東洲斎写楽の懊悩

橋本洋一

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歴史

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「私が何故、このような姿なのか。順を追って話しましょう」

 眼鏡をかけ直さないまま、守屋は語りだす。場は異様な空気に包まれていた。重三郎はこの場から逃げ出したい気持ちに駆られた。もしもシャーロックとお雪がいなければそうしたはずだろう。

「今は遠い昔の話です。本当に長い年月を過ぎた……それでも恨みは残ってしまう……」

 守屋は口元を歪めた――そこでようやく、上手く笑えていないことに重三郎は気づく。
 一度も笑みを浮かべたことがない――そんな人間がいるのだろうか――ようなぎこちない笑い方だった。どんな人生を歩んだらそうなるのか、想像もつかない。

「時は寛永――天草四郎が一揆を起こした頃までさかのぼります。かの反乱は抵抗激しく、多くの犠牲者を出しました……幕府側の総大将が討ち取られてしまうほどに」
「激しい戦いだったと聞いています……」
「はっきり言ってしまえば、あれは為政者に対する抵抗ではなく、殉教――教えに向き合って死ぬための戦いだったのです」

 守屋の口調が少しずつ熱くなる。
 それは――暗くてほのかな熱だった。

「殉教でなければならなかった。何万人ものカトリックを救うためには、何万人もの同志を天国へ行かせるためには、殉教として戦わなければならなかった。自殺するのは簡単ですが、それでは永遠に救われない」
「だ、だとすれば、天草四郎は……」
「ええ。そのための尊い犠牲となったのです。ま、自己犠牲もまた天国へ行けますから」

 話を聞けばそれこそ尊いのだろう。
 けれど――守屋は「その殉教のせいで被害を受けた人もいます」と否定した。
 殉教による戦いを――否定した。

「幕府側の総大将、板倉重昌の死によって事態を重く見た老中、松平伊豆守信綱は策を講じた……一揆の士気を落とすために、最も残酷で卑怯な行ないをしたのです」

 そこで守屋は言葉を切った。
 あまり触れたくないと思わせる仕草だった。

「……信綱は、オランダ船に艦砲射撃を行なうよう、オランダ商館長のクーケバッケルに依頼したのです。結果として、それは行なわれました。当然、士気は落ちましたが、当時の大名から批判が来たようです。異国の力を借りるとは何事かと」
「そ、それは――」
「蔦屋さん。ここからが重要なのです。私が言いたいことの始まりなのです」

 重三郎が言う前に遮った守屋。
 この場において、発言する権利は自分しかないと言わんばかりの態度だった。

「これは公になっていない、秘密裏に行なわれた取引です。知る者はほとんどいません――信綱は、クーケバッケルに、生け捕りにした一揆の者、五百人を差し出すことを条件に――攻撃を依頼したのです」
「ご、五百人――」
「少ないと思うのか、多いと思うのか。それはあなたの自由です」

 重三郎は心底ゾッとした。
 人の意思を無視した取引が存在したこと、そして実際に行なわれたことに。
 自分は商人だが、そんな取引など思いつきもしない――

「男は奴隷、女は娼婦として――オランダに渡りました。中には見世物になった者もいるようです。さて、蔦屋さん。ここからが重要なのです」

 先ほどから息もつかせぬ話が続いている――それよりも重苦しくなるのかと、重三郎は構えた。

「取引を知ったオランダ人が一揆の者に真実を明かしました。艦砲射撃が行なわれる前にです。しかし今更一揆の者に何ができるわけがない。真実は闇に葬られる……はずでした。けれども、彼らは残したのです」
「残したとは……まさか」
「ええ。信綱とク―ケバッケルの間で取り交わされた誓紙を、オランダ人は手に入れていたのです。そのオランダ人は一揆に加わり死にましたが、誓紙は残っていたのです……三井八郎右衛門が所有する、天草四郎の旗の中に」

