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男の子になった女の子
ベーコン川でキックオフ
しおりを挟む翌日の朝。
「いってきまーす!」
二瀬家の玄関では、少年が元気にあいさつをしていた。返事はなかったものの、彼はあまり気にせず、そのまま玄関の扉を開け、外へ飛び出そうとした。が……。
「ど・こ・い・く・の?」
「きゃっ!」
扉を開けると、そこでは少年の母親が腕を組んで仁王立ちしていた。不意のことに、少年は思わず心の方の性別でリアクションをとってしまった。
「フウくん、宿題は?」
「お、終わったよ……。全部」
「ウソつけーっ! 小6の男子の宿題は、連休の最後の夜まで終わらないと決まっているわ!」
「本当にやったよ! わたし……じゃなくて、おれの部屋に、終わらせた宿題が置いてあるから」
「……本当に?」
「本当だよ」
「フウくんさあ……なーんか、最近変わったわねぇ」
「えっ!?」
「まぁいいわ。危ないところに行っちゃダメ、あんまり遅くまで遊んでちゃダメよ。この二つは守ること」
「は、はーい……」
少年はボディバッグを肩に掛け、立ち塞がる母親の横をすり抜けて、外の道路へと出ていった。彼の母親、二瀬守利は微妙な違和感に首をかしげつつも、元気よく駆けていく息子、二瀬風太を見送った。
(もっと風太くんらしく、生活しないと……!)
母親ならば、違和感を覚えるのも無理はない。
その少年の見た目は二瀬風太でも、中身(精神)は他所の家の娘、戸木田美晴なのだ。風太と美晴は、数日前から体が入れ替わり、それぞれ他人の家で生活している。しかし現在、本人たち以外にそのことを知っている人間はいない。
*
「風太くんおはよー! どこいくのー?」
住宅街を足取り軽く駆け抜ける美晴を、呼び止める少女がいた。
少女の名前は、春日井雪乃。雪乃は、二瀬家の三軒隣に住んでいる、明るく活発な女の子だ。セミショートの髪を向日葵のヘアピンで留めた雪乃は、銀桃色の自転車を漕ぎながら、美晴の元へ近づいてきた。
「きゃーーーーっ! 止まれなーーーい!!」
「きゃあっ! ぶつかるっ!」
キキーッ!
「ふっふっふ、実は止まれるよ。すごいでしょドリフト」
「ふぅ……。びっくりした……」
「で、今からどこにいくの?」
「健也くん……健也に誘われて、河川敷のグラウンドでサッカーをやるんだよ」
「ねぇねぇ、わたしも行っていい? 美味しいもの作ったから、休憩時間にみんなで食べよ」
「うん。一緒に行こう」
歩き出そうとする美晴を、雪乃は目を細めてじっと見た。
「雪乃……? どうかした?」
「風太くん、自転車は?」
「えっ!? あっ、いや、その……!」
「自ー転ー車ーはー?」
「あっ……そうだ、パンク! タイヤがパンクしてるんだ!」
美晴はウソをついた。自転車はパンクなどしていない。
「ふーん。パンクならしょうがないね」
「う、うん! しょうがない」
「じゃあ、わたしの自転車の後ろに乗りなよ。後ろで、良い感じのBGMでも歌ってもらおうかな」
「い、いやっ、ダメだよ! 二人乗りなんて! 危ないし、大人の人に叱られるよっ!」
「もう。冗談なんだから、そんなに真剣に怒らなくてもいいのに」
「ほっ、冗談かぁ……。怒ってごめん……」
「いいよ、早く行こっ。風太くんはウォーミングアップのつもりで、ダッシュね」
「うんっ!」
美晴は、後ろから雪乃に自転車で追われながら、河川敷にあるグラウンドを目指して走った。
* *
ベーコン川。
漢字で書くと「米昆川」だが、地元の小学生たちは親しみをこめて「ベーコン川」と呼んでいる。ベーコン川の河川敷はとても広く、小学生たちにとっての遊び場になっている。美晴と雪乃の目的地は、そこにあるサッカーグラウンドだ。
「よーし、河川敷に到着ー! 風太くん、お疲れさま」
「はぁっ、はぁっ……す、すごい……! これが、男の子の、体力っ……」
「ん? 何か言った?」
「なっ、なんでもないよっ!」
雪乃は自転車を止め、カゴに入れた白黒ぶち模様のリュックサックを背負った。そして、二人で土手を下り、まずはサッカーコートの外にある屋根付きベンチを目指して歩いた。
「実穂ちゃん、おっはよー!」
「あら、雪乃に風太くん。おはよう」
