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本編
30.不安
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帰ってくるのにはもうしばらくかかるかと予想していたのに反して、紅児が戻ってすぐぐらいに朱雀に抱かれて花嫁は帰ってきた。
ぐったりした様子の花嫁の為に、体を拭く用の湯や着替えを用意する。お茶やお茶菓子がすぐに用意され、長椅子に腰掛けた花嫁に差し出した。
「ありがとう……」
予想に違わず花嫁はひどく疲れているようだった。緩慢な仕草でお茶椀を持ち慎重に啜る。
ほう……と安堵のため息が漏れた。
「やっぱりお茶はいいわね……」
呟くように言い、それからゆっくりと時間をかけて花嫁は一杯の茶を飲み干した。
紅児も表から戻ってきたばかりなので少し疲れていたが、花嫁の比ではないだろうと己を奮い立たせた。
「少し休むわ……」
「はっ! 青龍様のご訪問は……」
「……うーん。ほっといて大丈夫、だと思う」
黒月の言葉に花嫁は少し考えるような表情をしたが、ひらひらと手を振って応えた。それに延が嘆息する。
「……花嫁様は優しすぎます」
「んー……そうでもないと思うわ」
そして花嫁は寝室に消えて行った。
「ねぇ、黒月。……四神は花嫁様に気を使われたりはなさらないの?」
「四神は花嫁様を心から愛していらっしゃるのだ」
「……貴女に聞いた私が馬鹿なのかしら」
延と黒月はそう言葉を交わした後、一旦花嫁の部屋を出て行った。延はそのままどこかへ行ったようだが黒月が扉の前にいることを紅児は知っていた。
彼女たちの話は時にとんでもなく難しい。延はどうも四神に少し意見があるようだった。
それは青龍の訪れが関係しているのだろうかと紅児は考える。今日の昼は確かに順番でいけば花嫁は青龍と過ごすことになっていた。だが今日のような特別いろいろなことがある日は例外でもいいような気もする。
四神と花嫁が普段どんな風に室内で過ごしているのか紅児はほとんど知らない。庭等ではお茶をしてお話して、というかんじだが室内では別のことをしているのかもしれなかった。その別のことが思い浮かばず、紅児はほんの少しだけ首を傾げて他の侍女に窘められた。とんだ失敗である。
やがて部屋の表で話し声がし、扉が開かれた。
青龍だった。
彼は流れるように居間を通り抜け、寝室に足を踏み入れる。
紅児は何をしているのかと耳を澄ませたが何も聞こえてこなかった。そう、誰かの微かな足音すらも。
紅夏も足音を立てないから四神や眷族はそういうものなのかもしれないが花嫁は違ったように思う。あまり自分の足で歩いている姿を見ないが足音はしていたような気がした。
おそらく花嫁は疲れて眠ってしまったのだろうと想像する。
青龍が出てこないところを見ると傍らで寄り添っているのだろうか。
そこまで考えて紅児は赤くなった。一瞬己と紅夏でその情景を想像してしまったのだった。
(私ったら……何を考えているのかしら……)
恥ずかしく思いながらも思考は止まらない。
返事は急がぬ、と言いながら紅夏の中で紅児が嫁ぐのは当り前のようになっていること。
(私が帰国するって選択肢はないのかしら)
それとも帰国してもこちらに戻ってくるものと思っているのだろうか。
ただ、まだ紅児は自分が本当に国に帰れるとは思っていなかった。
問い合わせをしてくれるということにはなったが、自分の国まで船で片道2か月もかかるのである。運よくセレスト王国から貿易船が来て問い合わせの文書を託せたとしても往復だけで4カ月。国に届いたら届いたでどれほど滞るのか。そう考えるとかの国から返答がくるまでに最低でも1年ぐらいかかってしまうのではなかろうか。