 全てがつながりそうだった。
 シャーロックと守屋、そして薔薇十字団が天草四郎の旗を求める理由がそこにある。

「し、しかし。どうしてそれを手に入れたいのですか? 真実を明らかにして何をするつもりなのですか?」
「幕府の老中が一揆の者とはいえ、日の本の民を異国に売った……その真実を幕府に対抗できる雄藩連中、あるいは世間に公表したら――どうなると思いますか?」
「日の本を巻き込んだ、戦が起こります……」

 重三郎はすぐさま思いつき、口にするのもはばかれたが、結局は言葉にする。
 守屋は「それこそが薔薇十字団の目的です」とあっさりと言う。

「そうして疲弊した日の本ならば手中にするのは容易い。エゲレスの属国にできます。日の本を属国とすれば、拠点として清などのアジアを次々と征服できます」
「そのようなことをすれば、人が大勢死にますよ!」

 ようやく、はっきりと声に出して意見できた重三郎。
 聞き捨てならない言葉への怒りがそうさせた。

「日の本の民は戦に駆り出されて、その挙句に奴隷にされる! エゲレスだって戦になったらたくさん死にます! 清を相手にしたら確実にそうなりますよ! 分かって言っているんですか!?」

 重三郎は怒っていた。
 商人として人の価値をよく知っている――それだけではない。
 己の愛する国が蹂躙されそうになっているのだ。怒らない者はいなかった。

「ええ。十分承知しておりますよ。私はね、たくさん死ねばいいと心から思っているのです」
「な、何を――」
「売られた五百人がどうなったのか、興味ありますか?」

 唐突な問いに重三郎は言葉を飲み込んだ。
 守屋は「彼らはカトリックです」と続けた。

「自殺は許されない。現世でどんな生き地獄を味わっても、信者である限り生き続けなければならない。だから彼らは生きていたのです。異国の地で奴隷として、娼婦としてね」
「……それは、とても酷い話ですね」
「ええ。酷い話です。けれど、彼らは死ぬべきだったと思います。教えを棄ててでも、死を選ぶべきだった。そのほうが幸せだったと思います」
「どうして、断言できるのですか?」
「……彼らは異国の地で子供を産むことになります」

 一瞬、意味が分からない重三郎だったが、守屋の黒髪と碧眼を見て気づく。

「あ、あなたは、その子孫……?」
「やはりあなたは賢いお方だ。そうです。私はね、彼らの子孫なんですよ」

 守屋はますます口元を歪めた。
 上手く笑えていないことに気づいていない。

「恨みましたよ。この黒髪をね。剃り落としても生えてくる。いっそのこと生えないように焼きごてでも押し当てようかと思いつめました。でもね、母が『その黒髪は私たちの誇りよ』って言うんですよ……」

 重三郎は何も言えなかった。
 守屋の半生を思うと言葉がなかった。

「この目もそうです。青い目のせいで日の本にも行けない。分かりますか? エゲレスでも日の本でもない、あやふやな立場であることが。それに加えて、私は――その両方からもどうでもいい存在でした」

 それでも守屋は涙を流さない。
 悲しい話をしているのに、涙一つ零さない。

「だから、壊してやろうと思ったんですよ。日の本を奴隷に落とし込んで、エゲレスも戦争に巻き込んで。そのために薔薇十字団に話を持ち込みました。そのためにシャーロックも利用したんです」
「あ、あなたの境遇は分かりました。酷いこともされたのでしょう。それでも――」

 守屋は語らなかったが、迫害を受けてきたのだろう。
 しかし、ここで守屋の復讐を止めねばならなかった。

「――あなたは止まれないのですか?」
「無理ですね。私の生涯をかけた……足掻きなのですから」

 守屋は「今の老中、松平信明に脅しをかけています」と告白した。

「ま、脅しの内容は言わないでおきましょう。それで長崎奉行も言うことを聞いてくれましたからね」
「な、中川様も利用したのですか?」
「……私はこの国に来て、吐き気がしましたよ。偽りの戦のない国なんて、五百人の犠牲で作られた見せかけの平和なんて、くそくらえですよ」

 守屋の眼は怒りを宿していた。
 けれども、重三郎はその奥に悲しみを見出していた。
 先祖の無念と自分の不幸を悲しんでいた。
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