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守利ちゃんと風太の部屋

おばさんと他人の娘

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 「いってぇ……!」
 
 翌日、少女は足首の痛みで目を覚ました。ただベッドで寝ていただけなのに、昨日きのう転んだ時にひねった箇所かしょがズキズキと激しく痛んでいる。

 (これ、けっこうヤバいかもしれないな……)

 顔をしかめ、事態じたい深刻しんこくさに頭をなやませる。

 「美晴、起きてる? ちょっとお買い物をしてきてくれない?」
 
 部屋のドアの外から、美晴のお母さんがむすめにおつかいを頼んできた。世間せけん一般的いっぱんてきには休日だが、この人は今日も仕事で忙しいのだろう。
 
 (言えないよな。右足をひねった、なんて……)
 
 正直に足のケガのことを話して、もし病院に行くようなことになったら、いろいろと都合が悪い。とりあえずここは、「お母さん想いの娘」を演じることにした。
 
 「うん……。いいよ……」
 「じゃあ、買う物のリストとお買い物ぶくろは、リビングの机に置いておくから、後はよろしくね」
 「はーい……」
 「いってきます」
 「いってらっしゃい……」

 娘はドア越しに、お母さんが仕事に行くのを見送みおくった。

 * *

 この近所に住む人間は、大型ショッピングモール「メガロパ」よりも近い場所にある、自称激安げきやすスーパー「アンタレス」を買い物に利用することが多い。
 そして現在、風太もそこへ買い物をしに来ている。

 (リンゴに、ゼリーに、カップめん。料理のための肉や野菜なんかは、あまり買わないんだな。で、あとは……)
 
 言うまでもなく、この美晴という女の子の体には体力がほとんど無い。さらに足首の痛みもひどくなっているので、時々休憩きゅうけいはさみながら、風太はおつかいを遂行すいこうした。男の体の時なら、たとえ足をひねっていたとしても、たかが買い物ごときに休憩を挟むなんて考えもしなかっただろう。

 「ふぅ……。これで……終わり……かな……」
 
 ようやく買い物を終え、風太はスーパーの休憩所にあるベンチに座った。重くなった買い物袋を持って徒歩とほで家に帰るには、もう少し体力の回復を待つ必要がある。

 「あ、よっこらしょ」

 風太のとなりには、おばさんが座った。年齢は、30代後半から40代前半ぐらいだろうか。テレビでたまに見る、昔のアイドルみたいな髪型をしている。

 「……」

 風太はそのおばさんに目もくれず、この身体からだのことを考えていた。
 足首以外にも、腹部の火痕やけどやミミズれ。肩の青アザ。そして、おデコの傷。風太はうっとうしいほど長い前髪をかき分け、あらわになった傷を人差ひとさし指でなぞった。

 (今病院に行かなくても、いつかはバレるぞ……。どうするつもりなんだろう、アイツ。女なのに、顔に大きな傷痕きずあとなんか残して)

 ぼんやりと、戸木田ときた美晴ミハルという女の子の境遇きょうぐうについて考えていた。他人と体を入れ替えてまで捨ててしまいたいと願うこれまでの人生と、その悲惨ひさんな境遇を。
 すると、突然……。

 ピトッ。

 「ひゃあっ!?」

 ほおに冷たい物体がぶつかり、風太の口からは情けない悲鳴が出てしまった。何事なにごとかと驚いて振り向くと、その犯人は隣に座っているおばさんだということがすぐに分かった。
 
 「はろー、メガネっ子ちゃん。お疲れ様っ!」
 「は……!?」
 「お姉さんねぇ、あなたがこの辺りを行ったり来たりしてるのをずっと見てたのよ」
 「あ……ぁ……!?」
 「おつかいで来たの? 一人じゃ無理だと思ったら、誰かそこらにいる人にたよりなさいよ」
 「なっ、え……!?」
 「まぁでも、その根性こんじょうは大したものね。だからこれは、お姉さんからのご褒美ほうびっ」
 
 おば……お姉さんは、右手に缶ジュースを持ち、風太の目の前で小さく左右に振っていた。

 「あ……、あ……ぁあ……あっ……!!」
 「ホレ、冷たいうちに飲みなさい。そんな不審な物じゃなくて、そこの自販機じはんきで買った奴よ」

 自称お姉さんは、風太にジュースを無理やりにぎらせた。

 (な、なんでこんなところにっ!?)

