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本編
59.請您叫我的名字(名前を呼んで)
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仕事が終り湯あみを終えた後、紅児は紅夏の室を訪ねた。
昨夜と同じシチュエーションだったが、今夜はさすがに流されないようにと紅児は胸をぐっと押さえての訪問である。
すでに湯あみの最中に侍女たちによる質問の洗礼を受けてへろへろである。けれど養父母の様子をもう少し聞かせてほしかった。紅児たちが湯あみを終える頃には紅夏も基本室にいる。そういえば眷族がいつ湯あみをしているのか知らないと紅児は思った。
「紅夏様……」
表から声をかければすぐにその扉は開かれ腕を引かれた。当り前のように床に腰掛けさせられる。
どうしてその手前の椅子ではいけないのかと思うのだが、下手なことを言ってとんでもないことになってはたまらない。余計なことは言わないに限る。
「花嫁様と話をしていたそうだな」
「はい……」
紅夏はすぐ隣に腰掛け、紅児を抱き込むように密着した。
「ちょっと、その……いろいろ気になったことがありまして……」
さすがに眷族の前で花嫁とした話の内容を話すのは気が引けた。四神に対する批判と取られても仕方ないことだったから。
「聞きたいことが聞けたならそれでいい。……養父母殿に改めてそなたをもらう旨伝えて参った」
紅夏の話はいつでも唐突だ。前置きとかが一切ないので少しぼうっとしている時は困る。そうでなくても彼の面をまっすぐ見ているだけで精一杯なのに。
「え……あ、そうなのですね……」
だからそんなマヌケな返事しかできなかった。
「ええと、おっかさん、びっくりしてませんでしたか……?」
「ああ……」
紅夏はほんの少しだけ考えるような顔をした。
「我は朝方に着いたのだが……養母殿はそれを驚かれていたように見受けられたな」
紅児は軽く首を振った。
きっと養母は紅夏の美貌に驚いたに違いなかった。村にはごく稀に芸人一座などがやってくることがあるが、彼らの華やかさと紅夏では雲泥の差である。もちろん彼は人ではないのだから比べること自体間違っているのかもしれなかった。
「そうですか」
訂正する必要もないのでそのままにしておくことにした。
「それで……荷物を渡していただけたのですね」
「ああ、品物の中身も確認していただいた。石は説明が必要であったしな」
「あ……」
便利になるだろうと思って託したはいいが説明をしなければいけないことを忘れていた。養父母は店をかまえているぐらいだから必要最低限の読み書きはできるのだが、紅児はメニューの名前と数以外読むことも書くことも不自由なのだ。
「すいません……私、すっかり……」
「かまわぬ。そなたはまだこの国の文字には不慣れだろう」
もし説明書きをつけられたとしても養父母は読めなかった可能性が高い。それでもやはり読み書きは出来た方がいいだろうと紅児は改めて思った。とはいえここで文字を習いたいと思うと誰に頼めばいいのか皆目見当がつかない。下手に花嫁の耳に入ればいろいろ便宜を図ろうとしてくれそうで、それは申し訳ないだろう。
しかし今は読み書きのことより養父母のことを聞かなくては。
気を取り直して先を促すように紅夏を見ると、彼は一瞬目を見張った。
「?」
「……たいそう喜んでおられた。『お前はわしらの子なのだから気を使うんでねぇ』……とのことだ」
「え……」
その声音がまるで養父そっくりに聞こえて、紅児は目を見開いた。紅夏は満足そうに目を細める。
「……どうして……」
声の質は全く違うはずなのに、同じように聞こえるなんて……。
「……これも眷族の能力の一つだ」
誰かの音を複製することだろうか。
それならば。
「……エリーザ……そなたの名はこの音で間違いないか?」
花嫁の声でもない、以前会ったことのある通訳の声でもない”紅夏”自身のテナー。
「…………はい」
目の奥が熱くなる。
どうしてこんなに己は涙もろいのだろう。
どうして紅夏はこんなにも己を喜ばせてくれるのだろう。
『エリーザ』
この国の人たちにとっては呼びにくい名前。それはあてはまる音がないからだと聞いたのに。
更にきつく抱き寄せられ、目元に口付けられる。
「そなたは……我の理性を試しているのか……?」
(理性?)
それよりももっと名を呼んでほしいと紅児は思う。
「紅夏様、もっと……」
頼めば嘆息される。
「いくらでも、エリーザ……」
涙があとからあとから溢れてくる。ここに来てから泣きすぎだと思うのにそう簡単に涙は止まってくれない。
そうして、どれほど泣いただろうか。
まだ全然養父母のことを聞いていないことに紅児は気付いた。
「あの……おとっつぁんとおっかさんは……」
おずおずと続きを聞けば、「……さすがに色気がないな」と呟かれた。
(色気?)
