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神様の指先は、思いのほか温かくて
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温かい食事というのは、こんなにも胸を熱くさせるものなのだろうか。
琥珀様が用意してくれたお食事は、どれも信じられないほど美味しかった。 口の中で甘みが広がる、ふっくらとした白米。 出汁の効いた優しい味のお吸い物が、乾ききった体に染み渡る。 私は夢中で箸を動かし、気づけば膳は空になっていた。 最後の一粒まで大切にいただくと、私は自然と手を合わせていた。
「……ふん。やはり相当空腹だったようだな。私の目に狂いはなかった」
彼は、少し離れた場所に座って、私が食べる様子をずっと眺めていた。 まるで、小動物の食事を見守るような、どこか興味深げな視線。
私は慌てて口元を拭い、布団の上で居住まいを正す。
「ごちそうさまでした。あ、あの……こんなに良くしていただいて、私はどうすれば良いのでしょうか」
生贄として捧げられたのだから、いつかは食べられるのだろう。 けれど、今こうして優しくされている理由が分からなくて、不安が胸を掠める。 私には、この優しさに報いるための価値なんて、何一つないのだから。
すると、琥珀様はふいっと視線を窓の外へと逸らした。
「言っただろう。不味いものを食べたくはない。それに、この社は広すぎて退屈だったのだ。お前が少し見られる姿になるまで、暇つぶしに養ってやる」
暇つぶし、という言葉に、私は少しだけホッとする。
私のような無価値な人間でも、龍神様の退屈を紛らわすことくらいならできるかもしれない。 彼のお世話をすることで、この命が少しでも役に立つなら。
「私……お掃除や洗濯なら得意です。村にいた頃はずっとやっていましたから。何でもお申し付けください、琥珀様」
「掃除など、私の魔力一つでどうにでもなる。お前はただ、そこで生きていればいい。私の視界に入る場所でな」
生きていればいい。
その言葉が、私の心に深く染み渡る。 今までずっと「死んでくれればいい」と思われてきた私にとって、それは何よりも贅沢な許しだった。
琥珀様は立ち上がると、私のそばに寄ってきて、その大きな手で私の頭を不器用に撫でた。 大きな手のひらが私の頭を包み込み、髪を優しく梳いていく。
「……髪もボロボロではないか。明日からは、手入れもさせるぞ。私の女になるのだから、それなりの格好をしてもらわねば」
女、という言葉に、私の心臓が大きく跳ねた。 彼の指先は、冷徹そうな見た目からは想像もつかないほど、温かくて優しかった。
◇ ◇ ◇
翌朝、私は鳥のさえずりと、柔らかな日差しの中で目を覚ました。
村にいた頃は、義妹に冷たい水をかけられたり、怒鳴りつけられたりして起こされるのが常だったけれど、ここでは誰にも邪魔されない。 体を起こすと、昨晩までの重苦しい疲れが嘘のように消えていた。
部屋の外へ出ようと廊下を歩いていると、中庭に面した縁側に琥珀様が座っているのが見えた。 彼は銀色の髪を朝風に揺らし、庭の景色を眺めている。
朝の光を浴びる彼は、昨日よりもずっと神々しく、そしてどこか寂しげに見えた。 この広い社に、彼は今までずっと一人でいたのだろうか。
「あ、あの……おはようございます、琥珀様」
恐る恐る声をかけると、彼は振り返らずに「ああ」と短く答えた。
「紗良。こっちへ来い」
手招きをされて隣に座ると、彼は私の目の前に、漆塗りの小さな小箱を置いた。
開けてみると、中には透き通るような青い石がついた簪や、上質な絹の帯留め、そして美しい色合いの紐が入っていた。 どれもが、村の庄屋様の奥様が持っているものよりも、ずっと高価で美しい。
「これ、は……?」
「お前にやる。供物がみすぼらしいのは、私の名折れだ。龍神の威厳に関わる」
「いえ、そんな! 私には勿体ないです。こんな綺麗なもの、私なんかが付けても宝の持ち腐れで……」
私が慌てて首を振ると、琥珀様は不快そうに、美しく整った眉を寄せた。
「『私なんか』と言うな。お前は今、私の所有物だ。主が選んだものを否定するのか⁉」
「あ……う、ううん、そんなつもりじゃ……」
