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おだんご頭と新しい刑
雨降る前に地固まる
しおりを挟む月野内小学校の午後。
奈好菜たちは、午後の授業を体操服に着替えて受けるハメになった。周囲が事情を尋ねてもごまかすばかりで、彼女たちは本当のことを隠し通していた。
(へへっ、言えるわけないよな。おれ一人に負けたなんて)
風太はメガネのレンズ越しにその情けない様子を見て、心の中で笑っていた。先ほどまで苛立ちと鬱憤を溜め込んでいた分、勝利による喜びの反動は大きい。
(この体で、おれはあいつらに勝ったんだ……! 美晴に話したら、なんて言うかな)
この喜びを共有できる唯一の人間である美晴に、風太は一層強く会いたいと願った。
空は相変わらずどんよりとしていたが、風太の心はずっと晴々としていた。
* *
キンコーン。
本日の全課程が終了した。
放課後になり、『美晴』は赤いランドセルを背負って帰路についた。しかしいつもの『美晴』とは違い、今日は軽い足取りでしっかり前を向いて、横断歩道を渡っている。
(結局、放課後になっても美晴には会えなかったな。……まぁいいや。明日こそは、学校で会えるだろうし)
顔も前向きなら、気持ちも前向きだ。「まぁいいや」なんて、言っている余裕があるのかどうかも分からないのに、気分が良すぎて楽観的になってしまっている。あまり調子に乗るのは良くないと、本人も分かっていたが、『美晴』の顔から笑みは消えなかった。
「ただいまー……!」
戸木田家の玄関口に、娘のあいさつが響き渡る。しかし、お母さんはまだ帰ってきていないので、当然返事はない。
(あ、誰もいないんだった。なにやってるんだ、おれは。あはは)
浮かれている。誰がみても分かるくらいに、『美晴』は浮かれている。少女は照れて頭を少し掻き、靴を脱いで家の中へとあがった。
* *
数時間後。
『美晴』は、激安スーパー「アンタレス」にいた。自宅のダイニングテーブルの上に、「美晴へ もし学校から帰ってきて時間があったら、買い物をしてきてください。お金とリストは、ここに置いておきます」というメモがあったからだ。成り行きとは言え、戸木田家で生活するなら美晴としての任務も遂行しなければならない。
(前回とは違って足の痛みはもう全くないし、今日は気分もすごく良い。もう少し色々見て回ろうかな)
リストにあったものを見つけて買い物かごに入れながら、スーパーの中を散歩した。平日の夕方なのでそれなりに人はいるものの、混雑しているというほどではない。
商品陳列棚の森の中を順調に巡り、『美晴』はお菓子売り場までやってきた。
(ガム……グミ……チョコ。いや、やっぱりアメだな。自分へのご褒美にしよう)
風太は「ハローヒップキャンディ」という袋入りのアメを手にとり、買い物かごに入れた。そして、再びヒマになった右手を自然に降ろすと、突然何者かにその手を握られた。
「ん……!?」
小さな女の子だ。身長は藤丸と同じくらい。年齢はおそらく4歳か5歳。
「おねぇちゃん、あたしさっき……」
「お姉ちゃん……?」
女の子は『美晴』の右手を握ったまましゃべり、もう一方の手で棚の商品を掴むと、こちらに顔を向けた。
「あれ? おねぇちゃんじゃない!!」
「えっ……?」
「このひと、おねぇちゃんじゃない!!」
「な……なんだ……?」
「おねぇちゃん! おねぇちゃんはどこ!?」
察しがついた。
(あっ! こいつ、おれを誰かと間違えてるんだ……!)
幼い子によくある、人違いだろう。男であることを捨てる気はない風太にとって「おねぇちゃん」と呼ばれるのは不本意だったが、そんなことを言っている場合ではなさそうだ。
「お、おねぇ、ちゃんっ……! どこぉ……!? ふぇっ、ふぇぇ……」
女の子はきょろきょろと周囲を見回し、風太の手を握ったまま泣きそうになっている。「とりあえず手を離してくれ」とは言えるハズがなく、幼子のパニックを抑える方向に動くしかなさそうだ。
風太は女の子の目線までしゃがみ、あまり積極的に出したくはない「美晴の優しいボイス」を出した。
「どうした……の……?」
「あのねっ、お、おねぇちゃんがね、まいごなのっ!」
「迷子なのはお前だろ」という言葉を、ぐっと飲み込む。
「おねぇちゃん……と……はぐれちゃった……の……?」
「そうなのっ! ふえぇっ、どうしよぉ……!」
「だ、大丈夫っ……! おれも……じゃなくて、わたしも……探すの……手伝って……あげる……から」
「おねぇちゃんが……? おねぇちゃんが、おねぇちゃんをさがしてくれるのっ?」
「そう……おねぇちゃんがおねぇちゃんを……って……、紛らわしい……な。とにかく……君の……名前は……?」
「あたし、スズナ」
「スズナちゃん……か。つまり……、わ、わたしが……スズナちゃんのおねぇちゃん……のところまで……、君を……連れて行って……あげる……ってこと……」
「ほんとにっ!? ありがとう、おねぇちゃん!」
「よし……。じゃあ……行こうか……」
「うんっ!」
お菓子売り場を離れ、今度は二人でスーパーの中を歩き回った。
*
それから数分後。
大型ショッピングモール『メガロパ』で、迷子の雪乃を探した時みたいに、大捜索になることも風太は覚悟していたが、その予想に反して探し人はあっさりと見つかった。もしかしたら、探すのを手伝う必要はなかったんじゃないかと思うぐらいに、あっさりと。
