異世界で四神と結婚しろと言われました

浅葱

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第2部 嫁ぎ先を決めろと言われました

56.文字談義は楽しいのです

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”書”の老師として張錦飛ジャンジンフェイがやってきたのは、それから更に二日後のことだった。
 その間に香子の事情や学びたいことについての説明を白雲や趙文英がしてくれたらしい。とはいえまた聞きでは正確に伝えられているかどうかわからないので、初日はまず張と話をすることにした。
 教えを乞う場として四神宮内の茶室を使うことになった。その都度テーブルを入れ替えるというので香子は難色を示したが、それも仕事の内だと取り合ってもらえなかった。
 頻度は三日に一度、午前中の半刻ということに決まった。香子に付き添うのは白雲、黒月、延夕玲の三名である。(当然侍女たちもいるが数には入れていない)何故四神がいないのかというと、香子と話すのが人間の男というだけで平静でいられないからだそうである。
 さて通り一遍の挨拶を終えた後、香子は張に腰掛けるよう促した。

謝白香娘娘シエバイシャンニャンニャン』(白香様ありがとうございます)

 そう言って座る所作も綺麗なものだと香子は思う。

(立ち居振る舞いとかも習った方がいいよねー……)

 ちら、と香子は夕玲を見やる。夕玲はそれに一瞬はっとしたような表情をしたが、すぐに元に戻した。
 いささか動揺させてしまったようである。
 香子は心の中で反省し、張に向き直った。

『お忙しい中時間を割いていただきありがとうございます。私の来歴や、こちらの文字の習熟度などすでにお聞き及びかとは存じますが、改めてお伝えしたいと思います。よろしいでしょうか?』

 精一杯丁寧に言う香子に、張は満足そうに笑み髭を撫でた。

善哉シャンザイ、善哉。(よい、よい)花嫁様は元々市井の出とお聞きしましたが、言葉の使い方をよく知っておられるようです。どちらで学ばれましたかな?』

 香子は目をしばたたかせた。どうやらこれは老師からのテストらしい。
 嘘はついても仕方ないので答えられる範囲で正直に答える。

『私が異世界から来た、というのはご承知の通りです。異世界ではこちらと違い義務教育というものがあり、それらは男女関係なく平等に受けられます。その後の高等教育については任意となりますが試験を経て受けることは可能です。私はその高等教育を受けています』
『ほうほう……男女共平等にですか。それはなかなか興味深い。しかし花嫁様は文字を読み書きされることは苦手とおっしゃられる。高等教育にそれらは含まれていないのでしょうか?』
『当然読み書きについては義務教育から学びます。しかし私が習っていた文字とこちらの文字は違うのです。……失礼ですがこちらをご覧ください』

 香子は夕玲に預けていたものを老師に渡すよう促した。

『ほう、これは……』
『私のいた世界で出版されている本です』

 香子としては一冊しかないのが悔やまれる。中国でドラマとして見た物の原作なので、内容はなんとなく覚えているが、本当は全四巻なのだ。

(どうせならスーツケースごとこちらの世界に送ってくれればよかったのに!)

 こちらの世界に自分を送り込んだという天皇ティエンホワンに対してふつふつと怒りがこみ上げる。
 香子の心情はともかくとして張は『失礼』と己の袖を払うと本を手に取った。

『中を見てもよろしいか?』
『どうぞ、ご確認ください』

 張は頷き、丁寧に本の頁をめくった。

『ほぅ、ほぅ……この紙も素晴らしいですな。して、この文字は……似ているようで似ていない……』

 そう言いながら香子を見る。香子は頷いた。

『その本で使われている文字は簡体字といいます。こちらで使われている文字を簡略化したものだと思ってください』
『ほほぅ……それにしてもこの本は美しい。この字は人の手で書かれた物とは思えませぬ』

 そっちか! と香子は心の中でつっこんだ。確かに機械で打って印刷されたものは珍しいのだろうが説明が難しい。

(タイプライターの原理からしてわからないし……)

 日本では一九七八年に日本語専用機としてのワードプロセッサ(ワープロ)が発売され、香子の家にもあった。印刷機も兼ねており、大きくて重かったという記憶がある。それはいつのまにか淘汰され、現在はパソコンに取って代わられている。パソコンは一応香子も使っていたが、尚わからない代物ではある。
 大学の頃を思い出し少し懐かしく思ったが(それほど時間は経っていない)本題はそれではないと軽く首を振る。

(どう説明すれば……)

 こちらの人間にわかるように、というとなかなか難しい。

(あ)
『あの……この国に活版印刷はありますか?』

 確か中国語では『活板』といったように思う。

『おお! 活版フオバンですか。しかしこの国の活版よりも精度が高いように見受けられますがのぅ』

 どうやら活版の技術はこの国にもあるらしい。元の世界では宋代の人によって発明された技術である。

『私も……詳しくは知らないのです。ですが印刷技術の向上によって庶民も気軽にこういった本が買えるのです。ただ……老師、失礼ですがそれよりも文字そのものを……』
『おお、そうでしたな』

 話が脱線したがどうやら真面目に見てくれる気はあるらしい。

『この、なんというか漢字ともなんともつかない文字は簡略化されたものだとおっしゃられる?』
『はい。こちらの国で現在使われている文字は繁体字と呼ばれ、私の世界では一部の地域で使用されています。ですが私が習ったのはこの簡単な文字なのです』

 日本で使われている漢字はまた違うのだがそれを説明する必要はないだろう。

『それから私のいた世界では句読点が用いられています』
『ふむ、確かにこのように区切られていると読みやすいですな。しかもこれはまるで話し言葉をそのまま文章にしたようです』
『そうなのです。確か約百年ほど前白話運動というのが起こりまして、それをきっかけに書き言葉から話し言葉へと文章の表現が変わっていったようです』

 張は香子と話しながらうんうんと何度も頷いた。

『話し言葉で書かれている文章というのは違和感を感じますが、この句読点というのは一考に値しますな。いやいやなかなか勉強になります』
(先生が私から勉強してどうするのー)

 香子は内心ツッコミを入れる。ただこの老師とはいろいろな話ができそうだとわくわくしてきたのも確かだった。
 他の人にはあまり楽しく感じられないだろう文字談義をしているうちに、時間が経ってしまった。

『老師、そろそろ……』

 白雲に声をかけられた張は名残惜しそうに席を立つ。

『では花嫁様、わしはこれにて失礼します。次を楽しみにしておりますぞ』
『はい! 私も楽しみにしてます! ありがとうございました』

 香子は満面の笑みで張を送り出す。
 それに張は『いやはや……』と首を振りながら帰っていった。


「?」
『花嫁様……』

 どうやら張に破顔したことがいけなかったらしい。香子はその後黒月と夕玲にこんこんと説教をされた。

(だって楽しかったんだもん~)

 理由はわかるが理不尽だと思うのは自分だけではないはずだと、香子は内心憮然とした。


 後日張が歴史学者だと知り、香子が狂喜したのはまた別の話である。
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