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第4章
衝撃を受けた理由
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「サラお嬢様とルーク様の婚約が、白紙に戻ったのです」
その言葉は僕の心にゆっくりと刺さっていった。
理解できたとき、まず浮かんだのはルークの姿だ。
僕がサラと最後に会ったあの日、ルークは“僕”に向かって必死に「話を」って言ってた。それでルークがサラとの婚約を取りやめたのかもしれないと思ったんだ。
だけどもう一人の僕が「落ち着け」って声をかけてくる。
ゴールデン・ペタルの前で会ったルークはとても誠実そうに見えた。あんな表情をする人がいきなり相手を裏切るなんて思えないよ、ってさ。
じゃあ、なんで?
理由が分からず混乱する僕だけど、すぐに思い出す。
目の前には、この報告を届けてくれたイアンがいるじゃないか。
「あのっ、なんで、婚約が白紙に?」
ちょっと上ずった声で尋ねてみると、イアンは少し悩んだ様子になった。
「実は私も、詳しいことは分からないのです」
イアンの話はこんな感じだった。
数日前、王都の“アシュフォード侯爵家”で夜会が開かれた。
アシュフォード侯爵というのは、国内でもかなりの力を持ってる一族の筆頭だ。センシブル子爵家はこの一族の末端にいる。
それでルークはサラを連れて、アシュフォード家の夜会に参加したんだろうね。まだ公にされていないとはいえサラはルークの婚約者だし、きっと先に侯爵へ内々に紹介しようとしたんだ。
イアンはアシュフォード邸の馬車寄せでサラとジェフリーを降ろしたあと、邸内の馬車留め場で待機していた。そうしたら屋敷のほうがざわつき始めたんだって。イアンは最初「なにか催しが行われているんだろう」って深く気にも留めなかったらしい。
「ですがサラお嬢様がお一人で玄関から出てらして、静かに馬車の方へ歩いてこられるんです。どうしたんだろうと思っていたら、旦那様がすごい勢いでお屋敷から飛び出してきて……馬車についたときにはお顔が真っ赤でしたが、あれは走ったせいではありませんでした。なにしろ私には目もくれず、お嬢様に『何を考えているんだ!』と怒鳴っておられましたから……」
サラは「馬車を出して」とイアンに言った。ジェフリーは「出すな」と言った。イアンは困ったけど、サラがジェフリーに「今更どうにもならないことは分かってるでしょう?」と言ったことで、馬車を走らせることになった。
「旦那様は馬車の中で怒鳴ったり、かと思うと宥めるような声を出したりなさっていました。外で馬車を操る私はすべてを聞いたわけではありませんが、それでも『サラお嬢様とルーク様の婚約が解消になった』ということだけは理解できました」
当時の緊張を思い出したみたいでイアンは視線を下げ、身体の前で手を何度も握り合わせる。
「……王都のモート邸に着いてからも、旦那様はずっとお嬢様に『今からでも遅くない』『手紙を書いて詫びろ』『直接会いに』など言っておられました。ですがお嬢様は静かな表情のまま……旦那様の言葉を聞いておられないような様子で、お屋敷の中へ入っていかれたんです」
イアンはそこまで言って一つ息を吸うと、僕のことを見つめた。
「私は、モート家の使用人です。本来ならばモート家の事情を、勝手にこちらへお知らせするべきではないと思います。ただ、以前、こちらのエレノア様には、サラお嬢様が大変お世話になりました。お嬢様の婚約に関しての件をお伝えしても問題ないだろうと思いました。それに……」
口ごもるイアンの顔が少しずつ赤くなっていく。
「……その……『モートさん家で何かあったら教えてくださいね! ついででいいので!』とクレメンティーンさんに頼まれておりましたし……」
クレメンティーンって誰だっけ、と思うと同時に僕の頭の中で「坊ちゃーん!」という声が響く。そうか、メイドだ。
メイドが一人でそんな頼みをするとは思えないから、たぶん老執事の指示だろうな。
「それで今回、伺った次第です」
「……うん。来てくれて、ありがとう」
答えた僕の声は少しかすれていた。
小さく咳ばらいをして、僕はイアンに笑って見せる。
「せっかくだし誰かにお茶を頼むよ。今更だけど、よかったら座って」
「いえ。私の話は済みましたので、ここでおいとまいたします」
玄関まで一緒に行くと、近くの馬繋ぎ場には一頭の鹿毛がいた。
どこか晴れ晴れとした表情でその馬に乗るイアンに、僕は声をかける。
「ねえ。……サラは今、王都にいるよね?」
「はい」
「ありがとう」
僕に頭を下げてイアンは馬を歩かせる。
午後の光に照らされて輝く尾の色は、サラの髪と少し似てるな、なんて思った。
……サラ。
まさかルークとの婚約が解消されるなんて思いもしなかったよ。
イアンの話からすると、婚約解消を申し出たのはきっとサラだよね?
