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本編
52.条件
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四阿の壁際にしつらえてある石造りの椅子に、紅児は促されて腰かける。その隣に紅夏が座った。
体を離していたのはほんの一瞬。すぐに腰を抱かれ、至近距離に紅夏の秀麗な表が迫る。
(なんて心臓に悪いの……)
恋を自覚してしまえば紅夏を間近に感じるのはある意味苦痛かもしれない。
何故なら頬は熱を持ち、胸は早鐘のように打っている。そして胸の中心を甘い疼きが走り、息が苦しくなるのを覚える。
そうまるで自分が重病人になってしまったように。
「紅児」
そんな甘いテナーで名を呼ばないでほしい。そっと胸を押さえた時、紅夏にその手を優しく掴まれた。
〈先日朱雀様にそなたが我の”つがい”だということをお知らせし、海を渡ることができるかどうかをお尋ねした〉
紅児ははっとした。気持ち居住まいを正す。
〈朱雀様は、そなたと契れば我も海を渡ることができるとおっしゃられた〉
〈契る?〉
肝心な言葉の意味がわからなくて紅児は聞き返した。紅夏は心得たように言い直す。
〈我がそなたを抱けば、共に行ける〉
(抱く……)
ただでさえ赤く染まっているであろう顔が更に熱を持つ。もう全身が真っ赤になっているだろう。
今まで紅夏には何度となく言われている科白だったが、今ほど実感を持って聞いたことはなかった。
〈……そうしなければ、駄目なのですか……〉
この国で”契る”といえば婚姻を意味する。つまり紅児は紅夏と結婚しなければいけない。
彼と結婚したくないわけではない。
ただ、まだ気持ちがついていかない。
〈そうだ。しかもそなたは我の”つがい”、契らずに国外に出ることはできぬ〉
〈……え……〉
紅児はまじまじと紅夏の顔を見た。
今彼は何と言ったのだろう。
〈あの……私も……〉
〈我はそなたを”つがい”だと知ってしまった。知る前なれば国外に出ることもできたであろうが、現在そなたは神の庇護の元にある〉
頭が真っ白になった。
海を渡れないのは紅夏だけではなかったのだ。
頭の中をぐるぐるといろんな情景が浮かんでは消える。
(私1人では帰国できない?)
もちろん紅児は紅夏と共に海を渡りたかった。けれどそれは自分が1人でも帰国できるという前提があればこそ。
ひどく混乱する。
(じゃあもしかして……)
自分が3年前帰国できなかったのは、この国の神の意志が働いていたとでもいうのか。
視界が暗くなる。唇が今にもつきそうな位置に紅夏の顔があった。
〈……そなたが何を想像したのかはわかる。だがそれはありえぬ〉
〈……何が、ありえないのです……か……?〉
頭に直接聞こえてくる声を遮断することはできない。だからどうにか紅児は受け答えができた。
〈3年前、そなたは初潮を迎えていただろうか?〉
〈初潮?〉
〈月経のことだ。子を成せなければ”つがい”にはなれぬ〉
この国に来た時、紅児はまだ11歳だった。早い子なら初潮を迎えているかもしれないが、紅児が初潮を迎えたのは昨年の頭のことだった。
〈それにそなたが”つがい”である故にこの国に留まらせられたというならば、何故3年も我はそなたを見つけられなかったのだろうな?〉
それは紅夏が朱雀の領地を出なかったからだが、確かに結びつけるには些か苦しいかもしれない。
けれど。
〈では何故船は転覆したのですか……!! 何の為に父は亡くなったのですか……!?〉
3年前、どうして帰国の船が転覆したのか。それは沖に出てしばらくもいかないうちに嵐にあったからだ。では何故熟練の船乗りが嵐を予測できなかったのか。どうして他の乗組員は見つからないのか。
紅児の脳裏をいろんな疑問が渦巻く。そしてもう何を聞いているのかすらわからなくなった時、すっぽりと抱き込まれた。
〈紅児、そなたはつらい思いをしてきた。何かに意味を見出そうとする気持ちはわからぬでもない。だがそなたたちの乗った船が転覆したのは偶然に過ぎぬ。……第一、そこまで神々は人の世界に目を向けているわけではない〉
神は人が思っているほど見てくれているわけではない。
その科白は紅児の胸にすとん、と落ちた。
(元々、神なんて信じていなかったじゃない)
