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第1章
部屋の中で向き合って
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「お父さんのあんな焦った顔、久しぶりに見た!」
あーおかしい、と言いながら指で涙をぬぐい、サラは僕の方へ顔を向ける。
「父が挨拶もないまま立ち去ってごめんなさい。実はうちの父って昔から金髪に憧れを持っていたんですよ。それで頭髪が寂しくなったのを機に、金髪のカツラをかぶることにしたんです」
「そんな事情がおありでしたのね。申し訳ないことをしましたわ」
全然申し訳なく思ってない僕が言うと、サラは首を横に振る。
「気にしないでください。必要以上に見栄っ張りな方が悪いんですから」
そう言ってサラはふと視線を床に落とした。
「……それにあの人だって、たまには少し苦い思いをすればいいんです……」
「え?」
「いえ、なんでもありません」
顔を上げたサラは、今しがたの憂いが嘘だったかのように明るい微笑みを見せる。
「ところで父もいなくなりましたし、もうこの部屋にいても仕方ありませんよね。よろしければ私の部屋へいらっしゃいませんか?」
「喜んで伺いますわ!」
おっと、うっかり声が大きくなった。
でもしょうがないよね。久しぶりのサラと会っただけでなく、このあともまだ話ができるんだ。嬉しい気持ちはつい出ちゃうよ。
ん、でも、下心なんかないよ。大丈夫だよ。うん。
「ではこちらへどうぞ。二階へ行きますから、お足もとに注意してくださいね」
そう言ってサラは先に立って歩きはじめたので、僕は彼女の後を追う。
ドレスに隠れるからいいやと思って靴は歩きやすい自分のものにしたけど、だからってドレスが歩きやすいわけじゃない。もしもサラがどんどん歩いて行ってたら僕はサラに追いつけなかったかもね。
だけどサラは妙にゆっくり歩いてくれた。サラ自身がドレスや靴に慣れてないってことはなさそうだから、きっとこれはお客さんである僕が迷わないようにっていう気遣いだと思う。
おかげで僕は少しだけ、辺りを見回す余裕もできた。
モート家ではあちらこちらに美術品を飾ってある。金ぴかの新品と、歴史のありそうな古い物と。ジェフリーは骨董品趣味もあったのかと思っていたけど、その考えが間違っているのだとは廊下の端に覚えのある彫刻を見つけたことで分かってしまった。
あれはパートリッジ家当主の部屋、つまり、僕の父上の部屋に飾ってあったものだ。
まさかと思ってよく見てみると、近くの花瓶にはソラーズ男爵家の紋章がある。横の壺にはミューア男爵家の紋章が。その後ろの絵の額にはメイスン子爵家の紋章が彫られている。どれもここ何年かで没落したと聞く家だ。
……そうか。
ジェフリーの毒牙にかかった家は、パートリッジだけじゃなかったんだ……。
「どうなさいましたか?」
いつの間にか扉の前で立ち止まっていたサラが心配そうに僕へ声をかけてきた。
む、駄目だな。気を散らしてる場合じゃない。ちゃんと演じなきゃ。僕はエレノア、僕はエレノア。
「いいえ、なんでもありませんの」
僕は何とか笑って答えた。サラは「そうですか」とだけ言って深く追求はせずに扉を開ける。続いて「ごめんなさい」って聞こえたようにも思えたけど、彼女の後ろ姿しか見えない僕は本当に何か言ったのかどうかの確証が持てなかった。
「ここが私の部屋です。どうぞお入りください」
初めて入るサラの部屋は、最初の金ぴかの部屋とも、無秩序に美術品が置かれた廊下とも違っていた。
壁紙は水色で、敷かれているのは淡い緑色の絨毯。華美過ぎない程度に彫刻が施された木の机や椅子、タンスやベッドが配置され、窓から差し込むカーテン越しの光がそれらを優しく照らしてる。
温かくてどこか優しい雰囲気の部屋に入った僕は、この屋敷に来てから初めて楽に呼吸ができるようになった気がした。
「素敵なお部屋ですわね」
心の底からそう言うと、サラは「ありがとうございます」と応える。