彼が少し怒ったように顔を近づけてくる。 金色の瞳が、太陽の光を反射してさらに輝きを増し、至近距離で私を射抜く。 あまりの美しさに、心臓が跳ね上がり、顔に熱が集まるのが分かった。
「名前で呼べと言っただろう。紗良」
「……はい。琥珀……様」
「よろしい。素直なのは良いことだ」
彼は満足そうに頷くと、自らの手で私の乱れた髪を丁寧にまとめ、青い石の簪を挿した。 冷たいはずの石が、彼の指の体温を吸って、不思議と温かく感じられる。 あなたは、どうしてそんなに真っ直ぐ私を見るのですか⁉ 私は気恥ずかしくて俯いてしまったが、琥珀様は私の顎を指でくい、と持ち上げた。
「もっと自分を見ろ。お前は、お前が思っているよりもずっと……愛らしい顔をしているぞ。磨けば、これ以上なく輝く宝になる」
そんなことを言われたのは、生まれて初めてだった。 継母からはいつも「醜い」「不吉だ」「泥人形」と言われ続けてきたのに。 この龍神様は、私の凍りついた心を、いとも簡単に溶かしていく。
その日の午後、私は琥珀様に連れられて、社に隣接する美しい庭を散策した。 そこは、まるで別世界だった。
村では見たこともないような珍しい花が咲き乱れ、空気は甘い香りに満ちている。 色とりどりの蝶が舞い、透き通った池には金色の魚が泳いでいる。
「わあ……綺麗……」
思わず声を上げて走り出すと、後ろから彼が静かな足取りでついてくる。
「気に入ったか?」
「はい! こんなに素敵な場所、夢みたいです。私、私ね、ずっとこういう場所に来てみたかったの。お花に囲まれて、誰にも怒られずに笑える場所に……」
子供のようにはしゃぐ私を見て、琥珀様は微かに口角を上げた。 それは、彼が見せた初めての微笑みだった。 その笑顔があまりにも綺麗で、私は一瞬、息をすることを忘れてしまった。
彼は、私の手を取り、指を一本一本絡めるようにして握った。
「これからも、お前の望む場所へ連れて行ってやろう。お前が、私のそばにいたいと願う限りはな。どこへでも、何処まででも」
その言葉に込められた重みを、その時の私はまだ知らなかった。 ただ、この大きな手に守られているという安心感だけで、胸がいっぱいだったのだ。
……けれど、幸せな時間には、必ず影が忍び寄る。 社の結界の外側で、不穏な気配が動いていることに、私はまだ気づいていなかった。 そして、琥珀様が抱える「孤独」の正体についても。
琥珀様が用意してくれたお食事は、どれも信じられないほど美味しかった。 口の中で甘みが広がる、ふっくらとした白米。 出汁の効いた優しい味のお吸い物が、乾ききった体に染み渡る。 私は夢中で箸を動かし、気づけば膳は空になっていた。 最後の一粒まで大切にいただくと、私は自然と手を合わせていた。
「……ふん。やはり相当空腹だったようだな。私の目に狂いはなかった」
彼は、少し離れた場所に座って、私が食べる様子をずっと眺めていた。 まるで、小動物の食事を見守るような、どこか興味深げな視線。
私は慌てて口元を拭い、布団の上で居住まいを正す。
「ごちそうさまでした。あ、あの……こんなに良くしていただいて、私はどうすれば良いのでしょうか」
生贄として捧げられたのだから、いつかは食べられるのだろう。 けれど、今こうして優しくされている理由が分からなくて、不安が胸を掠める。 私には、この優しさに報いるための価値なんて、何一つないのだから。
すると、琥珀様はふいっと視線を窓の外へと逸らした。
「言っただろう。不味いものを食べたくはない。それに、この社は広すぎて退屈だったのだ。お前が少し見られる姿になるまで、暇つぶしに養ってやる」
暇つぶし、という言葉に、私は少しだけホッとする。
私のような無価値な人間でも、龍神様の退屈を紛らわすことくらいならできるかもしれない。 彼のお世話をすることで、この命が少しでも役に立つなら。
「私……お掃除や洗濯なら得意です。村にいた頃はずっとやっていましたから。何でもお申し付けください、琥珀様」
「掃除など、私の魔力一つでどうにでもなる。お前はただ、そこで生きていればいい。私の視界に入る場所でな」
生きていればいい。
その言葉が、私の心に深く染み渡る。 今までずっと「死んでくれればいい」と思われてきた私にとって、それは何よりも贅沢な許しだった。
琥珀様は立ち上がると、私のそばに寄ってきて、その大きな手で私の頭を不器用に撫でた。 大きな手のひらが私の頭を包み込み、髪を優しく梳いていく。