それ以前に紅児の国には確固とした宗教はない。各家庭に守り神がいるが、それも基本は先祖である。
だから身近に神がいる、という状況が未だによくわからない。
四神はこの国の先祖というわけではなく元は神獣であるという。地上にいる神々の他に天に住まう神々もおり、その中でも一番えらいと目されるのが天皇だとは聞いた。
神の中にも序列やまとめ役のようなものがいるというのが不思議だった。神々の社会も人間のそれと似ているのだろうか。
けれどそんな考えは紅夏の腕の中で霧散してしまった。
すっぽりと守るように抱き込まれているだけで安心する。それだけならいいのだが、意識してしまうと胸が甘く疼いてしまって困るのだ。目の奥が熱くなって瞳が潤んでくるのを誤魔化すように紅児は質問を変えた。
〈……私1人では国外に出られないって、もし出ようとしたらどうなってしまうのですか……?〉
〈わからぬ。前例がないのでな。だが、何かしらの力が作用するだろう。それこそそなたが船に乗ろうとすれば嵐が起こるやもしれぬ〉
紅児は身震いした。
またあんな目に合うのはごめんだった。
〈……紅夏様と、その……契れば……〉
口に出すのも恥ずかしいがなんとかそこまで言うと、
〈そうだ。そなたが身も心も我の物になれば共に海を渡ることができる〉
当り前のようにさらりと応えられた。
(身も心もって……)
想像するだけで紅児は身悶えそうだった。
そこでふと、あることに気付いた。
セレスト王国に向けて船が出てからすでに約1ヵ月が経過している。花嫁が返事を持ち帰れと定めた期間は半年。つまり紅児が帰国できるか否かの返事があと5カ月以内に届く計算である。
5か月後といえば新年を迎える前だ。
紅児の誕生日はこの国で新年を迎えた後である。
そうなるともし5カ月以内に迎えが来てもその時紅児は帰国できないのではないか。
それを紅夏に尋ねれば、
〈なれば、使者が到着したその夜にでもそなたを抱くとしよう〉
と言われて慌てた。
〈で、でもまだ成人してませんよ?〉
〈そなたの国では成人前に体を重ねるのはおかしくないのだろう?〉
〈でもそうしたら結婚は18歳まで……〉
〈我と契った時点でそなたは我以外に嫁ぐことはできぬ。それに子もそれほど早くはできぬ。安心して我の物になれ〉
なんだか都合のいいように解釈された気がするが、惚れた弱みとでも言おうか紅児は何も言うことができなかった。
それは、紅夏に唇を塞がれたせいかもしれなかった。
体を離していたのはほんの一瞬。すぐに腰を抱かれ、至近距離に紅夏の秀麗な表が迫る。
(なんて心臓に悪いの……)
恋を自覚してしまえば紅夏を間近に感じるのはある意味苦痛かもしれない。
何故なら頬は熱を持ち、胸は早鐘のように打っている。そして胸の中心を甘い疼きが走り、息が苦しくなるのを覚える。
そうまるで自分が重病人になってしまったように。
「紅児」
そんな甘いテナーで名を呼ばないでほしい。そっと胸を押さえた時、紅夏にその手を優しく掴まれた。
〈先日朱雀様にそなたが我の”つがい”だということをお知らせし、海を渡ることができるかどうかをお尋ねした〉
紅児ははっとした。気持ち居住まいを正す。
〈朱雀様は、そなたと契れば我も海を渡ることができるとおっしゃられた〉
〈契る?〉
肝心な言葉の意味がわからなくて紅児は聞き返した。紅夏は心得たように言い直す。
〈我がそなたを抱けば、共に行ける〉
(抱く……)
ただでさえ赤く染まっているであろう顔が更に熱を持つ。もう全身が真っ赤になっているだろう。
今まで紅夏には何度となく言われている科白だったが、今ほど実感を持って聞いたことはなかった。
〈……そうしなければ、駄目なのですか……〉
この国で”契る”といえば婚姻を意味する。つまり紅児は紅夏と結婚しなければいけない。
彼と結婚したくないわけではない。
ただ、まだ気持ちがついていかない。
〈そうだ。しかもそなたは我の”つがい”、契らずに国外に出ることはできぬ〉
〈……え……〉
紅児はまじまじと紅夏の顔を見た。
今彼は何と言ったのだろう。
〈あの……私も……〉
〈我はそなたを”つがい”だと知ってしまった。知る前なれば国外に出ることもできたであろうが、現在そなたは神の庇護の元にある〉
頭が真っ白になった。
海を渡れないのは紅夏だけではなかったのだ。
頭の中をぐるぐるといろんな情景が浮かんでは消える。
(私1人では帰国できない?)
