辺境の漁村育ちですが、命の恩人が隣国の王子様でした 〜溺愛は波のように押し寄せる〜

紅葉山参

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傷だらけの異邦人

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 リーリアの献身的な介護が始まった。

 幸いにもシリウスは高熱を出さず、傷も化膿しなかった。彼の意識が戻るまでの数日間、リーリアは村人から隠れるように、毎日小屋へ通った。村には「薪拾いと学校へ行く」とだけ告げて出かけたが、学校へは行かず、ほとんどの時間を小屋で過ごした。

 彼の呼吸を聞き、傷口を洗い、湿布として潰した薬草を貼り替える。特に頭部の傷は深刻そうで、リーリアは父から教わった止血と鎮痛の効果がある薬草を慎重に調合した。眠っているシリウスは時折、苦しげに何かを呟くが、リーリアにはその言葉が理解できない。隣国の言葉だろうか。その発音は、リーリアが学校で習ったわずかな隣国語とは違って、もっと洗練され、響きが美しかった。

 四日目の夕方。

 小屋の入り口で、リーリアは小屋の裏にある浜辺で海から採ってきた海藻を干していた。漁師の娘として、彼女は漁具の手入れや海産物の加工に慣れていた。しかし、彼女の心は常に小屋の中の彼に集中していた。

 ふと、背後で微かな呻き声を聞いた。

 リーリアは慌てて小屋へ駆け込んだ。

 振り返ると、シリウスが薄く目を開けていた。海の色を映したような、深い青の瞳だった。その瞳が、リーリアを捉える。瞳の奥には、わずかな光と、大きな混乱の色が浮かんでいた。

「あ……」

 リーリアは言葉を失った。生きていてくれた安堵と、彼が目覚めたことによる緊張で、心臓が激しく脈打った。

「ここは……どこだ……私は……」

 シリウスは掠れた声で、隣国の言葉を話した。リーリアはその言葉の意味をほとんど知らないが、彼が戸惑い、何かを尋ねているのは理解できた。

 リーリアはゆっくりと近づき、彼の額に手を当てた。熱を測る仕草は、国境を越えた誰にでも通じる行為だった。

「大丈夫。もう熱はありません。ここはシオン村。私はリーリアです」

 リーリアが自国の言葉で優しく話すと、シリウスは困惑した表情を浮かべた。彼は必死に頭の中を探っているようだったが、すぐに絶望の色が瞳に浮かんだ。

「わ、私は……何も思い出せない。私の名前も、どうしてここにいるのかも……」

 リーリアは、彼が記憶を失っていることを理解した。王族のような高貴な衣装を着ていた彼が、記憶を失って辺境の漁村に流れ着く。それは、まるで大国の歴史書にあるような、劇的な物語のようだ。しかし、現実は物語よりも冷たい。彼が何者であれ、今、この村で彼を守れるのは自分しかいない。

「無理に思い出さなくていいです。今は、ゆっくり休んで。あなたは、海でとてもひどい怪我を負ったのよ」

 リーリアは彼に、海藻と少量の魚肉で作った温かいスープを飲ませた。村の食料は貴重だが、瀕死の彼を放置することはできなかった。彼女は自分の食料を削って彼に与えた。

「ありがとう……」

 シリウスは、リーリアの言葉の意味は完全に理解できていなかったかもしれないが、彼女の献身的な介護と優しい眼差しから、その行為の意図を感じ取り、弱々しく微笑んだ。その笑みに、リーリアの胸が小さく、しかし激しく跳ねた。

 彼の衣服は修復不可能だったため、リーリアは父の古い、清潔な漁師服を彼に着せた。それでも、漁師の服を着たシリウスは、村人とは異なる威厳と、どこか孤高の空気を纏っていた。

「私の名前も思い出せない。この服も、私のものじゃない。私は一体、何者なんだ……」

 シリウスは自分の手のひらを見つめながら、寂しげに、そして焦燥感を滲ませて呟いた。

「何か、覚えている言葉は?」

 リーリアが尋ねると、シリウスは目を閉じて、激しい頭痛に耐えるように眉間に皺を寄せ、苦しげに何かを絞り出した。

「……アンサンブル」

「アンサンブル?」

 それは、この国と敵対関係にある、隣国アンサンブルの国の名前だった。リーリアは驚き、息を呑んだ。隣国は、この国よりも遥かに発展しており、彼の衣服の高級さとも一致する。

(やはり、隣国の、それも上層部の人間なのかもしれない。だから、村人に見られてはいけない。村人はアンサンブルを憎んでいる)

 リーリアは秘密をより深く心に刻んだ。同時に、得体の知れない彼の正体に、漠然とした恐怖も抱き始めた。

「そうね、とりあえず『アン』と呼びましょう。アンサンブルという国を覚えているのなら、あなたは『アン』という名前だったかもしれない」

 リーリアは、彼の金色の髪に触れ、優しい瞳でそう言った。シリウスは、リーリアの銀色の髪と瞳に、どこか懐かしさを感じるかのように見つめ返し、深く頷いた。

「……アン。私は、アン」

 彼にとって、それはこの辺境の地で生まれた、新しい自分の名前になった。この瞬間、リーリアとアンは、村人から隔絶された秘密の場所で、運命の絆を結び始めたのだった。
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