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本編
22.談話
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紅児がああでもないこうでもないと考えていた翌朝、侍女たちは大部屋を出た時、扉の脇に紅夏が佇んでいるのをみとめた。
「……紅夏様?」
一人が意を決して声をかけると黒い瞳がそちらを向く。その感情を宿していない瞳に声をかけた侍女は身震いした。ただでさえ並外れた美貌を誇る眷族たちである。その無表情たるや破壊力抜群だった。(何を破壊するのだろう)
「なにか」
「……紅児にご用事でしょうか」
「そうだ」
会話は端的で、それ以上話を続けられそうもない。けれど彼女たちはこのまま紅児が出てくるのをただ待っているのも違うような気がした。
「……あ、あのっ! 紅夏様は紅児をどう思っていらっしゃるのでしょうかっ!?」
一昨日の夜紅児が紅夏の部屋に行き、昨日の朝泣いて帰ってきたのはどういうことか。大丈夫だと気丈にがんばる紅児を侍女たちはみな心配していた。
「どう思う、とは?」
静かに聞かれ言葉に詰まる。
そこで侍女は考えを改めた。もしかしたら聞き方が悪かったかもしれない。
「ええとですね……紅夏様は紅児をどうされるおつもりでしょうか?」
「我が妻にする」
侍女たちは絶句した。
当り前のように言われ、彼女たちはかろうじて頷いた。
確かに白雲や青藍もこれと定めた相手しか見ていないし、侍女頭に白雲との関係を問い詰めた際求婚されたようなことを言っていた。
侍女たちは紅児の保護者のような気持ちでいたから、紅夏の答えにほっとした。一昨日の夜面白がって紅夏の元へ紅児を行かせてしまったことを実は後悔していたのだ。
「それなら……それならいいのです。……どうか紅児を大切にしてあげてください」
これ以上侍女たちが言うこともないが、精一杯の思いを籠めて紅夏を見た。
「そうだな。大切にしよう」
だから紅夏の返事はとても嬉しかった。
彼らはそこが大部屋の扉の前だということを失念していた。
「あの……?」
紅児は扉の前にまだ侍女たちがいたことを不思議に思った。そしてすぐ脇を見やり、
「え……」
反射的に部屋の中に戻ろうとしたが、閉めようとした扉を開けられる。
「紅児」
静かな声だった。
「我は言葉が足りない」
紅児は頷く。
「人間のこともよくわからぬ」
そうなのか、と紅児は思う。
「だからそなたが教えてくれ。我も、そなたが知りたいことに答えよう」
その科白にも頷いてから、紅児はなにかがおかしいと思った。
腕を引かれる。
「朝食をとるのだろう」
紅児はまた頷いた。
昨日までの紅夏とはあきらかに違うように見えた。けれどそれがなんなのか説明できない。
紅児と紅夏は侍女たちに囲まれるようにして食堂へ向かった。食堂に着けば侍女たちとは少し離れた席に座らされた。
紅児は戸惑いながらも好きな物を取って来、紅夏の横に座る。今朝も紅夏は何も食べないようだった。
「先に朝食をとられたのですか?」
自分では何も持ってこない紅夏にお茶を差し出して聞くと、「食事は必要ない」と言う。
どういうことなのかと尋ねれば、四神と花嫁の間に産まれた眷族はあまり食事を必要としないらしい。紅児はやはりよくわからなかったが、神により近い存在だからそうなのかと勝手に解釈した。だが黒月は食事をしていたように思う。それについて聞くと、黒月は人間との混血が進んでから生まれた眷族で人に近くなってしまった為食事を必要とするらしい。
まず四神と花嫁の間に産まれた眷族を第一世代とし、その眷族間で産まれた眷族を第二世代という。眷族が人間との間に産んだ眷族は第三世代と呼ばれるらしい。寿命は第一世代が一番長く、700~800年生きるのだという。第二世代は眷族の寿命によるが500~600年。第三世代は300~400年。その第三世代同士から産まれた眷族は更に寿命が短く150~250年という。つまり第一世代に当たる紅夏は最低でも700年は生きるらしい。
紅児は頭がくらくらした。百年だって気の遠くなるような時間だと思うのに700年など全く想像がつかない。
どうにか朝食を終えて仕事に行く時間になった。
「紅夏様はどうなさるのですか?」
「朱雀様の室の前にいる」
朱雀の室は四神宮に入って一番手前なのですぐに紅児と紅夏は別れた。
それをなんとなく寂しく思ったが、紅児は慌てて首を振った。
昼食、夕食の際も時間が決まっているわけではないのに紅夏はふらりと現れる。
そしていろいろなことを教えてもらった。ただ仕事が終った後、「部屋に来るように」という科白には首を振った。
確かに2人きりで話したいこともあるかもしれなかったが、まだ知り合って間もないのに再び紅夏の部屋に行くことはためらわれた。
紅児は紅夏のことをかっこいいとか美しいとは思うが、恋愛感情を抱いているかと聞かれれば疑問だった。
