伯爵令息の僕だけど、姉上のフリをして初恋の彼女の教師になります!? ~偽りの姿をした僕と、優しい嘘を言う君が、陽の光の下でワルツを踊るまで~

杵島 灯

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第3章

過去のおかげでドレスがきつい

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 夏も盛りを過ぎたけどまだまだ暑い。

「早く涼しくなってくれないかな……」

 ぼやきながら僕は、詰め物を当てた胸に布を巻いて、強く締める。最近はドレスを着ると全身がちょっときついせいで、胸元も前より強く締めないといけないんだ。
 その心当たりは……うん、まあ。あるといえば、あるかな。

「でもさ……しょうがないよね」

 小さく呟いた僕は授業のための資料と、『心当たり』の原因を持って部屋を出る。いつもより時間が早めだからまだ玄関には向かわない。先にちょっと用事があるんだ。
 一階におりて、擦り切れた絨毯に沿って歩く。角をいくつか曲がり、出現した細い廊下が目的地。右側に並んでる扉のうちの二つ目を僕は叩いて開けた。

「おはよう。入るね。……って、ちょ! なにやってるの!」
「わ、若君に、ご挨拶を……おはよう、ございうむうぅ~むむむむ……」

 寝台の上で奇妙な声を出してるのは老執事。どうやら立ち上がろうとしたみたいで、変な格好のまま固まってる。わ、顔が土色だよ!
 彼は昨日からぎっくり腰になってしまったんだって。僕はまだ経験がないけど、ものすごく痛いんだってね。

「挨拶なんていいから、ほら、横になって」
「い、いえ、若君に対し……うぐっ」
「わあああ、あぶない!」

 僕は持っていた紙の束をサイドテーブルに放り投げ、背中から床に落ちそうな老執事を慌てて支えた。

「ゆっくり動いて。ああ、こっち向かなくていいから!」
「うぐう……お出かけ前の若君の手をわずらわせてしまい、申し訳ございません……」
「気にしなくていいよ。とにかく無理しないで。あと、今回もレシピをありがとう。机に置いておくね」
「お役に立てましたのなら、何よりでございます」

 反対を向いて横になる老執事の顔は見えないけど、嬉しそうな気配だけは伝わってきた。

「これからの季節に合いそうなレシピは、私の書棚の二段目にございます。どうぞお持ちください」
「帰ってきたら借りるね。……いや、動かなくていいから。そのままでいて」
「……は。では、このような姿勢で失礼いたします。行ってらっしゃいませ」

 老執事の背中に見送られて部屋を出た僕は、今度こそ玄関へ向かう。よし、時間配分バッチリ。もう少しでモート家からの馬車が到着する時間になりそうだ。
 考えてみたら、僕が老執事の部屋へ顔を出すようになってから三か月くらいになるんだなあ。そうしてそれこそが、僕のドレスがきつくなってしまった原因でもある。

 この一連の出来事のきっかけは、サラ。
 彼女に「昼食のメニューを考えて、レシピを教えてほしい」って言われたことだ。

 僕がモート家に滞在するのはだいたい夕方までだから、本邸へ戻る頃にはだいぶ陽も傾いてる。「レシピを教えて」と言われたその日は暗くなってしまったから、僕は翌朝に蔵書室へ向かい、過去のレシピを探してみたんだ。
 だけど期待したようなものは見つからなかった。やっぱり手放してしまったらしい。見つけた中で一番の『それらしきもの』はお祖母さまの日記だったかな。「今日もあの人の浪費は止まらなった。あんなものを買って、あんな女を連れていた」というお祖父さまへの恨み言と一緒に、「だから腹いせに私はこんな食事をしてやった」なんて、メニューがこと細かく書かれていたからね。

 ただしあくまで日記だから、レシピまで載ってるわけじゃない。それで結局この日記は「食卓にこれだけの品を並べられたなんて、うらやましいなあ」って僕に肩を落とさせる程度の役目しか果たせなかった。

「困ったな、どうしよう……」

 思案しながら僕が日記を書棚に戻したちょうどそのとき、蔵書室の扉が開いて人が入ってきた。老執事だ。左手にハタキ、右手に水の入った桶を持っていた彼は、僕を見ると桶を床に置き、右手を胸に当てて頭を下げる。

「若君がおられたのですね、失礼いたしました。私は後ほど参りますので、どうぞごゆっくり」
「大丈夫だよ、もう用は終わったから」

 そう答える僕だったけど、目的のものがなかったせいで浮かない表情だったのかもね。普段はあんまり踏み込んでこない老執事が「いかがなさいましたか」なんて聞いてきたんだ。
 別に隠す話でもないし、僕は正直に「モート家の昼食メニューとレシピを考えることになったけど、参考資料がなくて困ってる」って話をした。
 老執事はちょっと考えた様子を見せて、もう一度頭を下げる。

「もしかすると私は、若君のお役に立てるかもしれません」
「どういうこと?」
「私の部屋には過去のレシピがございます」
「えっ!」

 彼の話はこうだ。
 この老執事は先々代のパートリッジ家当主……つまり僕の『ひいお祖父さま』が当主だったころから本邸で働いてる。
 今は領地の管理を任されるような最上位の使用人になってるんだけど、若い頃は各種の雑用を担当したり、当主が食事をするときの給仕もしたりしてた。そのとき料理人たちに教えてもらったレシピを、今でも持ってるんだって。

「ぜひ貸して!」

 僕が勢い込んで言うと、顔を上げた老執事は目元を和ませる。

「かしこまりました。では、掃除が終わりましたら若君のお部屋にお届けいたします」
「じゃあ僕も一緒に掃除するよ」
「それはいけません。パートリッジの若君に掃除のお手伝いをいただくなど、とんでもないことでございます」
「そんなの、今更だよ」

 だって僕も使用人たちを手伝って、ちょくちょく掃除してるんだから。

「早く掃除が終われば早く貸してもらえるんだもんね。がんばって済ませちゃおう!」
「ではせめてこちらのハタキをお使いください。雑巾はお洋服が濡れてしまいます」

 気を使ってもらえて嬉しいなあ。メイドだったら大喜びで「それじゃあ坊ちゃんはこの部屋の掃除をお願いしまーす! アタシは別のことをやりますね!」って答えるところだよ。

 だけど濡れたところで問題なんてないから、僕はこのまま雑巾がけを始める。なんか妙に動きの速くなった老執事と一緒に掃除を済ませたあと、見せてもらった手帳には、まさに僕の欲しい内容がぎっしり書かれてた。季節ごとのメニューとレシピ、加えてときどきすごく詳細な絵まで描かれてる。これは若い頃の老執事が書いたものなんだって。上手いなあ。

 こうして過去の老執事のおかげで、僕はサラの希望通り『昼食のメニュー表』と一緒にレシピを渡せるようになった。
 以降は二週に二度の授業のときに美味しい昼食を出してもらえるようになって、ちょっと肉付きが良くなってきて、それで……ドレスが苦しくなってきたってわけ。

 だけどさ、今までの僕の食事はあまりに可哀想だったと思うんだよ。
 ドレスが入るうちは、少しくらい肉付きが良くなってもいいよね。

『本当の淑女は公の場でお腹いっぱいにならない』

 って話もあるけど、それがなんだ、これは僕に対するサラの気遣いでもあるんだ。
 よって今日も「テーブルマナーなんだから」っていう言葉を大きく掲げて、僕はモート家でお腹いっぱい食べるぞー!
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