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過去への手がかり
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過去の光景を――思い出していた。
一人きりで生きていたとき、僕は目の前で子どもが死体から鎧兜を剥ぎ取っているのを見て、そうやって銭を手に入れればいいのかと学んだ。
今思えば買取屋に騙されて安値で売ってしまったが、それでもその日の飯は確保できた。
一人きりで生きていたとき、数人の脱走兵が一人の女に悲しいことをしてるのを見て、ああはなりたくないと思った。
自分が男で良かったと思う反面、汚らわしい行為をする男に生まれたことに吐き気を催した。
一人きりで生きていたとき、空腹のあまり死人の肉を喰らおうか悩んだ挙句、死を選んだ浪人を見て、やはり禁じられているんだと分かった。
己の尊厳を守るために死を選ぶのは高潔だとぼんやりと感じた。人として死ねるって幸せなのかもしれない。
そして――秀吉と出会った。
『わしと一緒に来い。一人前の男にしてやる』
その言葉は今でも覚えている。
秀吉は嘘を吐かなかった。
武士になれたし、志乃という妻も持てた。
切なく拙く生きていた僕だったけど、一人前になれたと思う。
『可哀想な子。そして罪悪の子……』
誰だろう。誰が言っているんだ?
頭がズキズキと痛む。
『この子は、生まれてはいけない子』
前にも聞いたことがある。
確か墨俣で溺れたとき――
『せめていっそう、この手で……』
その後は確か、こう言われたんだ。
『この手で、殺したい』
息苦しい……誰か……
「おっと。目が覚めたか」
見知らぬ人の声だった。起き上がろうとしたが「動くと傷が開くぞ」と鋭く言われた。
だから目を動かして声の主を見た。結構な老人で、おそらく医師であろう格好をしている。
「しばらく安静にして、なるべく消化の良いものを食べろ。わしは意識を取り戻したことを伝えに行く。動くなよ。動いたら死ぬぞ」
僕は分かったと言おうとして、腹部の痛みで言えなかった。代わりに呻いてしまった。
医師はそのまま出て行ってしまう。
僕はぼうっと天井を眺めた。
そして先ほどの夢を思い出す。
「過去の記憶……次第に思い出してきたな」
しかし一人きりで生きてきた頃ならともかく、今更思い出してもという気持ちが強い。
加えて思い出しても良いこととは思えない。明らかに殺されそうになっているのだから。
つらつら考えていると襖ががらりと開いた。
大殿と義昭さん、そして長益さまの三人が入ってくる。
「雲、無事だったか! 心配したぞ!」
「長益さま……ご心配かけました……」
「いやいい。兄上の命を救ってくれたんだな」
僕は「油断しましたよ」と力なく笑う。
「稲葉山城攻めが終わったと思って、鎧を脱いでついて行ったんですから」
「あはは。勝って兜の緒を締めよという言葉を知らんのか?」
長益さまは大笑いなさったけど「笑い事ではないわ!」と義昭さんは怒った。
「約束を破るとは何事か! いやそれはいい! 死んだかと思ったぞ!」
「僕は……どれだけ寝ていました?」
「四日だ! 医師から二日前が峠だと言われたのだ!」
四日……そんなに寝ていたんだ。
「すみません。約束を破ってしまって」
「うぬぬ。素直に謝られたら許すしかないではないか!」
義昭さんはそう言ってそっぽを向いた。結構心配かけてしまったんだなと思う。
「……雲之介、お前には救ってもらったな。礼を言う」
大殿が僕に優しく言ってくれた。
「いえ。大殿がご無事で何よりでした」
「お前を足軽大将に任命した。猿の元で大いに働くがいい」
僕は「ありがたき幸せにございます」と失礼ながら布団の上で言った。
「ふむ。まあいいだろう。雲之介が生きていて良かったわ」
義昭さんが満足そうに言った。それから僕の顔をまじまじと見る。
「はい? なんですか?」
「ああ。そういえば初めて会ったとき、見覚えがあると言わなかったか?」
「え、ええ。言われました」
義昭さんは「見舞いに来たとき、ふと思い出したのだ」と何気なく言った。
そして大殿に向かって言う。
「信長殿は知っているだろう? 山科言継(やましなときつぐ)殿を」
「ええ。父の信秀と交流がありましたから」
山科、言継……?