この国では子供の結婚は親が決めるのが当り前で、恋愛結婚というのは少ないらしい。身分があれば政略結婚をし、その後愛が芽生えるかどうかはお互いの努力による。だからそもそも恋愛ができるという時点で贅沢なのだが、庶民の結婚については恋愛結婚が多い国で育ってきた紅児としてはもう少しきちんと考えたいというのが本音だった。
「そうか」
紅夏は無表情でそれだけ言うと踵を返した。
そうされると今度は「なんですぐに諦めるの」と理不尽なことを考えてしまう自分に紅夏は戸惑った。
大部屋に戻ると侍女たちに肩を叩かれた。どうやら心配して扉の前で聞き耳を立てていたらしい。
「断って正解よ」
「男ってのはすぐ既成事実を作ろうとするんだから!」
「この間はごめんね」
先日の件は調子に乗りすぎたと侍女たちは言う。
四神の眷族に見初められることほど幸運なことはないと、自分たちの勝手な考えで紅児を送りだしてしまった。
「侍女頭にものすごく怒られちゃったわ。本当にごめんなさいね」
「いえ……」
神の眷族に見初められるなんて、確かにこの国の者からすれば天にも昇るようなことなのだろう。神の概念自体が曖昧で、まず地上にいることが信じられない紅児としてはいまいちピンとこなかったが。
「紅夏様もかなり花嫁様にしぼられたんじゃない?」
何気なく言われ、紅児は目を見開いた。一昨日の夜のことが花嫁にまで知られているとは思いもよらなかった。
「え……」
「花嫁様はよく見ていらっしゃるものね」
「紅児の様子で多分気付かれたのではなくて?」
さすが四神の花嫁様よねーと侍女たちは簡単に結論づけていたが、そこまで気にしてもらっているということを紅児は申し訳なく思った。
全てを終えて小部屋に戻る。
紅児は今日紅夏から教えてもらったことを頭の中で整理した。
紅夏の寿命は少なくとも700年。そしてすでに大体300年ぐらい生きているらしい。
人の寿命は長くても70年ぐらいですけど? と言えば紅夏と結婚すれば同じだけの時を生きるのだと教えられた。残り400年と考えても気の遠くなるような時間である。
四神やその眷族と結婚した相手は寿命が等しくなるのだというから驚きだ。とすれば陳が白雲と、延が青藍と結婚したら同じだけの時を生きることになる。それを彼女たちは知っているのだろうか。
そこまで考えてから、紅児は他人のことを気にする余裕はないことに気付いた。いつのまにか自分も当事者になっていることに愕然とする。
けれどこの何もわからない状態で恋愛はできないと紅児は思う。
今もしも国に帰れると伝えられれば、紅児は間違いなく帰国することを選ぶであろうから。
「……紅夏様?」
一人が意を決して声をかけると黒い瞳がそちらを向く。その感情を宿していない瞳に声をかけた侍女は身震いした。ただでさえ並外れた美貌を誇る眷族たちである。その無表情たるや破壊力抜群だった。(何を破壊するのだろう)
「なにか」
「……紅児にご用事でしょうか」
「そうだ」
会話は端的で、それ以上話を続けられそうもない。けれど彼女たちはこのまま紅児が出てくるのをただ待っているのも違うような気がした。
「……あ、あのっ! 紅夏様は紅児をどう思っていらっしゃるのでしょうかっ!?」
一昨日の夜紅児が紅夏の部屋に行き、昨日の朝泣いて帰ってきたのはどういうことか。大丈夫だと気丈にがんばる紅児を侍女たちはみな心配していた。
「どう思う、とは?」
静かに聞かれ言葉に詰まる。
そこで侍女は考えを改めた。もしかしたら聞き方が悪かったかもしれない。
「ええとですね……紅夏様は紅児をどうされるおつもりでしょうか?」
「我が妻にする」
侍女たちは絶句した。
当り前のように言われ、彼女たちはかろうじて頷いた。
確かに白雲や青藍もこれと定めた相手しか見ていないし、侍女頭に白雲との関係を問い詰めた際求婚されたようなことを言っていた。
侍女たちは紅児の保護者のような気持ちでいたから、紅夏の答えにほっとした。一昨日の夜面白がって紅夏の元へ紅児を行かせてしまったことを実は後悔していたのだ。
「それなら……それならいいのです。……どうか紅児を大切にしてあげてください」
これ以上侍女たちが言うこともないが、精一杯の思いを籠めて紅夏を見た。
「そうだな。大切にしよう」
だから紅夏の返事はとても嬉しかった。
彼らはそこが大部屋の扉の前だということを失念していた。
「あの……?」
紅児は扉の前にまだ侍女たちがいたことを不思議に思った。そしてすぐ脇を見やり、
「え……」
反射的に部屋の中に戻ろうとしたが、閉めようとした扉を開けられる。
「紅児」
静かな声だった。
「我は言葉が足りない」
紅児は頷く。
「人間のこともよくわからぬ」
そうなのか、と紅児は思う。
「だからそなたが教えてくれ。我も、そなたが知りたいことに答えよう」
その科白にも頷いてから、紅児はなにかがおかしいと思った。
腕を引かれる。
「朝食をとるのだろう」
紅児はまた頷いた。
昨日までの紅夏とはあきらかに違うように見えた。けれどそれがなんなのか説明できない。