「あ、あそこっ!」
「あれが……スズナちゃんの……おねぇちゃん……?」
「うんっ!」
日用品のコーナーにいた「おねぇちゃん」はこちらに背を向けて、先ほどのスズナのようにきょろきょろと周囲を見回している。スズナは風太の手を放して、その「おねぇちゃん」の元へと駆け出した。
「おねぇーちゃーんっ!!」
「あっ、スズナ!! どこいってたの!?」
迷子といってもたった数分間なので、「姉妹二人、涙の再会」とはならなかった。しかしそれでも、姉が妹のことを心配していた様子は、離れて見ていた風太にも伝わってきた。
「ホントにもうっ! めちゃくちゃ探したんだからねっ!!」
「ご、ごめんなさいっ」
「あたしの手ぇ放しちゃダメって、いつも言ってるでしょうが!」
「だ、だってぇ……。おねぇちゃんかとおもったら、ちがうおねぇちゃんでぇ……」
「ほら、行くよ。これからどっか行く時は、まずあたしに言いなさい」
「うんっ、わかった!」
姉妹が再び手を繋いだのを見届けると、風太は何も言わずにその場を立ち去ろうとした。男は黙って去るものだぜ……という、風太なりの「カッコつけ」だ。
しかし数歩進んだところで、後ろから追ってきたさっきの「おねぇちゃん」に、風太は肩を叩かれた。
「すいません。妹があなたにお世話になったみたいで」
「いや……。別に……たいしたことは……」
カッコつけた台詞を吐きながら、風太はくるりと振り返り、スズナの姉と顔を合わせた。
「「あぁっ!!?」」
思わず、大きな声が出てしまった。二人とも。
「み、美晴っ!!?」
「奈好菜っ……!!!?」
少しの間、時間は止まっていた。こんな形での再会は、二人とも予想していなかった。
(奈好菜、だったのか……)
いつものおだんご頭ではなく、髪を降ろしているので、風太もすぐには「おねぇちゃん」が奈好菜だと気付かなかったのだ。
しばらくの沈黙の後、先に口を開いたのは奈好菜だった。
「美晴、だったの?」
「ああ……」
「あんたが連れてきたのは、あたしの妹だよ?」
「スズナちゃん……だろ……?」
「うん……。そうだけど」
お互いに、なんとも言えない気まずい空気になった。相手のことと自分のことを改めて確認すればするほど、発するべき言葉が、どんどん分からなくなっていく。
色々と悩んだ挙げ句、今度は風太が沈黙を破った。
「なかった……ことに……しようか……?」
「何を?」
「今……ここで……、わ、わたしとお前が……会ったこと……」
「じゃあ、迷子になったあたしの妹を助けてくれたのは誰?」
「迷子も……なしだ……。お前の……妹は……迷子に……ならなかった……ってことで……」
「何? あたしは、あんたなんかに気を遣われてるワケ?」
「そういう……受け取り方を……するなよっ……! こっちも……どうしたら……いいのか……分からないんだよ……!」
「うるさいっ!! あたしは、お礼を言いたいだけなのにっ! それだけなのに、なんであんたなんかが……!」
「奈好菜……」
「……っ!!」
奈好菜は逃げるように、この場を去った。両手に拳を作り、悔しそうに走り去って行く彼女を、風太はただ見ていることしかできなかった。
先ほどまで感じていた勝者の喜びは、すっかり消えてなくなり、モヤモヤとした何かだけが心に残った。
* *
翌日。今週最後の一日だ。
今日の天気は、昨日に引き続きどんよりと曇り。しかも午後には雨が降りだす可能性もあるので、小学生たちは雨具を持って登校している。
水色の傘を傘立てに置き、風太は今日も6年2組の教室へと入った。今朝は美晴のお母さんが服を用意してくれたので、数日ぶりにスカートをはいている。
「……」
昨日のことが忘れられず、風太は複雑な感情のまま、美晴の席に座った。いつものように赤いランドセルを机の上に置き、机の中を確認する作業に入る。
(あ、おむつだ。今日もおむつが入ってる)
昨日の朝と同じ、特大サイズの紙おむつだ。同じ手口なら、きっと犯人も同じだろう。さりげなく奈好菜が座っている席を見ると、彼女は昨日と同じメンバーで楽しそうに談笑していた。こちらの方を気にかける様子はない。
(うーん。やっぱり、こうするしかなかったよな……)
紙おむつを取り出し、ゴミ箱にでも捨ててやろうかと考えていると、その紙おむつの中に何かが包まれていることに気がついた。
(ん? なんだこれ……?)
誰にも見られないように自分の背を盾にして、おそるおそるガサゴソと中の物を取り出してみた。すると、それは……。
(クッキーだ……! しかもこれ、全部手作りか!?)
青いリボンの可愛いラッピングに、星や犬の形をしたクッキーが入っている。手作り感漂うクオリティなので、おそらく市販の物ではないだろう。
そしてラッピングには、メッセージが書いてあるメモも一緒に添えられていた。『美晴』はメガネをかけ、そのメッセージを声に出さずに読んだ。
(『これで借りはなしね。昨日はスズナを助けてくれてありがとう』)
クッキーをランドセルの中にしまい、風太は奈好菜の方をもう一度見た。おだんご頭の彼女は、一度だけこちらと目を合わせ、後は何事もなかったかのように友達との会話に戻った。
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