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たった一人の崑崙奴
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鳥取城攻めの準備が進む中、僕は京に来ていた。
馬揃えの準備という『名目』だった。
しかし実際はオルガンティーノなる南蛮人の宣教師が崑崙奴(こんろんど)と呼ばれる黒い人間を連れてくるので見るべしと上様に誘われたのだ。
はっきり言って買い占めで忙しいのでそんな用事で呼ばないでほしいが、上様直々の命令は逆らえない。
しかし崑崙奴、巷では夜叉とまで言われているような人間など見たくはない。もしも食われてしまったらどうするんだ? さらに言えば上様に襲い掛かったら……そのときは身を挺して守るしかないな。
さて。そんなわけで僕は南蛮人の活動拠点である南蛮寺近くの本能寺で上様と拝謁した。
「雲之介。貴様は崑崙奴を見たことあるか?」
挨拶もそこそこに上様は楽しそうに笑いながら僕に訊いてきた。
「いえ。ありません」
「何でもあの者を見ると目が潰れてしまうらしいぞ?」
「……そんな恐ろしいものをこれから見るんですか?」
「なんだ。怖いのか?」
馬鹿にするような口調だった。まるで幼い子どもがからかうようだった。
ムッとしたが、上様に口出しするわけにもいかなかったので、意地を張ることにした。
「いいえ。怖くありません。見ただけで目が潰れる? ならば両の目でしっかり見ましょう」
先ほどから片目を閉じたり眼帯をしている側近や小姓が目立つ。だからその者たちにわざと聞こえるように言ってやった。まったく、上様なんて両目で見るつもりなのに、付き合わないのはどういうことだ?
「はっはっは! 言いよるわ!」
満足そうに笑う上様。本当に愉快そうだ。珍しいものがお好きなだけあるな。
「上様。宣教師のオルガンティーノが参りました」
堀秀政殿――眼帯や片目を閉じていない。流石だ――が報告をする。上様が「通せ」と命じられた。
そしてしばらくして、まずオルガンティーノがやってきた。青い目の少しだけ太った南蛮人。ロベルトより少し背が低いな。
「信長様。お招きいただきありがとうございます。ヴァリニャーノは明日の謁見の準備がありますので、代わりに私が来ました」
ロベルトと違い流暢な日の本言葉である。知性も感じられる。所作に無駄な動きもない。
「よく来たな。さっそくだが崑崙奴を見せてくれ」
「分かりました」
オルガンティーノは傍に控えていた南蛮人に合図して、連れてくるように指示した。
ほどなくして――崑崙奴がやってきた。
「ほう……! これが噂の……!」
上様は目を瞑るどころか、ますます大きく見開いた。
黒い。それしか言えないほど黒い――まるで牡牛のように大きく、白目と歯以外は鼻も唇も耳も黒い。よくよく見ると精悍な顔つきをしているが、黒すぎて詳細は分からない。南蛮人と同じ服装だが、厚着をしている。
「なるほど。確かに夜叉そのものだ」
上様も僕も目は潰れていない。どうやら潰れる云々は偽りだったようだ。
「いえいえ。この者も人間ですよ」
オルガンティーノはそう言って崑崙奴の身体に触る。
「遠い遠い南の国に行けば、大勢いますよ」
「南の国? この前俺に見せた地球儀とやらにあった国のことか?」
「そうです」
すると上様は首を傾げた。
「ならばどうして身体中を墨で塗る? そういう風習でもあるのか?」
「墨? いえ、元からこのような肌の色で……」
すると上様は「嘘吐け!」と怒鳴った――崑崙奴が身体を飛び上がらせた気がした。
「肌が黒い人間など居るか! 貴様、謀っているのか!」
「そ、そのようなつもりは……」
「乱丸! その者の服を調べよ! 墨が付いているはずだ!」
可哀想に乱丸くんは泣きそうになりながら、服の裏地などを調べたが、墨などは一切付着していなかった。
上様は立ち上がってしばらく辺りをうろうろしていたが、突然閃いたように叫んだ。
「よし! 水で洗って確かめてやる! 水桶を持って来い!」
「ええ!? 冬近いですよ! この者は寒がりなので風邪を引いてしまいます!」
オルガンティーノが思わず抗議する。すると上様は「ならばお湯を持って来い!」と指示を飛ばす。
さらに僕のほうを向いて「雲之介、貴様がその者を洗え」ととんでもないことを言う。
「な、なんで僕が!?」
「片目を塞ぐような腰抜け共には任せられんわ。それに先ほど怖くないと言ったではないか!」
うぐぐ。意地など張らなければ良かった……
上様の指示により、庭に湯の入った湯桶台が用意された。お湯は少しだけ熱いが、この寒さであればちょうど良いだろう。
崑崙奴はその中に座らされた。そして乱丸くんから洗うためのへちまと布が手渡される。
子どもの身体を洗うのは慣れているが、大人、しかもこんな大柄な男を洗うのは初めてだった。
とりあえずお湯をかけて、へちまでこすってみる。
……墨など落ちない。それどころかますます黒くなっている。
「雲之介! もっと強く洗わぬか!」
上様の声。ああ、まったく!
