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第2部 嫁ぎ先を決めろと言われました
55.大事なことを忘れていたようです
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”四神の花嫁”というのは思ったより影響力が強いらしい。
”書”の老師が来てくれるということを聞いたのは、それから二日後の朝のことだった。
『随分と……早いのね……』
香子はあっけにとられた。人の手配がそんなに簡単にできるものではないことぐらい香子も知っている。
『本日の昼過ぎにいらっしゃるそうです。今回は顔合わせですので、老師が変わる場合もございますがよろしいですか?』
『? ええ、それはかまわないわ』
用件のみを告げて白雲が退出する。香子は首を傾げた。
『……合わなければ他の老師になるってことなのかしら?』
『……そうかと思われます』
呟きに対する延夕玲の応えに、香子は軽く頷いた。
しかしどうにも引っ掛かるものを感じ、香子は心の中で首を傾げる。
夕玲も、つい先日茶会をした面々も反応していなかった(ように見えた)為香子は忘れていた。
己から匂い立つ色気が、人間にどのような影響を与えるのかということを。
いつものように昼食を取った後玄武の室に朱雀と共に移動した。来客にはこの二神が対応してくれるらしい。
のんびりお茶を飲んでいると白雲から声がかかる。香子は玄武に抱かれて謁見の間へ移動した。
そこでは、白髪で、白い髭を生やした仙人とも見紛う老人が待っていた。
(わぁ……)
香子は目を丸くした。まるで水墨画に描かれているような姿である。素直に感心した。
『こちらは張錦飛です。”書”を学びたいとおっしゃられる花嫁様に是非お教えしたいと参りました』
一通り挨拶が済んだ後趙文英が老人―張を紹介する。
『近う』
玄武に声をかけられ、張が一歩近づく。そして目を細めたまま香子を眺め、『ほぅほぅほぅ……』と訳知り顔で頷いた。
『……これはなんとも……”傾国”ですのぅ』
そう張が呟くように言った途端その場の空気が一変した。
元々多少緊張をはらんでいたところに鋭い殺気が加わったように感じられる。香子は冷汗をかいた。
(え? 何? なんで……?)
普通の人ならば青ざめて後ずさりたくなるような雰囲気の中、けれど当事者である張は泰然としていた。
『いやはやこの歳になってこなに美しい女性の教師をさせていただけるとは、”書”を嗜んでおって本当によかった。花嫁様、どうぞよろしくお願いいたします』
『……はぁ……こちらこそよろしくお』
『花嫁様!!』
お願いしますと返そうとした時、黒月の怒声に遮られて香子は肩を竦めた。
(な、ななな何ーーー!?)
『……黒月』
『申し訳ありません』
白雲の低い声に黒月がさっと膝を折る。香子はわけがわからず目をパチパチさせるばかりだ。
『たいへん失礼しました。花嫁様、それでは張殿にお願いするということでよろしいでしょうか?』
『ええ……。老師がよろしければだけど……』
白雲の言葉に戸惑いながらも香子は応じる。
『花嫁様、ありがとうございます。誠心誠意お仕えしましょうぞ』
『はい、お願いします』
好好爺にしか見えない笑みに香子も笑みを返す。なんだかよくわからないが張に決まったようだった。
その後四神宮の決まりごとなど張に説明する必要があるというので香子は謁見の間を後にした。四神宮の入口の手前で謁見の間の中を見やる。張がにこにこしながらこちらを見ていたので香子はそっと会釈した。
老師が早めに決まったのは嬉しいが、黒月がピリピリしているのはいただけない。どうにかならないものかと夕玲を窺ったが目をそらされてしまった。
(だから何ー?)
そのまま玄武の室に戻った。当然のことながら夕玲は香子の部屋に戻り、黒月とは玄武の室の前で別れた。香子は口をへの字にする。
言いたいことがあるならはっきり言えばいいと思うのに、こういう時へんに遠慮されるのが嫌だ。
『香子、如何した?』
耳元で囁くように玄武に尋ねられ、更に眉間に皺が寄る。心配してくれているのはわかるがその声がいただけない。しかも耳元でとかなんてあざといのだと腹も立ってくる。
(絶対玄武様は天然だと思う!)
