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第2章
村のみんなは優しいな
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屋敷から十分に離れたところで僕は馬から降り、鞍にホウキを結びつける。さすがに姉上がいるあの場でゆっくり結びつける勇気はなかったけど、このまま持ってるっていうのもちょっと邪魔だし。
ホウキの柄が体に当たるから馬は嫌がるかと思ったけど、温厚なこの子は全然気にした様子がなかったからありがたいな。
そうしてポクポク馬を進ませていると、正面に分かれ道が現れた。ここを左へ行くと町の方向で、右へ行くと村の方向だ。町にも村にもちゃんと名前はあるけど、普段の僕たちは単に「町」「村」って呼んでる。
この町と村、加えて本邸のある辺りの一帯が、パートリッジ家に残された最後の領地だ。
今日の僕は町へ行くため左へ曲がるはずだった。だけどホウキの件を片付けるから、右へ曲がって村へ向かう。
この先は平原が続いてる。風に乗って届く緑の香りはすっきりして爽やかだ。遠くの山は雲もなくて頂上まで見えてるし、ああ、本当に気持ちがいいなあ。
そうだ、サラは馬に乗れるのかな。もしも乗れないなら授業に取り入れるのもいいかもしれない。これからの季節は乗馬にぴったりだし、二人で遠駆けをするのも楽しそうだもんね。女装教師を引き受けたんだからこのくらいの得はきっと許されるはず!
そんなふうに僕がちょっぴり自分勝手なことを考えてるうち、目の前に広がるのは緑の草原から薄茶色の絨毯に変わっていた。小麦も刈り入れの時期になってきたね。今年も天候は安定してたし、豊作みたいでよかったな。
うなずきながら僕が村の中へ入ると、近くにいた村人たちがわっと出迎えてくれる。
「若旦那、お久しぶりです!」
「お元気でいらっしゃいますか、坊ちゃま。旦那様やお嬢様は?」
「ありがとう、元気だよ。みんなも元気みたいだね」
「そりゃもう!」
「うちの村のモンは元気が取り柄ですからね!」
「あっ!」
ひときわ大きな声がして振り返ると、通りの向こうで一人の老爺が杖をぶんぶんと振っていた。
「そこにおられるのは若旦那様! パートリッジの若旦那様じゃありませんかぁ!」
「ちょっ、走ったら危ないよ!」
僕の声が聞こえなかったわけじゃないだろうに、老爺は杖をつきながら駆けて来る。たまに足がもつれるんでハラハラしてたら、見かねたらしい若い男性が背負って連れてきてくれた。
「本日は良いお天気ですね、若旦那様。御機嫌いかがですか」
老爺は僕の前で麦わら帽子を脱ぎ、深々と頭を下げる。
「ありがとう。こうしてみんなが歓迎してくれるから最高の気分だよ」
「若旦那様ならいつお越しになられても歓迎しまさぁ。な!」
「もちろん!」
「当然ですよ!」
周りの人たちが口々に言う中で、若い女性の抱えた赤ちゃんが「だー!」って叫ぶものだから、「こんな小さいのに分かってやがる!」って周囲はまたひとしきり盛り上がった。
そうして笑いの波も少し落ち着いたところで、杖を突いた老爺が一歩進み出る。
「ところで若旦那様。急なお越しですが、今日はどうなさったんで?」
「ここの雑貨屋にホウキの修理を頼もうと思ったんだ」
「ホウキってぇと、これですかい?」
「そう」
僕が答えると、老爺は馬の横にあるホウキを見つめて、ふんふん、と小さく呟く。
「こんくらいなら雑貨屋に頼む必要なんてねぇですよ。あっしが直します」
「え? それは、いくらで――」
いくらでやってもらえる? って聞こうとした僕は、さっき姉上に言われた「あまりお金のことを言うと、卑しく見えますわよ」との言葉を思い出した。
「あー……おほん。い、いくらくらい、時間がかかる?」
「そうですなあ。明後日までお時間をいただければ」
それが無理をしてるのか普通なのか僕には分からない。だけど当の雑貨屋の当主が、
「親父っさんには敵わねえなぁ」
なんて笑ってるから、なんかこのまま話が纏まりそうな気配だ。
どうせうちにはやることが山ほどあるから、ホウキがない間は他の作業をしてもらえばいい。時間は問題はないし、お金は……まあ、雑貨屋で頼むのと同じくらいで済むだろう。きっと。たぶん。
「坊ちゃま。顔が強張ってますけど、どうしました?」
「ななな、なんでもない! なぁんの金額も気になってないよ!」
「はあ」
だけど、明後日かあ。そこだけはちょっと問題だ。
明後日といえば黄の曜日。黄の曜日は、僕がサラのところへ行く日だもんね。
「えーっと。明後日は用事があるから、ホウキを取りに来るのは翌日の黒の曜日になるけど、いいかな?」
そう言って僕は馬から降りて、鞍に括りつけてあったホウキを解きにかかる。思いのほかガッチリ結びつけたみたいで結び目はなかなか緩まない。そしてその間に老爺からの返事はないし、周りもしーんとしてる。
どうしたんだろうと思いながら僕が外したホウキを持って振り向くと、周りの人たちは示し合わせたように僕のことを、というか、僕の頭の天辺をじーっと見ていた。
え? なに? 髪に何かついてる?