紅児と紅夏は侍女たちに囲まれるようにして食堂へ向かった。食堂に着けば侍女たちとは少し離れた席に座らされた。
紅児は戸惑いながらも好きな物を取って来、紅夏の横に座る。今朝も紅夏は何も食べないようだった。
「先に朝食をとられたのですか?」
自分では何も持ってこない紅夏にお茶を差し出して聞くと、「食事は必要ない」と言う。
どういうことなのかと尋ねれば、四神と花嫁の間に産まれた眷族はあまり食事を必要としないらしい。紅児はやはりよくわからなかったが、神により近い存在だからそうなのかと勝手に解釈した。だが黒月は食事をしていたように思う。それについて聞くと、黒月は人間との混血が進んでから生まれた眷族で人に近くなってしまった為食事を必要とするらしい。
まず四神と花嫁の間に産まれた眷族を第一世代とし、その眷族間で産まれた眷族を第二世代という。眷族が人間との間に産んだ眷族は第三世代と呼ばれるらしい。寿命は第一世代が一番長く、700~800年生きるのだという。第二世代は眷族の寿命によるが500~600年。第三世代は300~400年。その第三世代同士から産まれた眷族は更に寿命が短く150~250年という。つまり第一世代に当たる紅夏は最低でも700年は生きるらしい。
紅児は頭がくらくらした。百年だって気の遠くなるような時間だと思うのに700年など全く想像がつかない。
どうにか朝食を終えて仕事に行く時間になった。
「紅夏様はどうなさるのですか?」
「朱雀様の室の前にいる」
朱雀の室は四神宮に入って一番手前なのですぐに紅児と紅夏は別れた。
それをなんとなく寂しく思ったが、紅児は慌てて首を振った。
昼食、夕食の際も時間が決まっているわけではないのに紅夏はふらりと現れる。
そしていろいろなことを教えてもらった。ただ仕事が終った後、「部屋に来るように」という科白には首を振った。
確かに2人きりで話したいこともあるかもしれなかったが、まだ知り合って間もないのに再び紅夏の部屋に行くことはためらわれた。
紅児は紅夏のことをかっこいいとか美しいとは思うが、恋愛感情を抱いているかと聞かれれば疑問だった。
この国では子供の結婚は親が決めるのが当り前で、恋愛結婚というのは少ないらしい。身分があれば政略結婚をし、その後愛が芽生えるかどうかはお互いの努力による。だからそもそも恋愛ができるという時点で贅沢なのだが、庶民の結婚については恋愛結婚が多い国で育ってきた紅児としてはもう少しきちんと考えたいというのが本音だった。
「そうか」
紅夏は無表情でそれだけ言うと踵を返した。
そうされると今度は「なんですぐに諦めるの」と理不尽なことを考えてしまう自分に紅夏は戸惑った。
大部屋に戻ると侍女たちに肩を叩かれた。どうやら心配して扉の前で聞き耳を立てていたらしい。
「断って正解よ」
「男ってのはすぐ既成事実を作ろうとするんだから!」
「この間はごめんね」
先日の件は調子に乗りすぎたと侍女たちは言う。
四神の眷族に見初められることほど幸運なことはないと、自分たちの勝手な考えで紅児を送りだしてしまった。
「侍女頭にものすごく怒られちゃったわ。本当にごめんなさいね」
「いえ……」
神の眷族に見初められるなんて、確かにこの国の者からすれば天にも昇るようなことなのだろう。神の概念自体が曖昧で、まず地上にいることが信じられない紅児としてはいまいちピンとこなかったが。
「紅夏様もかなり花嫁様にしぼられたんじゃない?」
何気なく言われ、紅児は目を見開いた。一昨日の夜のことが花嫁にまで知られているとは思いもよらなかった。
「え……」
「花嫁様はよく見ていらっしゃるものね」
「紅児の様子で多分気付かれたのではなくて?」
さすが四神の花嫁様よねーと侍女たちは簡単に結論づけていたが、そこまで気にしてもらっているということを紅児は申し訳なく思った。
全てを終えて小部屋に戻る。
紅児は今日紅夏から教えてもらったことを頭の中で整理した。
紅夏の寿命は少なくとも700年。そしてすでに大体300年ぐらい生きているらしい。
人の寿命は長くても70年ぐらいですけど? と言えば紅夏と結婚すれば同じだけの時を生きるのだと教えられた。残り400年と考えても気の遠くなるような時間である。
四神やその眷族と結婚した相手は寿命が等しくなるのだというから驚きだ。とすれば陳が白雲と、延が青藍と結婚したら同じだけの時を生きることになる。それを彼女たちは知っているのだろうか。
そこまで考えてから、紅児は他人のことを気にする余裕はないことに気付いた。いつのまにか自分も当事者になっていることに愕然とする。
けれどこの何もわからない状態で恋愛はできないと紅児は思う。
今もしも国に帰れると伝えられれば、紅児は間違いなく帰国することを選ぶであろうから。
応援ありがとうございます!
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