朱雀がしたならばわざとだと思うのだが玄武はそんなことをしないだろう。
『……なんか、気を使われてることはわかるんですが、なんでなのかわからなくて……』
香子もうまく説明できない。先日自分の現状に思い至ってから、周りの対応が腫れものに触るようなそれになっていることに香子は気付いていた。それについては時間が解決してくれるのではないかと思うが、みながみな含みを持ったような言い方をしているのがどうも解せない。
そう、香子がまるで重要な何かを忘れてしまっているような……。
(なんだろう……)
ぼんやりと首を傾げると、横に腰かけている朱雀が笑った。
『香子、そなたもしや忘れているのではあるまいか?』
『え……?』
朱雀を見ると、何故かあでやかな笑みを浮かべている。香子はとっさに目をそらした。
(うっ……)
昼間からなんという色気を発しているのだと思った時、あっと思い出した。
「あ……」
『ん?』
玄武が反応したが、それどころではない。香子は頭を抱えたくなった。
『え、ええと……その……まだ……私の”色気”って、人に影響力があるんですか……?』
『そのようだ』
さらりと朱雀に答えられてがっくりと頭を垂れる。
だから趙も四神宮には入れないし、老師一人を手配するにも含みがあったのかと思い至る。
しかも老師の”傾国”という言葉。もうなんだか存在してるだけで迷惑なのではないだろうかと、香子は地の底まで沈んでいきたくなった。
(ずぶずぶと……もう埋まりたいー……)
『そなたが気にすることはない。張とやらが来る時は必ず誰かが同席する故大丈夫だ』
玄武の声が優しく届く。けれどやっぱりそれだけでは済まなくて、
『だからどうか、その愛らしい表を見せておくれ』
優しく顔を上げさせられて言われた科白に、香子はこれ以上ないというほどに顔を赤く染めた。
”書”の老師が来てくれるということを聞いたのは、それから二日後の朝のことだった。
『随分と……早いのね……』
香子はあっけにとられた。人の手配がそんなに簡単にできるものではないことぐらい香子も知っている。
『本日の昼過ぎにいらっしゃるそうです。今回は顔合わせですので、老師が変わる場合もございますがよろしいですか?』
『? ええ、それはかまわないわ』
用件のみを告げて白雲が退出する。香子は首を傾げた。
『……合わなければ他の老師になるってことなのかしら?』
『……そうかと思われます』
呟きに対する延夕玲の応えに、香子は軽く頷いた。
しかしどうにも引っ掛かるものを感じ、香子は心の中で首を傾げる。
夕玲も、つい先日茶会をした面々も反応していなかった(ように見えた)為香子は忘れていた。
己から匂い立つ色気が、人間にどのような影響を与えるのかということを。
いつものように昼食を取った後玄武の室に朱雀と共に移動した。来客にはこの二神が対応してくれるらしい。
のんびりお茶を飲んでいると白雲から声がかかる。香子は玄武に抱かれて謁見の間へ移動した。
そこでは、白髪で、白い髭を生やした仙人とも見紛う老人が待っていた。
(わぁ……)
香子は目を丸くした。まるで水墨画に描かれているような姿である。素直に感心した。
『こちらは張錦飛です。”書”を学びたいとおっしゃられる花嫁様に是非お教えしたいと参りました』
一通り挨拶が済んだ後趙文英が老人―張を紹介する。
『近う』
玄武に声をかけられ、張が一歩近づく。そして目を細めたまま香子を眺め、『ほぅほぅほぅ……』と訳知り顔で頷いた。
『……これはなんとも……”傾国”ですのぅ』
そう張が呟くように言った途端その場の空気が一変した。
元々多少緊張をはらんでいたところに鋭い殺気が加わったように感じられる。香子は冷汗をかいた。
(え? 何? なんで……?)