しかし、このとき気づいてしまった。
――この崑崙奴、震えている?
寒いのかと思っていたが、どうやら怯えているというか、怖がっているように見えた。
それこそ子どものように……
「……お前、怖いのか?」
ぼそりと呟く。まあ通じるわけないと思っていたが、なんと崑崙奴は頷いた。
何でも首を縦に振る。
……そうだよな。こんな大勢の人間に囲まれて、上様怒鳴っているし、皆は奇異の目で見ている。洗っている僕も怖いけど、洗われているこいつも怖いよな。
風邪を引かないように、なるべく全身にお湯をかけてやろう。
「ふむ。真に肌が黒いのか……」
上様は呆気にとられた顔をしていたが、やがてにやりと笑った。
「オルガンティーノ。こやつを俺にくれ!」
オルガンティーノは面食らったけど、上様に逆らうと布教に支障が出ると思ったのか、直ちに了承した。
「贈答品の目録に加えますね」
「ああ。よきにはからえ」
贈答品。つまり、この崑崙奴は物扱いなのか……
「そういえば、こやつの名は?」
オルガンティーノが帰って、崑崙奴が服を着てから、上様ははたと気づいた。
側近も小姓も顔を見合している。あの堀秀政殿も困っていた。
「なんだ。名を知らぬのか……では名付けてやろう。雲之介、良き名はあるか?」
「上様がお決めになられては?」
そう訊ねてみると上様は「俺が付けると評判が悪いからな」としれっと言う。
あれ? 僕の雲之介って、上様がつけたんだよな?」
「そうですね……」
僕は崑崙奴を見据えて、それから懐かしい顔が浮かんだので、その名を言う。
「弥助、というのはどうですか?」
長槍の訓練で黒々と焼けた彼を思い出す。すっかり僕は弥助さんより年上になったんだよな。
「弥助……まあそれで良いだろう。貴様は今日から弥助とする!」
上様は「弥助を部屋に連れて行け。丁重にな」と言って中座した。
崑崙奴――弥助は奥の部屋に連れて行かれる。
「僕も一緒に行こう」
怯えている小姓たちに僕がそう告げた。
安堵したのは小姓たちだけではなく。
弥助も同じだった。
奥の間で弥助と僕は二人きりとなった。
とりあえず、意思の疎通ができるのか。僕は話しかけてみた。
「腹は減っているのか?」
弥助は僕をじっと見て、それから答えた。
「す、すこし、だけ」
ちょっと感心する。声は低いがちゃんとした日の本言葉だったから。
「弥助……お前の名前だけど、何か好物はないのか?」
「あ、あまいもの、や、さかなが、このみます」
「そうか。ちょっと待ってくれ」
僕は控えていた小姓に「餡子の団子を持ってきてくれ」と指示した。小姓は怪訝な顔をしていたけど、すぐに持ってきてくれた。
「団子だ。串……分かるか? 串は食えないから気をつけろ」
「あ、ありがと……」
弥助は恐る恐る団子に手を伸ばして、食べ始めた。
するとぽろぽろ、ぽろぽろと、涙を流し始めた。
「ど、どうした? 気に入らなかったのか?」
「ち、ちがう。あなた、やさしい……」
弥助は泣きながら食べ続ける。
「このくに、きてから、やさしく、してもらったの、ないから」
「……そうか」
僕は弥助に同情を覚えた。
異国の地でたった一人の崑崙奴として生きるのは、とても淋しいと思う。
弥助が団子を全て食べ終えるまで待ち続けた。
ただじっと、待ち続けた――
馬揃えの準備という『名目』だった。
しかし実際はオルガンティーノなる南蛮人の宣教師が崑崙奴(こんろんど)と呼ばれる黒い人間を連れてくるので見るべしと上様に誘われたのだ。
はっきり言って買い占めで忙しいのでそんな用事で呼ばないでほしいが、上様直々の命令は逆らえない。
しかし崑崙奴、巷では夜叉とまで言われているような人間など見たくはない。もしも食われてしまったらどうするんだ? さらに言えば上様に襲い掛かったら……そのときは身を挺して守るしかないな。
さて。そんなわけで僕は南蛮人の活動拠点である南蛮寺近くの本能寺で上様と拝謁した。
「雲之介。貴様は崑崙奴を見たことあるか?」
挨拶もそこそこに上様は楽しそうに笑いながら僕に訊いてきた。