「お父さんからは『もっと貴族らしい部屋にした方がいい』と言われるんですけど」
貴族らしい部屋ってなんだろう。もしかしてあの金ぴかの部屋がそうだって言うなら、ジェフリーはずいぶんと趣味が悪いな。
「私はサラさんのお部屋、とても好ましいと思いますわ。本当ですのよ」
「……嬉しいです」
少し恥ずかしそうなサラの笑みは、この部屋とよく似合っていた。
「さて、改めてご挨拶申し上げますね。――私はサラ・モート。ジェフリー・モートの娘です。パートリッジ伯爵家ご令嬢、エレノア様。当家にお越しくださってありがとうございます」
サラはスカートの裾を持ち、頭を下げる。その仕草はとても優雅だ。
そういえば先ほどの金ぴかな部屋での立ち姿も、ここへ来るまでの歩き方も、とてもきちんとしていた。
「サラさん。もしかして既にどなたかから所作を教わっておられましたの?」
「いいえ、誰からも」
サラは貴族の令嬢みたいに取り澄ました表情をしてる。小首を傾げた僕が黙って彼女を見つめていると、やがて根負けしたようにサラが頬を緩めた。
「本当です。誰からも教わっていません。でも父に『社交界デビューに向けてどこかの令嬢を教師としてお呼びする』と聞いてから練習はしました」
僕は思わず何度か瞬く。サラは微笑んだまま話を続ける。
「エレノア様もご存知ですよね、劇場には貴族のお嬢様方がたくさんおいでになるって。私はそこで皆様の仕草を覚えました。家に戻ったら鏡を見つつ、記憶の中のお嬢様方の姿になるべく近づけるように、こう……」
流れるように一連の動作をするサラを見ながら、僕はサラが頑張った理由を察してしまった。
モート家が貴族になれたのは、ちょっと狡くて強引な金稼ぎを繰り返したからだ。これじゃ周りからは嫌われるだろうね。当主のジェフリーは当然として、残念ながら娘のサラも。
……サラはもう分かってるんだ。誰も自分の教師なんて引き受けないし、もし引き受けてくれても嫌々だろうってことを。これまでには何かを言われたり、されたりしたことだってあるのかも。
今はなんてことない風に振舞ってるけど、でも、きっと裏でサラは心を痛めてた。それでたくさん努力をしたんだ……。
あーおかしい、と言いながら指で涙をぬぐい、サラは僕の方へ顔を向ける。
「父が挨拶もないまま立ち去ってごめんなさい。実はうちの父って昔から金髪に憧れを持っていたんですよ。それで頭髪が寂しくなったのを機に、金髪のカツラをかぶることにしたんです」
「そんな事情がおありでしたのね。申し訳ないことをしましたわ」
全然申し訳なく思ってない僕が言うと、サラは首を横に振る。
「気にしないでください。必要以上に見栄っ張りな方が悪いんですから」
そう言ってサラはふと視線を床に落とした。
「……それにあの人だって、たまには少し苦い思いをすればいいんです……」
「え?」
「いえ、なんでもありません」
顔を上げたサラは、今しがたの憂いが嘘だったかのように明るい微笑みを見せる。
「ところで父もいなくなりましたし、もうこの部屋にいても仕方ありませんよね。よろしければ私の部屋へいらっしゃいませんか?」
「喜んで伺いますわ!」
おっと、うっかり声が大きくなった。
でもしょうがないよね。久しぶりのサラと会っただけでなく、このあともまだ話ができるんだ。嬉しい気持ちはつい出ちゃうよ。
ん、でも、下心なんかないよ。大丈夫だよ。うん。
「ではこちらへどうぞ。二階へ行きますから、お足もとに注意してくださいね」
そう言ってサラは先に立って歩きはじめたので、僕は彼女の後を追う。
ドレスに隠れるからいいやと思って靴は歩きやすい自分のものにしたけど、だからってドレスが歩きやすいわけじゃない。もしもサラがどんどん歩いて行ってたら僕はサラに追いつけなかったかもね。
だけどサラは妙にゆっくり歩いてくれた。サラ自身がドレスや靴に慣れてないってことはなさそうだから、きっとこれはお客さんである僕が迷わないようにっていう気遣いだと思う。
おかげで僕は少しだけ、辺りを見回す余裕もできた。