「……髪もボロボロではないか。明日からは、手入れもさせるぞ。私の女になるのだから、それなりの格好をしてもらわねば」
女、という言葉に、私の心臓が大きく跳ねた。 彼の指先は、冷徹そうな見た目からは想像もつかないほど、温かくて優しかった。
◇ ◇ ◇
翌朝、私は鳥のさえずりと、柔らかな日差しの中で目を覚ました。
村にいた頃は、義妹に冷たい水をかけられたり、怒鳴りつけられたりして起こされるのが常だったけれど、ここでは誰にも邪魔されない。 体を起こすと、昨晩までの重苦しい疲れが嘘のように消えていた。
部屋の外へ出ようと廊下を歩いていると、中庭に面した縁側に琥珀様が座っているのが見えた。 彼は銀色の髪を朝風に揺らし、庭の景色を眺めている。
朝の光を浴びる彼は、昨日よりもずっと神々しく、そしてどこか寂しげに見えた。 この広い社に、彼は今までずっと一人でいたのだろうか。
「あ、あの……おはようございます、琥珀様」
恐る恐る声をかけると、彼は振り返らずに「ああ」と短く答えた。
「紗良。こっちへ来い」
手招きをされて隣に座ると、彼は私の目の前に、漆塗りの小さな小箱を置いた。
開けてみると、中には透き通るような青い石がついた簪や、上質な絹の帯留め、そして美しい色合いの紐が入っていた。 どれもが、村の庄屋様の奥様が持っているものよりも、ずっと高価で美しい。
「これ、は……?」
「お前にやる。供物がみすぼらしいのは、私の名折れだ。龍神の威厳に関わる」
「いえ、そんな! 私には勿体ないです。こんな綺麗なもの、私なんかが付けても宝の持ち腐れで……」
私が慌てて首を振ると、琥珀様は不快そうに、美しく整った眉を寄せた。
「『私なんか』と言うな。お前は今、私の所有物だ。主が選んだものを否定するのか⁉」
「あ……う、ううん、そんなつもりじゃ……」
彼が少し怒ったように顔を近づけてくる。 金色の瞳が、太陽の光を反射してさらに輝きを増し、至近距離で私を射抜く。 あまりの美しさに、心臓が跳ね上がり、顔に熱が集まるのが分かった。
「名前で呼べと言っただろう。紗良」
「……はい。琥珀……様」
「よろしい。素直なのは良いことだ」
彼は満足そうに頷くと、自らの手で私の乱れた髪を丁寧にまとめ、青い石の簪を挿した。 冷たいはずの石が、彼の指の体温を吸って、不思議と温かく感じられる。 あなたは、どうしてそんなに真っ直ぐ私を見るのですか⁉ 私は気恥ずかしくて俯いてしまったが、琥珀様は私の顎を指でくい、と持ち上げた。
「もっと自分を見ろ。お前は、お前が思っているよりもずっと……愛らしい顔をしているぞ。磨けば、これ以上なく輝く宝になる」
そんなことを言われたのは、生まれて初めてだった。 継母からはいつも「醜い」「不吉だ」「泥人形」と言われ続けてきたのに。 この龍神様は、私の凍りついた心を、いとも簡単に溶かしていく。
その日の午後、私は琥珀様に連れられて、社に隣接する美しい庭を散策した。 そこは、まるで別世界だった。
村では見たこともないような珍しい花が咲き乱れ、空気は甘い香りに満ちている。 色とりどりの蝶が舞い、透き通った池には金色の魚が泳いでいる。
「わあ……綺麗……」
思わず声を上げて走り出すと、後ろから彼が静かな足取りでついてくる。
「気に入ったか?」
「はい! こんなに素敵な場所、夢みたいです。私、私ね、ずっとこういう場所に来てみたかったの。お花に囲まれて、誰にも怒られずに笑える場所に……」
子供のようにはしゃぐ私を見て、琥珀様は微かに口角を上げた。 それは、彼が見せた初めての微笑みだった。 その笑顔があまりにも綺麗で、私は一瞬、息をすることを忘れてしまった。
彼は、私の手を取り、指を一本一本絡めるようにして握った。
「これからも、お前の望む場所へ連れて行ってやろう。お前が、私のそばにいたいと願う限りはな。どこへでも、何処まででも」
その言葉に込められた重みを、その時の私はまだ知らなかった。 ただ、この大きな手に守られているという安心感だけで、胸がいっぱいだったのだ。
……けれど、幸せな時間には、必ず影が忍び寄る。 社の結界の外側で、不穏な気配が動いていることに、私はまだ気づいていなかった。 そして、琥珀様が抱える「孤独」の正体についても。
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