おれはお前なんかになりたくなかった

倉入ミキサ

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第二章:6年2組の女子生徒

『美晴』vs界

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 月野内小学校の3時間目。
 通常ならば、生徒はみんな教室に戻り、静かに授業を受けるべき時間だ。しかし、ずぶれで震えている一人の女子生徒は、誰もいない非常ひじょう階段かいだんの一番高い場所にいた。

 「……」

 時間は少し前にさかのぼる。
 小さな少女である『美晴』と、大きな少年である界が、6年2組の教室というリングで対峙たいじした頃へと。

 *

 「本気でやっちゃっていいのか? 美晴ちゃんよォ」
 
 界が指をパキポキと鳴らしながら、小馬鹿こばかにしたようにのたまう。
 その周囲では、「おおっ?」という期待の声が上がった。

 「……!」
 
 一方、『美晴フウタ』は今の自分が「読書好きの大人しい女子」だということを忘れて、にくきそいつの顔面にパンチを当てることしか考えていなかった。こぶしを震わせ、界を見上げ、そして闘争心とうそうしんに任せてにらみつける。
 
 「ははっ、マジでおれとケンカする気か。じゃあほどを教えてやるしかねェな。お前ら、机を片付けてくれ」
 
 界がそう言うと、界の後ろにいた男子たちが机を邪魔にならない場所へと運び、闘技場コロシアムのような1vs1の空間を作った。
 『美晴』と界の間に、邪魔する物はもう何もない。界は、『美晴』へと向かって歩きながら、ベラベラとしゃべりだした。

 「お前、どうなるか分かってんだろうな? 何か言いたいことがあるなら、今のうちに……オブェッ!?」

 トスッ。
 間合まあいを詰められる前に、『美晴』は自分から先に詰め寄り、はらを1発殴ってやった。顔面を殴ろうとも考えたが、おそらくパンチする右手が届かない。

 「うわー、やっちゃった」「ダサいよ、界ちゃん」「へへ、いきなり腹パンかよ」「美晴の反乱? ちょっと面白そうだね」

 野次馬やじうまたちは、いつもと違う美晴を見て盛り上がった。
 しかし、界を殴った『美晴』はそのまま攻撃を続けることができず、自分の拳をじっと見つめて戦慄せんりつしていた。
 
 (っっってぇっ!!? なんでパンチしたおれの手が、こんなに痛いんだ!?)

 考えられる理由は三つ。
 まず、美晴の身体は弱すぎた。殴った時に、小指がポキッという音を立てていた。
 次に、界の腹にはかた腹筋ふっきんがあった。界は何かしらの格闘技かくとうぎでも習っているのかもしれない。
 そして一番の問題は、右手で殴ったことだ。今のパンチの衝撃しょうげきは、右肩にも伝わってしまっている。『美晴』は、今の自分の右肩に痛々しい青アザがあることを忘れていた。

 「うぐっ……。肩……まで……」
 「あいてててて。あー、腹が痛ェな。下痢げりになりそうだぜ」
 
 不意をついたが、ダメージはに等しい。『美晴』の渾身こんしんの一撃は、全く効いていないようだ。
 界が痛がる演技をしながら腹をさすると、周囲から少し笑いが起こった。
 
 「よーし。じゃあ、こっからは正当防衛せーとーぼーえーな」
 
 反撃が来る。
 界は瞬時しゅんじに『美晴』の両腕を掴み、自分の元へ引き寄せた。『美晴』は身体をよじってのがれようとしたが、界の力が強すぎて拘束こうそくを振りほどけない。

 ドスッ!!!

