伯爵令息の僕だけど、姉上のフリをして初恋の彼女の教師になります!? ~偽りの姿をした僕と、優しい嘘を言う君が、陽の光の下でワルツを踊るまで~

杵島 灯

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第4章

そんな知らせが来るなんて

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 そのとき僕は温室にいた。
 せっかくだからここも綺麗にしようと思ったんだ。

 南方の植物を育てるために建てられたこの温室は、庭園の端っこにある。
 ここへ続く道も、暖かい時期は雑草が生い茂って見えなかったんだ。寒い時期になって、周辺の雑草は枯れて、人が通れる隙間もできた。おかげで僕はここへ来られたってわけ。

 温室はどっしりとしたレンガと、大きなガラス窓とで造られてる。どちらも苔や汚れがいっぱいだ。でも、壊れている場所はないみたい。内部も無事だと良いけどなあ。まあ、中はからっぽなんだけどね。育てていた植物も、椅子や机といった応接用の調度も、既に差し押さえられて運び出されてるからさ。ははは……。

 鍵を開けた僕は、取っ手に手をかけて扉を押す。
 ぎい、という重たい音の向こうから出迎えてくれたのは、ぬるい空気と意外な光景だ。

 この温室はうちの敷地に流れる温泉水を引き込んで暖かさを保ってたけど、何年か前に中の物を持ちだす際、その水路も止めてしまった。
 ……はずだったんだけど、どうやら完全には止まってなかったみたいだ。思いのほか温度が高い。そのおかげで落ちた種も芽吹けたみたいで、地面からは小さな緑色が顔を覗かせてた。
 温室はまだ、完全に死んだわけじゃなかったんだ!

「……ありがとね」

 しゃがんだ僕が指先でつつくと、子株は小さく葉を震わせる。いいなあ、嬉しいなあ!
 よし。次の持ち主にもこの温室をみたとき同じように嬉しくなってもらおう。さっそく手入れの開始だ!

 まずは僕は子株の周りの石を取り除いて、ちょっとだけ土をほぐしてやった。これで少しは根も伸びやすくなるかな? 頑張って大きくなるんだよ。
 次に、持ってきた雑巾でガラス窓を磨いた。もちろん外からも拭かないと駄目だけど、多少なりとも内部の曇りが晴れたらそのぶんだけ明るくなってきた。うん、なんだか気分も明るくなっていいね! うーん、暖かい温室の中で動いたからちょっと暑くなってきたよ。

 僕は外套を脱ぎ、ポケットからハンカチを出して額の汗を拭く。
 一息ついて、ちょっぴり過去に思いをはせた。
 今年は本当にいろんなことがあったよなあ。
 女装するなんてこれっぽっちも思わなかったし、何よりまさかまたサラに会えるなんて思いもよらなかった。

 ……サラ。
 元気にしてるかな。
 「もう二度と私の前に姿を見せないでくださいね」って言われてから、僕は一度もサラと会ってない。

 あと五日も経てば新年だ。王宮では舞踏会が開かれて、そこでサラは社交界デビューする。
 きっと綺麗なんだろうな。サラはずっと努力してきてたし、舞踏会のどんな女性よりも立派な淑女になれてるはず。隣に立つルークのキラキラ具合にだってきっと負けてないよ、絶対にね!

「頑張れ、サラ」

 さ、手を止めてないで、僕も負けずに頑張ろう!
 今度は奥側のガラスを拭こうかな。そう思ってたら、

「坊ちゃーん!」

 派手な音をたてて扉が開いた。立っていたのはメイドだ。手には折れたホウキを持ってる。ええ……。

「また壊したの?」
「ありゃ? さっきまで大丈夫だったのに、どうしたんでしょうね」

 メイドは首を傾げてるけど、僕にはなんとなく分かるよ。ここへ来る途中の木にぶつけて折れたか、あるいは草を払って折れたかのどっちかだろうね、やれやれ。また村へ行って直しをお願いしなきゃな。

「で? どうしたの?」
「あ、そうそう。実はイアンさんが来たんですよー!」
「……イアン?」

 周囲では聞いたことのない名前だから僕の声色はちょっと怪訝なものになった。メイドはなぜか自慢そうに胸をそらす。

「モートさん家の御者さんですよ! ほら、エレノア坊ちゃんを送り迎えしてくれてたじゃないですか!」
「ああ……」

 ピッカピカの馬車を操っていた、真面目そうな中年の男の人だね。イアンっていう名前なんだ。

「じゃあ、ジェフリーが来たの?」

 指定された返済の期日はまだ先なのに、と思いながら聞くと、メイドは「違いますよー」と答える。

「イアンさんだけが訪ねてきたんです」
「一人で? ふうん、どうしたんだろうね」
「お話があるんですって。応接室にお通してますから急いでください、坊ちゃん!」
「急ぐ? なんで?」
「イアンさんとお話をするからに決まってるじゃないですかー!」
「……僕が行かなくたって、父上が話をすればいいだけだよね?」

 僕はイアンに会ったことがある。でもそれは“エレノア”としてであって、グレアムのままじゃない。
 それに父上ならずっと本邸内にいるよ。昔の知り合いに支援を求める手紙を書いて、来ない返事をぼんやり待ち続ける日々を送ってるだけだから、来客の応対はしてくれる。むしろ、温室で掃除中の僕が行くよりずっと早いのに。
 だけどメイドは大きくぶんぶんと首を振った。

「旦那様じゃ駄目ですよ、だってイアンさんは坊ちゃんに用があるんですからね! はい、分かったらはやくはやく!」

 どういうことなのか全然分からないけど、メイドがぐいぐい背中を押すもんだから僕は仕方なく温室を出た。うっ、気温差がつらい。冬の風が身にしみる!
 慌てて外套を羽織った僕は途中でメイドと別れ、一人で屋敷に入った。応接室をノックして扉を開くと、イアンはピシッと立ち上がり、背筋を伸ばしたまま深々と頭を下げた。

「と、突然のご訪問、申し訳ありません!」

 上ずった声から察すると、畏まってるというより緊張してるみたいだね。そんな気にしなくていいんだけどな。
 で……えーと、僕はなんて声をかけたらいいんだろう。グレアムとして彼に会ったことはないし、ここは「初めまして」が無難かな。うん、それがいい。

「はじめ――」
「わ、私は一介の使用人ですし、本来ならばせめて、しょ、書状を通すべきかと分かっております!」

 彼の正面に周って口を開きかけた僕だけど、イアンはずいぶん緊張してるみたい。頭を下げたまま話を始めたんだ。

「ですがその、これは、直接言葉でお伝えするほうが良いかなと思いまして! ……実はあの日、私は夕方から……いや、そうでなくて、馬車の中から……ああ、どこから申し上げればいいのか……!」
「落ち着いて。まずは顔を上げてよ。そうだ、お茶でも飲もうか。いれてもらうから座って待ってて」

 茶葉だってタダじゃないけど、お客さんに出すものを惜しむわけにはいかないもんね。
 でもイアンは顔は上げたけど、座ることなく話を続ける。

「お心遣いありがとうございます……すみません、なんという無礼な……伺う道中で何度も練習したんですが……その……」

 しばらく困った様子でもごもご言ってたイアンは、ふと意を決したような表情になった。

「分かりづらくなってしまうの思うので、やはり簡潔に申し上げます。ええと――私のお仕えしているモート家で、婚約のお話が無くなりました」
「……婚約?」
「はい」

 突然言われた言葉が理解できなくて僕が瞬いてると、御者さんはきっぱりと言い切る。

「サラお嬢様とルーク様の婚約が、白紙に戻ったのです」
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