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第五十七話 百億円の廃土
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時刻:台風「海神」通過後の早朝 07:30
場所:東京・世田谷区/老朽木造アパート前
豪雨の引いた街は、下水の逆流が吐き戻した悪臭で満ちていた。黒いマイバッハが音もなく路肩に止まり、タイヤが泥水を跳ね上げる。龍立がドアを開けて降りた。革靴が濁った水溜まりを踏み、眉間に皺が寄る。
目の前には、屋根の半分を剥がされ、壁が剥落した昭和の木造アパート。今にも倒れそうな“住処”だった。
「社長……すみません、こんな朝早く……」
声をかけたのは美咲(Misaki)。GIGAエンタメに入社してまだ半年の天才原画師で、『幻星神域』の中核を担うメインアーティストの一人だ。今は濡れきった毛布を肩に掛け、震えながら路上に立っている。胸に抱きしめるのは、命綱のように数位板(ペンタブレット)だった。
その背後では、同じく若い澄心の社員たちが、崩れかけた建物から必死に荷物を運び出している。
「どういうことだ。会社は全員に“特別住宅補助”を出したはずだろう。なぜ、こんな場所に住んでいる?」
龍立の視線は、倒壊寸前の建物に突き刺さっていた。
「金の問題じゃありません」
隣で吉岡俊介が低く答える。無奈の色が滲む声だった。
「社長、ここは東京です。大家は異様なほど選り好みする。独身女性、フリーランス、クリエイター……そういう肩書は、向こうの目には“収入が不安定”“面倒を起こす”と同義なんです」
美咲は苦く笑った。涙が雨水に混じって頬を滑る。
「お金があっても、いい部屋は借りられない……。仲介に言われました。“東京在住の連帯保証人”がいないなら、審査不要の……棺桶みたいな部屋しかないって。私たち……この街のヤドカリなんです。殻は借り物で、いつだって風と雨に追い出される」
龍立は、美咲の赤く荒れた指を見た。何十億、何百億の価値を生む手が、熱いシャワーさえ奪われている。胸の奥で、名もない火が燃え上がる。
「ヤドカリ、か……」
龍立は自分のスーツの上着を脱ぎ、美咲の肩に掛けた。
「吉岡。被災した社員全員に伝えろ。今夜から帝国ホテルのエグゼクティブスイートに入れる。費用は会社持ち。部屋が見つかるまでだ」
そして、龍立は振り向いた。眼が鋼の硬さを帯びる。
「それから――国土交通省に連絡を取れ。この見栄っ張りな街で殻が見つからないなら、俺たちで造る。誰にも追い出されない“家”をな」
……三日後。国土交通省・土地競売会場。
東京湾F区。忘れ去られた巨大な埋立工業地帯。かつて化学工場の跡地だった場所は、今や荒れ果てた廃土と化している。鬼島建設の社長・鬼島五郎は、会場の外に停めたバリケード車の中で、ふんぞり返っていた。葉巻を咥え、脂の乗った顔に勝ち誇った笑み。
この土地のために、裏社会の筋を使い、競合は脅して追い払ってある。
「社長、第四ラウンド開始です」部下が報告する。「まだ誰も入札しません。このまま最低価格の十億で――」
鬼島は煙を吐き、豪快に笑った。
「はははは!当然だろ!この土地へ入る道路は俺が造った。俺以外が買っても“虚無”だ。最後は政府が俺に泣きついて引き取らせる!」
スクリーンで競売人が槌を掲げる。
「十億円、第一回――」
その瞬間。巨大LEDが一度だけ瞬いた。赤い警告灯が点る。
【オンライン入札回線 開通】
【入札者:Blue Sky Tech(登録地:カリフォルニア)】
【入札額:五百億円】
「ぶっ――!」
鬼島は茶を噴き、葉巻が腿に落ちて悲鳴を上げた。
「五百億!? 誰が正気だ!ここには何もない!どこの阿呆が金を捨てる!」
「――俺だ」
冷たく、沈んだ声が、湾岸の風を切り裂いた。鬼島が振り向く。黒い澄心の警備車両が数十台、隊列を組んで静かに止まる。龍立が弁護士団と技術陣を引き連れ、黒雲のように歩み寄ってきた。
龍立は鬼島の怒号を無視し、バリケードの前に立つと、印刷されたばかりの電子権利証を淡々と掲げた。
「鬼島。お前みたいな地を吸う寄生虫にとっては、十億でも高いだろう。だが俺にとっては、ここが未来の“家”だ。五百億は入場券に過ぎない」
龍立は権利証を、鬼島の脂ぎった派手なシャツの胸に叩きつけた。
「――今からこの土地は澄原の姓だ。お前のゴミ車ごと、消えろ」
鬼島の頬が痙攣する。やがて、陰湿な笑みが浮かんだ。手を振る。背後から、鉄パイプを握った数百の打ち手がにじり寄った。
「いい度胸だ。澄原龍立。土地は買ったが――地図を見落としたな。ここへ通じる唯一の道路橋は、俺・鬼島建設の私有地だ」