 ……風太は、このおばさんのことを知っている。というより、風太が世界で一番よく知っているおばさんだ。
 風太は思わず、大声でさけんでしまった。

 「かあさんっ……!!?」

 このおばさんの名前は二瀬ふたせ守利マモリ二瀬ふたせ風太フウタの母親だ。

 「あら、私のこと知ってるの?」
 「か、母さん……」
 「そうよ。お母さんよ」
 「母さんっ……!!」
 「ストップストップメガネっ子ちゃん。お母さんはお母さんだけど、あなたのお母さんじゃないわよ」
 「あっ……!」
 「でも、私が母親だと知っているということは……あなた、ライくんかフウくんのお友達? 年齢ねんれいてきにはフウくんのお友達かしら?」
 「そ……そう……です……」
 「へぇー、お名前はなんて言うの?」
 「あっ、あの……えっと……」

 本当の名前を言ってしまおうか迷ったが、母さんにとって今の風太は、初対面しょたいめんの女の子だ。風太はあせる気持ちをなんとかおさえて、一旦いったん冷静れいせいになった。

 「えっと……名前は……」
 「匿名とくめい希望きぼう? それでもいいけど」
 「とっ、戸木田ときた……美晴ミハル……」
 「ミハちゃんね。はい、守利お姉さん覚えました」
 
 この、少し鬱陶うっとうしいしゃべり方。明らかにおばさんなのに、自分のことを「お姉さん」と呼ぶ図太ずぶと神経しんけい。そして、風太が何かを頑張がんばった時は、いつもの「ご褒美」。
 
 (間違いない……! おれの母さんだ……!)

 母さんは、目の前にいる女の子が、本当は自分の息子むすこだということを知らない。知らないはずなのに、態度たいどせっし方は今の風太に対しても、なんら変わりがなかった。何もかもが、いつも通りだ。

 「フウくんとは仲良くしてあげてね。お姉さんからのお願いよ。普段はカッコつけてるけど、あの子、意外いがいさびしがり屋さんなの」
 
 おばさんは、まだ自分のことを「お姉さん」と呼んでいた。これは母さんなりの面倒くさいボケで、いつもなら風太か兄の雷太が、隣で「おばさんだろ」と一言ひとことツッコんでいる。

 「じゃあ、私そろそろ行くわね。楽しかったわ。グッバイ!」
 
 別れの言葉と共に、母さんは元気よくベンチから立ち上がった。しかし彼女は、その場から動くことができなかった。
 
 「えーっと……。ミハちゃん?」
 「は……、はい……?」
 「私のお洋服ようふく、気に入っちゃった?」
 「あっ……!」
 
 風太が無意識むいしきに、母さんの服のすそつかんでいたからだ。汗ばむ小さな手で、ギュッと強く握りしめていた。

 「ご、ごめん……なさい……」

 風太はすぐにパッと手を放したが、それでも母さんはどこにも行かず、そこに立っていた。
 
 「ちょ、ちょ、ちょっと、ミハちゃんっ!?」
 「はい……?」
 「大丈夫っ!? どうして泣いているのっ!?」
 「えっ……」

 風太は、表情ひょうじょう一つ変えず声も上げず、静かに涙を流していた。自分でも気付きづかないうちに。

 「あれっ……? なんで……、おれ……、泣いて……?」
 「あの、えーっと、とりあえず、ハンカチハンカチ! これでなみだいてっ!」
 「あ……、ありがとう……ございます……」
 「な、何か悪いこと言っちゃったかしら? 私っ」 
 「いや……そういう……わけじゃ……」

 理由はさっぱり分からないが、涙が止まらない。母さんの出す空気というか雰囲気ふんいきというか、なんとも言えないものに泣かされている気がする。それはなんだか、とてもなつかしいもので……。
 母さんは少しパニックになりながらも、その場にしゃがんで両手を横にバッと広げた。そして叫んだ。

 「ええい! 私のなけなしの母性ぼせい、フルパワーよ! おいでミハちゃん! きしめてあげるっ!」
 「……!」

 風太は、守利の正面には立ったものの、さすがに小学6年生にもなって自分の母親にガバっとは行けなかった。やはりこんな時でも、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。
 しかし、その場で立ちくして泣いている女の子を、このお節介せっかいなおばさんが放っておくハズがなかった。

 「こ、来ないなら、こっちからいくわよ! そりゃっ!」

 強引ごういんに、ぎゅぎゅっと抱きしめられた。
 その瞬間、今度は自分でも分かるくらい顔をゆがませ、風太はボロボロと泣いた。他人の娘の姿になってしまった自分の息子だということを知らずに、母さんは腕の中の少女をとにかく目一杯めいっぱいでた。
 
 「どこか痛いの? 何か、嫌なことでもあった?」
 「……!」
 
 足や肩はズキズキ痛むし、嫌なことはたくさんあった。伝えたいことは山ほどあるが、風太は何も言わずに、ただ泣き続けた。

 「ミハちゃん、お姉さんと一緒に、来る?」
 「行くっ……!」
 「よっしゃあ! じゃあ、駐車場ちゅうしゃじょうまでダッシュよ!」
 「うんっ……!」

 風太は足の痛みを気にすることなく、自分の母親と一緒に、駐車場まで全力で走った。
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