伯爵令息の僕だけど、姉上のフリをして初恋の彼女の教師になります!? ~偽りの姿をした僕と、優しい嘘を言う君が、陽の光の下でワルツを踊るまで~

杵島 灯

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幕間2

あなたに捧ぐ暁の花 3

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 花の名が『暁の王女』だとガイはあらかじめ聞かされていたし、良い名だとも思っていた。だからこそ、ケイトリンの反応は意外だった。ウォルターも同様なのだろう。

「お気に召しませんか?」

 問いかける声がぐっと低くなった。
 これは彼が困惑しているせいだとガイは知っているが、多くの人はそれを「怒り」と受け取るはず。ガイは「もっと優しく」と口を挟みたくなったが、身分を思えばそれもできなかった。
 二人の男性に見つめられたケイトリンは足元に視線を落とし、両手を握り合わせる。

「……わたくしはパートリッジ伯爵夫人になるため、この地へ来たのよ。王女としてでは、ないわ。それなのにどうしてあなたは、花に『王女』という名をつけたの……?」

 ケイトリンの声は、冬の日溜まりに消えてしまいそうな雪のかけらと同じくらい、小さくてはかない。

「……視線を合わせてくれない。笑顔も見せてくれない。口調もずっと強くて。……あなたは、わたくしが来るのを、望んでいなかったの? お願い。本当のことを言って」

 ケイトリンの瞳が潤むが、ウォルターはおろおろと手や顔を動かすばかり。不器用で口下手な彼は、何をどう伝えたらよいのかわからないのだろう。

「もし、あなたが、わたくしを王都へ、帰したいと考えているのなら――」
「ち、違います!」

 思わず声を上げたのはガイだった。
 身分の差や立場の違いは頭から吹き飛んだ。ケイトリンにウォルターのことを誤解してほしくない、その一心で、ガイは懸命に言葉を重ねた。

「『暁の王女』を作ろう、と提案されたのはウォルター様です。寒い日に生まれたケイトリン様のため、寒さに負けず咲く花を差し上げたいとお考えになったんです。花の形も、色も、香りも、すべてウォルター様が、ケイトリン様を思って選んだものなんです」
「……本当に?」
「本当だ」

 一歩前に出て答えたのはウォルターだった。

「最初にあなたを見たとき僕は、辺りに光がさしたような気がした。きっとあなたは暁の化身だと、天上の女神がいっとき降臨されたのだと、そんなふうにも思った。特別なあなたに、どうしても、特別な花を差し上げたくなった」

 ガイはウォルターの後ろに立っている。彼の顔は見えない。だけど髪から覗く彼の耳が、最初にケイトリンのことを語ったあの日と同じく、見る間に真っ赤になっていくのは分かった。

「ガイと作った花の名は『暁の女神』にしようかと思った。でも、やめた。あなたは神なんかじゃない。地上に立って、僕に微笑んでくれる、れっきとした人なんだ。そう思って『王女』にした。あなたに感じた気高さを後世に残すには、その言葉が相応しいと思った、の、で――」

 ウォルターが言葉をとぎらせたのは、ケイトリンが表情をやわらげ、はにかむような愛らしい笑みを見せたからだ。

「……ごめんなさい。わたくしは誤解していたのですね」
「いいえ。僕が、言葉足らずだっただけで!」

 ウォルターが大きく何度も首を横に振る。
 そのあまりに必死な姿はガイも初めて見たし、ケイトリンは今度こそ朝陽のような笑みを見せた。

「あなたがそのように思ってくれるのなら、わたくしはこの花に恥じぬ生を送らねばなりませんね。この地で――」

 彼女は握っていた手を開き、ウォルターへ差し出す。

「――あなたと共に」

 進み出たウォルターがその手を取った。

「ありがとう。どうか僕と共に生きてほしい、ケイトリン様」

 ウォルターは慌てて口をつぐみ、深呼吸を一回して言い直す。

「ケイトリン」
「……はい!」

 暁の花々を背に二人が見つめ合う。その光景はまるで一枚の絵のようで、天からの祝福を受けたかのように美しい姿だった。

***

 それからのケイトリンの人生には、いつも『暁の王女』が寄り添った。
 結婚式の会場を飾り、誕生日の宴を毎年のように彩り、子が生まれたときには寝台の横で揺れていた。

 彼女が最期の眠りについたのは雪深い朝のことだった。
 棺を埋め尽くすように咲き誇る薄紅の花々は、初めて彼女を迎えたあの庭園の光景を思わせた。
 彼女のために生まれた花は、最後の瞬間まで彼女と共にあった。

 そして、そのあとも。

 パートリッジ家の大広間に掲げられた肖像画、その中でケイトリンは『暁の王女』に囲まれ、穏やかな微笑みを浮かべている。

***

 晩年のウォルターは若いころ以上に庭園に足を運ぶようになっていた。とくに寒い季節には、毎日のように『暁の王女』の元を訪れた。

「この花を、あの方に渡せてよかった」

 そう呟いたときの満ち足りた笑みをガイは忘れられない。

 ウォルターが旅立ったのも冬だった。目を閉じる彼の横には一輪の『暁の王女』が添えられた。
 それはまるで、ケイトリンとウォルターが寄り添っているようだった。

***

 『暁の王女』に深く関係した三人のうち、最後まで残ったのはガイだった。

 ある寒い朝、夜が明けきらぬうちに目を覚ました彼は、襟巻えりまきに顔を埋めて庭園の端へと歩みを進めた。関節が痛むせいで足取りは遅いが、不思議と昔ほど寒さは身に沁みない。
 温室の扉を開き、奥へ進み、応接室の椅子の背にそっと手をかける。

 何十年も前、この場所には片膝を抱えて座るウォルターの姿があった。
 それは、色鮮やかな八年間の始まりで――。

 いや、とガイは静かに首を振った。

 『暁の王女』と名づけられた花は今も庭を彩り、あの夫婦の絆を語り続けている。きっとこれからもその光景は変わることなく続いていくだろう。
 ならばあの日は八年ではなく、何十年、何百年と続く時の始まりだった。
 その一端に自分が関われたのだと考えると、なんとも誇らしく、言葉にあらわせないほど嬉しい。

「素晴らしい機会を与えてくださったこと、心から感謝いたします。ウォルター様」

 微笑みながら、ガイは深くこうべを垂れた。

 その年の最も寒い日、ガイは幾度となく『暁の王女』を見守ってきた瞳を静かに閉じた。
 彼の棺に薄紅色の花は添えられなかった。けれどやがて、彼が眠る場所には一株の花が植えられることになる。

 ――それはこの時よりも、なお先の話。さらに時を重ねてからのことだ。
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