある。医療がある。学校がある。娯楽がある。食がある。」
「そこに“家”が加われば——」
「会社じゃない。生活圏になる。」
龍立はスーツのボタンを留め、口角を上げた。
野心そのものの笑み。
「吉岡。東京湾岸の放棄された埋立地を洗え。いちばん大きい区画を探せ。」
「この過密の東京で家が買えないなら——俺たちが造る。」
「真面目に働く人間が、尊厳を持って暮らせる都市——澄心市を。」
「ですが……」
佐久間が釘を刺す。
「不動産は、日本でいちばん黒く、水が深い。骨までしゃぶる悪徳デベロッパーと、反社の影が……」
龍立は扉を開け、歩き出す。
「なら、掃除する。」
「行くぞ。」
「コンクリートの森に巣食う吸血鬼に——挨拶しに。」
所:澄心スーパー 青果売場
“農業戦争”は、澄心の完勝で終わった。
権田は警察の捜査対象となり、全農連は世論に押され、“規格強制”を廃止した。
だが田中にとって、本当の勝利はここからだった。
田中は龍立に招かれ、東京の澄心スーパーに立っていた。
明るい売場、押し寄せる人波。
土に生きてきた老人は手足の置き場を失い、きれいな床を踏むことすら躊躇した。
「おじさん、緊張するな。」
「ここは——あなたのホームだ。」
佐久間が微笑み、田中を青果売場の中心へ案内する。
そこに並ぶのは、田中のトマト。
袋の一つ一つに大きなQRコード。
そして小さく刻まれた一行。
【生産者:群馬県嬬恋村 田中健次】
吉岡が開発した“全工程トレーサビリティ”だ。
「読んでみてください。」
佐久間はタブレットを渡す。
田中が震える手で読み取ると、画面に美しいページが開いた。
畑で働く田中の写真(佐久間が一流カメラマンを手配した)。
自然農法へのこだわり、トマトに音楽を聴かせる理由——彼の“初心”が丁寧に記されている。
そして下には、消費者の生の声が、リアルタイムで流れていた。
・「田中おじいちゃんのトマト、亡くなった祖母の味を思い出しました。ありがとう。」
・「うちの子、野菜嫌いだったのに田中さんのトマトだけは毎日食べます!」
・「どうか続けてください。これが“本当の食べ物”です。」
・「丸くなくても最高においしい。応援してます!」
それを見た瞬間——
炎天下で焼かれ続け、権力に踏まれても頭を下げなかった老農は、棚の前にしゃがみ込み、子どもみたいに泣いた。
一生、機械扱いだった。
「規格外だ」「下等労働だ」「迷惑な老害だ」そう言われ続けてきた。
初めて、誰かが言ってくれた。
——ありがとう。あなたの作物は、おいしい。
客の中に田中を見つけた人が拍手し、誰かがティッシュを差し出した。
龍立は少し離れた場所で、静かにそれを見ていた。
「尊厳だ。」
龍立は佐久間に言う。
「これが——この土地に与える、いちばんの肥料だ。」
……
澄心ホールディングス CEOオフィス
龍立はガラス窓の前に立ち、東京の繁華を見下ろす。
農業、医療、教育、メディア、物流、金融。
版図は一本の線となり、繋がった。
澄心はもう会社じゃない。巨大な生態帝国だ。
そこへ吉岡と佐久間が、複雑な顔で入ってくる。
分厚い報告書を抱えて。
「社長。」
吉岡が言い淀み、内部アンケートを差し出した。
「従業員の生活幸福度調査です。」
佐久間がため息をつく。
「天野愛さんのような中核は家を買えました。でも、若い配送ドライバー、新卒アニメーター、品出しスタッフ……彼らの幸福感は低いままです。」
「理由は?」
吉岡がデータを映す。
「家賃です。東京の家賃は直近で15%上昇。」
「賃上げの半分以上が、家主に吸われています。」
「狭くてカビたシェアハウス、二時間の通勤。彼らは言います——この街では“根”がなく、漂流しているみたいだ、と。」
龍立は窓外の摩天楼を見つめた。
コンクリートの森。
食を救っても、巣がなければ人は浮草のままだ。
「……なるほど。」
龍立の目が深くなる。
「『食』を解いた。次は——『住』か。」
「社長、まさか……」
龍立は振り返り、指で机を軽く叩く。
「俺たちには物流がある。医療がある。学校がある。娯楽がある。食がある。」
「そこに“家”が加われば——」
「会社じゃない。生活圏になる。」
龍立はスーツのボタンを留め、口角を上げた。
野心そのものの笑み。
「吉岡。東京湾岸の放棄された埋立地を洗え。いちばん大きい区画を探せ。」
「この過密の東京で家が買えないなら——俺たちが造る。」
「真面目に働く人間が、尊厳を持って暮らせる都市——澄心市を。」
「ですが……」
佐久間が釘を刺す。
「不動産は、日本でいちばん黒く、水が深い。骨までしゃぶる悪徳デベロッパーと、反社の影が……」
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