もちろん紅児は紅夏と共に海を渡りたかった。けれどそれは自分が1人でも帰国できるという前提があればこそ。
ひどく混乱する。
(じゃあもしかして……)
自分が3年前帰国できなかったのは、この国の神の意志が働いていたとでもいうのか。
視界が暗くなる。唇が今にもつきそうな位置に紅夏の顔があった。
〈……そなたが何を想像したのかはわかる。だがそれはありえぬ〉
〈……何が、ありえないのです……か……?〉
頭に直接聞こえてくる声を遮断することはできない。だからどうにか紅児は受け答えができた。
〈3年前、そなたは初潮を迎えていただろうか?〉
〈初潮?〉
〈月経のことだ。子を成せなければ”つがい”にはなれぬ〉
この国に来た時、紅児はまだ11歳だった。早い子なら初潮を迎えているかもしれないが、紅児が初潮を迎えたのは昨年の頭のことだった。
〈それにそなたが”つがい”である故にこの国に留まらせられたというならば、何故3年も我はそなたを見つけられなかったのだろうな?〉
それは紅夏が朱雀の領地を出なかったからだが、確かに結びつけるには些か苦しいかもしれない。
けれど。
〈では何故船は転覆したのですか……!! 何の為に父は亡くなったのですか……!?〉
3年前、どうして帰国の船が転覆したのか。それは沖に出てしばらくもいかないうちに嵐にあったからだ。では何故熟練の船乗りが嵐を予測できなかったのか。どうして他の乗組員は見つからないのか。
紅児の脳裏をいろんな疑問が渦巻く。そしてもう何を聞いているのかすらわからなくなった時、すっぽりと抱き込まれた。
〈紅児、そなたはつらい思いをしてきた。何かに意味を見出そうとする気持ちはわからぬでもない。だがそなたたちの乗った船が転覆したのは偶然に過ぎぬ。……第一、そこまで神々は人の世界に目を向けているわけではない〉
神は人が思っているほど見てくれているわけではない。
その科白は紅児の胸にすとん、と落ちた。
(元々、神なんて信じていなかったじゃない)
それ以前に紅児の国には確固とした宗教はない。各家庭に守り神がいるが、それも基本は先祖である。
だから身近に神がいる、という状況が未だによくわからない。
四神はこの国の先祖というわけではなく元は神獣であるという。地上にいる神々の他に天に住まう神々もおり、その中でも一番えらいと目されるのが天皇だとは聞いた。
神の中にも序列やまとめ役のようなものがいるというのが不思議だった。神々の社会も人間のそれと似ているのだろうか。
けれどそんな考えは紅夏の腕の中で霧散してしまった。
すっぽりと守るように抱き込まれているだけで安心する。それだけならいいのだが、意識してしまうと胸が甘く疼いてしまって困るのだ。目の奥が熱くなって瞳が潤んでくるのを誤魔化すように紅児は質問を変えた。
〈……私1人では国外に出られないって、もし出ようとしたらどうなってしまうのですか……?〉
〈わからぬ。前例がないのでな。だが、何かしらの力が作用するだろう。それこそそなたが船に乗ろうとすれば嵐が起こるやもしれぬ〉
紅児は身震いした。
またあんな目に合うのはごめんだった。
〈……紅夏様と、その……契れば……〉
口に出すのも恥ずかしいがなんとかそこまで言うと、
〈そうだ。そなたが身も心も我の物になれば共に海を渡ることができる〉
当り前のようにさらりと応えられた。
(身も心もって……)
想像するだけで紅児は身悶えそうだった。
そこでふと、あることに気付いた。
セレスト王国に向けて船が出てからすでに約1ヵ月が経過している。花嫁が返事を持ち帰れと定めた期間は半年。つまり紅児が帰国できるか否かの返事があと5カ月以内に届く計算である。
5か月後といえば新年を迎える前だ。
紅児の誕生日はこの国で新年を迎えた後である。
そうなるともし5カ月以内に迎えが来てもその時紅児は帰国できないのではないか。
それを紅夏に尋ねれば、
〈なれば、使者が到着したその夜にでもそなたを抱くとしよう〉
と言われて慌てた。
〈で、でもまだ成人してませんよ?〉
〈そなたの国では成人前に体を重ねるのはおかしくないのだろう?〉
〈でもそうしたら結婚は18歳まで……〉
〈我と契った時点でそなたは我以外に嫁ぐことはできぬ。それに子もそれほど早くはできぬ。安心して我の物になれ〉
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