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第3章
裾と靴と足の傷
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破れてしまったドレスのまま屋敷に戻ると、玄関を開けたところでメイドに行き会った。
「おっかえりなさーい、エレノア坊ちゃん! ……あれ? 元気ないですね? どうしたんです?」
「……ちょっとね……」
理由を言いたくない僕が濁しながら部屋へ向かおうとすると、メイドはポンと一つ手を打った。
「あっ、分かった! お腹すいちゃったんですね!」
ん、残念。ちがうよ。
だけど、僕がお腹すいてる、っていうのはメイドの中では決定になったみたいで、
「大丈夫です! 夕食ができるまであと少しだってさっき執事さんが言ってました! だからそこまで我慢してください! がんばれ、坊ちゃんのお腹! もうちょっと持ちこたえるんですよ! アタシも応援してますからね!」
なんて謎の応援を始めながらついてくる。それに気を取られてるおかげかドレスの裾が破けてることには気づかなかったみたいだから、僕としては助かったけどね。
部屋の前で「着替えるから」ってメイドを追い返した僕がドレスを脱いでから改めて確認してみると、破れた場所は僕の技量じゃ絶対に補修できないことが分かった。これはうちの三人の使用人でも無理だ。
仕方なく僕は次の朝に町へ向かって、衣料品店で直しを頼むことにした。以前なら商人に来てもらってたんだけど、今のうちにはそんな余裕がないからね。さようなら、なけなしの銀貨。金貨だったらどうしよう。
ビクビクしながら町で一番の高級衣料品店でドレスを見せたところ、店主の女性はとっても難しい顔をする。
「こちらは王都で誂えたドレスですね。私ではうまく補修できるかどうかわからないのですが……」
そこをなんとか、と頼み込んでドレスを預け、翌日の白の曜日に取りに行くと、戻ってきたドレスは今までより少し短くなっていた。
かぎ裂きになった部分をなるべく糸が見えないように縫った結果、こうなってしまったらしい。
「申し訳ありません」
って店主さんは恐縮するけど、破れた範囲を考えたらむしろこのくらいで済んだのは不幸中の幸いかもしれない。あと、ちょっと安くしてもらえたのも助かった。
だけど、問題は、この短くなった丈がどう影響するかで……。
パートリッジの本邸に戻った僕が改めて着心地を確認してみたら、やっぱり足の感覚が違った。恐る恐る鏡の前に移動してみたら、ここ数か月のあいだドレスに隠れていた靴のつま先が、ババンと見えていた。
僕の顔からサーッと血の気が引く。
今までの僕はドレスの裾が長めなのをいいことに、こっそり自分の靴をはいていたんだ。だけどこんなふうに見えてるんじゃ、さすがに男物の靴を履くわけにいかないよ。
実を言えば女性用の靴は最初から用意してあった。だったらどうして使っていなかったのかといえば、もちろん僕が女性用の靴を履きたくなかったからだ。
だって女性用の靴ってカカトが高いじゃないか。履くと姿勢が安定しなくてグラグラするし、つま先は痛いし、あちこちに靴擦れはできるし。で、情けないことに僕はすぐに音を上げた。ドレスの裾から靴が見えなかったのをいいことに、脱いだ靴を箱に入れ、タンスの奥にそっとしまっておいたんだ……。
二十回くらいため息をつきながら、僕はタンスの取っ手に手をかけてオシャレな箱を取り出す。蝋燭の光の中で姿を見せたのは綺麗なベージュの靴だ。余計な飾りは少ないけど、落ち着いて上品な靴。商人を呼び寄せた姉上が「ケガをして包帯を巻いたときでも履ける靴が欲しい」という嘘をついて、少し大きめに作ってもらった靴。
あとで姉上からは「こんな妙な理由で靴を作る人物なんて他にいませんわよ」ってブツブツ文句を言われたけど、僕の足は姉上より骨太だったから仕方がない。
やあ、靴、久しぶり。会ったのは試し履きした日以来だね。本当は最後まで君の出番はないはずだったんだけど、ちょっと予想外のことが起きてね。
僕は靴を履き替えて歩いてみる。部屋の中を端から端まで移動しただけなのに既に足が痛い。
だけど今回ばかりは逃げてなんていられないんだ。来週の赤の曜日までに絶対この靴を履きこなしてみせるよ!
足がボロボロになる覚悟でね!
