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第2部 嫁ぎ先を決めろと言われました
34.仕えてくれる人が来たようです
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いつも通り食欲を満たして一息ついたところで香子は嫌なことを思い出した。かえって思い出さなかった方が不思議かもしれない。
ただでさえいっぱいいっぱいなのにこれ以上厄介事を増やさないでもらいたいと香子は思う。
眉を寄せれば玄武がすぐに気付いた。
『香子』
『なんでもないんですー……』
気にしてもらえるのは嬉しい。でもこんなによくしてもらっているのに不満がある自分が香子は嫌だ。
しかし香子はこの世界に勝手に連れてこられた存在である。一日一日が濃いせいか忘れがちだが、まだこちらに来てから一月ぐらいしか経っていない。不満を持つのは当り前なのだが、残念ながらそれを教えてくれる者はそこにいなかった。
ただ玄武は年の功か、香子が無理をしていることには気づいていた。だがどうしてやればいいのかわからず、結局香子を抱いたまま無言で髪や額、頬に口づけるばかりである。
傍から見れば別の意味でおなかいっぱいな光景だが、幸か不幸かそれを見ていたのは朱雀だけだった。
その日の昼も大分過ぎた頃、例の女官候補が来たと連絡があった。
昼間なので今日は青龍の腕に抱かれて謁見の間に行けば、昨夜会った楚々とした美女とその後ろにもう一人、彼女の侍女と思しき年のいった女性が平伏して待っていた。その二人を連れてきたのだろう、趙文英と王英明が疲れたような顔をしていたのが印象的だった。
香子付の女官が来るというだけの話なので、謁見の間に来たのは他に白雲、青藍、そして黒月だけだった。わざわざ四神が出迎える必要はない。それでも青龍の眷族だけではなく白雲も出てきてくれたことは香子にとって心強く感じられた。
『孟章神君、万歳万歳万々歳! 白香娘娘、千歳千歳千々歳!』(孟章神君:青龍のこと)
謁見の間に入ったところでいきなり趙と王に大きな声で迎えられ香子は目を白黒させた。後ろからそっと、『動揺されませんよう』と黒月に囁かれ、香子は慌てて顔を引き締めた。四神宮ではこういった挨拶は無用だと申し渡していたはずだが、あえてするということはそれだけの身分があるというのを知らしめる意味合いもあるのだろう。
(身分制度めんどくさいなー……)
そのように振る舞えと言われても付け焼刃でどこまで通じるかどうか。香子の知識はあくまでも時代劇や歴史小説の中のものである。
『平身』(なおれ)
『謝神君!』(青龍様、ありがとうございます!)
青龍の透き通るような声に趙と王は顔を上げた。王が一歩前に進み出、
『ご足労いただき誠にありがとうございます。本日付で花嫁様に仕えることになった女官を連れてまいりました。ご挨拶を』
最後の言葉は美女にかけられたようだった。平伏していた頭が少し上がり、
『本日から花嫁様にお仕えする栄誉を賜りました、延夕玲と申します。どうぞ夕玲とお呼びください』
美女-延夕玲はよどみなくそこまで言うと再び深く頭を下げた。
『……延殿についてはわかったがそこな者は?』
白雲が冷たい声で夕玲の斜め後ろに控えている女性のことを尋ねる。一瞬延の体がびくっと震える。趙と王はその問いに困ったような顔をした。
『……延殿の侍女と聞いております』
黒月と青藍が顔を見合わせた。
『……女官には侍女がつくものなのか』
白雲が呟くように言う。延の顔が上がりかけ、すぐに下がる。それを見て香子はおや? と思った。延の頬がほんのりと赤く染まっているように見えたのだ。だがそれがなんなのかと思う前に新たな声によって思考は断ち切られた。
『……恐れながら申し上げます。お嬢様は老佛爷の遠縁という尊き血を引かれるお方にございます。もしあと五年早く産まれていらっしゃれば皇后に擁立されたかもしれぬお方。本来ならば侍女も奴才一人ではなく複数付くのが……』