(そうしたら……やっぱり紅夏様の妻になっているのかしら)
紅児がこの四神宮に勤められるのは花嫁の好意によるもの。そう考えると花嫁が誰かに嫁ぐ頃には紅児もどうするか決めないといけないだろう。
(この冬の間に……15歳になってしまう……)
セレスト王国での成人は18歳だが、それを主張してもし帰国できなかったとしたら行く場所がなくなってしまう。
秦皇島の村に戻るという選択肢はない。かと言って養父の親戚に頼る気もなかった。
紅児は心の中で自嘲した。
(どうすれば……)
紅児は己がとても危うい状態だということを実感する。
けれど現状をどうこうする力はなくて。
(パパ、ママ……)
思い浮かべる度に両親の記憶が薄れていることを感じながらも、縋らずにはいられない。
そんな紅児を花嫁の部屋付きである他の侍女が心配そうに窺っていたが、それに気付くだけの余裕はなかった。
そうしているうちに太陽が西に移動してきた。
初夏ともいえるこの頃は戌の刻(19時頃)まで暗くなることはない。晩餐会が始まるのは酉の正刻(18時頃)だというからまだ明るい時間といえた。
準備の為に仕方なく1時間以上前に声をかけ、ねぼけまなこの花嫁にお茶を出し、それからまた着替えをさせる(当然のことながら青龍は追い出した)。一旦下ろした髪を結い上げ、化粧を直すと再び妖艶な美女が出来上がる。
化粧というのは本当に化ける為にあるのだなと紅児は感心した。
着飾った花嫁を迎えに来たのは朱雀だった。お互い着ている衣装は違うが髪の色が同じなせいかひどく似合いに見える。けれど花嫁が王城にいるということは、まだ誰に嫁ぐのか決めかねている証拠であった。
四神はどうなのだろう、と紅児は考える。やはり早く花嫁に嫁ぎ先を決めてほしいのだろうか。
けれど紅児からすれば、1年間ぎりぎり王城にいてくれることが望ましい。
少なくともそれまでは猶予がもらえるのだから。
花嫁は朝のように延と黒月に付き添われて出て行った。
朝よりは楽しそうにしていたのが印象的だった。
ぐったりした様子の花嫁の為に、体を拭く用の湯や着替えを用意する。お茶やお茶菓子がすぐに用意され、長椅子に腰掛けた花嫁に差し出した。
「ありがとう……」
予想に違わず花嫁はひどく疲れているようだった。緩慢な仕草でお茶椀を持ち慎重に啜る。
ほう……と安堵のため息が漏れた。
「やっぱりお茶はいいわね……」
呟くように言い、それからゆっくりと時間をかけて花嫁は一杯の茶を飲み干した。
紅児も表から戻ってきたばかりなので少し疲れていたが、花嫁の比ではないだろうと己を奮い立たせた。
「少し休むわ……」
「はっ! 青龍様のご訪問は……」
「……うーん。ほっといて大丈夫、だと思う」
黒月の言葉に花嫁は少し考えるような表情をしたが、ひらひらと手を振って応えた。それに延が嘆息する。
「……花嫁様は優しすぎます」
「んー……そうでもないと思うわ」
そして花嫁は寝室に消えて行った。
「ねぇ、黒月。……四神は花嫁様に気を使われたりはなさらないの?」
「四神は花嫁様を心から愛していらっしゃるのだ」
「……貴女に聞いた私が馬鹿なのかしら」
延と黒月はそう言葉を交わした後、一旦花嫁の部屋を出て行った。延はそのままどこかへ行ったようだが黒月が扉の前にいることを紅児は知っていた。
彼女たちの話は時にとんでもなく難しい。延はどうも四神に少し意見があるようだった。
それは青龍の訪れが関係しているのだろうかと紅児は考える。今日の昼は確かに順番でいけば花嫁は青龍と過ごすことになっていた。だが今日のような特別いろいろなことがある日は例外でもいいような気もする。
