伯爵令息の僕だけど、姉上のフリをして初恋の彼女の教師になります!? ~偽りの姿をした僕と、優しい嘘を言う君が、陽の光の下でワルツを踊るまで~

杵島 灯

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第4章

どうしたらいいんだろう

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 なんでこんなことになったんだろう。
 気がつけばあれはもう、昨日のことになってる。

 ルークが僕を待ち伏せしていたのを、サラがいろいろ誤解して、「今までありがとうございました」って言って馬車の扉を閉めた。
 そのあと僕が床に座って呆けているうち、馬車はパートリッジ本邸まで戻ってしまったんだ。
 促されても「絶対に降りない」って言い張った僕だけど、馬車の外で御者さんは困った表情を浮かべる。

「でしたらエレノア様が降りられるまで、馬車をここに停めたままということになります。サラお嬢様からは『エレノア様を乗せた状態で戻って来ないように』と強く命令されていますので……」

 なんて聞かされてしまったら、僕はのろのろと馬車を降りるしかなかった。
 うん。そうだね。確かにサラは、

「もう二度と私の前に姿を見せないでくださいね」

 って言ったんだ。
 サラがエレノアに会いたくないんじゃ、このままモート家の屋敷に行ったところで会ってもらえるとは思えないよ。

 その後どう行動したのか、正直に言うと僕はよく覚えてない。
 記憶がはっきりするのは今日、ジェフリーがパートリッジの本邸に来たときだ。僕は男装で出迎えたから、前の日の僕はちゃんとドレスを脱いだし、化粧だって落としたんだと思う。

 金髪のジェフリーはパートリッジ本邸の応接室に通された。そして渋い顔で、

「昨日は娘が勝手にエレノア嬢をお帰ししてしまったようで」

 と切り出す。

 僕はドキドキしていた。
 サラはエレノアとルークのことをジェフリーにどう説明したんだろう、エレノアはどんなふうに詰られるんだろう、って。
 だけどサラはその件に関して、ジェフリーには何も言わなかったらしい。

「貴族のことに関してはもう十分に学んだから、あとは結婚前の自由な時間を楽しみたくなった」

 って説明だけをしたみたいだ。

「まったく、娘というのは分からんものです」

 腕組みをしたジェフリーが言うと、父上がふかーくうなずいて、

「同感です」

 なんて返す。
 いや、父上はもう少し姉上のことを分かる努力をした方がいいと思うよ。特に借金にかかわる辺りはね。

「今回の件に関してはこちらの勝手でもありますので、少し早いですがエレノア嬢の契約は満了したということにいたします」
「あ、そ、そうです、か。で、あの、そのー、えー、借金に関しては……」
「当初の予定通り、書面で締結した分の借金は免除させていただきますよ」
「おおおお! ありがとうございます、モートさん!」
「いえいえ」

 ジェフリーは細い目をさらに細め、

「次は春に参ります」

 という言葉を残して去って行った。
 豪華な馬車を見送る父上は晴れ晴れとした顔だ。

「ジェフリーはなんて気前がいいんだ!」

 なんて豪快に笑いながら屋敷に戻っていくけど……うーん。
 エレノアが教師をした報酬はあくまで借金の“一部”免除であって、全額免除じゃないんだよ? 最後にジェフリーも言ってたじゃないか。「次は春に参ります」って。それは「春になったら借金の取り立てに来る」ってことなんだけどな。

 まあ、とにかく。
 ジェフリーの話を聞いて、僕はなんだか気が抜けた。……違うな。気力がなくなったんだ。

 すごく調子のいいことに、どうやら僕はジェフリーが「エレノア嬢を帰してしまったことをサラが後悔しています。次の赤の曜日には馬車を寄こしますので、どうかまた今まで通り授業をしていただけませんか?」って言ってくれるのを、心のどこかで期待してたらしい。

 だけどそんな都合のいいことは起きなかった。希望はパンッて弾けてしまった。ちゃんとお別れも言えないまま、誤解されたまま、僕はサラに会えなくなってしまったんだ。

 僕は体を引きずるようにしながら自室に戻って (もちろん扉はそっと開いた)、ベッドに体を投げ出した(ちゃんと靴は脱いだ)。
 やらなきゃいけないことはいっぱいある。掃除とか、馬の世話の手伝いとか、帳簿の整理とか。だけど今は何もする気になれなかった。

「……終わった……」

 いや、厳密には終わって言えないのかもしれない。だって僕はモート家の屋敷がある場所を知ってる。モート家が馬車を寄越してくれないなら、僕が馬に乗ってモート家へ行けばいいんだ。

 でも、なんて言ったらいい?

「モート家に通っていたエレノアは実はグレアムだったんだ、だからルークを誘惑なんてしてないんだよ」

 って?
 僕は女装癖のある伯爵令息として名を響かせて、せっかくの借金免除も水の泡になるね。
 だったら、そうだなあ。
 ただのグレアムとして会いに行く?
 で、言ってみようか。

「おめでとう、サラ。ルークと婚約するんだってね。僕の家はもう没落するけど、君にはぜひ幸せになってほしいな」

 一人で声色を変えながら同じセリフをぼそぼそと言ってるうち、なんか妙におかしくなった。

 僕は天井を見ながら肩を震わせる。
 しばらくして、なんかどうでも良くなって。ごろりと横に転がったとき目に入ったのは、部屋の隅に置いてある大きめの箱だ。
 あれは僕がサラの授業を始めてすぐの頃、パートリッジ本邸へ戻ってきた姉上が持って来てくれたんだよね。中には筆記具や、紙や、たくさんの資料が詰まってた。

 そういえば姉上はあのとき「さすがに本は後で返してもらいますけれど」って言ってたっけ。
 もう“エレノア”は教師をしないわけだし、姉上に返してもいいかな。本はたくさんあって結構な重量もあるし、国営郵便で送るのは無理だろうから、また使用人にお願いして、馬車を……。

 ………………。

「……本を返す」

 そう。本は姉上のものだ。返さなきゃいけない。
 王都に住んでる、姉上に……。

 ………………。

 僕は無言でベッドに起き上がる。

 ねえ、姉上。
 ルークは“エレノア”に「もう一度だけでいい。ボクと話をしてくれないか」なんて言ってたよ。髪飾りを見て「……これは、ドネロン伯爵の……」って驚いてたよ。
 姉上はこのパートリッジ本邸を出て、もう何年も王都のパートリッジ別邸で暮らしてるよね。それは知ってる。だけど僕は姉上が王都でどういう日々を過ごしてるのか、誰と何を話しているのか、どんな交友関係を築いてるのか、全く分からないんだ……。

 僕は王都になんてほとんど行ったことがない。田舎で過ごしてるから人の多い王都が苦手で、できる限り行かないよう避けてたんだ。
 でも今回の発端はすべて、王都に鍵がある。姉上とルークの関係も、『約束の花束をあなたに』も、サラの婚約もね。
 だったら、もし……もしだよ。
 この田舎で起きたことを知ってるけど、本当のことなんて何も分からない僕が王都に行ったら……?

 箱をじっと見つめる僕の手は、いつのまにかギュッと握りしめられている。
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