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第九十四話 「見えない壁」
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時刻:一か月後・初公判日
場所:東京地方裁判所・第1刑事法廷
法廷は満席だった。
“澄心社員殺人事件”は、メディアにより格好の餌として肥大化し、人々は“英雄企業の社員は本当に殺したのか”という血の匂いを嗅ぎに来た。空気に混ざるのは、嗜虐的な興奮。
三上弁護士は弁護席に立つ。
今日はあの派手なシャツではない。少し古いが、きっちりとアイロンの入った黒い法服。胸には金色のひまわりの徽章。五年前、検察に嵌められ追放されて以来、初めて法廷で身につけた。
対するのは、鬼頭検察官。鬼頭は三上を一瞥すらしない。勝ちが決まっている、という顔だった。
そして法壇の上――堀田裁判官。五十代。“無罪を出したことがない”と噂される、司法機構の忠実な門番。
「被告人清水は、X月X日、被害者宅に侵入し、強盗の上、被害者を殺害し――」
鬼頭は起訴状を朗々と読み上げる。抑揚は巧みで、まるで現場を目撃したかのような説得力を装っていた。
「異議あり!」
三上が跳ねるように立つ。手には分厚いデータ媒体。
「裁判長! 被告人には絶対的なアリバイがあります! 澄心物流のバックエンドGPSログを復元しました。犯行時刻は14:30。ログは明確です。清水のバイクは現場付近に停止していましたが、本人は現場から500メートル離れた公園のベンチで、別の顧客に受け取り確認の電話をしている。通話は5分間。これは“物証”です!」
法廷がざわめく。本当なら、事件はそこで終わる。しかし堀田裁判官は、まぶたすら上げない。眼鏡を押し上げ、氷の声で告げた。
「弁護人、言葉を慎みなさい。GPSには誤差があり、電子記録は改竄の恐れがある。澄心グループは技術企業であり、自社提出データの信用性には疑義がある。却下」
三上は固まった。偏見ではない。これは、開き直りだ。
「ならば目撃証言は?!」三上の額に血管が浮く。「隣のコンビニ店員は、予審で“スーツ姿の男が路地を走り抜けた”と述べています。清水の配達制服ではありません!」
「店員は視力が良くない。夜間で記憶が混同する可能性がある。また、当該店員は後に供述を変更している。……却下」
「指紋は? 凶器に清水の指紋がない!」
「手袋をしていたのだろう。却下」
却下。却下。却下。見えない壁が、すべてを跳ね返す。
これが“精密司法”の現実だった。有罪率99.9%を守るため、裁判官と検察官は暗黙の共同体になっている。被告が一度“自白”すれば、あとは結論へ向かう工程を淡々と踏むだけだ。証拠が穴だらけでも、裁判官は“自由心証”で穴を塞ぐ。
審理が終わった。判決はまだでも、誰もが理解した――清水は“終わっている”。
連行される清水が、傍聴席を振り返る。祖母が車椅子に座っていた。手を伸ばそうとした瞬間、心臓の発作で崩れ落ち、救急搬送される。
廊下。三上は壁を殴りつけた。拳が裂け、血が滲む。
「クソ……クソが……!」
崩れるように座り込み、涙が溢れた。「これは裁判じゃない。流れ作業だ! 真実なんかどうでもいい。KPIの“有罪率”だけが欲しい。清水は人じゃない。処理待ちの“事件番号”だ!」
裁判所の階段。龍立は、正義の天秤像を見上げた。夕陽が影を長く引き延ばし、その影はまるで剣だった。
「三上、泣くな」龍立はハンカチを差し出す。「人間の裁判官が盲目なら、別の目を使う。吉岡。『テミス(Themis)』を起動しろ。今夜――俺が開廷する」
場所:東京地方裁判所・第1刑事法廷
法廷は満席だった。
“澄心社員殺人事件”は、メディアにより格好の餌として肥大化し、人々は“英雄企業の社員は本当に殺したのか”という血の匂いを嗅ぎに来た。空気に混ざるのは、嗜虐的な興奮。
三上弁護士は弁護席に立つ。
今日はあの派手なシャツではない。少し古いが、きっちりとアイロンの入った黒い法服。胸には金色のひまわりの徽章。五年前、検察に嵌められ追放されて以来、初めて法廷で身につけた。
対するのは、鬼頭検察官。鬼頭は三上を一瞥すらしない。勝ちが決まっている、という顔だった。
そして法壇の上――堀田裁判官。五十代。“無罪を出したことがない”と噂される、司法機構の忠実な門番。
「被告人清水は、X月X日、被害者宅に侵入し、強盗の上、被害者を殺害し――」
鬼頭は起訴状を朗々と読み上げる。抑揚は巧みで、まるで現場を目撃したかのような説得力を装っていた。
「異議あり!」
三上が跳ねるように立つ。手には分厚いデータ媒体。
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法廷がざわめく。本当なら、事件はそこで終わる。しかし堀田裁判官は、まぶたすら上げない。眼鏡を押し上げ、氷の声で告げた。
「弁護人、言葉を慎みなさい。GPSには誤差があり、電子記録は改竄の恐れがある。澄心グループは技術企業であり、自社提出データの信用性には疑義がある。却下」
三上は固まった。偏見ではない。これは、開き直りだ。
「ならば目撃証言は?!」三上の額に血管が浮く。「隣のコンビニ店員は、予審で“スーツ姿の男が路地を走り抜けた”と述べています。清水の配達制服ではありません!」
「店員は視力が良くない。夜間で記憶が混同する可能性がある。また、当該店員は後に供述を変更している。……却下」
「指紋は? 凶器に清水の指紋がない!」
「手袋をしていたのだろう。却下」
却下。却下。却下。見えない壁が、すべてを跳ね返す。
これが“精密司法”の現実だった。有罪率99.9%を守るため、裁判官と検察官は暗黙の共同体になっている。被告が一度“自白”すれば、あとは結論へ向かう工程を淡々と踏むだけだ。証拠が穴だらけでも、裁判官は“自由心証”で穴を塞ぐ。
審理が終わった。判決はまだでも、誰もが理解した――清水は“終わっている”。
連行される清水が、傍聴席を振り返る。祖母が車椅子に座っていた。手を伸ばそうとした瞬間、心臓の発作で崩れ落ち、救急搬送される。
廊下。三上は壁を殴りつけた。拳が裂け、血が滲む。
「クソ……クソが……!」
崩れるように座り込み、涙が溢れた。「これは裁判じゃない。流れ作業だ! 真実なんかどうでもいい。KPIの“有罪率”だけが欲しい。清水は人じゃない。処理待ちの“事件番号”だ!」
裁判所の階段。龍立は、正義の天秤像を見上げた。夕陽が影を長く引き延ばし、その影はまるで剣だった。
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