四神と花嫁が普段どんな風に室内で過ごしているのか紅児はほとんど知らない。庭等ではお茶をしてお話して、というかんじだが室内では別のことをしているのかもしれなかった。その別のことが思い浮かばず、紅児はほんの少しだけ首を傾げて他の侍女に窘められた。とんだ失敗である。
やがて部屋の表で話し声がし、扉が開かれた。
青龍だった。
彼は流れるように居間を通り抜け、寝室に足を踏み入れる。
紅児は何をしているのかと耳を澄ませたが何も聞こえてこなかった。そう、誰かの微かな足音すらも。
紅夏も足音を立てないから四神や眷族はそういうものなのかもしれないが花嫁は違ったように思う。あまり自分の足で歩いている姿を見ないが足音はしていたような気がした。
おそらく花嫁は疲れて眠ってしまったのだろうと想像する。
青龍が出てこないところを見ると傍らで寄り添っているのだろうか。
そこまで考えて紅児は赤くなった。一瞬己と紅夏でその情景を想像してしまったのだった。
(私ったら……何を考えているのかしら……)
恥ずかしく思いながらも思考は止まらない。
返事は急がぬ、と言いながら紅夏の中で紅児が嫁ぐのは当り前のようになっていること。
(私が帰国するって選択肢はないのかしら)
それとも帰国してもこちらに戻ってくるものと思っているのだろうか。
ただ、まだ紅児は自分が本当に国に帰れるとは思っていなかった。
問い合わせをしてくれるということにはなったが、自分の国まで船で片道2か月もかかるのである。運よくセレスト王国から貿易船が来て問い合わせの文書を託せたとしても往復だけで4カ月。国に届いたら届いたでどれほど滞るのか。そう考えるとかの国から返答がくるまでに最低でも1年ぐらいかかってしまうのではなかろうか。
(そうしたら……やっぱり紅夏様の妻になっているのかしら)
紅児がこの四神宮に勤められるのは花嫁の好意によるもの。そう考えると花嫁が誰かに嫁ぐ頃には紅児もどうするか決めないといけないだろう。
(この冬の間に……15歳になってしまう……)
セレスト王国での成人は18歳だが、それを主張してもし帰国できなかったとしたら行く場所がなくなってしまう。
秦皇島の村に戻るという選択肢はない。かと言って養父の親戚に頼る気もなかった。
紅児は心の中で自嘲した。
(どうすれば……)
紅児は己がとても危うい状態だということを実感する。
けれど現状をどうこうする力はなくて。
(パパ、ママ……)
思い浮かべる度に両親の記憶が薄れていることを感じながらも、縋らずにはいられない。
そんな紅児を花嫁の部屋付きである他の侍女が心配そうに窺っていたが、それに気付くだけの余裕はなかった。
そうしているうちに太陽が西に移動してきた。
初夏ともいえるこの頃は戌の刻(19時頃)まで暗くなることはない。晩餐会が始まるのは酉の正刻(18時頃)だというからまだ明るい時間といえた。
準備の為に仕方なく1時間以上前に声をかけ、ねぼけまなこの花嫁にお茶を出し、それからまた着替えをさせる(当然のことながら青龍は追い出した)。一旦下ろした髪を結い上げ、化粧を直すと再び妖艶な美女が出来上がる。
化粧というのは本当に化ける為にあるのだなと紅児は感心した。
着飾った花嫁を迎えに来たのは朱雀だった。お互い着ている衣装は違うが髪の色が同じなせいかひどく似合いに見える。けれど花嫁が王城にいるということは、まだ誰に嫁ぐのか決めかねている証拠であった。
四神はどうなのだろう、と紅児は考える。やはり早く花嫁に嫁ぎ先を決めてほしいのだろうか。
けれど紅児からすれば、1年間ぎりぎり王城にいてくれることが望ましい。
少なくともそれまでは猶予がもらえるのだから。
花嫁は朝のように延と黒月に付き添われて出て行った。
朝よりは楽しそうにしていたのが印象的だった。
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