雲海に溺れる

びび

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揺れる水面にしずみたい

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 五月、時期のおかしい転校はきっと好奇心の格好の的になるだろう。面倒臭いな、と思いながら視線を下にやった。

 東京から大阪へと、諸事情で転校をしてきた。
 本格的に学校に入るのは、明日から。転校日前日の今日、私は明日からお世話になる高校の室内プールにいた。なんとなく惹かれて、なんとなく、前の学校の制服のまま、入ってしまった。

 休日で水泳部の部活がオフということもあるのか、水は腰あたりまでしかなく、温度調整もされていなくて冷たかった。けれど入ってしまえばその冷たささえも変に心地いい。


 別に水が好きなわけでも、前に水泳部だったわけでもない。

むしろ水は嫌いだ。

体は思い通りに動かないし、何より苦しい。圧力が肺を潰し、生きるのに必要な空気がない水中は、私にとってもはや地球ではなかった。

 水を含んだ制服は重い。水中で揺らめくスカートを見て、ああやっぱり別世界みたいだと、水中を黙然と見た。

 ぐっと制服を絞ると、ぼたぼたと水が落ち、水面がその度にゆらゆらと揺れる。波紋が広がり、それはまるで私を睡眠術にかけようとするように不安定に揺れる。


「なにしてんだろ」


ぽつりと呟いたそれは、口にした途端急に自分に虚無感を伴って襲いかかってきた。乾いた笑い声が溢れて、深く息を吐く。 


 ──ほんと、なにしてんだろ、わたし


 静まらない水面に自分が映り、揺れて原形をとどめない。
いっそこのまま沈んでしまおうか、なんて考えた時、ふと何かの気配を感じた。

それは背後にあるプールの入り口付近から。警備員か、それともオフなのにきてしまった水泳部の部員か。誰だとしても、こんな私を見たら驚くに違いない。明日から学校に通い始めるのに目立つようなことをするなんて、我ながら馬鹿だなと思う。


 「おい!」


 その声に応じるように振り返る。髪がやわく頬を叩いた。


 「お前何しとんねん!」


 明るい髪色の少年は、整った顔でプールサイドから私を見下ろしていた。

「ちょ、なんや自分、水着忘れた水泳部か! それ以前にどこの学校の制服やねんそれ!」

 さすが関西人、よくわからないが多分彼は私にツッコミをいれてくれたのだろう。笑うことはなかったが、彼の印象は良くなった。


「学校名言っても分かんないよ」
「とりあえずほら、上がれ!」


私に手を差し伸ばしてきた彼は、当たり前だけれどさっきから関西弁を話していて。本当に遠いところまできたのかと、不思議な心地がした。

 差し出された手は大きくて、掴むことなくじっと見ていると、もう一度促すように「ん」と手を伸ばす。

親切な人だと思いながら、ある好奇心が湧いた。そう、それは意地悪心でもなんでもなく、好奇心、だったのだと思う。

伸ばされた手に自身の冷たい手を重ね、あろうことか私は、彼の手を、引いた。


「え」
「あ」


 予想だにしなかっただろう私の行動に、気の緩んでいた彼の体はぐらりとバランスを崩した。

ばしゃん、と水が跳ね、私に覆いかぶさるような形で落ちた、彼。自然と二人水の中に沈んでしまった。いつもは開けないのに、私は水中で目を開けたのだった。


 ガラス張りのプールだからか、外から太陽の光が射し込んできていて眩しい。水が光を吸い込んで、水面がキラキラと輝いていた。


 水泡が頬を撫でる。
 彼と目が、合った。


 そのときどくりと何かが疼いた。何が、というわけではないけれど、ああ、これが運命ってやつなのかなと思うくらいに、ゾクゾクしたのだ。


「っは!」


 空気を吸い、お互いに目を合わせる。水中でも私が彼の手を離さなかったからか、距離が近くて互いの荒い呼吸を感じ取ることができる。

ツーブロックと言われる髪型だった彼の髪も、水を含んで重たそうだった。


「なにすんねん、濡れてもたやんけ! もー、部活終わっとったからええものを」


 頭を横に振って髪の水をとばす彼は、犬のようだ。


「ねえ」


 声を出すために深く吸い上げた空気は新鮮で、喉奥が乾くことはなかった。


「あなたの名前は、何?」


 髪をかきあげ、不機嫌そうに私を見下ろす。筋肉のついたがっしりとした腕を、筋を伝うように雫が垂れた。

「……藤昴フジスバルお前は?」

 こんな言い方は変だと思うが、はじめ、私は彼がどういう人間かなんてことはどうでもよかった。
ただひたすらに、私をこの苦しい海から掬い上げてくれる存在ならば、と勝手に彼に期待したのだった。


蒼依アオイ。松岡、蒼依」


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