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本編
62.可能性
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翌日の朝食後、紅児は紅夏を養父母の元へ送りだした。
船に乗れないということについて花嫁と話をする決意ができたことで、紅児の顔は以前よりもしっかりして見えた。
いつも通り花嫁は玄武か朱雀の室で過ごしているのだろう。一旦は昼食の為に着替えに戻ってこられるが話ができたとしても早くて午後である。己の勤務時間中に個人的な話をするのは気が咎めるのだが、勤務時間外だとかえって四神に恨まれかねない。なので仕方なく黒月を探しだし花嫁に用があることを伝えておいた。
彼女は能面のように表情のない顔で「お伝えしておこう」と答えてくれた。
黒月もまた眷族特有のあまり表情が動かない美女である。出ているところは出て、くびれているところはくびれている羨ましい体型をしているのだがこれで未成年だというから驚きだ。
未成年でも性行為は可能らしいが生殖機能がないのだと紅夏が何かの折に教えてくれた。つまり黒月の場合妊娠しないのである(男性であれば精子がまだない状態)。そして更に例え側に”つがい”がいたとしてもまだわからないらしい。”運命の人”に出逢うには成人しているのが不可欠なようだった。
他人の恋路に全く興味がないわけではないが、本人にもその気がなさそうなので侍女たちのように騒ぐ気にはなれない。
花嫁と話をする機会は昼食後に訪れた。
紅児の面持ちを見てか、花嫁は人払いをしてくれた。本日の午後は白虎と過ごすらしい。
人払いをしてくれたと言っても四神はその範疇に入らない。ただ花嫁の安全を考えると四神や眷族の誰かが側にいてくれた方が安心ではある。
花嫁は白虎の腕の中で紅児の淹れたお茶に口をつけた。
いつも花嫁にお茶を淹れる時はどきどきする。侍女たちに花嫁はお茶を淹れるのもすごくうまいらしいと聞いているから。もちろん彼女たちが花嫁に淹れてもらうという栄誉を賜ったはずはないからあくまで想像にすぎないのだが。とはいえ花嫁にまずいお茶を出すわけにはいかないから紅児もかなり練習はさせてもらった。
村にいた時はお湯を出していたから、お茶の淹れ方など気にしたことはない。国にいた時も己がお茶を淹れることなどなかった。
花嫁はコクリとお茶を一口飲むと、満足そうに笑んで茶器を卓に戻した。
「……うん、おいしいわ。それで? 清漪園の様子を話してくれる、とかではなさそうだけど?」
どう切り出したらいいのかと考えていた紅児よりも先に花嫁が口を開く。紅児はほっとした。
「はい……実は昨日……」
紅児はできるだけ端的に昨日起こったこと、それによってわかったことを話した。
花嫁は最後まで黙って聞いてからぽつりと呟いた。
「……そう。一月経っても駄目だったのね……」
やはり前回話した時点で花嫁は気づいていたのだ。彼女は難しい顔をし、少し考えているようだったがやがてまた口を開いた。
「んー……で、紅児はどうしたいの?」
どうしたいのかと聞かれれば、素直に「帰りたい」という言葉が浮かぶ。
けれど紅児は船に乗るのが怖い。冷汗をかき、体はがたがた震え自分の意志ではどうにもならない。
「この際体の反応は置いといて、帰りたいのよね?」
「はい……帰りたい、です」
「それは迎えがきたらすぐに? それともいつか帰れればいい?」
「……あ……ええと、迎えがあったら……すぐにでも……」
そこで花嫁はまたちょっと考えるような表情をした。
「……それは、紅夏も一緒という風に考えてもいい、のかしら?」
紅児は一瞬目を見開き、そしてすぐに頬を染めた。
1人で帰る、なんてことを考えたらひどく切なくなる。やっぱり紅夏が一緒にいてくれなくては……。
「……はい……」
それに花嫁が軽く頷く。そしてまた考えるようにして口を開いた。
「……船に乗ることに対して体が反応するということは、それだけつらいことだったのだと思うわ。それがいつ治るかは誰にもわからない……ここまではいい?」
コクリと頷く。
「楽観的な考え方をすれば、迎えの船には乗れるかもしれない。何故なら書状を持たせた船には四神の加護があるの。例え嵐があっても難破することはないわ」
(……え……加護……?)