ベンチには、6年1組の女子たち4人ほどが、仲良く並んで座っていた。男子たちがサッカーをしている間、女子たちはこの観客席でおしゃべりをしながらサッカーを見る。
今、雪乃と会話している実穂という女の子は、雪乃の親友だ。実穂はベンチの一番端に座っていた。
「実穂ちゃん、隣に座っていい?」
「じゃあ、荷物をどけて場所を作るわね……。はい、どうぞ」
「えへへ、失礼しまーすっ」
雪乃はリュックサックを降ろし、実穂の隣に座った。その流れで6年1組女子たちのガールズトークが始まり、美晴は棒立ちで彼女たちの会話を聞いていた。
(女の子たちみんな、楽しそう……。わたしも、この子たちと同じクラスだったら、いじめられなかったのかな……)
美晴がそんなことを考えながら突っ立っていると、実穂はさっきから自分たちを見ている男子に気付いた。
「あら、風太くん?」
「えっ? は、はいっ!?」
「男子はあっちよ。サッカーをしに来たんでしょ?」
「う、うん」
「翔大くんたち、向こうで人数が集まるのを待ってるわ。男子のバッグはこっちで預かってるから、荷物を置いて早く行ってあげて」
「分かった。行ってくるよ」
美晴は、実穂に促されるままバッグを肩から下ろし、サッカーコートの中心に集まっている男子集団の方へと、一人で向かった。
*
「お、風太が来たぞ。みんな」
風太の親友、健也が真っ先に到着に気付いた。いつも輪の中心にいる健也は、男子のリーダー的存在だ。健也の言葉に反応して、他の男子たちも『風太』を輪に招き入れた。
「おい、風太おせーぞ。お前が来るのを待ってたんだ」
「うん。待たせてごめんね」
「あれ? お前、自転車は? どこに止めた?」
「えっ!? いや、走って来たんだっ」
「へぇ。ウォーミングアップをしてきたのか。気合い入ってるな」
「う、うん。まぁそんな感じ……」
「よし、じゃあ始めるか」
男子集団は、2チームに別れるじゃんけんをして、それぞれのコートに移った。もちろん、審判やホイッスルは存在しないので、全員が位置に付くと、勘太という少年の「ピー!」という声で試合が始まった。
「よし、純に回せ!」
「翔大、こっちパス!」
元気な少年らの脚の間で、サッカーボールが激しく往来している。
(わたしのところに、ボールが来たらどうしよう……)
弱気な美晴は、自陣の深いところにポジションをとり、コートの中央付近にあるボールの動きを見守っている。
「おい、風太上がれよ。チャンスだぞ」
同じチームのゴールキーパーの宙くんが、自陣で目的もなくうろうろしている美晴に声をかけた。
「でも、もし相手チームが攻めてきたら、どうすれば……?」
「その時は、全力でこっちに戻ってこいよ。いつもやってるみたいにさ。お前、速攻止めるの得意だろ?」
「あの、もしわたしが……じゃなくて、おれが……間違って手を使っちゃったら、どうなるんですか?」
「そんな間違いあるかよっ! ……え? 本気で言ってるわけじゃないよな?」
少年たちがボールを追って必死にグラウンドを駆け回る中、一人だけゴールキーパーと話している美晴は、遠目に見てもかなり目立った。
*
一方、6年1組の女子たちはおしゃべりをやめ、男子のサッカーの試合に夢中になっている。
「今シュートしたの誰? 健也くん?」
「恒一くんのあのズボン、絶対動きづらいよねー」
「サッカーって、キーパー以外手を使ったらダメなんじゃなかったっけ? あれ、両手で投げてるけど」
「あれは『スローイン』よ。ルール的にはOKらしいわ」
「へー。じゃあ、あれでゴール狙えばいいのに」
会話は弾み、彼女たちの興味は試合の内容からそれぞれの選手へと移った。
「あーや(アヤ)は、誰応援してる?」
「うーん、今日は龍斗くんかな。えみぽん(エミ)は?」
「たまには宙を応援してあげるよ。ゆっち(ユルミ)は、誰応援?」
「えっ!? わた、わたしは、その……健也くん……」
「ゆっち(ユルミ)そこ行くの!? なぁ、みほさん(ミホ)はどう思う?」
「別にいいんじゃない? 健也くんは女子の人気すごいから、ライバルが多そうだけど」
「ええっ!? もしかして、実穂ちゃんも……?」
「ち、違うわよっ! わたしはっ」
「翔大くん、でしょ? もう分かってるからいいよ」
「ちょっと! なっ、なんで、翔大くんなんか」
順番に注目選手が発表され、最後に一番端に座っている雪乃の番になった。