でも、なんで?
ルークはサラの初恋の人だったんじゃないの?
僕は王都でルークに会ったよ。
ルークはサラのために頑張ろうとしてた。センシブル家だって、モート家にとってはすごくいい――。
「若君」
ぼんやり考え込んでいた僕が振り返ると、いつのまにか執事が後ろに立っていた。
「実は、若君にご足労いただきたい場所がございます」
「ん、どこ?」
執事は答えなかった。ただ、「どうぞこちらへ」とだけ告げて、玄関から続く道を歩いて行く。僕は首をかしげながら後ろをついていった。
この先は村や町へ行く道に繋がる。徒歩でどこまで行くんだろう。と思ってたら執事はすぐに脇へ逸れて……って、ええ?
「そっちは……」
思わず声が漏れた。
あの先は昔、庭園だった場所だ。今は木が枝を好き勝手に伸ばして、ツルは地面へ垂れ下がって、草が生い茂って、どこに何があるか分からない“緑の壁”のようになってる。確かに冬になって一部は枯れてるけど、まだまだ壁は健在なんだよ。
……いや。
健在の、はずだったんだけど。
今日のその場所はいつもと少し違っていた。
雑草が踏み分けられて道ができてる。上に覆いかぶさる枝とツルは落としてあって、ちゃんと地面まで光が届いている。まるで誰かが道を切り開いてくれたみたいだ。
「……ここに来た人がいるの?」
執事はただ「棘が残っている場所もありますので、お気を付け下さい」とだけ言った。
僕は言われた通り、辺りに注意を払いながら足を動かす。進みながら胸がどきどき音をたてるのが分かった。
だって。だってさ。この先にある場所は――。
枯草の匂いと、残る緑の匂いとに包まれながら進むと、前方の空間が不意にぽっかりと開けた。
そこはさんさんと陽が注いで、とても眩しくて、とても暖かい。
うん、そうだね。僕も知ってるよ。ここは庭園で一番日当たりのいい場所だってね。
そうしてきちんとならされた土の上に、すっきりとした緑の茎があって、とてもとても麗しい色彩がある。
もう、何年も見てなかった色。
晴れた朝の空に似た美しい薄紅の色。
絶対に忘れられない色。
これは。
この色は。
短く息を吸って、吐いて。
何度も同じ動作を繰り返して、ようやく僕の口から小さな声が出た。
「……『暁の王女』だ……!」
ふんわりと吹いた風が僕の元へ優しい香りを連れてきて、嗚咽まじりの声を運び去って行った。
その言葉は僕の心にゆっくりと刺さっていった。
理解できたとき、まず浮かんだのはルークの姿だ。
僕がサラと最後に会ったあの日、ルークは“僕”に向かって必死に「話を」って言ってた。それでルークがサラとの婚約を取りやめたのかもしれないと思ったんだ。
だけどもう一人の僕が「落ち着け」って声をかけてくる。
ゴールデン・ペタルの前で会ったルークはとても誠実そうに見えた。あんな表情をする人がいきなり相手を裏切るなんて思えないよ、ってさ。
じゃあ、なんで?
理由が分からず混乱する僕だけど、すぐに思い出す。
目の前には、この報告を届けてくれたイアンがいるじゃないか。
「あのっ、なんで、婚約が白紙に?」
ちょっと上ずった声で尋ねてみると、イアンは少し悩んだ様子になった。
「実は私も、詳しいことは分からないのです」
イアンの話はこんな感じだった。
数日前、王都の“アシュフォード侯爵家”で夜会が開かれた。
アシュフォード侯爵というのは、国内でもかなりの力を持ってる一族の筆頭だ。センシブル子爵家はこの一族の末端にいる。
それでルークはサラを連れて、アシュフォード家の夜会に参加したんだろうね。まだ公にされていないとはいえサラはルークの婚約者だし、きっと先に侯爵へ内々に紹介しようとしたんだ。
イアンはアシュフォード邸の馬車寄せでサラとジェフリーを降ろしたあと、邸内の馬車留め場で待機していた。そうしたら屋敷のほうがざわつき始めたんだって。イアンは最初「なにか催しが行われているんだろう」って深く気にも留めなかったらしい。
「ですがサラお嬢様がお一人で玄関から出てらして、静かに馬車の方へ歩いてこられるんです。どうしたんだろうと思っていたら、旦那様がすごい勢いでお屋敷から飛び出してきて……馬車についたときにはお顔が真っ赤でしたが、あれは走ったせいではありませんでした。なにしろ私には目もくれず、お嬢様に『何を考えているんだ!』と怒鳴っておられましたから……」
サラは「馬車を出して」とイアンに言った。ジェフリーは「出すな」と言った。イアンは困ったけど、サラがジェフリーに「今更どうにもならないことは分かってるでしょう?」と言ったことで、馬車を走らせることになった。