それは初耳だった。
そういえばあの時──花嫁は、『四神の花嫁が言うことは”絶対”なの』と言ってはいなかったか。
「……加護を……与えていただけたのですか……」
半ば茫然と呟く。花嫁はあれ? というような表情をした。
「……言ってなかったかしら」
「はっきりとは……」
「あら……まぁそういうことなの」
なんということもないようにあっけらかんと言われ、紅児は苦笑した。
しかしその後花嫁は難しい顔をした。
「……ただね……もちろん別の可能性も考えておかないといけないとは思うの」
迎えが来たとしても、やはり紅児の体の都合で船に乗れないかもしれないということだろうか。
それはすでに彼女も想定していた。その際どうしたらいいのかまではまだわからなかったが。
「……そなたが伝えねばならぬことではないだろう」
それまで椅子と化していた白虎が口を開いた。紅児はそれにビクッと身を震わせる。
四神が紅児のいるところで口をきくことはあまりない。しかも紅夏のテナーに慣れた耳には白虎の低いバスが迫力満点で聞こえてしまう。
「……今はまだ私がエリーザの後見人ですから」
花嫁は大丈夫というように白虎の腕を軽く叩いた。その様子があまりに自然で紅児はぼうっと彼らを見ていた。
「これから話すことは、まだあまり考えたくないことだと思うわ。でもその時になってうろたえるよりはいいと思うから、一応心に留めておいてね」
「? はい」
紅児が自分のせいで船に乗れないこと以上にひどいことなどあろうはずはない。
そのはずなのだが……。
「あくまで可能性だけど……セレスト王国からの返答に、すでに貴女を探す人がいないということもありうるわ」
(……え……?)
紅児は何を言われたのかわからなかった。
(私を、探す人がいない……?)
両親の顔が浮かぶ。父はこの国で行方不明なのだから、あとは母の……。
「……母が……」
花嫁は優しい表情を浮かべている。
(探す人が、いない……)
それは、母がすでに他界しているかもしれないということだろうか。それとも……。
「それでも一度はあちらから問い合わせがあったのだから、貴女が帰国したいと望めば帰ることはできると思う。でももうすでに3年……いえ4年近く経っているの。貴女は何も知らない少女から来年にはこの国での成人を迎えるぐらいに成長しているわ。そして時間の経過は誰に対しても平等なの」
花嫁の言葉が右から左に流れていく。
(ママ……)
自分のことに精一杯で、今まで国の家族がどうしているのか真剣に考えたことはなかったように思う。
だって国にいるであろう家族だけが紅児の心の支えだったから。
「今私が言ったのは可能性の一つでしかないわ。でも、一応心の片隅にでも留めておいてほしいの」
「……はい……」
どうにか返事だけし、その後どう過ごしたか紅児にはわからなかった。
気がつけば、いつ帰ってきたのか紅夏が隣に居、静かな目で紅児を見つめていた。どうやらもう夕食の時間らしい。
「……あ……おかえり、なさい……」
唇を動かしてそれだけ伝える。
「エリーザ」
耳に心地いいテナーで、今は名を呼ばないでほしかった。
船に乗れないということについて花嫁と話をする決意ができたことで、紅児の顔は以前よりもしっかりして見えた。
いつも通り花嫁は玄武か朱雀の室で過ごしているのだろう。一旦は昼食の為に着替えに戻ってこられるが話ができたとしても早くて午後である。己の勤務時間中に個人的な話をするのは気が咎めるのだが、勤務時間外だとかえって四神に恨まれかねない。なので仕方なく黒月を探しだし花嫁に用があることを伝えておいた。
彼女は能面のように表情のない顔で「お伝えしておこう」と答えてくれた。
黒月もまた眷族特有のあまり表情が動かない美女である。出ているところは出て、くびれているところはくびれている羨ましい体型をしているのだがこれで未成年だというから驚きだ。
未成年でも性行為は可能らしいが生殖機能がないのだと紅夏が何かの折に教えてくれた。つまり黒月の場合妊娠しないのである(男性であれば精子がまだない状態)。そして更に例え側に”つがい”がいたとしてもまだわからないらしい。”運命の人”に出逢うには成人しているのが不可欠なようだった。
他人の恋路に全く興味がないわけではないが、本人にもその気がなさそうなので侍女たちのように騒ぐ気にはなれない。
花嫁と話をする機会は昼食後に訪れた。
紅児の面持ちを見てか、花嫁は人払いをしてくれた。本日の午後は白虎と過ごすらしい。
人払いをしてくれたと言っても四神はその範疇に入らない。ただ花嫁の安全を考えると四神や眷族の誰かが側にいてくれた方が安心ではある。
花嫁は白虎の腕の中で紅児の淹れたお茶に口をつけた。
いつも花嫁にお茶を淹れる時はどきどきする。侍女たちに花嫁はお茶を淹れるのもすごくうまいらしいと聞いているから。もちろん彼女たちが花嫁に淹れてもらうという栄誉を賜ったはずはないからあくまで想像にすぎないのだが。とはいえ花嫁にまずいお茶を出すわけにはいかないから紅児もかなり練習はさせてもらった。
村にいた時はお湯を出していたから、お茶の淹れ方など気にしたことはない。国にいた時も己がお茶を淹れることなどなかった。