「……あのー?」
さりげなく頭を触りながら僕が声を掛けると、周りはハッとした表情になった。
老爺もぎこちない笑みを浮かべながら、手にした麦わら帽子をにぎにぎする。
「あ、ああ、若旦那様がお越しなる必要はごぜぇませんよ。あっしがお屋敷まで伺います。たまには娘の顔を見るのも悪くありませんしなぁ」
僕の頭の中で例のメイドが「ワハハハハ」って豪快に笑う。
あのメイドはこの老爺の娘さんなんだよな。
「ごめんね、人手の足らないうちで忙しくしてもらってるから、なかなか家に戻してあげられなくて」
「とんでもない。むしろ大恩あるパートリッジのお屋敷でご迷惑をおかけしてるんでねぇかって、毎日ヒヤヒヤしてまさぁ」
実を言うとそのホウキを壊したのは当の娘さんです。ちなみに娘さんは昨日、僕の部屋の蝶番も壊しました。一昨日は確かエプロンを破ってまして、その前は……なんて破壊遍歴を思い出してしまうけど、そんなことを聞かせるわけにはいかない。
ここは余計なことを口にする前にさっさと帰ろう。
そう決めて馬にまたがったところで、一人の老婆が意を決したように声を掛けて来た。
「あのう、坊ちゃまはおいくつになられたんでしたっけ」
「ん? 十六歳だよ」
途端に周囲が「やっぱり十六歳」「うちの息子と同じなのに」「なんてことだ」「低い」ってざわざわする。
人によっては涙ぐんでるんだけど、なんで?
「……どうかした?」
「いえいえ、なんでもございません。道中お気をつけてお戻りください。ほら、みんなも」
「お元気で」
「希望は捨てないでください」
「応援してますよ」
そんな言葉に送られて、僕は首をひねりながら来た道を戻ることになった。
でも本当に、なんだろう?
ホウキの柄が体に当たるから馬は嫌がるかと思ったけど、温厚なこの子は全然気にした様子がなかったからありがたいな。
そうしてポクポク馬を進ませていると、正面に分かれ道が現れた。ここを左へ行くと町の方向で、右へ行くと村の方向だ。町にも村にもちゃんと名前はあるけど、普段の僕たちは単に「町」「村」って呼んでる。
この町と村、加えて本邸のある辺りの一帯が、パートリッジ家に残された最後の領地だ。
今日の僕は町へ行くため左へ曲がるはずだった。だけどホウキの件を片付けるから、右へ曲がって村へ向かう。
この先は平原が続いてる。風に乗って届く緑の香りはすっきりして爽やかだ。遠くの山は雲もなくて頂上まで見えてるし、ああ、本当に気持ちがいいなあ。
そうだ、サラは馬に乗れるのかな。もしも乗れないなら授業に取り入れるのもいいかもしれない。これからの季節は乗馬にぴったりだし、二人で遠駆けをするのも楽しそうだもんね。女装教師を引き受けたんだからこのくらいの得はきっと許されるはず!
