伯爵令息の僕だけど、姉上のフリをして初恋の彼女の教師になります!? ~偽りの姿をした僕と、優しい嘘を言う君が、陽の光の下でワルツを踊るまで~

杵島 灯

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第2章

優しさはめぐる?

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「ジェフリー卿、こちらをご覧くださいませ」
「はて、なんでしょうか」
「サラさんの授業で使う資料ですわ。こちらは今日のもの。そしてこちらが、今度の黄の曜日に使うものですの」

 僕は紙の束を左右の手で半分に分けると、右手側に持った資料――黄の曜日に授業で使う資料をジェフリーに差し出した。

「どうぞ」

 うん? と首をかしげるジェフリーに、僕はにっこり笑ってみせる。

「ジェフリー卿がサラさんの授業をお聞きになっていらしたのは、わたくしが教師としてきちんとできているかどうか知りたかったからですわよね? ですからわたくしは毎回、次の授業で使う資料をジェフリー卿にお渡しすることにいたしましたの」

 ジェフリーはにこやかに笑んだまま、ちらりと僕の資料に目を落とす。
 たぶん何かの罠を疑ってるか、あるいは真意をはかってるんだろうな。さすが商売人だね。でも、含むものは何もないんだ。本当に。

「次にわたくしが参りましたとき、その資料をジェフリー卿から受け取ります。代わりにまた次の授業の資料をお渡しいたしますわ。もちろんお渡しした資料は毎回、中を確認してくださって構いません」

 ジェフリーと視線がぶつかる。僕は内心で冷や汗をかきながら、微笑を絶やさないよう努力する。

「これなら授業を聞かずとも、授業内容が分かりますわよね。ジェフリー卿も『エレノア・パートリッジはきちんとした授業をおこなっている』と安心できるのではございませんこと?」

 重ねて言うと、ようやくジェフリーはうなずいた。

「おっしゃる通りです。さすがはエレノア嬢、素晴らしい気配りは王都でも高名な“最高の淑女”だけありますな。このジェフリーも心より感服いたしました」

 ジェフリーの笑顔は晴れやかだ。

 姉上の気配り、かあ。
 ほかに対してはともかく、姉上はジェフリーに対して気配りなんてしないよ、絶対に。もしも僕が今やってることを知ったら姉上は「お前はどこまで甘いんですの!」って言いながら扇で頭を叩くと思う。なにせ資料を渡すのは、授業を聞けないジェフリーに対するサービスみたいなものなんだから。正直に言えば僕も「何をやってるんだろ」なんて複雑な気持ちはある。

 でもさ。どんなに嫌な人物であっても、ジェフリーはサラの父親なんだよ。サラのために少しは覚えていて欲しいことはあるし……それに何も分からないまま宮廷に出て周りからヒソヒソされる姿を想像すると、いくらジェフリーであっても「ちょっと気の毒かもしれない」って思っちゃうんだ。

「お話は以上ですわ。お仕事の邪魔をして申し訳ございません」

 そう言って僕が踵を返すと、後ろに立ってたサラは目尻を和ませてた。まるで懐かしいものを前にしたような目つきだったけど、僕の顔を見てふっと表情を引き締める。その変化が……なんでだろう。よく分からないけど少し、悲しかった。

 それでもなんとか笑って、僕が「用事は終わった」ってサラに言おうとしたときだった。
 僕の背後からジェフリーが声を掛けてくる。

「サラ。お前が考えていたことをエレノア嬢に伝えるといい」
「えっ!」

 サラの声と顔がパッと明るくなった。
 振り返ってみると、ジェフリーはさっきの資料に目を落としていた。その横顔に表情は特に浮かんでない。でも僕のほうをちらっと見て、シルクハットのフチにちょっと指をかけた。

 父娘の話は何なのか気になるけど、

「ありがとう、お父様! さあエレノア様、私の部屋に行きましょう!」

 って弾んだ声のサラが部屋を出て行くから、僕は後を追うことにした。
 この様子からすると嫌な感じの話じゃないはずだ。だってサラの足取りはとっても軽くて、まるでワルツのステップでも踏んでるみたいだもの。

 ああ、ワルツとサラかぁ。懐かしいな。
 そういえばサラがまだパートリッジの本邸に来ていたころ、僕とサラは――。

「どうかなさいましたか?」

 サラが不思議そうに僕を見てる。おっと、いけない。ぼんやりしてた。

「いえ、なんでもありませんの」

 僕はサラが開けてくれた扉の向こうへ行く。煌びやかな廊下の向こうにある優しい空間、サラの部屋だ。ここへ来ると本当にホッとするよ。
 僕が椅子に腰かけると、向かい側の椅子に座ったサラは机の上に身を乗り出した。

「実はお願いがあるんです!」
「先ほどジェフリー卿が仰ってらしたことですわね? どのようなお話でしょう?」

 聞いてみると、サラの「お願い」は「食事のメニューを考えてほしい」というものだった。
 どうやらサラは僕が来たときの昼食をテーブルマナーの時間としてあてたいらしい。勉強熱心だなあ。

「ですが我が家の料理人は昔からうちで働いてくれてる方たちで、貴族の料理というものを作ったことがないらしいんです。新たな料理人を雇うにしても少し時間がかかりますし。そこでエレノア様に、パートリッジのお屋敷で出されていたメニューとレシピを教えていただきたいなと思いまして」
「そういうことでしたのね……」

 つまり赤の曜日と黄の曜日の昼食には、僕が考案したコース料理をサラに出すってことか。
 うーん、メニューはまだなんとかなりそうだけど、問題はレシピだ。確かに何年も前のパートリッジ家では食卓にたくさんの皿が並んでいた。でも、あのころとは違ってうちにはもう料理人がいない。誰かがレシピを残してくれてたらいいんだけど、そのへんはパートリッジの本邸に帰って探してみないと分からないなあ。
 仕方ない、今はいったん保留にしておこう。返事は次にモート家へ来るときでもいいよね。

「あ、もちろんお昼には、エレノア様にも同じお料理をお出しする予定です」
「おまかせくださいませ!」

 しまった! 口が勝手にっ!
 でもさ。あのころの料理をまたお腹いっぱい食べられるかもしれないってなったら、力強く承諾の返事をしちゃうのも仕方ないと思うよ。だって今のパートリッジ家の食卓に並ぶお皿の数ときたら寂しいものなんだ。満腹になれることも少ないし。

 なんて考えていた僕は見てしまった。
 にこにこ笑うサラの視線がふっと、僕の頭の上に向けられたのを。

 村の人たちが食料を届けてくれたのは、僕の背の高さを気にしてたからだったはず。
 まさかとは思うけど……サラがテーブルマナーを学びたいのは、勉強熱心だからというだけじゃなくて……。

「サラさん。今回のお話は、わたくしとも関係があったりします? 例えば、背の高さとか」

 僕が試しに言ってみると、サラはふいに視線をはずして、

「……いいお天気ですね」

 って答えた。うわああ。

 村のみんなも、サラも、僕に気を使ってくれて本当に優しいなあ。気持ちがじんわりあたたかくなるよ。
 なるんだけど……同時に複雑な心境にもなるのは、どうにも止められない僕だった。とほほ。
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