 「ぅあっ……!!」
 
 腹部に、強烈きょうれつ膝蹴ひざげりをもらった。
 衝撃で一瞬、身体がちゅうに浮く。臓器ぞうきはじけたような痛みが、全身をつらぬく。たったの一撃が、とてつもなく重い。
 界が手を放すと、白目をいた『美晴』はひざからガクンと崩れ落ち、腹を押さえてうずくまった。倒れた拍子ひょうしに、長い黒髪が顔を覆い、少女の視界を暗くした。
 
 6年2組は感動と興奮を共有し、おおいに盛り上がっている。

 *

 同じ頃。蘇夜花ソヨカ五十鈴イスズは、職員室にいる陣野先生のデスクに来ていた。
 まずは蘇夜花が、甘えた声で陣野先生に話しかける。
 
 「せんせ。ジンちゃんせんせー」
 「んー? どうした蘇夜花」
 「明日の全校集会で読む原稿げんこうをチェックしてほしいんだけど……これで良いかなぁ?」
 「そうだなぁ。しっかり書けてるんじゃないか?」
 「もうっ、ちゃんと見てよー!」
 「いや、そろそろ次の授業の準備を……」

 蘇夜花の次は、五十鈴が先生に近づいた。

 「じゃあ、わたしの算数をみてくれる? 計算ドリル」
 「五十鈴か。でもお前、算数は得意だっただろう?」
 「得意だからこそ、もっとテストで良い点をとりたいのよ。先生」
 「んー、どれどれ……。あっ、ここは小数よりも分数を使えば……」

 五十鈴は、上手く先生の気を引いている。
 その後ろでは、蘇夜花と真実香マミカがヒソヒソ話をしていた。真実香も、6年2組の女子生徒の一人だ。

 「教室の様子はどう? 真実香ちゃん」
 「界くんが美晴に殴られてたよ。やっぱり今日の美晴は、ちょっといつもと違うみたいだね。蘇夜花」
 「そっか。じゃあ、生意気なまいきな美晴ちゃんには、『デメ』をやってあげて。時間も、5分くらいなら作れそうだから」
 「マジ……? わたしたちだけで、美晴に『デメ』やっていいの!? あはっ、教室のみんなに伝えてくるねっ!」
 
 状況じょうきょう伝達でんたつがかりの真実香は、嬉しそうに教室へと戻って行った。

 *

 6年2組の教室内では、闘技場コロシアムが盛況だった。
 『美晴』は立ち上がることさえできずに、その闘技場の真ん中で、いまだうずくまっている。
 
 (おえっ……。息が、つまって、苦しいっ……!)
 
 口から唾液だえきをボタボタこぼしながら、どうにか呼吸を続けようとしている。

 「なんだよ、もう終わりかよー。つまんねー」「美晴ちゃーん。もっとがんばってよー」「しかも口からなんか出てるし。キモっ」「謝れよ。調子に乗ってすいませんって」

 観衆かんしゅう下劣げれつに湧いている。

 「ほら、立てよ美晴。まだ時間はあるみたいだぞ。おれァ退屈たいくつなんだよ」
 
 そう言いながら、界は『美晴』の脇腹わきばらあたりを二度三度とかるった。
 
 (畜生ちくしょうっ……! クソっ、悔しい……! 元の身体だったら、こんなバカには負けないのにっ!)
 
 『美晴』は、涙だけは絶対にこぼさないようにくちびるを噛みながら、ズキズキする腹の痛みに耐えていた。
 虫の息のまま、左のほっぺたを床につけ、低い目線でうずくまっている。すると『美晴』は、さっき片付けられた机の下に、丸めた紙屑かみくずが一つ落ちているのを発見した。
 
 (ん……? あっ、あれは!)
 
 美晴の社会のノートだ。あれがあれば、少なくともノートが切り取られてぐしゃぐしゃにされたことは、証明できるハズ。

 (そうだ! あれをひろえば……!)
 