***
覚悟の上ではあったけど、僕の足は見事にボロボロになった。
ドレスを着る女性ってみんなこんな靴を履いてるの? サラも? 姉上も? 母上も履いてた?
みんなすごいな……僕はもう無理だよ……。
なんて音を上げても事態は変わらない。
とにかく傷には薬を塗って、歩いても痛くないように靴に柔らかい詰め物をして (でもやっぱり痛いけど)、頑張ること約七日。多少は動きかたも見られるようになった (はず)の僕は、ピッカピカの馬車に乗ってモート家に向かう。
玄関前にはいつものようにサラが立っていた。今日のドレスは深緑色。珍しく装飾は少なめだし丈も短めだから、ちょっぴり昔の姿を思い出すね。
馬車が停まって扉が開いた。僕は降りようとして腰を浮かしかけたけど、出迎えのはずのサラが、満面の笑みを浮かべて馬車に乗り込んできた。
「おはようございます、エレノア様! 今日は絶好の野外授業日和ですね!」
事態が飲み込めなくて固まる僕の正面に座ったサラは、ちょっと瞬いて、小さくクスって笑う。
「今日はこのまま馬車で野外授業の場所へ向かいます。ほら、お弁当もちゃんと準備してあるんですよ!」
確かにサラの横にはいい匂いのするバスケットが置いてあった。なるほど、これがお弁当……今日のお昼ご飯ってことなんだね。
貴族のピクニックは、屋外でも室内と似たような食事をとることが多い。散策をした先には椅子と机が準備されていて、テーブルクロスの上には届けられたばかりの料理がお皿に盛りつけられて並んでいるんだ。
実は僕もそんな感じのものを思い浮かべていたんだけど、どうやらサラの考えるピクニックは違うみたいだね。
今日のジェフリーが留守だってことは先々週のサラが教えてくれた。つまり書斎に行く必要がないから、このままピクニック……いや、野外授業に出かけても問題はない。
そう考えてようやく僕は少しばかりワクワクしてきた。サラと一緒に外出できるのはもちろん楽しみだし、食事がどんなふうになるのかも気になるもんね。
ただ、少しばかり不安材料もある。僕の足だ。今日のサラはどのくらいの移動距離を予定しているんだろう。あんまり歩くと傷が痛むから、できれば僕が我慢できる程度でありますように……。
「おっかえりなさーい、エレノア坊ちゃん! ……あれ? 元気ないですね? どうしたんです?」
「……ちょっとね……」
理由を言いたくない僕が濁しながら部屋へ向かおうとすると、メイドはポンと一つ手を打った。
「あっ、分かった! お腹すいちゃったんですね!」
ん、残念。ちがうよ。
だけど、僕がお腹すいてる、っていうのはメイドの中では決定になったみたいで、
「大丈夫です! 夕食ができるまであと少しだってさっき執事さんが言ってました! だからそこまで我慢してください! がんばれ、坊ちゃんのお腹! もうちょっと持ちこたえるんですよ! アタシも応援してますからね!」
なんて謎の応援を始めながらついてくる。それに気を取られてるおかげかドレスの裾が破けてることには気づかなかったみたいだから、僕としては助かったけどね。
部屋の前で「着替えるから」ってメイドを追い返した僕がドレスを脱いでから改めて確認してみると、破れた場所は僕の技量じゃ絶対に補修できないことが分かった。これはうちの三人の使用人でも無理だ。
仕方なく僕は次の朝に町へ向かって、衣料品店で直しを頼むことにした。以前なら商人に来てもらってたんだけど、今のうちにはそんな余裕がないからね。さようなら、なけなしの銀貨。金貨だったらどうしよう。
ビクビクしながら町で一番の高級衣料品店でドレスを見せたところ、店主の女性はとっても難しい顔をする。
「こちらは王都で誂えたドレスですね。私ではうまく補修できるかどうかわからないのですが……」
そこをなんとか、と頼み込んでドレスを預け、翌日の白の曜日に取りに行くと、戻ってきたドレスは今までより少し短くなっていた。
かぎ裂きになった部分をなるべく糸が見えないように縫った結果、こうなってしまったらしい。
「申し訳ありません」
って店主さんは恐縮するけど、破れた範囲を考えたらむしろこのくらいで済んだのは不幸中の幸いかもしれない。あと、ちょっと安くしてもらえたのも助かった。
だけど、問題は、この短くなった丈がどう影響するかで……。