モート家ではあちらこちらに美術品を飾ってある。金ぴかの新品と、歴史のありそうな古い物と。ジェフリーは骨董品趣味もあったのかと思っていたけど、その考えが間違っているのだとは廊下の端に覚えのある彫刻を見つけたことで分かってしまった。
あれはパートリッジ家当主の部屋、つまり、僕の父上の部屋に飾ってあったものだ。
まさかと思ってよく見てみると、近くの花瓶にはソラーズ男爵家の紋章がある。横の壺にはミューア男爵家の紋章が。その後ろの絵の額にはメイスン子爵家の紋章が彫られている。どれもここ何年かで没落したと聞く家だ。
……そうか。
ジェフリーの毒牙にかかった家は、パートリッジだけじゃなかったんだ……。
「どうなさいましたか?」
いつの間にか扉の前で立ち止まっていたサラが心配そうに僕へ声をかけてきた。
む、駄目だな。気を散らしてる場合じゃない。ちゃんと演じなきゃ。僕はエレノア、僕はエレノア。
「いいえ、なんでもありませんの」
僕は何とか笑って答えた。サラは「そうですか」とだけ言って深く追求はせずに扉を開ける。続いて「ごめんなさい」って聞こえたようにも思えたけど、彼女の後ろ姿しか見えない僕は本当に何か言ったのかどうかの確証が持てなかった。
「ここが私の部屋です。どうぞお入りください」
初めて入るサラの部屋は、最初の金ぴかの部屋とも、無秩序に美術品が置かれた廊下とも違っていた。
壁紙は水色で、敷かれているのは淡い緑色の絨毯。華美過ぎない程度に彫刻が施された木の机や椅子、タンスやベッドが配置され、窓から差し込むカーテン越しの光がそれらを優しく照らしてる。
温かくてどこか優しい雰囲気の部屋に入った僕は、この屋敷に来てから初めて楽に呼吸ができるようになった気がした。
「素敵なお部屋ですわね」
心の底からそう言うと、サラは「ありがとうございます」と応える。
「お父さんからは『もっと貴族らしい部屋にした方がいい』と言われるんですけど」
貴族らしい部屋ってなんだろう。もしかしてあの金ぴかの部屋がそうだって言うなら、ジェフリーはずいぶんと趣味が悪いな。
「私はサラさんのお部屋、とても好ましいと思いますわ。本当ですのよ」
「……嬉しいです」
少し恥ずかしそうなサラの笑みは、この部屋とよく似合っていた。
「さて、改めてご挨拶申し上げますね。――私はサラ・モート。ジェフリー・モートの娘です。パートリッジ伯爵家ご令嬢、エレノア様。当家にお越しくださってありがとうございます」
サラはスカートの裾を持ち、頭を下げる。その仕草はとても優雅だ。
そういえば先ほどの金ぴかな部屋での立ち姿も、ここへ来るまでの歩き方も、とてもきちんとしていた。
「サラさん。もしかして既にどなたかから所作を教わっておられましたの?」
「いいえ、誰からも」
サラは貴族の令嬢みたいに取り澄ました表情をしてる。小首を傾げた僕が黙って彼女を見つめていると、やがて根負けしたようにサラが頬を緩めた。
「本当です。誰からも教わっていません。でも父に『社交界デビューに向けてどこかの令嬢を教師としてお呼びする』と聞いてから練習はしました」
僕は思わず何度か瞬く。サラは微笑んだまま話を続ける。
「エレノア様もご存知ですよね、劇場には貴族のお嬢様方がたくさんおいでになるって。私はそこで皆様の仕草を覚えました。家に戻ったら鏡を見つつ、記憶の中のお嬢様方の姿になるべく近づけるように、こう……」
流れるように一連の動作をするサラを見ながら、僕はサラが頑張った理由を察してしまった。
モート家が貴族になれたのは、ちょっと狡くて強引な金稼ぎを繰り返したからだ。これじゃ周りからは嫌われるだろうね。当主のジェフリーは当然として、残念ながら娘のサラも。
……サラはもう分かってるんだ。誰も自分の教師なんて引き受けないし、もし引き受けてくれても嫌々だろうってことを。これまでには何かを言われたり、されたりしたことだってあるのかも。
今はなんてことない風に振舞ってるけど、でも、きっと裏でサラは心を痛めてた。それでたくさん努力をしたんだ……。
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