花嫁はコクリとお茶を一口飲むと、満足そうに笑んで茶器を卓に戻した。
「……うん、おいしいわ。それで? 清漪園の様子を話してくれる、とかではなさそうだけど?」
どう切り出したらいいのかと考えていた紅児よりも先に花嫁が口を開く。紅児はほっとした。
「はい……実は昨日……」
紅児はできるだけ端的に昨日起こったこと、それによってわかったことを話した。
花嫁は最後まで黙って聞いてからぽつりと呟いた。
「……そう。一月経っても駄目だったのね……」
やはり前回話した時点で花嫁は気づいていたのだ。彼女は難しい顔をし、少し考えているようだったがやがてまた口を開いた。
「んー……で、紅児はどうしたいの?」
どうしたいのかと聞かれれば、素直に「帰りたい」という言葉が浮かぶ。
けれど紅児は船に乗るのが怖い。冷汗をかき、体はがたがた震え自分の意志ではどうにもならない。
「この際体の反応は置いといて、帰りたいのよね?」
「はい……帰りたい、です」
「それは迎えがきたらすぐに? それともいつか帰れればいい?」
「……あ……ええと、迎えがあったら……すぐにでも……」
そこで花嫁はまたちょっと考えるような表情をした。
「……それは、紅夏も一緒という風に考えてもいい、のかしら?」
紅児は一瞬目を見開き、そしてすぐに頬を染めた。
1人で帰る、なんてことを考えたらひどく切なくなる。やっぱり紅夏が一緒にいてくれなくては……。
「……はい……」
それに花嫁が軽く頷く。そしてまた考えるようにして口を開いた。
「……船に乗ることに対して体が反応するということは、それだけつらいことだったのだと思うわ。それがいつ治るかは誰にもわからない……ここまではいい?」
コクリと頷く。
「楽観的な考え方をすれば、迎えの船には乗れるかもしれない。何故なら書状を持たせた船には四神の加護があるの。例え嵐があっても難破することはないわ」
(……え……加護……?)
それは初耳だった。
そういえばあの時──花嫁は、『四神の花嫁が言うことは”絶対”なの』と言ってはいなかったか。
「……加護を……与えていただけたのですか……」
半ば茫然と呟く。花嫁はあれ? というような表情をした。
「……言ってなかったかしら」
「はっきりとは……」
「あら……まぁそういうことなの」
なんということもないようにあっけらかんと言われ、紅児は苦笑した。
しかしその後花嫁は難しい顔をした。
「……ただね……もちろん別の可能性も考えておかないといけないとは思うの」
迎えが来たとしても、やはり紅児の体の都合で船に乗れないかもしれないということだろうか。
それはすでに彼女も想定していた。その際どうしたらいいのかまではまだわからなかったが。
「……そなたが伝えねばならぬことではないだろう」
それまで椅子と化していた白虎が口を開いた。紅児はそれにビクッと身を震わせる。
四神が紅児のいるところで口をきくことはあまりない。しかも紅夏のテナーに慣れた耳には白虎の低いバスが迫力満点で聞こえてしまう。
「……今はまだ私がエリーザの後見人ですから」
花嫁は大丈夫というように白虎の腕を軽く叩いた。その様子があまりに自然で紅児はぼうっと彼らを見ていた。
「これから話すことは、まだあまり考えたくないことだと思うわ。でもその時になってうろたえるよりはいいと思うから、一応心に留めておいてね」
「? はい」
紅児が自分のせいで船に乗れないこと以上にひどいことなどあろうはずはない。
そのはずなのだが……。
「あくまで可能性だけど……セレスト王国からの返答に、すでに貴女を探す人がいないということもありうるわ」
(……え……?)
紅児は何を言われたのかわからなかった。
(私を、探す人がいない……?)
両親の顔が浮かぶ。父はこの国で行方不明なのだから、あとは母の……。
「……母が……」
花嫁は優しい表情を浮かべている。
(探す人が、いない……)
それは、母がすでに他界しているかもしれないということだろうか。それとも……。
「それでも一度はあちらから問い合わせがあったのだから、貴女が帰国したいと望めば帰ることはできると思う。でももうすでに3年……いえ4年近く経っているの。貴女は何も知らない少女から来年にはこの国での成人を迎えるぐらいに成長しているわ。そして時間の経過は誰に対しても平等なの」
花嫁の言葉が右から左に流れていく。
(ママ……)
自分のことに精一杯で、今まで国の家族がどうしているのか真剣に考えたことはなかったように思う。
だって国にいるであろう家族だけが紅児の心の支えだったから。
「今私が言ったのは可能性の一つでしかないわ。でも、一応心の片隅にでも留めておいてほしいの」
「……はい……」
どうにか返事だけし、その後どう過ごしたか紅児にはわからなかった。
気がつけば、いつ帰ってきたのか紅夏が隣に居、静かな目で紅児を見つめていた。どうやらもう夕食の時間らしい。
「……あ……おかえり、なさい……」
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