パートリッジの本邸に戻った僕が改めて着心地を確認してみたら、やっぱり足の感覚が違った。恐る恐る鏡の前に移動してみたら、ここ数か月のあいだドレスに隠れていた靴のつま先が、ババンと見えていた。
僕の顔からサーッと血の気が引く。
今までの僕はドレスの裾が長めなのをいいことに、こっそり自分の靴をはいていたんだ。だけどこんなふうに見えてるんじゃ、さすがに男物の靴を履くわけにいかないよ。
実を言えば女性用の靴は最初から用意してあった。だったらどうして使っていなかったのかといえば、もちろん僕が女性用の靴を履きたくなかったからだ。
だって女性用の靴ってカカトが高いじゃないか。履くと姿勢が安定しなくてグラグラするし、つま先は痛いし、あちこちに靴擦れはできるし。で、情けないことに僕はすぐに音を上げた。ドレスの裾から靴が見えなかったのをいいことに、脱いだ靴を箱に入れ、タンスの奥にそっとしまっておいたんだ……。
二十回くらいため息をつきながら、僕はタンスの取っ手に手をかけてオシャレな箱を取り出す。蝋燭の光の中で姿を見せたのは綺麗なベージュの靴だ。余計な飾りは少ないけど、落ち着いて上品な靴。商人を呼び寄せた姉上が「ケガをして包帯を巻いたときでも履ける靴が欲しい」という嘘をついて、少し大きめに作ってもらった靴。
あとで姉上からは「こんな妙な理由で靴を作る人物なんて他にいませんわよ」ってブツブツ文句を言われたけど、僕の足は姉上より骨太だったから仕方がない。
やあ、靴、久しぶり。会ったのは試し履きした日以来だね。本当は最後まで君の出番はないはずだったんだけど、ちょっと予想外のことが起きてね。
僕は靴を履き替えて歩いてみる。部屋の中を端から端まで移動しただけなのに既に足が痛い。
だけど今回ばかりは逃げてなんていられないんだ。来週の赤の曜日までに絶対この靴を履きこなしてみせるよ!
足がボロボロになる覚悟でね!
***
覚悟の上ではあったけど、僕の足は見事にボロボロになった。
ドレスを着る女性ってみんなこんな靴を履いてるの? サラも? 姉上も? 母上も履いてた?
みんなすごいな……僕はもう無理だよ……。
なんて音を上げても事態は変わらない。
とにかく傷には薬を塗って、歩いても痛くないように靴に柔らかい詰め物をして (でもやっぱり痛いけど)、頑張ること約七日。多少は動きかたも見られるようになった (はず)の僕は、ピッカピカの馬車に乗ってモート家に向かう。
玄関前にはいつものようにサラが立っていた。今日のドレスは深緑色。珍しく装飾は少なめだし丈も短めだから、ちょっぴり昔の姿を思い出すね。
馬車が停まって扉が開いた。僕は降りようとして腰を浮かしかけたけど、出迎えのはずのサラが、満面の笑みを浮かべて馬車に乗り込んできた。
「おはようございます、エレノア様! 今日は絶好の野外授業日和ですね!」
事態が飲み込めなくて固まる僕の正面に座ったサラは、ちょっと瞬いて、小さくクスって笑う。
「今日はこのまま馬車で野外授業の場所へ向かいます。ほら、お弁当もちゃんと準備してあるんですよ!」
確かにサラの横にはいい匂いのするバスケットが置いてあった。なるほど、これがお弁当……今日のお昼ご飯ってことなんだね。
貴族のピクニックは、屋外でも室内と似たような食事をとることが多い。散策をした先には椅子と机が準備されていて、テーブルクロスの上には届けられたばかりの料理がお皿に盛りつけられて並んでいるんだ。
実は僕もそんな感じのものを思い浮かべていたんだけど、どうやらサラの考えるピクニックは違うみたいだね。
今日のジェフリーが留守だってことは先々週のサラが教えてくれた。つまり書斎に行く必要がないから、このままピクニック……いや、野外授業に出かけても問題はない。
そう考えてようやく僕は少しばかりワクワクしてきた。サラと一緒に外出できるのはもちろん楽しみだし、食事がどんなふうになるのかも気になるもんね。
ただ、少しばかり不安材料もある。僕の足だ。今日のサラはどのくらいの移動距離を予定しているんだろう。あんまり歩くと傷が痛むから、できれば僕が我慢できる程度でありますように……。
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