口を開いたのは延の後ろで平伏していた侍女だった。趙や王の許可を待たずとうとうと延の出自について語る姿に香子は一瞬呆気に取られる。そんな侍女を止めたのは延の厳しい声だった。
『鄭嬷嬷!! 控えなさい!!』
『ですが、お嬢様……』
『口応えは許さぬ!! 神君と花嫁様の御前なるぞ!!』
予想外の厳しい態度に香子は目を見開いた。
『たいへん申し訳ありません!!』
年老いた侍女-鄭嬷嬷は額を謁見の間の地板に擦りつけんばかりに頭を下げた。だが夕玲は厳しい表情を緩めなかった。
『鄭嬷嬷、老佛爷のところに戻りなさい!』
『お嬢様!! 本当に申し訳ありません!!』
鄭嬷嬷は悲鳴のような声を発し、己の両頬を叩きはじめた。
香子は茫然とそれを見ていることしかできなかった。
(わー、本当にやるんだー……)
中国の時代劇で見た光景だったので、そういう感想しか出てこなかった。
白雲はあからさまに嘆息した。
『……愚かな』
低い、呟くような声が謁見の間に響く。
それまで静観していた青龍は青藍に何事か言いつけると席を立った。
『……え……』
もちろん香子を抱いたままなので、いきなり視界が上がってびっくりする。
『戻る』
と涼やかな声が告げ、香子は青龍の首に腕を回した。確かにこんなばかばかしいことに青龍を付き合せるのは申し訳ないと思う。
黒月が後ろから付いてきてくれたので、白雲と青藍はあの場に残ったのだろう。四神宮に足を踏み入れた途端香子はほっとした。
『青龍様、ごめんなさい……』
謝ると青龍は首を軽く傾げた。
『何故香子が謝る』
『あんなことになって……』
『そなたに何の咎があるというのか』
本当に理由がわからないという体なので、香子は照れ隠しにぎゅうっと青龍に抱きついた。
(こういうところ、ちょっと好きかも……)
そう思ったのはまだないしょにしておきたい。
ただでさえいっぱいいっぱいなのにこれ以上厄介事を増やさないでもらいたいと香子は思う。
眉を寄せれば玄武がすぐに気付いた。
『香子』
『なんでもないんですー……』
気にしてもらえるのは嬉しい。でもこんなによくしてもらっているのに不満がある自分が香子は嫌だ。
しかし香子はこの世界に勝手に連れてこられた存在である。一日一日が濃いせいか忘れがちだが、まだこちらに来てから一月ぐらいしか経っていない。不満を持つのは当り前なのだが、残念ながらそれを教えてくれる者はそこにいなかった。
ただ玄武は年の功か、香子が無理をしていることには気づいていた。だがどうしてやればいいのかわからず、結局香子を抱いたまま無言で髪や額、頬に口づけるばかりである。
傍から見れば別の意味でおなかいっぱいな光景だが、幸か不幸かそれを見ていたのは朱雀だけだった。
その日の昼も大分過ぎた頃、例の女官候補が来たと連絡があった。
昼間なので今日は青龍の腕に抱かれて謁見の間に行けば、昨夜会った楚々とした美女とその後ろにもう一人、彼女の侍女と思しき年のいった女性が平伏して待っていた。その二人を連れてきたのだろう、趙文英と王英明が疲れたような顔をしていたのが印象的だった。
香子付の女官が来るというだけの話なので、謁見の間に来たのは他に白雲、青藍、そして黒月だけだった。わざわざ四神が出迎える必要はない。それでも青龍の眷族だけではなく白雲も出てきてくれたことは香子にとって心強く感じられた。
『孟章神君、万歳万歳万々歳! 白香娘娘、千歳千歳千々歳!』(孟章神君:青龍のこと)
謁見の間に入ったところでいきなり趙と王に大きな声で迎えられ香子は目を白黒させた。後ろからそっと、『動揺されませんよう』と黒月に囁かれ、香子は慌てて顔を引き締めた。四神宮ではこういった挨拶は無用だと申し渡していたはずだが、あえてするということはそれだけの身分があるというのを知らしめる意味合いもあるのだろう。
(身分制度めんどくさいなー……)
そのように振る舞えと言われても付け焼刃でどこまで通じるかどうか。香子の知識はあくまでも時代劇や歴史小説の中のものである。
『平身』(なおれ)
『謝神君!』(青龍様、ありがとうございます!)