「いえ。ありません」
「何でもあの者を見ると目が潰れてしまうらしいぞ?」
「……そんな恐ろしいものをこれから見るんですか?」
「なんだ。怖いのか?」
馬鹿にするような口調だった。まるで幼い子どもがからかうようだった。
ムッとしたが、上様に口出しするわけにもいかなかったので、意地を張ることにした。
「いいえ。怖くありません。見ただけで目が潰れる? ならば両の目でしっかり見ましょう」
先ほどから片目を閉じたり眼帯をしている側近や小姓が目立つ。だからその者たちにわざと聞こえるように言ってやった。まったく、上様なんて両目で見るつもりなのに、付き合わないのはどういうことだ?
「はっはっは! 言いよるわ!」
満足そうに笑う上様。本当に愉快そうだ。珍しいものがお好きなだけあるな。
「上様。宣教師のオルガンティーノが参りました」
堀秀政殿――眼帯や片目を閉じていない。流石だ――が報告をする。上様が「通せ」と命じられた。
そしてしばらくして、まずオルガンティーノがやってきた。青い目の少しだけ太った南蛮人。ロベルトより少し背が低いな。
「信長様。お招きいただきありがとうございます。ヴァリニャーノは明日の謁見の準備がありますので、代わりに私が来ました」
ロベルトと違い流暢な日の本言葉である。知性も感じられる。所作に無駄な動きもない。
「よく来たな。さっそくだが崑崙奴を見せてくれ」
「分かりました」
オルガンティーノは傍に控えていた南蛮人に合図して、連れてくるように指示した。
ほどなくして――崑崙奴がやってきた。
「ほう……! これが噂の……!」
上様は目を瞑るどころか、ますます大きく見開いた。
黒い。それしか言えないほど黒い――まるで牡牛のように大きく、白目と歯以外は鼻も唇も耳も黒い。よくよく見ると精悍な顔つきをしているが、黒すぎて詳細は分からない。南蛮人と同じ服装だが、厚着をしている。
「なるほど。確かに夜叉そのものだ」
上様も僕も目は潰れていない。どうやら潰れる云々は偽りだったようだ。
「いえいえ。この者も人間ですよ」
オルガンティーノはそう言って崑崙奴の身体に触る。
「遠い遠い南の国に行けば、大勢いますよ」
「南の国? この前俺に見せた地球儀とやらにあった国のことか?」
「そうです」
すると上様は首を傾げた。
「ならばどうして身体中を墨で塗る? そういう風習でもあるのか?」
「墨? いえ、元からこのような肌の色で……」
すると上様は「嘘吐け!」と怒鳴った――崑崙奴が身体を飛び上がらせた気がした。
「肌が黒い人間など居るか! 貴様、謀っているのか!」
「そ、そのようなつもりは……」
「乱丸! その者の服を調べよ! 墨が付いているはずだ!」
可哀想に乱丸くんは泣きそうになりながら、服の裏地などを調べたが、墨などは一切付着していなかった。
上様は立ち上がってしばらく辺りをうろうろしていたが、突然閃いたように叫んだ。
「よし! 水で洗って確かめてやる! 水桶を持って来い!」
「ええ!? 冬近いですよ! この者は寒がりなので風邪を引いてしまいます!」
オルガンティーノが思わず抗議する。すると上様は「ならばお湯を持って来い!」と指示を飛ばす。
さらに僕のほうを向いて「雲之介、貴様がその者を洗え」ととんでもないことを言う。
「な、なんで僕が!?」
「片目を塞ぐような腰抜け共には任せられんわ。それに先ほど怖くないと言ったではないか!」
うぐぐ。意地など張らなければ良かった……
上様の指示により、庭に湯の入った湯桶台が用意された。お湯は少しだけ熱いが、この寒さであればちょうど良いだろう。
崑崙奴はその中に座らされた。そして乱丸くんから洗うためのへちまと布が手渡される。
子どもの身体を洗うのは慣れているが、大人、しかもこんな大柄な男を洗うのは初めてだった。
とりあえずお湯をかけて、へちまでこすってみる。
……墨など落ちない。それどころかますます黒くなっている。
「雲之介! もっと強く洗わぬか!」
上様の声。ああ、まったく!
