伯爵令息の僕だけど、姉上のフリをして初恋の彼女の教師になります!? ~偽りの姿をした僕と、優しい嘘を言う君が、陽の光の下でワルツを踊るまで~

杵島 灯

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第3章

不意打ち! 不意打ち?

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 パートリッジ邸の玄関には今日もピッカピカの馬車がやってきた。僕がこの馬車に初めて乗ったのはまだ初夏の頃だったから、いつもの御者さんにも、馬にも、三か月くらいお世話になってるんだね。
 一日のうちにパートリッジ家とモート家を二往復もする御者さんは大変だと思うけど、でも全然嫌な顔をしてない。もしかするとジェフリーから臨時の給金でももらってるのかな。……いや、ジェフリーはなんとなくケチな気がするから、サラが渡してるのかもしれない。

「いってらっしゃーい!」

 ぶんぶんと手を振るメイドに見送られた僕が、馬車に揺られてモート家に到着すると、玄関ではオレンジ色のドレスを着たサラが出迎えてくれた。ふわっと風に揺れる生地は涼しそうな薄手のもの。こよみは進んでいるけどまだ暑いもんね。
 サラは見るたびにドレスが違うんだ。さすがはモート家、お金持ちだなあと思う。対して僕のほうは……。
 ま、まあ、僕は単なる教師だから同じドレスでも構わないはず。汚くならないようにちゃんと洗濯だってしてるから、僕の洗濯のウデはだいぶ上がったよ。これが喜ばしいことなのかどうかは深く考えたら負けだけどね。

「ごきげんよう、サラさん」
「おはようございます、エレノア様」

 優雅に頭を下げるサラに僕も同じように返す。女性用のお辞儀に慣れてきた自分が怖い。最近じゃグレアムのときでさえ、うっかりスカートを摘まもうとするんだ。気をつけないとなあ。

「まずはこちらをお渡ししておきますわ」
「今度の黄の曜日のメニューとレシピですね、ありがとうございます。……ええと……」

 受け取ったサラは書面に目を落とし、途中でぽつりと呟く。

「……山ウズラのパイ包み。最近ずっとありますね」

 ぎく。

「え、ええ。パイ包みは食べにくいですもの。慣れていただくため回数を多めにしておりますのよ」
「そうですか」

 サラが深く追求してこなかったので僕はホッとする。
 慣れてもらうため回数を多めにしてる、なんて真っ赤な嘘。本当は僕が食べたいだけ。

 山ウズラの肉、特にパイ包みにしたものは僕の大好物。だけどパイ包みを作るには手間も材料もかかるんだ。
 パートリッジの屋敷では給金の関係もあって専任の料理人をもう雇っていないし、食材もあんまり使えないから出てくる食事は簡単なものばかり。おかげで山ウズラのパイ包みなんて何年も食べてない。

 でも、モート家にはちゃんとした料理人がいる。
 お金だってあるから、山ウズラのパイ包みを作るのも余裕。

 僕が考案した昼食メニューはあくまで『サラのテーブルマナーのため』ということにはなってるけど、僕にも同じ料理を出してもらえる。よって山ウズラが獲れる時期にはパイ包みを毎回メニューに入れて、可能な限り食べさせてもらうつもりなんだ。

 朝に渡したメニューをその日の昼に出す、というのは食材調達や下ごしらえの関係で少し難しいけど、僕はこの前のメニュー表にもちゃんと『山ウズラのパイ包み』って書いて渡してある。
 ……ううん、この前だけじゃないな。夏に入ってからずっとだね。だから今日も山ウズラのパイ包みが出てくるのは間違いない。ああ、お昼の食事が楽しみだ!

 なんて、そんな風に思う僕はちょっと頬が緩んでたかも。だってサラが嬉しそうに僕を見てるんだ。
 まずいまずい。食事は楽しみだけど、あくまで僕はサラの教師として来てるんだぞ。しっかりしなきゃ。

「さあ、サラさん。今日も授業をいたしましょう」

 威厳をこめて出来る限り重々しく言ってみるけど、対するサラは歌いだしそうな調子で軽く、

「はーい」

 って答える。
 ふんふん、油断してるな。
 それじゃいい機会だし、少しサラのことを試してみようか?

「ところでサラさん、今日の昼食はどのようになりそうですの?」

 玄関へ向かいかけていたサラは振り返り、ニッコリと笑う。

「朝に料理人のところへ確認しに行ったら『とっても質のいい素材が手に入った』って言ってたんです。きっと美味しく作ってもらえるはずですから、期待しててくださいね」

 言ったところでふと澄ました表情になったサラは、優雅にスカートの裾をつまんで頭を下げる。

「歴史あるパートリッジ家の食卓に並んでいた食事が再現できるよう、我がモート家の料理人一同も張り切っております。ですがまだ作り始めて日が浅いため、至らぬ点が多いかもしれません。お召し上がりになる際は、ぜひ忌憚ない意見をお聞かせくださいませ、エレノア様。改善点は今後の課題として料理人たちに申し伝えますし、いただいたお褒めの言葉は彼らにとって何よりの励みとなります」

 数か月前のサラだったらここで怒涛の営業文句を並べ立てたはず。それなのに、ああ、もう。こんな短期間で、きちんとできてるじゃないか。
 そうしてまた顔を上げたときに僕を見る茶色の瞳は、昔のいたずらっ子そのままの輝きだ。

「不意打ちのテスト、いかがでした?」

 僕の意図もお見通しだったね。
 でも、ちっとも悔しくなんてない。むしろサラが頑張ってきた結果が見られて安心したよ。

「さすがですわね、サラさん。合格ですわ」
「本当ですか?」
「ええ、素敵な答えでしたわよ」
「やった! これもすべてエレノア様のおかげです!」

 ちゃんと先生ぼくを立てることも忘れないんだから、さすがだよ。心配りだってばっちりじゃないか。
 短い距離を跳ねるように近寄って来たサラが、「時間がなくなっちゃうから行きましょう」って声を掛けて玄関をくぐる。普段ならここでジェフリーの書斎に寄って資料をもらうところだけど、サラは階段へ向かった。今日はもうジェフリーから資料を受け取ってあるってことかな? じゃあ、僕が持ってる次回の資料はいつ渡せばいいんだろう?

 少し悩んだ僕だけど、べつに後でもいいかと思いなおす。だって本来ならこれはサラのための資料なんだ。それに、階段をのぼるサラの足取りはいつもより軽い。せっかくサラが楽しい気分でいるのなら、わざわざ“ジェフリーのところに寄る”なんて水を差すような真似はしなくていい。

「サラさん、なにか良いことがありましたの?」
「分かります? 実は昨日、ずっと読みたかった本が手にはいったんです。嬉しくて楽しくて、もう、夢中で読んじゃって。あんまりにも良かったから、またすぐに読み返しちゃった」
「そんなに楽しかったのですね。どんな本ですの?」

 興味をひかれた僕が尋ねると、二階までのぼりきったサラはくるりと回って、まだ階段にいる僕を見つめる。

「『約束の花束をあなたに』っていう本です」
「え?」

 サラにそのつもりはなかったと思うけど、僕は完全に不意を突かれた。もしもサラが教師の立場だったら、きっと僕は不合格をもらったと思うね。
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