鬼島はバリケードに足を乗せ、狼の眼で言い放つ。
「俺が首を縦に振らなきゃ、ネジ一本すら運び込めねぇ。さぁ――孤島でどうやってビルを建てる?」
場所:東京・世田谷区/老朽木造アパート前
豪雨の引いた街は、下水の逆流が吐き戻した悪臭で満ちていた。黒いマイバッハが音もなく路肩に止まり、タイヤが泥水を跳ね上げる。龍立がドアを開けて降りた。革靴が濁った水溜まりを踏み、眉間に皺が寄る。
目の前には、屋根の半分を剥がされ、壁が剥落した昭和の木造アパート。今にも倒れそうな“住処”だった。
「社長……すみません、こんな朝早く……」
声をかけたのは美咲(Misaki)。GIGAエンタメに入社してまだ半年の天才原画師で、『幻星神域』の中核を担うメインアーティストの一人だ。今は濡れきった毛布を肩に掛け、震えながら路上に立っている。胸に抱きしめるのは、命綱のように数位板(ペンタブレット)だった。
その背後では、同じく若い澄心の社員たちが、崩れかけた建物から必死に荷物を運び出している。
「どういうことだ。会社は全員に“特別住宅補助”を出したはずだろう。なぜ、こんな場所に住んでいる?」
龍立の視線は、倒壊寸前の建物に突き刺さっていた。
「金の問題じゃありません」
隣で吉岡俊介が低く答える。無奈の色が滲む声だった。
「社長、ここは東京です。大家は異様なほど選り好みする。独身女性、フリーランス、クリエイター……そういう肩書は、向こうの目には“収入が不安定”“面倒を起こす”と同義なんです」
美咲は苦く笑った。涙が雨水に混じって頬を滑る。
「お金があっても、いい部屋は借りられない……。仲介に言われました。“東京在住の連帯保証人”がいないなら、審査不要の……棺桶みたいな部屋しかないって。私たち……この街のヤドカリなんです。殻は借り物で、いつだって風と雨に追い出される」
龍立は、美咲の赤く荒れた指を見た。何十億、何百億の価値を生む手が、熱いシャワーさえ奪われている。胸の奥で、名もない火が燃え上がる。
「ヤドカリ、か……」
龍立は自分のスーツの上着を脱ぎ、美咲の肩に掛けた。
「吉岡。被災した社員全員に伝えろ。今夜から帝国ホテルのエグゼクティブスイートに入れる。費用は会社持ち。部屋が見つかるまでだ」
そして、龍立は振り向いた。眼が鋼の硬さを帯びる。
「それから――国土交通省に連絡を取れ。この見栄っ張りな街で殻が見つからないなら、俺たちで造る。誰にも追い出されない“家”をな」
……三日後。国土交通省・土地競売会場。
東京湾F区。忘れ去られた巨大な埋立工業地帯。かつて化学工場の跡地だった場所は、今や荒れ果てた廃土と化している。鬼島建設の社長・鬼島五郎は、会場の外に停めたバリケード車の中で、ふんぞり返っていた。葉巻を咥え、脂の乗った顔に勝ち誇った笑み。
この土地のために、裏社会の筋を使い、競合は脅して追い払ってある。
「社長、第四ラウンド開始です」部下が報告する。「まだ誰も入札しません。このまま最低価格の十億で――」
鬼島は煙を吐き、豪快に笑った。
「はははは!当然だろ!この土地へ入る道路は俺が造った。俺以外が買っても“虚無”だ。最後は政府が俺に泣きついて引き取らせる!」
スクリーンで競売人が槌を掲げる。
「十億円、第一回――」
その瞬間。巨大LEDが一度だけ瞬いた。赤い警告灯が点る。
【オンライン入札回線 開通】
【入札者:Blue Sky Tech(登録地:カリフォルニア)】
【入札額:五百億円】
「ぶっ――!」
鬼島は茶を噴き、葉巻が腿に落ちて悲鳴を上げた。
「五百億!? 誰が正気だ!ここには何もない!どこの阿呆が金を捨てる!」
「――俺だ」
冷たく、沈んだ声が、湾岸の風を切り裂いた。鬼島が振り向く。黒い澄心の警備車両が数十台、隊列を組んで静かに止まる。龍立が弁護士団と技術陣を引き連れ、黒雲のように歩み寄ってきた。
龍立は鬼島の怒号を無視し、バリケードの前に立つと、印刷されたばかりの電子権利証を淡々と掲げた。
「鬼島。お前みたいな地を吸う寄生虫にとっては、十億でも高いだろう。だが俺にとっては、ここが未来の“家”だ。五百億は入場券に過ぎない」
龍立は権利証を、鬼島の脂ぎった派手なシャツの胸に叩きつけた。
「――今からこの土地は澄原の姓だ。お前のゴミ車ごと、消えろ」
鬼島の頬が痙攣する。やがて、陰湿な笑みが浮かんだ。手を振る。背後から、鉄パイプを握った数百の打ち手がにじり寄った。
「いい度胸だ。澄原龍立。土地は買ったが――地図を見落としたな。ここへ通じる唯一の道路橋は、俺・鬼島建設の私有地だ」
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