しかし、このとき気づいてしまった。
――この崑崙奴、震えている?
寒いのかと思っていたが、どうやら怯えているというか、怖がっているように見えた。
それこそ子どものように……
「……お前、怖いのか?」
ぼそりと呟く。まあ通じるわけないと思っていたが、なんと崑崙奴は頷いた。
何でも首を縦に振る。
……そうだよな。こんな大勢の人間に囲まれて、上様怒鳴っているし、皆は奇異の目で見ている。洗っている僕も怖いけど、洗われているこいつも怖いよな。
風邪を引かないように、なるべく全身にお湯をかけてやろう。
「ふむ。真に肌が黒いのか……」
上様は呆気にとられた顔をしていたが、やがてにやりと笑った。
「オルガンティーノ。こやつを俺にくれ!」
オルガンティーノは面食らったけど、上様に逆らうと布教に支障が出ると思ったのか、直ちに了承した。
「贈答品の目録に加えますね」
「ああ。よきにはからえ」
贈答品。つまり、この崑崙奴は物扱いなのか……
「そういえば、こやつの名は?」
オルガンティーノが帰って、崑崙奴が服を着てから、上様ははたと気づいた。
側近も小姓も顔を見合している。あの堀秀政殿も困っていた。
「なんだ。名を知らぬのか……では名付けてやろう。雲之介、良き名はあるか?」
「上様がお決めになられては?」
そう訊ねてみると上様は「俺が付けると評判が悪いからな」としれっと言う。
あれ? 僕の雲之介って、上様がつけたんだよな?」
「そうですね……」
僕は崑崙奴を見据えて、それから懐かしい顔が浮かんだので、その名を言う。
「弥助、というのはどうですか?」
長槍の訓練で黒々と焼けた彼を思い出す。すっかり僕は弥助さんより年上になったんだよな。
「弥助……まあそれで良いだろう。貴様は今日から弥助とする!」
上様は「弥助を部屋に連れて行け。丁重にな」と言って中座した。
崑崙奴――弥助は奥の部屋に連れて行かれる。
「僕も一緒に行こう」
怯えている小姓たちに僕がそう告げた。
安堵したのは小姓たちだけではなく。
弥助も同じだった。
奥の間で弥助と僕は二人きりとなった。
とりあえず、意思の疎通ができるのか。僕は話しかけてみた。
「腹は減っているのか?」
弥助は僕をじっと見て、それから答えた。
「す、すこし、だけ」
ちょっと感心する。声は低いがちゃんとした日の本言葉だったから。
「弥助……お前の名前だけど、何か好物はないのか?」
「あ、あまいもの、や、さかなが、このみます」
「そうか。ちょっと待ってくれ」
僕は控えていた小姓に「餡子の団子を持ってきてくれ」と指示した。小姓は怪訝な顔をしていたけど、すぐに持ってきてくれた。
「団子だ。串……分かるか? 串は食えないから気をつけろ」
「あ、ありがと……」
弥助は恐る恐る団子に手を伸ばして、食べ始めた。
するとぽろぽろ、ぽろぽろと、涙を流し始めた。
「ど、どうした? 気に入らなかったのか?」
「ち、ちがう。あなた、やさしい……」
弥助は泣きながら食べ続ける。
「このくに、きてから、やさしく、してもらったの、ないから」
「……そうか」
僕は弥助に同情を覚えた。
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