「で、最後はゆきっぺ(ユキノ)だけど」
「うん? わたし? わたしはねぇ」
「「「「はぁー……」」」」
「え……? なんでみんな、ため息ついてるの?」
「どうせあれでしょ? 『風太お兄ちゃん』でしょ? いつも通り」
「お、お兄ちゃんっ!? わたし、そんな呼び方したことないっ!」
「じゃあ、風太くんじゃないの?」
「いや、そのっ、別にそういうわけじゃなくてっ……」
「ほーら、やっぱり」
「ち、違うのっ! わたしは……えーっと、頑張るみんなの応援をしてるんだよっ!」
「え~? それはそれで、色々と問題でしょ~?」
……と、その時だった。
サッカーコートの方で、ゴールキーパーの宙くんの叫ぶ声が、こちらの女子ベンチにも届いてきた。
「風太! ボール来たぞ! フリーの健也に回せっ!」
タイムリーな状況に、雪乃を始めとする6年1組の女子たちは、一斉に美晴の方を見た。
フィールド上の男子たちも、ボールの行方と共に、サッカーではいつも守備の要として好プレーを魅せる運動神経のいい風太……現在の美晴の、様子を見ている。そして当の本人は、小走りでボールの側へと駆けよりながら、キョロキョロと不安そうに周囲を見回していた。
とにかく『風太』にとっては、活躍のチャンスだ。
雪乃は思わずベンチから立ち上がって叫んだ。
「いけーーっ! 風太くん頑張れぇーーーっ!!」
雪乃の後ろでは、実穂や笑美が、微笑ましいものを暖かく見守りながらクスクスと笑っている。叫び終わった雪乃は、何かにハッと気が付いて、ベンチの方を振り返った。
「あ、あのっ、これは普通の応援だからねっ!?」
「そうなのね」
「特別なそういうのじゃないからねっ!?」
「分かったわよ雪乃。とりあえず座りなさい。……ふふっ」
「もうっ! 本当だってばー!」
雪乃がくだらない弁解をしている間にも、試合は動いていた。
*
風太の場合。
運動神経ゼロ読書大好きインドア少女の体になった少年風太は、頭で考えた正確なパンチやキックを繰り出そうとしても、軟弱すぎる肉体がそのイメージした動きについてこないという事態に陥った。つまり、「風太の頭」と「美晴の身体」、この二つが上手く噛み合わなければ、難しい動きができないのだ。
今回は、その逆のケース。
運動神経良好体育大好きアウトドア少年の体になった少女美晴が、「美晴の頭」と「風太の身体」で、目の前のボールを蹴ろうとした場合。
……答えはすぐに出た。
(わたしも風太くんになったんだし、カッコよく決めないと……!)
美晴は両目をぎゅっとつぶって、右足を後ろに引いた。もちろん、今までまともにボールを蹴った経験はない。
「えいっ!!」
ズガッ。
土に刺さった音。
足を振り抜くと同時に、グラウンドの土や砂が舞い上がった。バランスを崩しそうになったものの、そこは少年の肉体のおかげで、軸足がしっかりと身体を支えている。しかし、サッカーボールは……。
コロ……コロ……。
かろうじて脚に掠り、前方に数十センチ転がっただけだった。あまりの不様すぎる結果に、フィールド上でもベンチでも、しばらく時間が止まっていた。
「あ、あれ?」
美晴は体勢を立て直すと、自分が蹴ったハズのボールを探した。しかし、誰の元にもボールは届いていない。
「何やってんだよ風太っ! どけっ!」
再び時間を取り戻した宙が後ろからさっと現れ、ボールを足で捕まえると、軽くドリブルをしてから遠くにいる健也に素早くパスを出した。すると、フィールドは何事もなかったかのようにまた活気を取り戻し、美晴だけが止まった時間に取り残された。
「……」
「風太? おーい風太?」
「あっ、えっ、何っ!?」
「お前も、こういうことあるんだな。調子が悪いのか? みんなビックリしてるぞ」
「うん……。ごめんなさい……」
「別に謝るほどのことじゃないけどさ。遊びだし。ほら、気合い入れろ」
「……!」
宙に軽く背中を叩かれると、美晴にもやっと上手く状況を飲み込むことができた。
(わたし、失敗しちゃったんだ……! どうしよう、どうしよう……)
それからハーフタイムまで、美晴はモジモジしながら、ボールがなるべく転がってこない場所を目指して情けなく逃げまわった。
応援ありがとうございます!
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