義昭さんは僕に笑いかけた。
「その山科言継殿の娘の……なんと言ったかな、確か……ああ! 巴だ! 巴殿に似ているな!」
山科言継の娘、巴……
「まあ偶然かもしれんが、かなり似ていたぞ。今思えばだが」
「そう、ですか……」
なんだろう。頭の中で何かが響いている。
「雲之介。その巴のことが気になるか?」
大殿の問いに僕は慎重に頷いた。
「ならば早く上洛せねばな。足利義昭さまを奉じて」
「おおありがたい! 頼むぞ信長殿!」
二人の会話は耳に入らなかった。
そんな僕を長益さまが厳しい顔で見ていた。
その後は入れ代わるように秀吉たちがやってきた。
「おお! 大殿の命を救った功労者だな!」
「流石だな兄弟!」
「まったく。無理しないでくれよ」
三者三様の言葉だった。
「咄嗟に動いてしまったんだ。自分でも信じられないよ」
「主君を助けるために咄嗟に動ける人間がどれだけ居るか。素晴らしいことだ」
手放しに褒める秀吉。
それから今後のことを話した。
「大殿は拠点を尾張から美濃に移すらしい。それと同時に稲葉山城も改築し、城下町も整備する。名も改めるそうだ」
「へえ。どんな風に?」
「岐阜城。そして井ノ口の町は岐阜の町となる」
岐阜? 由来はなんだろうか?
首を捻って考えていると秀長さんが説明してくれた。
「君もよく知っている沢彦和尚が案を出したらしい。周の文王が天下を目指したときの挙兵場所の山、『岐山』と孔子の生まれ故郷、『曲阜』を合わせて、岐阜と命名したんだ。つまり太平と学問の地を目指すという意味なんだ」
僕は「そうですか。じゃあ僕の考えた意味じゃないんですね」と言ってしまった。
「なんだ? 雲之介、言ってみろ」
「いや、深い意味はないんだ秀吉。岐阜と聞いて思ったのは、斎藤道三のことだ」
秀吉と秀長さんは首を傾げた。すると意外にも先に気づいたのは正勝だった。
「ああ。義理の父の義父という意味か」
秀吉は「つまらぬ洒落だな」と一笑に付した。
まあ僕も何となく思っただけだからと気にしなかった。
「というわけで引越しするから、おぬしは傷を癒してから来い。そういえば足軽大将に出世したのだろう? 新しく屋敷も用意されるようだ」
「そうか。ありがたい話だな」
秀吉たちが去った後、僕は山科言継という人物について考える。
もしかして僕の過去を知っているのかもしれない。
何となくの予感だった。
そして巴という女の人。
会いたいような会いたくないような、二つの相反する気持ちがせめぎ合っている。
「とりあえず……志乃への言い訳、考えておかないとな」
妄想より現実を考えることにした。
普通は逆だけど、今回の場合はそっちのほうが気楽だった。
志乃にこってり絞られて。
傷もすっかり癒えて。
岐阜城が完成に近づいた頃。
秀吉と僕たちにとある命令が下った。
「北近江に隠棲している竹中半兵衛を勧誘して来い。禄はいくらでも出す」
一人きりで生きていたとき、僕は目の前で子どもが死体から鎧兜を剥ぎ取っているのを見て、そうやって銭を手に入れればいいのかと学んだ。
今思えば買取屋に騙されて安値で売ってしまったが、それでもその日の飯は確保できた。
一人きりで生きていたとき、数人の脱走兵が一人の女に悲しいことをしてるのを見て、ああはなりたくないと思った。
自分が男で良かったと思う反面、汚らわしい行為をする男に生まれたことに吐き気を催した。
一人きりで生きていたとき、空腹のあまり死人の肉を喰らおうか悩んだ挙句、死を選んだ浪人を見て、やはり禁じられているんだと分かった。
己の尊厳を守るために死を選ぶのは高潔だとぼんやりと感じた。人として死ねるって幸せなのかもしれない。
そして――秀吉と出会った。
『わしと一緒に来い。一人前の男にしてやる』
その言葉は今でも覚えている。
秀吉は嘘を吐かなかった。
武士になれたし、志乃という妻も持てた。
切なく拙く生きていた僕だったけど、一人前になれたと思う。
『可哀想な子。そして罪悪の子……』
誰だろう。誰が言っているんだ?
