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三章 疑惑編
愛してる。だからもう一緒にいられない。
しおりを挟む「あー……。そっか、見たのか」
ドウェインは紙タバコをくわえながら、気まずそうに頭をかいた。
「口留めされてたんだがな。それじゃ言い訳できねーから言うわ。見られたのは俺のせいじゃねーし」
私は息を止めて、ドウェインの言葉を待つ。
どんな言葉を言われても、耐えられるように。
ドウェインはふーっと煙を深く吐くと、タバコを足元に捨てた。ぐりぐりと踏んで、火を消す。
でも、ドウェインが口にしたのは、想像以上に衝撃的だった。
「お前の親父にオレを差し向けたのは、アンセルだよ。
アンセルが、お前の親父に借金させたんだ」
「嘘……嘘よ」
絞り出すように、願うように発する。
全身が震えてきて、自分を抱きかかえるようにしたけれど、収まりそうにない。
(アンセル様が? お父様に借金を?)
……何のために?
困惑する私に、ドウェインはさらに言い募る。
「ダチの肩代わりで借金したんだったな? ダチが金必要になったのまで、アンセルが絡んでるか、までは知らねーけどよ。嘘かどうかなんて、アンセルに聞けばすぐ分かんだろ。
っあー……。そうだな。正直に言うはずもねーか。
だったらあいつが仕事行ってる間に机の書類探してみろよ。大したもの目に付くところに置いているとも思えないけど、ヒントくらい見つかるかもしれねーぜ」
「そんな」
そんな家探しのような真似、できない、と私は弱弱しく首を振る。
「オレがお嬢ちゃん騙すメリットなんか、みじんもない。それに、お前の親父がオレらみたいなのと付き合いなかったことぐらい、娘なら分かるだろ。接触するような術もなさそうだったことも」
そこで一旦口を閉じたドウェインが、再び口を開く。
「お前の両親が亡くなったのは、馬車の事故だったな」
「はい。そうです。けど?」
「その事故ももしかして」
ドウェインが言おうとしていることを、言葉にしてほしくなくて、私は言葉をかぶせた。
「滅多なこと、おっしゃらないでください!」
「現にお前の両親が亡くなったから、結婚できたんだろーが」
「……」
もう、言い訳できなかった。
私はずっと疑問だった。
なぜタイミングよく、ドウェインの取り立てが激しくなる直前に、縁談の申し入れが来たのか。まるで印象付けるみたいに。
そして、縁談を断ったのを見計らうように、ドウェインが特に理由もなく返済期限を狭めてきたのか。
なぜ、お父様がドウェインのような悪徳な金貸しと接触することができたのか。
誰かが偶然を装うようにして、それを必然とさせたのなら。
それは、すべて納得できる。
(……アンセル様に聞く?)
そんなことできるはずなかった。
アンセル様に聞いたことで、ドウェインの言ったことが本当に真実だと、露呈してしまったら?
否定なさったとしても、私はアンセル様を真っすぐに信じることはもう、できそうになかった。
そして私が疑いを持ったことで、真実はどうあれ、私とアンセル様の間に溝ができてしまうだろう。
……どうしてこんなに悲しいのだろう。
しばらく考えて、答えに行きついた。
初めてだったから、分からなかった。
いや。本当はずっと分かっていた。気づいていた。
でも、自分が傷つくのが怖いから、分からないふりをしていた。
私が、アンセル様を。
(愛してる‥…なんて)
だから、悲しかった。アンセル様に裏切られたことが。
(どうして気づいてしまったの……)
ずっと、綺麗な箱に閉じ込めて、隠していたのに。私の心の奥深くで、ずっとそのまま眠っていてくれればよかったのに。
そしたら、こんなに傷つかなかったのに。
アンセル様に嘘をつかれたことが、こんなに空虚で、寒々しいのだって、気づかないで済んだのに。
(私は、アンセル様を愛してる)
心の中で呟いた。
一緒にはいられない。
私はもう、これ以上傷つきたくない。もしも、新たなアンセル様の裏切りが出てきたら、耐えられそうにない。
もう私の胸は張り裂けそうで、血が流れそうでもう限界だって訴えてるのに。
あの時。
ウォルトに「真実を教えてほしい」と言ったあの時。覚悟ならできている。そう思ったのに。
覚悟など、全然できていなかった。
(愛なんか、知りたくなかった)
そしたらこんな、身を切るような悲しみも、焦がれるような歓びも、知らずに済んだのに。
(なぜ、アンセル様はこんなことを?)
何か、私のあずかり知らぬところで、私の父が、若しくは、私自身が、アンセル様の怒りを買っていたのだろうか。だから、こんなに手を回してまで私を傷つけようとしたのだろうか。
(私は、真実を知りたくない)
「お、おい。大丈夫かプリシラ? 送ろうか?」
よほど私はひどい姿をしていたのだろう。珍しくドウェインが心配そうな声を出した。
「……いいえ。一人で帰れます。念のためですが、アンセル様にはこのことは」
「言うはずねーだろ。俺の立場も悪くなんのに。あいつ敵に回すと厄介だ」
(そういえばそうね)
だったら、ドウェインがアンセル様に言うことはないだろう。
ぺこり、と頭を下げて、私はドウェインの家を後にした。
「お借りしたお金は少しずつ返済いたします。
アンセル様と一緒に暮らせて幸せでした。アンセル様たちが何か私に隠していることは知っていました。真実が何であれ、知りたい。ずっとそう思っていました。でも私は真実を受け止めることが怖くなりました。もっともアンセル様が教えてくださるおつもりはないのかもしれませんが。
ごめんなさい。
さよなら。
プリシラ」
アンセル様宛に、私はそう書いた手紙を出した。私の判断が合っているか、なんて分からない。だけど、もうアンセル様と顔を合わせることはできない。だから、もうアンセル様の屋敷には戻らない。そう決めた。私はこの気持ちを抱えて、アンセル様のそばを離れると決めた。
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