青龍の透き通るような声に趙と王は顔を上げた。王が一歩前に進み出、
『ご足労いただき誠にありがとうございます。本日付で花嫁様に仕えることになった女官を連れてまいりました。ご挨拶を』
最後の言葉は美女にかけられたようだった。平伏していた頭が少し上がり、
『本日から花嫁様にお仕えする栄誉を賜りました、延夕玲と申します。どうぞ夕玲とお呼びください』
美女-延夕玲はよどみなくそこまで言うと再び深く頭を下げた。
『……延殿についてはわかったがそこな者は?』
白雲が冷たい声で夕玲の斜め後ろに控えている女性のことを尋ねる。一瞬延の体がびくっと震える。趙と王はその問いに困ったような顔をした。
『……延殿の侍女と聞いております』
黒月と青藍が顔を見合わせた。
『……女官には侍女がつくものなのか』
白雲が呟くように言う。延の顔が上がりかけ、すぐに下がる。それを見て香子はおや? と思った。延の頬がほんのりと赤く染まっているように見えたのだ。だがそれがなんなのかと思う前に新たな声によって思考は断ち切られた。
『……恐れながら申し上げます。お嬢様は老佛爷の遠縁という尊き血を引かれるお方にございます。もしあと五年早く産まれていらっしゃれば皇后に擁立されたかもしれぬお方。本来ならば侍女も奴才一人ではなく複数付くのが……』
口を開いたのは延の後ろで平伏していた侍女だった。趙や王の許可を待たずとうとうと延の出自について語る姿に香子は一瞬呆気に取られる。そんな侍女を止めたのは延の厳しい声だった。
『鄭嬷嬷!! 控えなさい!!』
『ですが、お嬢様……』
『口応えは許さぬ!! 神君と花嫁様の御前なるぞ!!』
予想外の厳しい態度に香子は目を見開いた。
『たいへん申し訳ありません!!』
年老いた侍女-鄭嬷嬷は額を謁見の間の地板に擦りつけんばかりに頭を下げた。だが夕玲は厳しい表情を緩めなかった。
『鄭嬷嬷、老佛爷のところに戻りなさい!』
『お嬢様!! 本当に申し訳ありません!!』
鄭嬷嬷は悲鳴のような声を発し、己の両頬を叩きはじめた。
香子は茫然とそれを見ていることしかできなかった。
(わー、本当にやるんだー……)
中国の時代劇で見た光景だったので、そういう感想しか出てこなかった。
白雲はあからさまに嘆息した。
『……愚かな』
低い、呟くような声が謁見の間に響く。
それまで静観していた青龍は青藍に何事か言いつけると席を立った。
『……え……』
もちろん香子を抱いたままなので、いきなり視界が上がってびっくりする。
『戻る』
と涼やかな声が告げ、香子は青龍の首に腕を回した。確かにこんなばかばかしいことに青龍を付き合せるのは申し訳ないと思う。
黒月が後ろから付いてきてくれたので、白雲と青藍はあの場に残ったのだろう。四神宮に足を踏み入れた途端香子はほっとした。
『青龍様、ごめんなさい……』
謝ると青龍は首を軽く傾げた。
『何故香子が謝る』
『あんなことになって……』
『そなたに何の咎があるというのか』
本当に理由がわからないという体なので、香子は照れ隠しにぎゅうっと青龍に抱きついた。
(こういうところ、ちょっと好きかも……)
そう思ったのはまだないしょにしておきたい。
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