頭がズキズキと痛む。
『この子は、生まれてはいけない子』
前にも聞いたことがある。
確か墨俣で溺れたとき――
『せめていっそう、この手で……』
その後は確か、こう言われたんだ。
『この手で、殺したい』
息苦しい……誰か……
「おっと。目が覚めたか」
見知らぬ人の声だった。起き上がろうとしたが「動くと傷が開くぞ」と鋭く言われた。
だから目を動かして声の主を見た。結構な老人で、おそらく医師であろう格好をしている。
「しばらく安静にして、なるべく消化の良いものを食べろ。わしは意識を取り戻したことを伝えに行く。動くなよ。動いたら死ぬぞ」
僕は分かったと言おうとして、腹部の痛みで言えなかった。代わりに呻いてしまった。
医師はそのまま出て行ってしまう。
僕はぼうっと天井を眺めた。
そして先ほどの夢を思い出す。
「過去の記憶……次第に思い出してきたな」
しかし一人きりで生きてきた頃ならともかく、今更思い出してもという気持ちが強い。
加えて思い出しても良いこととは思えない。明らかに殺されそうになっているのだから。
つらつら考えていると襖ががらりと開いた。
大殿と義昭さん、そして長益さまの三人が入ってくる。
「雲、無事だったか! 心配したぞ!」
「長益さま……ご心配かけました……」
「いやいい。兄上の命を救ってくれたんだな」
僕は「油断しましたよ」と力なく笑う。
「稲葉山城攻めが終わったと思って、鎧を脱いでついて行ったんですから」
「あはは。勝って兜の緒を締めよという言葉を知らんのか?」
長益さまは大笑いなさったけど「笑い事ではないわ!」と義昭さんは怒った。
「約束を破るとは何事か! いやそれはいい! 死んだかと思ったぞ!」
「僕は……どれだけ寝ていました?」
「四日だ! 医師から二日前が峠だと言われたのだ!」
四日……そんなに寝ていたんだ。
「すみません。約束を破ってしまって」
「うぬぬ。素直に謝られたら許すしかないではないか!」
義昭さんはそう言ってそっぽを向いた。結構心配かけてしまったんだなと思う。
「……雲之介、お前には救ってもらったな。礼を言う」
大殿が僕に優しく言ってくれた。
「いえ。大殿がご無事で何よりでした」
「お前を足軽大将に任命した。猿の元で大いに働くがいい」
僕は「ありがたき幸せにございます」と失礼ながら布団の上で言った。
「ふむ。まあいいだろう。雲之介が生きていて良かったわ」
義昭さんが満足そうに言った。それから僕の顔をまじまじと見る。
「はい? なんですか?」
「ああ。そういえば初めて会ったとき、見覚えがあると言わなかったか?」
「え、ええ。言われました」
義昭さんは「見舞いに来たとき、ふと思い出したのだ」と何気なく言った。
そして大殿に向かって言う。
「信長殿は知っているだろう? 山科言継(やましなときつぐ)殿を」
「ええ。父の信秀と交流がありましたから」
山科、言継……?
義昭さんは僕に笑いかけた。
「その山科言継殿の娘の……なんと言ったかな、確か……ああ! 巴だ! 巴殿に似ているな!」
山科言継の娘、巴……
「まあ偶然かもしれんが、かなり似ていたぞ。今思えばだが」
「そう、ですか……」
なんだろう。頭の中で何かが響いている。
「雲之介。その巴のことが気になるか?」
大殿の問いに僕は慎重に頷いた。
「ならば早く上洛せねばな。足利義昭さまを奉じて」
「おおありがたい! 頼むぞ信長殿!」
二人の会話は耳に入らなかった。
そんな僕を長益さまが厳しい顔で見ていた。
その後は入れ代わるように秀吉たちがやってきた。
「おお! 大殿の命を救った功労者だな!」
「流石だな兄弟!」
「まったく。無理しないでくれよ」
三者三様の言葉だった。
「咄嗟に動いてしまったんだ。自分でも信じられないよ」
「主君を助けるために咄嗟に動ける人間がどれだけ居るか。素晴らしいことだ」
手放しに褒める秀吉。
それから今後のことを話した。
「大殿は拠点を尾張から美濃に移すらしい。それと同時に稲葉山城も改築し、城下町も整備する。名も改めるそうだ」
「へえ。どんな風に?」
「岐阜城。そして井ノ口の町は岐阜の町となる」
岐阜? 由来はなんだろうか?
首を捻って考えていると秀長さんが説明してくれた。
「君もよく知っている沢彦和尚が案を出したらしい。周の文王が天下を目指したときの挙兵場所の山、『岐山』と孔子の生まれ故郷、『曲阜』を合わせて、岐阜と命名したんだ。つまり太平と学問の地を目指すという意味なんだ」
僕は「そうですか。じゃあ僕の考えた意味じゃないんですね」と言ってしまった。
「なんだ? 雲之介、言ってみろ」
「いや、深い意味はないんだ秀吉。岐阜と聞いて思ったのは、斎藤道三のことだ」
秀吉と秀長さんは首を傾げた。すると意外にも先に気づいたのは正勝だった。
「ああ。義理の父の義父という意味か」
秀吉は「つまらぬ洒落だな」と一笑に付した。
まあ僕も何となく思っただけだからと気にしなかった。
「というわけで引越しするから、おぬしは傷を癒してから来い。そういえば足軽大将に出世したのだろう? 新しく屋敷も用意されるようだ」
「そうか。ありがたい話だな」
秀吉たちが去った後、僕は山科言継という人物について考える。
もしかして僕の過去を知っているのかもしれない。
何となくの予感だった。
そして巴という女の人。
会いたいような会いたくないような、二つの相反する気持ちがせめぎ合っている。
「とりあえず……志乃への言い訳、考えておかないとな」
妄想より現実を考えることにした。
普通は逆だけど、今回の場合はそっちのほうが気楽だった。
志乃にこってり絞られて。
傷もすっかり癒えて。
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