普通の人ならば青ざめて後ずさりたくなるような雰囲気の中、けれど当事者である張は泰然としていた。
『いやはやこの歳になってこなに美しい女性の教師をさせていただけるとは、”書”を嗜んでおって本当によかった。花嫁様、どうぞよろしくお願いいたします』
『……はぁ……こちらこそよろしくお』
『花嫁様!!』
お願いしますと返そうとした時、黒月の怒声に遮られて香子は肩を竦めた。
(な、ななな何ーーー!?)
『……黒月』
『申し訳ありません』
白雲の低い声に黒月がさっと膝を折る。香子はわけがわからず目をパチパチさせるばかりだ。
『たいへん失礼しました。花嫁様、それでは張殿にお願いするということでよろしいでしょうか?』
『ええ……。老師がよろしければだけど……』
白雲の言葉に戸惑いながらも香子は応じる。
『花嫁様、ありがとうございます。誠心誠意お仕えしましょうぞ』
『はい、お願いします』
好好爺にしか見えない笑みに香子も笑みを返す。なんだかよくわからないが張に決まったようだった。
その後四神宮の決まりごとなど張に説明する必要があるというので香子は謁見の間を後にした。四神宮の入口の手前で謁見の間の中を見やる。張がにこにこしながらこちらを見ていたので香子はそっと会釈した。
老師が早めに決まったのは嬉しいが、黒月がピリピリしているのはいただけない。どうにかならないものかと夕玲を窺ったが目をそらされてしまった。
(だから何ー?)
そのまま玄武の室に戻った。当然のことながら夕玲は香子の部屋に戻り、黒月とは玄武の室の前で別れた。香子は口をへの字にする。
言いたいことがあるならはっきり言えばいいと思うのに、こういう時へんに遠慮されるのが嫌だ。
『香子、如何した?』
耳元で囁くように玄武に尋ねられ、更に眉間に皺が寄る。心配してくれているのはわかるがその声がいただけない。しかも耳元でとかなんてあざといのだと腹も立ってくる。
(絶対玄武様は天然だと思う!)
朱雀がしたならばわざとだと思うのだが玄武はそんなことをしないだろう。
『……なんか、気を使われてることはわかるんですが、なんでなのかわからなくて……』
香子もうまく説明できない。先日自分の現状に思い至ってから、周りの対応が腫れものに触るようなそれになっていることに香子は気付いていた。それについては時間が解決してくれるのではないかと思うが、みながみな含みを持ったような言い方をしているのがどうも解せない。
そう、香子がまるで重要な何かを忘れてしまっているような……。
(なんだろう……)
ぼんやりと首を傾げると、横に腰かけている朱雀が笑った。
『香子、そなたもしや忘れているのではあるまいか?』
『え……?』
朱雀を見ると、何故かあでやかな笑みを浮かべている。香子はとっさに目をそらした。
(うっ……)
昼間からなんという色気を発しているのだと思った時、あっと思い出した。
「あ……」
『ん?』
玄武が反応したが、それどころではない。香子は頭を抱えたくなった。
『え、ええと……その……まだ……私の”色気”って、人に影響力があるんですか……?』
『そのようだ』
さらりと朱雀に答えられてがっくりと頭を垂れる。
だから趙も四神宮には入れないし、老師一人を手配するにも含みがあったのかと思い至る。
しかも老師の”傾国”という言葉。もうなんだか存在してるだけで迷惑なのではないだろうかと、香子は地の底まで沈んでいきたくなった。
(ずぶずぶと……もう埋まりたいー……)
『そなたが気にすることはない。張とやらが来る時は必ず誰かが同席する故大丈夫だ』
玄武の声が優しく届く。けれどやっぱりそれだけでは済まなくて、
『だからどうか、その愛らしい表を見せておくれ』
優しく顔を上げさせられて言われた科白に、香子はこれ以上ないというほどに顔を赤く染めた。
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