「旦那様は馬車の中で怒鳴ったり、かと思うと宥めるような声を出したりなさっていました。外で馬車を操る私はすべてを聞いたわけではありませんが、それでも『サラお嬢様とルーク様の婚約が解消になった』ということだけは理解できました」
当時の緊張を思い出したみたいでイアンは視線を下げ、身体の前で手を何度も握り合わせる。
「……王都のモート邸に着いてからも、旦那様はずっとお嬢様に『今からでも遅くない』『手紙を書いて詫びろ』『直接会いに』など言っておられました。ですがお嬢様は静かな表情のまま……旦那様の言葉を聞いておられないような様子で、お屋敷の中へ入っていかれたんです」
イアンはそこまで言って一つ息を吸うと、僕のことを見つめた。
「私は、モート家の使用人です。本来ならばモート家の事情を、勝手にこちらへお知らせするべきではないと思います。ただ、以前、こちらのエレノア様には、サラお嬢様が大変お世話になりました。お嬢様の婚約に関しての件をお伝えしても問題ないだろうと思いました。それに……」
口ごもるイアンの顔が少しずつ赤くなっていく。
「……その……『モートさん家で何かあったら教えてくださいね! ついででいいので!』とクレメンティーンさんに頼まれておりましたし……」
クレメンティーンって誰だっけ、と思うと同時に僕の頭の中で「坊ちゃーん!」という声が響く。そうか、メイドだ。
メイドが一人でそんな頼みをするとは思えないから、たぶん老執事の指示だろうな。
「それで今回、伺った次第です」
「……うん。来てくれて、ありがとう」
答えた僕の声は少しかすれていた。
小さく咳ばらいをして、僕はイアンに笑って見せる。
「せっかくだし誰かにお茶を頼むよ。今更だけど、よかったら座って」
「いえ。私の話は済みましたので、ここでおいとまいたします」
玄関まで一緒に行くと、近くの馬繋ぎ場には一頭の鹿毛がいた。
どこか晴れ晴れとした表情でその馬に乗るイアンに、僕は声をかける。
「ねえ。……サラは今、王都にいるよね?」
「はい」
「ありがとう」
僕に頭を下げてイアンは馬を歩かせる。
午後の光に照らされて輝く尾の色は、サラの髪と少し似てるな、なんて思った。
……サラ。
まさかルークとの婚約が解消されるなんて思いもしなかったよ。
イアンの話からすると、婚約解消を申し出たのはきっとサラだよね?
でも、なんで?
ルークはサラの初恋の人だったんじゃないの?
僕は王都でルークに会ったよ。
ルークはサラのために頑張ろうとしてた。センシブル家だって、モート家にとってはすごくいい――。
「若君」
ぼんやり考え込んでいた僕が振り返ると、いつのまにか執事が後ろに立っていた。
「実は、若君にご足労いただきたい場所がございます」
「ん、どこ?」
執事は答えなかった。ただ、「どうぞこちらへ」とだけ告げて、玄関から続く道を歩いて行く。僕は首をかしげながら後ろをついていった。
この先は村や町へ行く道に繋がる。徒歩でどこまで行くんだろう。と思ってたら執事はすぐに脇へ逸れて……って、ええ?
「そっちは……」
思わず声が漏れた。
あの先は昔、庭園だった場所だ。今は木が枝を好き勝手に伸ばして、ツルは地面へ垂れ下がって、草が生い茂って、どこに何があるか分からない“緑の壁”のようになってる。確かに冬になって一部は枯れてるけど、まだまだ壁は健在なんだよ。
……いや。
健在の、はずだったんだけど。
今日のその場所はいつもと少し違っていた。
雑草が踏み分けられて道ができてる。上に覆いかぶさる枝とツルは落としてあって、ちゃんと地面まで光が届いている。まるで誰かが道を切り開いてくれたみたいだ。
「……ここに来た人がいるの?」
執事はただ「棘が残っている場所もありますので、お気を付け下さい」とだけ言った。
僕は言われた通り、辺りに注意を払いながら足を動かす。進みながら胸がどきどき音をたてるのが分かった。
だって。だってさ。この先にある場所は――。
枯草の匂いと、残る緑の匂いとに包まれながら進むと、前方の空間が不意にぽっかりと開けた。
そこはさんさんと陽が注いで、とても眩しくて、とても暖かい。
うん、そうだね。僕も知ってるよ。ここは庭園で一番日当たりのいい場所だってね。
そうしてきちんとならされた土の上に、すっきりとした緑の茎があって、とてもとても麗しい色彩がある。
もう、何年も見てなかった色。
晴れた朝の空に似た美しい薄紅の色。
絶対に忘れられない色。
これは。
この色は。
短く息を吸って、吐いて。
何度も同じ動作を繰り返して、ようやく僕の口から小さな声が出た。
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