「そなたを妻にする旨お伝えすると、そなたの意志を尊重してくれればよいと言われた」
紅児は頬を染めた。
ここまでしてもらって紅夏以外に嫁ぐという選択肢はもうないように思える。
「……ありがとうございます」
養父母が元気なようでよかった。店も再開できてよかった。紅夏に届けてもらった荷物が少しでも役に立てばいい。
「エリーザ、なれば褒美をいただこう」
「……え?」
(褒美って……)
紅児が戸惑っている間にクイ、と頤を持ち上げられて……。
結局その夜も、紅児は甘く啼かされることとなった。
昨夜と同じシチュエーションだったが、今夜はさすがに流されないようにと紅児は胸をぐっと押さえての訪問である。
すでに湯あみの最中に侍女たちによる質問の洗礼を受けてへろへろである。けれど養父母の様子をもう少し聞かせてほしかった。紅児たちが湯あみを終える頃には紅夏も基本室にいる。そういえば眷族がいつ湯あみをしているのか知らないと紅児は思った。
「紅夏様……」
表から声をかければすぐにその扉は開かれ腕を引かれた。当り前のように床に腰掛けさせられる。
どうしてその手前の椅子ではいけないのかと思うのだが、下手なことを言ってとんでもないことになってはたまらない。余計なことは言わないに限る。
「花嫁様と話をしていたそうだな」
「はい……」
紅夏はすぐ隣に腰掛け、紅児を抱き込むように密着した。
「ちょっと、その……いろいろ気になったことがありまして……」
さすがに眷族の前で花嫁とした話の内容を話すのは気が引けた。四神に対する批判と取られても仕方ないことだったから。
「聞きたいことが聞けたならそれでいい。……養父母殿に改めてそなたをもらう旨伝えて参った」
紅夏の話はいつでも唐突だ。前置きとかが一切ないので少しぼうっとしている時は困る。そうでなくても彼の面をまっすぐ見ているだけで精一杯なのに。
「え……あ、そうなのですね……」
だからそんなマヌケな返事しかできなかった。
「ええと、おっかさん、びっくりしてませんでしたか……?」
「ああ……」
紅夏はほんの少しだけ考えるような顔をした。
「我は朝方に着いたのだが……養母殿はそれを驚かれていたように見受けられたな」
紅児は軽く首を振った。
きっと養母は紅夏の美貌に驚いたに違いなかった。村にはごく稀に芸人一座などがやってくることがあるが、彼らの華やかさと紅夏では雲泥の差である。もちろん彼は人ではないのだから比べること自体間違っているのかもしれなかった。
「そうですか」
訂正する必要もないのでそのままにしておくことにした。
「それで……荷物を渡していただけたのですね」
「ああ、品物の中身も確認していただいた。石は説明が必要であったしな」
「あ……」
便利になるだろうと思って託したはいいが説明をしなければいけないことを忘れていた。養父母は店をかまえているぐらいだから必要最低限の読み書きはできるのだが、紅児はメニューの名前と数以外読むことも書くことも不自由なのだ。
「すいません……私、すっかり……」
「かまわぬ。そなたはまだこの国の文字には不慣れだろう」
もし説明書きをつけられたとしても養父母は読めなかった可能性が高い。それでもやはり読み書きは出来た方がいいだろうと紅児は改めて思った。とはいえここで文字を習いたいと思うと誰に頼めばいいのか皆目見当がつかない。下手に花嫁の耳に入ればいろいろ便宜を図ろうとしてくれそうで、それは申し訳ないだろう。
しかし今は読み書きのことより養父母のことを聞かなくては。
気を取り直して先を促すように紅夏を見ると、彼は一瞬目を見張った。
「?」
「……たいそう喜んでおられた。『お前はわしらの子なのだから気を使うんでねぇ』……とのことだ」
「え……」
その声音がまるで養父そっくりに聞こえて、紅児は目を見開いた。紅夏は満足そうに目を細める。
「……どうして……」
声の質は全く違うはずなのに、同じように聞こえるなんて……。
「……これも眷族の能力の一つだ」
誰かの音を複製することだろうか。
それならば。
「……エリーザ……そなたの名はこの音で間違いないか?」
花嫁の声でもない、以前会ったことのある通訳の声でもない”紅夏”自身のテナー。
「…………はい」
目の奥が熱くなる。
どうしてこんなに己は涙もろいのだろう。
どうして紅夏はこんなにも己を喜ばせてくれるのだろう。
『エリーザ』
この国の人たちにとっては呼びにくい名前。それはあてはまる音がないからだと聞いたのに。
更にきつく抱き寄せられ、目元に口付けられる。
「そなたは……我の理性を試しているのか……?」
(理性?)
それよりももっと名を呼んでほしいと紅児は思う。
「紅夏様、もっと……」
頼めば嘆息される。
「いくらでも、エリーザ……」
涙があとからあとから溢れてくる。ここに来てから泣きすぎだと思うのにそう簡単に涙は止まってくれない。
そうして、どれほど泣いただろうか。
まだ全然養父母のことを聞いていないことに紅児は気付いた。
「あの……おとっつぁんとおっかさんは……」
おずおずと続きを聞けば、「……さすがに色気がないな」と呟かれた。
(色気?)
「そなたを妻にする旨お伝えすると、そなたの意志を尊重してくれればよいと言われた」
紅児は頬を染めた。
ここまでしてもらって紅夏以外に嫁ぐという選択肢はもうないように思える。
「……ありがとうございます」
養父母が元気なようでよかった。店も再開できてよかった。紅夏に届けてもらった荷物が少しでも役に立てばいい。
「エリーザ、なれば褒美をいただこう」
「……え?」
(褒美って……)
紅児が戸惑っている間にクイ、と頤を持ち上げられて……。
結局その夜も、紅児は甘く啼かされることとなった。
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