 『美晴』は紙屑のそばへと行くために、つんいで少し進んだ。そして、その紙屑を拾おうと左手を伸ばした……が、失敗した。
 
 「きゃっ……!?」
 
 突然の強い痛みに驚き、思わず『美晴』の口からは少女の悲鳴が出てしまった。
 界が、『美晴』の細い左腕を、グチャッとみつぶしたのだ。

 「おい、どうした。またいつものよわっちい美晴に戻ったのか? お?」
 
 イライラしている界の足元で、『美晴』は床に転がる紙屑を指さして言った。
 
 「あ……あれを……!」
 「ん? なんだ、あれ?」
 
 界は『美晴』の左腕を踏んだまま、その紙屑を拾い上げ、近くにいる男子生徒にパスした。観衆はそれを見ようとして、受け取った男子生徒に一気にむらがった。
 
 「なんだよ、界。このゴミは」
 「美晴の大事なもんらしい。読んでみろよ、冬哉トウヤ
 
 冬哉トウヤと呼ばれた少年は、受け取った紙屑をガサガサと開き、書いてある文字を読み上げた。

 「えーっと、『地頭と荘園』『墾田永年私財法』……。社会のノートか?」

 チャンスだ。
 『美晴』は持てる力をしぼって、のどの奥から出せるだけの声を出した。
 
 「美晴の……ノートだ……! そ……の……ノートから……、あいつがっ……ゲホッ、切り取って……ぐしゃぐしゃに……したんだっ……! はぁ……はぁ……、おれは……勘違い……なんて……してないっ……!」
 
 最後の力だ。蘇夜花に言い掛かりをつけたわけではないことを、クラス中に釈明しゃくめいした。

 (言った……! 真実を言ったんだ……! おれは間違ってないって……!)

 『美晴フウタ』は希望を持って、観衆たちを見つめた。
 ……もしも、この戦いが「ケンカ」だったならば、『美晴』の釈明によって、流れは少しでも変わったのかもしれない。しかしこれは、勝ち負けを決めるために戦う「ケンカ」とは、まるで違う。

 「ふーん」
 
 冬哉はそう言うと、読み上げた紙屑をビリビリと破り捨てた。
 観衆たちはもっと面白いものを期待していたようで、少しガッカリしてまた元の場所へと戻った。

 (なっ!? なんだよ、その反応は……!?)
 
 唖然あぜんとしている『美晴』のほっぺたを、界は片手でグッと挟み、口をふさぐような形で押さえつけた。
 
 「お前のノート? そんなもんどうでもいいんだよ。クラス中から嫌われてるお前があくで、お前以外のクラス全員が正義せいぎだ。みんな、早く正義が勝つところを見てェんだよ」

 『美晴』はそこでやっと、この6年2組というクラスを理解した。

 *

 そして、『美晴』の目に入ったのは、教室の天井にある蛍光灯けいこうとうだった。
 闘技場はまだ終っていない。抵抗する力さえなくなった『美晴』は仰向あおむけにされ、教室の真ん中に「だい」で寝かされていた。腹の上には界が腰を降ろし、太い両足で、『美晴』の細い両腕を踏み押さえている。
 界は、周りにいるクラスメートに尋ねた。
 
 「みんなは、どうするのがいい? こいつにどんなばつを与えてほしい?」

 騒ぐ。

 「脱ーがーせっ、脱ーがーせっ!」「もうカンペキに、言葉をしゃべれないようにしようぜ」「蘇夜花に土下座どげざさせなよ。蘇夜花がかわいそーだよ」「ハサミで髪の毛を切っちゃうのはどうかな?」

 『美晴』は界の下で、ただ時間が過ぎるのを待っていた。行動を起こす気力や体力はなく、もう全身の痛みに耐えることしかできない。

 ──そしてもなく、「蘇夜花を大声で威喝いかつし、それを止めようとした界にまで暴力を振るった、極悪ごくあく少女しょうじょ美晴ミハルちゃん」への刑罰けいばつが、言い渡されることとなる。

 ダッシュで6年2組の教室へと入ってきた真実香は、大声でクラスのみんなに伝えた。
 
 「みんな聞いて! 蘇夜花が、『デメ』やってもいいってさ!」
 
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