そんなふうに僕がちょっぴり自分勝手なことを考えてるうち、目の前に広がるのは緑の草原から薄茶色の絨毯に変わっていた。小麦も刈り入れの時期になってきたね。今年も天候は安定してたし、豊作みたいでよかったな。
うなずきながら僕が村の中へ入ると、近くにいた村人たちがわっと出迎えてくれる。
「若旦那、お久しぶりです!」
「お元気でいらっしゃいますか、坊ちゃま。旦那様やお嬢様は?」
「ありがとう、元気だよ。みんなも元気みたいだね」
「そりゃもう!」
「うちの村のモンは元気が取り柄ですからね!」
「あっ!」
ひときわ大きな声がして振り返ると、通りの向こうで一人の老爺が杖をぶんぶんと振っていた。
「そこにおられるのは若旦那様! パートリッジの若旦那様じゃありませんかぁ!」
「ちょっ、走ったら危ないよ!」
僕の声が聞こえなかったわけじゃないだろうに、老爺は杖をつきながら駆けて来る。たまに足がもつれるんでハラハラしてたら、見かねたらしい若い男性が背負って連れてきてくれた。
「本日は良いお天気ですね、若旦那様。御機嫌いかがですか」
老爺は僕の前で麦わら帽子を脱ぎ、深々と頭を下げる。
「ありがとう。こうしてみんなが歓迎してくれるから最高の気分だよ」
「若旦那様ならいつお越しになられても歓迎しまさぁ。な!」
「もちろん!」
「当然ですよ!」
周りの人たちが口々に言う中で、若い女性の抱えた赤ちゃんが「だー!」って叫ぶものだから、「こんな小さいのに分かってやがる!」って周囲はまたひとしきり盛り上がった。
そうして笑いの波も少し落ち着いたところで、杖を突いた老爺が一歩進み出る。
「ところで若旦那様。急なお越しですが、今日はどうなさったんで?」
「ここの雑貨屋にホウキの修理を頼もうと思ったんだ」
「ホウキってぇと、これですかい?」
「そう」
僕が答えると、老爺は馬の横にあるホウキを見つめて、ふんふん、と小さく呟く。
「こんくらいなら雑貨屋に頼む必要なんてねぇですよ。あっしが直します」
「え? それは、いくらで――」
いくらでやってもらえる? って聞こうとした僕は、さっき姉上に言われた「あまりお金のことを言うと、卑しく見えますわよ」との言葉を思い出した。
「あー……おほん。い、いくらくらい、時間がかかる?」
「そうですなあ。明後日までお時間をいただければ」
それが無理をしてるのか普通なのか僕には分からない。だけど当の雑貨屋の当主が、
「親父っさんには敵わねえなぁ」
なんて笑ってるから、なんかこのまま話が纏まりそうな気配だ。
どうせうちにはやることが山ほどあるから、ホウキがない間は他の作業をしてもらえばいい。時間は問題はないし、お金は……まあ、雑貨屋で頼むのと同じくらいで済むだろう。きっと。たぶん。
「坊ちゃま。顔が強張ってますけど、どうしました?」
「ななな、なんでもない! なぁんの金額も気になってないよ!」
「はあ」
だけど、明後日かあ。そこだけはちょっと問題だ。
明後日といえば黄の曜日。黄の曜日は、僕がサラのところへ行く日だもんね。
「えーっと。明後日は用事があるから、ホウキを取りに来るのは翌日の黒の曜日になるけど、いいかな?」
そう言って僕は馬から降りて、鞍に括りつけてあったホウキを解きにかかる。思いのほかガッチリ結びつけたみたいで結び目はなかなか緩まない。そしてその間に老爺からの返事はないし、周りもしーんとしてる。
どうしたんだろうと思いながら僕が外したホウキを持って振り向くと、周りの人たちは示し合わせたように僕のことを、というか、僕の頭の天辺をじーっと見ていた。
え? なに? 髪に何かついてる?
「……あのー?」
さりげなく頭を触りながら僕が声を掛けると、周りはハッとした表情になった。
老爺もぎこちない笑みを浮かべながら、手にした麦わら帽子をにぎにぎする。
「あ、ああ、若旦那様がお越しなる必要はごぜぇませんよ。あっしがお屋敷まで伺います。たまには娘の顔を見るのも悪くありませんしなぁ」
僕の頭の中で例のメイドが「ワハハハハ」って豪快に笑う。
あのメイドはこの老爺の娘さんなんだよな。
「ごめんね、人手の足らないうちで忙しくしてもらってるから、なかなか家に戻してあげられなくて」
「とんでもない。むしろ大恩あるパートリッジのお屋敷でご迷惑をおかけしてるんでねぇかって、毎日ヒヤヒヤしてまさぁ」
実を言うとそのホウキを壊したのは当の娘さんです。ちなみに娘さんは昨日、僕の部屋の蝶番も壊しました。一昨日は確かエプロンを破ってまして、その前は……なんて破壊遍歴を思い出してしまうけど、そんなことを聞かせるわけにはいかない。
ここは余計なことを口にする前にさっさと帰ろう。
そう決めて馬にまたがったところで、一人の老婆が意を決したように声を掛けて来た。
「あのう、坊ちゃまはおいくつになられたんでしたっけ」
「ん? 十六歳だよ」
途端に周囲が「やっぱり十六歳」「うちの息子と同じなのに」「なんてことだ」「低い」ってざわざわする。
人によっては涙ぐんでるんだけど、なんで?
「……どうかした?」
「いえいえ、なんでもございません。道中お気をつけてお戻りください。ほら、みんなも」
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