伯爵令息の僕だけど、姉上のフリをして初恋の彼女の教師になります!? ~偽りの姿をした僕と、優しい嘘を言う君が、陽の光の下でワルツを踊るまで~

杵島 灯

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幕間2

あなたに捧ぐ暁の花 2

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 パートリッジ家に仕える庭師たちはこれまでにも幾度となく花の改良に挑んできた。幼いころから彼らの仕事を手伝ってきたガイも、その過程を多少なりとも知っている。
 しかし今回はただの品種改良ではない。ウォルターの想いを形にする試みでもあるのだ。ガイは事前に庭師たちを回って知識を集め、十分な準備を整えた上で改良に取り掛かった。

 最初の年は、ひたすら試作を繰り返した。
 花の理想像については、ウォルターが明確に語っていた。

「小さな花ではない。大振り過ぎる花も違う。他を圧倒するものではなく、愛らしくもあるような大きさ。けれど華やかで」
「難しいことを言いますね」
「それがケイトリン様のイメージに合うんだ。色はべににしたい。だけど、濃すぎる色は避けたい」

 ウォルターの発言に苦笑しながらもガイは多くの鉢を用意し、様々な場所から取り寄せた種を撒いた。咲いた花を掛け合わせ、接ぎ木も試みた。
 失敗は多かった。芽吹かなかったものもあれば、開花の前に枯れたものも、咲いても思ったような姿にならなかったものもある。ガイは寝る間も惜しんで花と向き合った。
 一方でウォルターは王都から植物に関する書物を多く取り寄せていた。合間を縫って目を通し、重要そうな記述を抜粋し、文字の読めないガイに聞かせてくれた。実際に花と接するのはガイだったけれど、ウォルターの努力もガイと比べて遜色はなかったと思う。

 交配を始めて二年目のある日、一つの鉢の前でガイは「あっ」と声を上げた。

 その花は、夜明けを思わせる淡い紅色べにいろをしていた。すらりと伸びた茎の先では花弁が幾枚も重なり、まるでフリルを重ねたドレスのよう。大きさは女性のてのひらに収まるほどなので、他を圧倒するほど大きいわけでもない。
 試しに他の花と並べてみると、周りに調和しながらも、不思議と目はその花に引き付けられる。
 主張と調和を同時に備えた姿。まさしく、求めていたものだ。

「完成しましたよ!」

 ガイの声は弾んだが、ウォルターの表情は冴えなかった。

「香りが強すぎるな」

 この一言で二人の試行錯誤は続くことになった。
 挫折を繰り返しながら更に四年、ようやくウォルターの顔に笑みが浮かぶ日が来る。

「……これだ」

 みずみずしく上品な香りの中に含まれるのは華やかさより、爽やかさや清らかさのほうが大きい。ある種の香草ハーブかとも思うほどだが、消えていくときにはふわりと甘さがただよって、やはり花なのだと思わせてくれる。
 清楚にして可憐、そんな言葉が似合う香りだった。

「ありがとう、ガイ。お前の力なくしてこの花はできなかった」

 目には光るものを宿しながら、ウォルターが頭を下げる。

「もったいないことです」

 慌ててガイも深く頭を下げた。

「これでお前も肩の荷が下りたな。長く拘束こうそくして申し訳なかった。遅くなったが、自由な時間を過ごせるよう手配する」
「まだですよ。花を増やさなきゃなりませんからね」
「だが、お前も……一人では寂しいだろう?」

 遠慮がちにウォルターが言うので、ガイは笑って首を横に振る。

「いいんですよ」

 ウォルターが二十一歳になった今年、ガイは二十三歳になった。周りから縁談をもちかけられたり、あるいは女性からそれとなくアプローチをされたこともあるけれど、誰かと家庭を築こうという気にはなれなかった。今は植物の世話が楽しくて仕方がないのだ。

「それよりも、庭園の一角にこの花の植える場所を作りましょう。きっとケイトリン様に喜んでいただけますよ」

 ガイが言うと、ウォルターは静かにうなずいた。
 こうしてケイトリンが嫁いでくるまでの二年、他の庭師の手も借りながら、王女のために作られた花は少しずつ咲く面積を広げる。

***

 ケイトリンがパートリッジ本邸に到着したのは「花を作ろう」と決めたあの日から約八年の後、かねてからの予定通り、彼女が十八歳を迎えて少し経った冬の日だった。
 その瞬間のガイは庭園で花の世話をしていた。いかにウォルターと親しくとも、庭師の身分で王女の出迎えの列には並べない。よって、ガイが初めてケイトリンの姿を目にしたのは翌日のことだ。

 朝方にガイが花の手入れをしていると、一人の女性が現れた。初めて見る女性だ。とても美しくて華やかだが、他者を圧倒して場を制するような雰囲気の持ち主ではない。むしろ場を和ませ、それによって自身を際立たせる印象だった。まるでガイとウォルターが作り上げたあの花から受ける印象そのものだったので、ガイは彼女がケイトリンなのだと気がついた。よく見ると彼女の数歩後ろをウォルターが歩いている。

 しかしなぜ二人は並んで歩かないのだろう。
 不思議に思うガイの前で、ケイトリンが背後へぎこちない笑みを向ける。彼女の後ろ姿を見つめていたウォルターは途端に目をそらし、むっつりとした顔でうなずいた。

 ガイはウォルターと親しいから、あれが彼が緊張しているときの様子だと分かっている。だけど傍から見ると不機嫌なようにしか見えないため、使用人たちが「ウォルター様は怖い」「私は嫌われているんだ」と嘆いていることも知っていた。
 もちろんケイトリンも、使用人たちと同じ感想を抱いているに違いない。

 寒い季節だというのに、ガイの背を冷や汗が伝う。
 おそらくウォルターは昨日からあの調子なのだ。それで二人のあいだにはこんなにぎくしゃくとした空気が流れている。

 その予想が確信に変わったのは、ガイを見るケイトリンがホッとしたように微笑み、足早に近寄ってきたときだった。
 ガイは複雑な気持ちで帽子を脱ぎ、礼の姿勢をる。ほどなくして頭上から軽やかな声が届いた。

「楽にしてちょうだいな」

 顔を上げると、ケイトリンだけでなく、なぜかウォルターまでもが安堵したかのような表情をしている。ガイは頭を抱えたくなった。

「ごきげんよう。あなたがガイね。腕のいい庭師だと聞いているわ」
「もったいないお言葉でございます」
「ガイ。例の場所へ先導を頼みたい」

 それはウォルター様がすべきことでは? という言葉をガイはぐっと飲みこみ、仕方なく庭園の一角へ二人を案内する。最も日当たりのよいその場所には、薄紅うすべにの花々が暁の空を写し取ったかのように咲き誇っていた。
 ケイトリンは花を目にした途端に歓声をあげる。

「……なんて綺麗……!」

 そのまま立ち尽くし、うっとりと花に見いっている。
 気に入ってもらえたようだ。
 ガイが胸を撫でおろしたところで、相変わらずケイトリンの後ろに立つウォルターが呼びかけた。

「ケイトリン様」

 ウォルターの更に後ろに立つガイは「どうしてまだ敬称をつけてるんだろう」と思ったし、もしかしたらケイトリンも同じことを思ったのかもしれない。花を見つめる背が凍りついたように見えた。

「この花には名があります。『暁の王女』というのです」
「暁の……おうじょ」

 硬い声で呟いたケイトリンは振り向いて「素敵な名前ね」と微笑んだが、顔色は悪く、唇はかすかに震えていた。
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